少女の夢 ~馬車の魔女の悪足掻き~
「シャ――ミィ! やった! やったのね!?」
息を荒げて、エルエッタが走ってくる。
わざわざ戦場から遠ざけられた理由をすっかり忘れて、ただ親友を助けたい一心で駆けつけてきたエルエッタの姿を見て、少女は苦笑した。
シャミィは、体当たりをするように抱きついてきたエルエッタをしっかりと受け止めると、くるくると回りながらきつく抱擁して、彼女の額に口づけを落とした。
――愛。
殺したはずの馬車の魔女ギベリィの気配がした。魔女が消えた跡に残されたなんの変哲もない鞭が震えるように動き出すと、まるで意思を持った触手のように、ふたりに迫ろうとする。――が、この程度では、少女たちに触れることすら叶わない。
シャミィが剣を抜いて振るうと、簡単に鞭は切断された。細切れになったそれが地面にぼとり、ぼとりと落ちる。
「――いや!」
エルエッタが悲鳴をあげた。なんと、鞭の破片が、まるで息をしているかのようにぴくぴくと蠢くと、エルエッタを貪ろうと、跳ね上がって襲いかかってきた。
「彼女に、触れるなよ」
ギベリィの置き土産に目をやると、シャミィは、やれ、とつぶやいた。彼女は精霊に命令を発したのだ。すると、大地が割れて、裂け目から溶岩が噴出し、鞭の残骸を丸ごと呑み込んでしまった。
あとに残されたのは、魔女の馬車と馬だけだった。
今度こそ、ギベリィは死んだ――のか?
突然の狂乱とその顛末に、エルエッタは呆然としていた。ただ、なにが起こったの? と口にするばかりだった。
シャミィは若干の疲れをみせながら、エルエッタをその場に座らせると、彼女の隣に腰を下ろして、事の顛末を話し始めた。
「結論から言うと、私たちは馬車の魔女ギベリィの逆鱗に触れてしまった」
「それで、返り討ちにしたってこと?」
「たぶん」
「たぶん……? 待って、あれで、まだ死んでいないの?」
「そのあたりは、魔女の気分次第だ」
シャミィが説明を続ける。
「もちろん、私の目の黒いうちは、君の安全が脅かされることはない。私がギベリィごときに殺されることもない。やつの怨みなんて、道端に落ちた石ころひとつさ。ただ――」
「その石ころひとつで、全てが狂うかもしれない。そういうことね? 相手が魔女だから」
エルエッタが言葉の続きを取った。
シャミィが無言でうなずいた。
「馬車の魔女と愛の魔女の間になにかがあった。魔女同士の小競り合いなんて、日常茶飯事だから、事態を軽く見ていた。全ては後の祭りだが、今のギベリィには近づくべきではなかった。私の浅知恵で君を危険に晒したことを、本当に後悔している」
シャミィは深いため息をついた。
エルエッタは落ち込む彼女の手を取ると、両手で包み込んで、親友の目を見据えて言った。
「大丈夫。今だって、あなたが守ってくれたじゃない。たかが石ころひとつ、どうってことないわ。あの魔女の妨害で、私たちの幸せが崩れることなんて、絶対にない」
とはっきりと力強く宣言するエルエッタ。これまでの親友の影響を受けて、彼女はちょっぴり強くなったのだろう。
今度は、自分がシャミィを支える番なのだ。
そんなエルエッタに導かれて、シャミィは笑顔を取り戻した。
そうだ。なにも落ち込む必要はない。自分は、この世界を統べる魔王の娘で、恐れる者など存在しない。
この身に、そして愛する彼女の身に、火の粉が降りかかるのであれば、全て払いのけてみせる。
それだけの話だ。
ふいに、生ぬるい風がふたりを包み込んだ。少女たちは、不愉快さに顔をしかめる。
――お前たちの運命に触れてやったぞ。
シャミィの耳元で誰かが囁いた。それは、馬車の魔女の嘲りだ。彼女は目を見開くと、思わず振り返った――が、誰もいない。
シャミィがエルエッタを見る。親友は、不思議そうに見返してきた。……その瞳の奥に、魔女の気配がした。
ギベリィ――。
(エルエッタを傷つけてみろ。この世だろうが、あの世だろうが、お前を果ての果てまで追いかけて、嬲り殺してやるぞ)
魔女が言う。
(あたしはただの石ころ。そうだろう? だから、ささやかな願いを実現させるだけさ。ただ、ちょっと嗤わせてもらうだけ。――それで少しは気が晴れる)
見えざる魔女の舌が、シャミィの心臓を舐めた。少女が、気持ち悪さと痛みに胸を押さえてうずくまる。
「……シャミィ?」
心配そうに顔をのぞき込むエルエッタに、シャミィはなんでもないよ、と言って微笑んだ。その額には脂汗が滲んでおり、明らかに無理をしているのは誰の目にも明らかだった。
ああ、くそ! 魔女に呪われたか――!
ギベリィの気配は、いつの間にか完全に消えていた。
シャミィはふらつきながら立ち上がると、エルエッタに手を差し伸べた。
「さて、急がないと。野宿は避けたい。お金はまだたっぷりとあるから、ひとのいるところを探してみよう。大丈夫。なにかあれば私が君を守る――」
そこまで言って、シャミィがせき込んだ。……身体の芯が凍えるように寒い。なのに、全身が熱い……。
崩れ落ちそうになったシャミィを、エルエッタが支える。
……歩くのが辛い。
シャミィがちらりと馬車を見た。
そうだ。これがある。……呪われていそうだが……。
不覚を取ったばかりのシャミィは、ギベリィの所有物に手を出すことをためらった。しかし、このまま不調を引きずって歩き続けていては、いつまでだっても目的地には着かないだろう。ここは勇気を出して――。
「友よ。これに乗っていくつもりだけど、いいかな?」
「……ええ。大丈夫。きっと、大丈夫よ」
馬車の荷台の入り口は潰されていて、もう乗り込めない。魔女の世界が崩壊したときに、同時に壊れてしまったのだろう。
少女たちは御者台に乗り込んだ。
ふたりが乗るには少々狭苦しいが、こうして肩を寄せ合っていると、心があたたまり落ち着いた。
魔女の呪いによる奇妙な悪寒と悪熱にぶるりと大きく身を震わせると、シャミィは魔法で簡易な鞭を作り出して、馬に打った。
ギベリィの所有物だった馬は小さく嘶くと、新たなご主人の命令に従って、ゆっくりと発進した。