狂気
耐え難い現実を目の当たりにして、エイル・ノルデンは膝から崩れ落ちた。耳の奥が、きーんと鳴っている。目を回し、口から泡を吹きながら、少年は気絶と覚醒を繰り返している。
夢想では、母親のティルザが優しい笑顔で自分を抱きしめている。
現実では、焼け焦げた死体が吊るされている。
夢想では、妹のリーセのうるさい泣き声に耳を塞ぎながら、彼女の成長を待ち望む自分がいる。
現実では、焼け焦げた死体が転がっている。
「こ――」
覚醒が気絶に勝ったエイルは思考を再開する。そこに、彼の本質である優しさは欠片も残っていなかった。
「殺してやる」
その言葉を噛みしめるように、つぶやいた。エイルの片目からは憎悪の炎が噴き出して、めらめらと燃え盛っている。
「僕たちに酷いことをしたやつらは、全員、ぶっ殺してやる」
エイルにさらなる異変が起こった。
少年の小さな心臓が不規則に脈動すると、どぶの底に溜まっている汚泥のような、どす黒い血液を身体に送り出した。
邪悪な血液が、エイルの血管を黒く汚す。
少年の胸から、顔に手足に全身に、蜘蛛の巣のように、穢れた血が広がっていく。
それは、皮膚の下から不気味に浮かび上がっていた。
「僕が、この手で、酷いことをしたやつらを、八つ裂きにしてやるんだ」
エイルは肩を大きく震わせて、けたけたと笑い始めた。彼の妄想の中では、人形と化した賊が「ぎゃー!」と悲鳴をあげて、手をもがれ、足をもがれ、少年に命乞いをしていた。
「く、くく……うふふ……あはは……」
ふたり分の死体を前にして、エイルの心は復讐心に染まってしまった。ああ、かわいそうなエイル! 少年は十一歳にして、殺人衝動に呑み込まれてしまったのである。
笑い転げている少年は、急にぴたりと動きを止めると、表情を無くして真顔になった。
少年は唇を震わせて、何事かをつぶやいた。
すると、今度は大声で泣き始めた。手遅れの焼死体を涙で消火でもしようというのか、大粒の涙をいくつも落として、しゃくりあげながら、わんわんと泣いた。
「母さん! リーセ!」
エイルはふたりを呼んだ。だが、応える者はいない。
程なくして、またぴたりと動きを止めて表情を無くすと、賊を処刑する妄想に浸り、笑い始める。
エイル・ノルデンは壊れた玩具のように、泣いて笑ってまた泣いてを、延々と繰り返していた。