休息
エイルとヴェルダンは、エルエッタを黙って見送ることしかできなかった。彼女の姿が消えてからも、彼らは無言で立ち尽くしていた。
「……疲れたな」
「うん……」
ふたりは、その場に崩れ落ちるように座った。
エイルがヴェルダンに肩を預ける。
「ヴェルダン、ありがとう。僕は……君がいなければ、死んでいた」
――今日だけで、一生分の借りを作っちゃったね。
とエイルが言った。
ヴェルダンがエイルの頭を小突いた。ばかだな、と彼は言う。
「借りだとか言うなよ。俺は、当たり前のことをしただけだ。それに、お前だって、同じことをしただろ?」
「……そうかな……?」
エイルは自嘲気味に笑った。自分は、ヴェルダンのように強くない。通路で出会った魔の者に屈し、エルエッタにも屈した。
僕は、弱いよ。君を救うことなんて――。
……痛い! とエイルが小さな悲鳴をあげた。
ごつん、とヴェルダンの頭がエイルの頭にぶつかった。彼に頭突きをされたようだ。少年は頭を押さえて、親友をちょっぴり睨んだ。
「……なにするのさ」
「また、変なことを考えていただろ。お前はすぐに表情に出るからな。お見通しだよ」
「お見通さないでよ……」
大部屋は静寂に包まれている。……静かだ。まるで、先ほどの出来事が、大穴に落ちてからの様々な出来事が、夢のように感じた。
「……あっ、痛い……」
エイルが腹を抱えて、苦しそうにうずくまった。刺すような痛みが、じわじわと少年の体を侵食する。興奮状態から落ち着いたせいだろう。肉体が負傷を訴えているのだ。怪我の主な原因は、エルエッタに腹部を強く踏みつけられたことによるものに違いない。
エイルの体の内側が、痛みを主張し続けている。
「ねえ、ヴェルダン。薬……まだある?」
「ちょっと待ってろ」
ヴェルダンが鞄の中身を漁る。彼は、おっ、と呟くと、中から小瓶を取り出した。
「最後の一本だ。吐くんじゃないぞ、お子様エイル」
にやっと笑って、彼が手渡してくる。エイルは苦笑しながらそれを受け取った。
エイルは小瓶の蓋を開けると、ぐっ、と一気に飲み干した。
……苦い! と少年は顔をしかめて舌を出した。
そんな少年の様子を見ていたヴェルダンは、笑いながら彼に言った。
「これで、家にあった薬はすっからかんだな。親父はなんて言うんだろうな」
「素直に、僕に使ったって言いなよ。怒られるなら、僕が怒られるべきだ」
「怒ったときの親父は恐ろしいからなあ。……まあ、考えておくよ」
ヴェルダンは、エイルに怒りを引き受けてもらうつもりなど、毛頭なかった。
叱られるなら、俺でいい。これは、俺が望んだ選択なのだから。
ヴェルダンは心の中で、そう考えていた。
「ふぅ……」
薬が効いてきたのだろう。エイルは、少しだけ眠気を感じた。
「ほら、横になれよ」
ヴェルダンが胡坐をかいている自分の膝を叩いた。少年は、素直に親友の提案に甘えることにした。
「寝たら、起こしてね……?」
「わかってるよ」
エイルは、ヴェルダンの膝にそっと頭を乗せた。……彼の体温が心地よい。親友は、少年の体を確かに受け止めてくれた。
……。
……。
ここまでの出来事が遠い昔のように感じる。僕は子どもで、今生きていられるのは、ヴェルダンのおかげ。自分の無力に嫌気がさす。親友の強さに憧れる。僕は、僕は――。
少年は、まだ幼い。まだ成長の途中だ。存分に迷い、存分に間違えればいい。
お前が心から選んだ道ならば、お前のすべてを尊重しよう。
「ん……」
眠気も軽くなってきた頃合いで、エイルは体の痛みが消えたことを確信した。
エイルが頭を起こした。そして、ゆっくりと立ち上がる。
「ヴェルダン」
エイルが親友に手を差し伸べる。彼は、エイルの手を取った。
ヴェルダンがエイルに問う。
「……行くのか? それとも、戻るのか?」
「――行こう」
「……いいんだな?」
「うん。これは僕の予想だけど、きっと、この先にめぼしい敵はいないと思う」
「どうして、そう思える?」
「他にエルエッタの仲間がいるとしたら、きっと、集団で僕らと戦っていたはずだ。そして、エルエッタの他に勢力がいるとしたら、きっと、先で戦闘が起こっているはず」
――でも、彼女が消えてから、なにも起こらない。なにも聞こえない。つまり――。
とエイルが言った。先の言葉は、ヴェルダンが引き継ぐ。
「――もう、ここに危険なものは、なにも残っていない、と」
エイルがうなづいた。
しかし、ヴェルダンは、まだ納得をしていない。
「エルエッタが、まだいるかもしれないぞ?」
エイルは首を横に振った。
「それはないと思う。彼女は、もう僕らに会いたくないだろう――少なくとも、今は。もし、出会ったとしても、さっき見逃したばかりの彼女が、すぐに戦闘を再開するとは思えない」
「……そうか」
ヴェルダンは、大部屋の片隅に転がっている自分の武器を拾った。彼は居住まいを整えると、エイルに最後の確認をした。
――なあ、エイル。
「もし、また、エルエッタみたいな強敵と対峙したら、どうする? 俺たちが死ぬしかなくなったら……お前は、どうする?」
エイルは、それを聞いて、ちょっぴりと困ったように笑った。
少年の笑顔は儚い。
魔の者による蹂躙をへて、魔の者に完膚なきまでに心身をへし折られて、エイルの心は少し変質したのかもしれない。ヴェルダンが知りえない心を持った顔を、少年はしていた。
「そのときは、一緒に死のう。――ヴェルダン。君となら、いいよ」
「望むところだ」
ヴェルダンは親友の覚悟を聞いて、一瞬ひるんだ。しかし、それで身を引くような関係ではない。むしろ、歓迎すらしてみせよう。
彼らの繋がりはかたく、何者だろうと侵すことはできない。
ところで、ヴェルダンは死ぬつもりなど毛頭ない。なので、彼は、エイルと一緒に生き残る覚悟を決めた。なにがなんでも、この先になにがあっても。
――悲観的なことを考えるな。前を向け。エイルが暗闇に落ちていくなら、引き上げてやるのが俺の役目だ。進み続けろ。ヴェルダン・スタール!
親友のひそかな決意を知らないエイルは、自身の身支度を整えていた。互いの準備が終わったことを確認すると、ふたりはうなづき、ともに通路の奥へと歩き出した。
この先に、なにがあるのかを確かめるために。