垣間見えた真実
「それにしても……」
景色に見飽きたヴェルダンは、再び、その場に崩れ落ちるように座りこんだ。荒い岩肌の上にもかかわらず、彼は仰向けに寝転がる。
ヴェルダンは、落胆を隠そうともしなかった。
「ここって、俺たちの村から西に行ったところにある……いつもの海辺だよな?」
「……そうだね。いつもの場所だ」
少年たちは、この場所に見覚えがある。それどころか、村からここまでの道のりも知っているし、ここで家族や村の仲間と時間をともにしたこともある。よそ者はめったに現れない、村の人間なら誰もが知る、居心地のいい海辺である。
ここは、エイルやヴェルダンの住む場所からは、そこそこ離れているが、長旅と呼べるほどの距離でもなくて、ちょっとした遠足気分でいけるところにあった。村に常駐する兵士たちがよく働いているおかげなのか、海の豊かさに比べて、密猟者や海賊の類はまったく出没せず、争いとは無縁の平和の象徴のような場所だ。
時折、村の男たちが時間をかけて船を造り、それに乗って、海の向こう側の大陸に出向くこともあった。彼らが持ち帰ってくるものは、この地域では見ることのできない珍しいものばかりで、エイルやヴェルダンなどの子どもたちは、船乗りの帰りを心待ちにするあまりに、学び舎を怠けることすらあった。
エイルは、大陸を横断できるほどの大きな船に乗ったことはないが、小舟に乗って、父親と釣りを楽しんだ記憶は鮮明に残っている。
ここは、ふたりにとって、珍しい場所ではなかった。
「……つまり、俺たちは命がけで、近所を散歩していた……ってことか? そうだよな?」
ヴェルダンが、大きな、それは大きなため息をついた。彼の心情を思えば仕方がないのかもしれない。一生に一度経験するかもわからない劇的な危機に陥って、しかも親友を失いかけた。それを乗り越えて、ようやくたどり着いた場所が、自分たちの見知った景色だったときの、彼の失望は計り知れない。
「悪いけど、期待外れだな。がっかりだ……」
これまでの緊張と疲労を一気に解放するかのごとく、ヴェルダンがその場で屍のように脱力している。
――エイルは、海の果てを見つめている。
「……違う」
「え?」
ぽつりとエイルがつぶやき、ヴェルダンがそれに反応した。
少年の様子がおかしい。どうやら、なにか、思い当たる節があるようだ。
「……ねえ、僕たち、ここから降りられるかな?」
「それは……ちょっと待ってろ」
ヴェルダンは鈍い動きで身を起こすと、岩場から身を乗り出して、崖下をのぞきこんだ。
「これは……ちょっと難しいんじゃないか? このまま降りようとすると、俺らじゃ、魔法を使いながらでも手こずるぞ」
無理に降りようとしても、むき出しの岩が、少年たちの体を容赦なく痛めつけるだろう。無事に砂浜までたどり着きたいなら、迂回して、安全な道を探すほかない。
――今の彼らの場合は、だ。
エイルは疑問を抱いた。
……もし、これが、エルエッタのような超人的な身体能力の持ち主だったら? もし、よく鍛えられた兵士だったら? もし、安全に降りるための、特殊な手段が用意されているとしたら?
……この崖は、本当に障害物としての役割を務めているのだろうか?
エイルの悪寒は止まらない。悪化する一方だ。
「……おい、大丈夫か? 寒いのか? 魔法が弱くなっているんじゃないのか?」
ヴェルダンにもはっきりとわかるくらいに、少年の震えは大きくなっていた。
「……違うよ。ヴェルダン。違うんだ」
「なにが違うんだ?」
エイルがヴェルダンに向き直った。少年の顔はひどく青ざめている。なにかに怯えて、唇を震わせていた。
エイルは震える声で、自分の推測をヴェルダンに伝える。
「僕たちは勘違いしていたんだ。きっと、道の果てにあるものに意味があるんじゃない。意味があるのは、道、そのものだ」
「それって、つまり……」
ヴェルダンもエイルの考えを理解しつつあるのだろう。姿勢を正して、少年の言葉に耳を傾ける。
エイルが全身を震わせながら、事態を整理する。
「大穴から海辺までを繋ぐ「道そのもの」が、秘密の正体なんだ。誰かが、大穴と海を行き来する必要があって、たぶん、通路の途中にある大部屋でなにかをしていた、なにかを話していた。――僕の家のそばで!」
「……誰かって、誰なんだ……!」
「わからない! エルエッタみたいな魔族なのか、それとも、よその大陸のひとなのか、それとも、この村の誰かなのか――わからないよ!!」
エイルもヴェルダンも地図で見たことがある。
この海辺には交易の拠点となる施設が存在せず、兵士が目を光らせていることもあって、外船が滅多に来ないだけで、ここの立地は西から、南から、北から、海を介せば、別の地域から容易に侵入が可能な位置にあるのだ。
そして、ここの存在を当たり前に知っている者といえば――この地域に住む人間たち。
疑わなければならない存在が、多すぎる――!!
……わからないことだらけだ。
しかし、謎の事態が進行していることをふたりは知ってしまった。
「……それは、嫌な予感がするな」
ヴェルダンが立ち上がった。彼の手は、自然と武器を撫でていた。これが他人事とは思えない。大穴は、比較的エイルの家に近いところにあった。それはただの偶然だろうか? エイルは、偶然の事故に巻き込まれてしまっただけなのだろうか?
真相がどうあれ、親友が得体のしれない陰謀に巻き込まれている可能性がわずかでもあるなら、放っておけるはずがない。
「ヴェルダン……僕はこわいよ。なにかが起こっているのに、その、なにかがまったくわからないんだ。僕は、こわい」
エイルは不安を口にした。少年の震えは止まらない。ヴェルダンはエイルに近づくと、親友をその腕に抱いた。
ヴェルダンは、エイルの頭をひと撫ですると、ぽつりとつぶやいた。
――こういうのは恋人とかにするもので、親友にするのはちょっと違う気がするんだけどな……。まあ、エイルのためなら、いいや。
「……え?」
エイルは、ヴェルダンの独り言に、目をぱちくりとさせる。
ヴェルダンは、きょとんとしているエイルの顎を持ち上げると、親友の唇に、自らの唇を重ねた。
「――?」
エイルは、なにが起こったのかを理解できずに、唇に手を当てて、惚けていた。
「勇気とか、おまじないとか言うだろ? ……ほら、ちょっとは元気が出ただろ? な?」
ヴェルダンが目を泳がせながら、たどたどしく言った。
エイルは、彼との行為の意味をじっくりと考えると、頬を染めて、満面の笑みで、彼に応えた。
「うん。出た。ありがとう」
親友の笑顔を見て、ヴェルダンは恥ずかしい思いをしただけの成果はあったな、と心嬉しくなった。
仕切りなおすように、ヴェルダンが咳ばらいをすると、エイルに言った。
「――これからのことだけど、エイル、ここは大人に任せるべきだと思う。衛兵なら、エルエッタみたいな危険なやつに出くわしたとしても、なんとかしてくれるはずだ」
エイルも彼に同調した。
「僕も賛成。僕は……まず、父さんに伝えてみるね。あのひとは――」
「俺の親父と同じで、騎士だからな」
エイルがうなづいた。
「君のお父さんは立派なひとだって、いつも父さんから聞いているよ。君もそうしたらいいさ」
ヴェルダンは、エイルの言葉で、自分のことのように照れた。
「おい、やめろよ! 親父は家だと、どうしようもないんだからな! あんまり親父を褒めるなよ! あいつはすぐに調子に乗るんだから……!」
ヴェルダンがエイルの肩を強く叩く。
……ちょっぴり痛い。
親友の思わぬ弱点を発見したエイルは、くすりと笑った。ヴェルダンとは赤子の頃からの付き合いになるため、必然的に彼の父親とも何度も顔を合わせたことがあるのだが、いつも彼は平静を装っていたから、こんな弱点があるなんて気づかなかった。
「僕も君も、家族に騎士がいるってことは……大丈夫だよね? きっと、解決するよね?」
「そりゃあ、解決してくれるに決まってるだろ? 俺らと違って、大人なんだからな!」
――大人。その言葉に憧れて、尊敬して、嫉妬するエイルは、ヴェルダンが彼らに強い信頼を寄せる理由が理解できた。
「よし! そうと決まれば、さっさと帰るぞ! 親父たちに、この妙な道のことを知らせないとな!」
エイルの心を蝕む不安が鎮まって、少年の状態が安定したと判断したヴェルダンは、意気揚々と先陣を切って、大穴へ続く道へと引き返した。彼は、通路の闇に完全に呑まれてしまう前に立ち止まると、親友に、早く追いつくように、と手招きをしている。
エイルは考える。
……大丈夫。きっと、父さんたち大人なら解決してくれる。この道の意味もすぐに明らかになるし、魔の者だって、もう来ない。
……きっと、大人に全てを話せば、全部解決する……はずだ。
ザザ……ァァン……。
ふと、なにかに呼び止められたような気がして、エイルは後ろを――海のほうを振り返った。
ああ、いつの間に、雲が出ていたのだろう――?
姿を隠してしまった月は、光を地上に届けてくれない。蒼く煌めいていたはずの海は、今や、どす黒く変色してしまった。
それは、まるで、この星が巨大な怪物に変わり果ててしまったみたいで、道の意味を知りつつある少年たちをこの世から消すために、丸呑みにしてやろうと、じりじりと迫ってくるような錯覚すら覚えてしまう。――本当に、錯覚だろうか?
ぶるり、と身を大きく震わせたエイルは、あわてて、ヴェルダンのもとへ駆け寄った。
夜の海辺から、ふたりの少年の姿が消えた。
波の音は変わらず続いている。
第一章 完