少女の夢 ~旅路~
――世界は想像よりも、ずっと広い。
エルエッタは、少なからず感動を覚えていた。
彼女たちは、北の僻地から南東へと下っていき、いくつかの大地や海を越えていった。
少女は、ひとつの地に足を踏み入れる毎に、言葉にできない感慨深さとともに期待に胸をときめかせて、ひとつの海を渡る毎に、言いようのない哀情とともに名残惜しさで涙を流した。
たった数か月の旅で、こんなにも心が躍るのだ。もっと、もっとシャミィと一緒に、色々なところを巡ることができたら、それはどんなに幸せなことだろうか……。
きっと、この世界には、私の知らないことがたくさんある。
今まで、生まれ育った土地から離れたことも、離れようと思ったこともなかったエルエッタは、異種族、異文化に、つよく心を惹かれていた。それがたとえ、普段は敵対している、人間と呼ばれる種族が相手だったとしても、だ。
「まさか、君がここまで旅を気に入るとはね。驚いたよ」
と、意外そうにシャミィが言った。
もっと早く君を外に連れ出すべきだったね、と少し後悔したように、彼女はつぶやいた。
首を横に振って、上機嫌にエルエッタが応える。
「ええ、まさかね。でも、きっと、あなたが隣にいるからよ、シャミィ。こんなにも楽しいのは、あなたと一緒にいるから」
「嬉しいことを言ってくれるね」
親友の言葉に満更でもない様子のシャミィは、彼女と離れ離れにならないように、少女の手を取って優しく握りしめた。
彼女たちは、現在、この世界の最も南東に位置する大陸にいた。そこで、めぼしい街を訪れては、離れ、また別の居住地を訪問することを繰り返していた。
少女たちの目的は、ある人間の少女の人探しと、その確保、あるいは抹殺。それが、エルエッタに与えられた、魔王からの命令だった。
大勢のひとに呑まれないように、シャミィが気を払って、エルエッタと歩を並べている。
「――っ!」
ふいに肩につよい衝撃を感じて、エルエッタが小さな悲鳴をあげた。誰かとぶつかってしまったようだ。
即座に、シャミィは彼女を庇うように自分のもとへ引き寄せると、親友にぶつかってきた相手を睨みつけた。
「おい、気をつけてくれないか?」
「ああ、すまないね」
エルエッタが相手を見て、緊張が走る。
しわがひとつもない畏まった衣服に身を包んだ格好と、連中がまとっている肌がひりつくような刺々しい雰囲気で、すぐにその正体がわかった。
……衛兵だ。
相手は、人間の女性の兵士だった。
エルエッタは動揺を悟られないように、感情を押し殺そうとした。しかし、体は正直なもので、手から、腕から、背中から、全身から、冷や汗と脂汗が混じったものが、どっと吹き出して、気持ちの悪さに苦しむこととなった。
魔の者と人間は、大昔から敵対関係にある。争いの原因となる出来事ははっきりとしていない。
魔の者の歴史では、人間は侵略者であることが強調されている一方で、人間の歴史では、魔の者は侵略者であることが強調されている。
魔の者は人間に良い感情を抱いていないし、人間も魔の者を嫌っているのが、現状である。
そして、人間の兵士ともなれば、魔の者である彼女らが外敵として見なされるのは必至である。
今の少女たちは、敵の巣窟に侵入しているも同然で、不要な混乱を避けるためにも、自分らが魔の者であると知られないように、魔法を行使して幻影をまとっていた。
都市ともなれば、大勢の気力が入り乱れている。だから、特に今は、強度の高い安定した幻影を必要としていた。
いくら兵士といえども、シャミィの助力を得て、高度な幻影をまとっている私たちの正体はわからない、はず……。
――本当に、ばれないだろうか?
エルエッタの心が不安に呑み込まれていく……。
――大丈夫、気を楽にして。万が一のときも、私がそばにいるよ。
不安に押し潰されようとしているエルエッタの耳元で、シャミィが囁いた。途端に、安堵が彼女の心を満たしていく。
すると、エルエッタの心に冷や水を浴びせるかのように、兵士がふたりに向かって、冷酷に吐き捨てるように警告をした。
「いいか? 見逃してやっているんだ。妙な真似をするなよ。魔族め」
……ばれている。
エルエッタの背筋が凍りついた。そればかりか、全身の汗まで凍っていくような錯覚を覚えた。
震えるエルエッタの視界は、シャミィの背中によって遮られた。彼女が少女を庇ったのだ。
兵士とシャミィが、無言で睨み合う。
異変を嗅ぎつけた周囲の群衆が、彼女たちを避けるように、視線を落として足早に通り過ぎていく。
この場にいる誰もが、得体の知れない嫌な予感に怯えていた。
シャミィの目が殺意で爛々と輝いている。相手の兵士からも、全身から殺気が溢れ出している。一触即発だ。
咄嗟の判断で、エルエッタがシャミィの腕を引っ張った。
「だめよ。退きましょう」
「……ああ、君がそう言うなら」
兵士に向けて舌打ちすると、シャミィは、腰の武器から手を放した。
「ご協力に感謝するよ」
兵士は冷ややかな目つきでエルエッタを一瞥すると、彼女たちに背を向けて歩き出し、やがて人混みに姿を消した。
緊張が解けたエルエッタは、ふうっと息を吐いた。
「まだ若いのに大変だね。彼女の眉間のしわを見たかい? それに、瞳孔も開いていたよ」
何事もなかったかのようにシャミィが言うと、彼女は優雅に髪をかき上げて、ふん、と鼻を鳴らした。
まだ警戒状態の名残で小さく縮こまっているエルエッタを抱き寄せて、その額に口づけをすると、片目をつむって、くすりと笑い、彼女を誘った。
「友よ。気分直しをしよう。地図によると、このあたりに評判の、甘いもののお店があるはずなんだ。きっとおいしいよ」