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英雄王とイストリアの白銀姫 - 56.ダイブ
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56.ダイブ


「さて、離宮はまだまだ遠いわよね...」


森の中、少しでも距離を稼ぐ為に走っていたルシアは切らした息を整えていた。


「...ああ、この下は川か」


ルシアは目の前に広がる亀裂に目をやった。

確かに森の中にはそれほど大きい訳ではないが飛び越えて渡ることには厳しく、常ならば迂回する渓谷が這っていることをルシアは記憶していた。

その亀裂の底からは水の流れる音がする。

ルシアは一度だけ覗き込んでそれがそれなりの深さがありそうな川だと確認した。


うーん、大人で脚力に自信があれば、渡れたかもしれないけども。

この10歳の身体では到底、無理だ。

いや、大人の身体であってもこの崖を落ちたらと考えるとちょっとそれはぞっとしない。


ルシアは崖に沿って歩く。

少し東へ行けば渡れるところに着くはずだ。

んー、まぁ、この行動も読まれてるだろうな。

この森で幼い子供を見つけるのは難しい。

それは追いかけてくるだろう敵だけでなく、救援に来る側にも、だ。


けれど、ルシアがどの辺りを通ったかというその痕跡は追跡を得意とする者が敵側に居れば、容易(たやす)く見つけるに違いない。

そして、ルシアを連れてきたあのメイドがそれなりに出来る者だとルシアは認識している。

ルシアがあの建物から逃げた後、この渓谷にぶつかって崖沿いに進むこともあのメイドは簡単に気付くだろう。

ルシアはメイドらしいお仕着せに身を包んだ人物の姿を思い起こした。

飛び出したは良いが、追い付かれるのも時間の問題なんだよなー。


「...あの子が追いかけて来てくれれば、良いんだけど」


そうでなければ、こうやって森へ逃げた意味も無いし、ルシアがわざわざ身体を張った意味はない。

何なら、王子に説教も既に確定済みでこれを切り抜けられたとしても私に待つは地獄だぞ!!


「っ!」


「...本当に何をしたいんだ、ルシア・クロロス・オルディアレス。逃げられると本気で思って、逃げたのか」


ルシアは後ろから一気に距離を詰めて鋭い殺気と共にナイフを投げ付けられて、息を詰める。

その様子に何から何までが理解出来ないという顔を向けるメイドの姿が視界に映った。

その人物は先程までよりは幾分、落ち着きを取り戻しているようで、速攻でルシアを殺そうと近付こうともせずに一定の距離を保って立っていた。


投擲(とうてき)されたナイフも的確なコントロールのせいで恐怖としては充分威力があったが、ちゃんとルシアに当たらない位置に打ち付けられている。

足止めと牽制(けんせい)が目的の投擲。

とはいえ、私が動けばすぐにでも取り押さえられるようには構えているようだけど。

ルシアは気を抜くことこそしないが身構えもせず、対峙する。


「何を、と聞く前に考えたらいかが?当然、救援隊に合流するより先に追い付いてくるだろうと分かっていたわ」


「...意味が分からない。それでは、わざわざ逃げる必要がない」


不機嫌、それ以外にどう表現するのかという顔を見て、ルシアは内心、胸を撫で下ろした。

問答無用で殺しにかかってこられたらさすがにどうしようかとも考えはしたけども。

まぁ、それでも一撃目で仕留めはしないとルシアは思っていた。


だって、一撃で済まないほどの感情をルシアは感じていたのだ。

あの礼を言う為にルシアの手が触れたその瞬間に垣間見た、気のせいかと思ってしまうほどのほんの一瞬、そこでルシアが見たそれはその一瞬が気のせいではないと刻み付けるほどに強いものだったのだ。

そして、それは嫌悪を通り越して、憎悪だった。

何故、そこまでの感情を向けてくるのかは分からないけれど。


けれど、それならば。

一撃目で殺さずに会話をする隙があるのであれば。

例え、警戒心をありありと向けられていたとしても。

――交渉の余地はある、とルシアは考える。


「あら、一対一でお話しする機会を作る為なのだとは思わないのね。出来れば、誰にも邪魔をされずに話をしてみたかったのよ。ねぇ、わたくしを王宮内の訓練場で射殺そうとした実行犯さん?先程から口調が男性のそれに戻っていらっしゃっているけれど、貴方はお気付きかしら?」


「!!...気付いていたのか」


「ええ、貴方の腕のそれはわたくしの返礼の痕なのでしょう?」


ルシアはメイドの少女――いや、少年を見据える。

元が中性的な容姿なのか、見た目では誰もそのことに気付く者は居ないだろう、その少年。

ルシアは離宮で彼に支えられたその時に腕に包帯が巻かれていたのもまた、見ていたのだ。

そして、それの下にあるのは十中八九、ルシアの咄嗟の反撃によって掠めた矢による傷だろう。

さすがに毒もあっては手当てなく放置も出来なかったようだ。


「それとも、レジェス殿下主催のお茶会や図書館でぶつかりかけた使用人の少年、と呼べば良いかしら。貴方、今日は腕輪を付けていないのね」


「...お前には何もかもお見通しという訳か。だが、それが分かったところで何になると言うんだ」


己れの右の手首をぎりぎりと音が出るほどに掴んで彼は言う。

しかし何故だか、ルシアはそれを右の手首を庇っているように見えた。

ルシアは静かにこちらを(にら)み付ける少年と対峙する。

少年の正体が分かったところで何になる。

確かにそうかもしれない。


「ええ、意味はないでしょうね。ただ、わたくしは貴方と、話がしたいだけのこと。だというのに、片方が素性を(いつわ)ったままなのも、もう片方がそれを知っているというのに素知らぬ振りをするのも平等ではないでしょう?」


「先程から話をしたいと言うが、僕には話すことなどない。...連れ戻させてもらう」


しまったな、先に言い当てたのは少し下策だったか。

ルシアの切れる頭脳は彼にこれは絶対に逃がしてはならない、という風に心を決めさせるだけのものであったらしい。

まぁ元々、逃がしてはくれるつもりは毛頭ないようだったけどね。

私はただ、彼に尋ねたいことがあっただけなのに。


動かないルシアに、それでも警戒を緩めることはしないでゆっくりとではあるが、距離を詰めてくる少年。

こうも、気を抜かれなければ、正面突破は難しいどころではない。

そもそも、ルシアがどうこう出来る相手ではない。

正面から歩いてくる少年に無意識に足を後ろに退いてしまうが生憎(あいにく)、ルシアの背後は崖であり、これ以上は下がることが出来ない。


仕方がない。

ルシアははぁ、と一度、目を伏せて息を吐く。

そして、今の今まで動かなかったというのに自分の手を掴みかけていた少年の手をさっと避けて、顔を真っ直ぐに上げ、少年へと目を向けた。


「申し訳ないけれど、わたくしはあの離れへ連れ戻される訳にはいかないのよ。彼処(あそこ)では話が出来ない。...ねぇ、貴方は伯爵に本当の素性を明かしてはいないのでしょう?」


「っ!?――何を!」


ふ、と口角を持ち上げて言えば、少年は驚いたように目を見開く。

それはルシアの言った言葉に対してか、それとも今からルシアがしようとしていることを感じ取ってか。

さっきはぞっとしないと思ったけれど。

このままでは話が出来そうにないのなら。

さぁ一回、態勢を立て直そう。


「それではね、ちゃんとわたくしを追いかけてきてちょうだい?」


「なっ...!?」


ルシアはくるりと身を(ねじ)って少年に背を向けて崖へと、その下の川へと足を踏み出した。

そして、ダイブした。

後ろから制止の声が上がる。

少年がルシアの背を掴もうと手を伸ばすも一歩、届かない。

そうして、ドボンっ、という水音が盛大に森の中で響いたのだった。


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