67.王子を説得
「けれど、理由を説明出来ません、では国としての援助は難しいですわね」
「ああ、それこそ絶対にスラングがアルクスへ攻め込むだろうという確信がなければ、陛下は頷かないだろうな」
「あー、やっぱり、イストリア側としてはこれじゃ弱いか」
ルシアは口元に手を当てながら、言った。
それに王子は首肯し、クリストフォルスは残念そうな顔を浮かべる。
その通り、イストリアとしては確かにアルクスに弱られるのは困る。
しかし、アルクスは砦の国と呼ばれるようにスラング側、荒野側から攻めるのは難しい国だ。
そう簡単に落とされるとは誰も思わない。
そんな不確定でしかないものの為に国を動かすというのは困難な話だ。
国王としてはどんな状況も考慮しておくべきだけど、過ぎたる防衛は時に足手纏いになるというのも然り。
国王はあまり及び腰でもいけないのだ。
その辺り、イストリアの国王は冷徹、冷淡無情な人である。
アルクスが駄目になった場合、すぐさま切り捨てるくらいの所業は眉一つ動かさずやって退けるだろう。
いや、あの国王ならアルクスを奪われないようにと策を巡らせるのではなく、奪われた際にどう動くかと考えている気もする。
「ええ。けれど、このままというのもアルクスは困るのでしょう」
「まぁね。確かに死人は出るだろうけど、国が弱るほどではない。とはいえ、その状態でスラングに突かれるとさすがにちょっと痛いけど。でも、ただそれだけだ。死人が出るって分かってて何の対策も手も打たないなんてことはないけれど、国という大局的な見方をするならば、他国に借りを作るほどのことじゃないんだよね。無傷とはいかないけれど、よっぽどのことがない限りは然程、打撃にならない。それがアルクスの国としての見解だけど...でも」
クリストフォルスはふわふわという雰囲気全てを消し去って真っ直ぐな瞳をルシアたちの前に晒した。
その姿は王族の気品と貫禄を充分に見せていた。
言葉自体は途中で途切れた。
しかし、彼が何を言いたいのか、その強い眼差しが何よりも雄弁に語るのをルシアと王子は正確に読み取った。
けれど実際、アルクスが災難に見舞われるかどうかは分からないのである。
ルシアだって人より予測に使える手持ちの情報が多いだけであって、それは推測の域でしかないし、それは絶対的な確定とは限らない代物だ。
しかも現在はまだ、作中のスタートまで来ていないから本当に作中通りに進むのかどうかも判断つかないのである。
まぁ、オズバルドの件で多少は類似性を感じてはいるけれど。
しかし、作中のスタートまで少なくとも3、4年はある。
そのスタートしてからのストーリーであるアルクス戦争までもあと数年。
今回の件が関係するかは正直言って分からない。
でも、本当に繋がっているのであれば今、片付けておく以上の最善はない。
いや、今からスラングがアルクスに潜入でもしていたとしたら初戦直後にアルクスが落とされるより事態は深刻なのでは?
スラング兵が数年かけてアルクスの中から腐らせてきたとしたら。
うん、その可能性があるのに放置は――出来ないな。
凍害そのものは偶然だろうけど、その後にアルクスで災害が続いたというのは、スラングが内から手を回していたからかもしれない。
いや、作中でも現実でもスラングについて調べて出てくるものは悲惨で狡猾なものだ。
やりかねない、と思わせるものをスラングが持っている。
だから、今回はクリストフォルスの王族としての民を思う気持ちがアルクス存命の鍵になったとも言える。
彼が今、動かなかったとしたら手遅れというのも充分、有り得ただろうから。
「カリスト」
ルシアはクリストフォルスの前であると理解した上で、飼い猫を追い出して王子に身体ごと向き直る。
それを見て、王子はとてーも嫌な予感を感じたような顔をして、膝にきちんと揃えて置かれているルシアの手を上から握り締めた。
まるで、制止のように押さえるその手に篭められた力は少し強い。
「...ルシアが何を言ったとしても、許可は出さないからな」
「ちょっと。別に聞いてから考えてくれても良いじゃない」
「君の行動力を伴った提案は大抵、碌なことにならない」
憮然として王子は言い切った。
そんな人がいつも面倒事に顔を突っ込んでいるとでも言いたげに!
確かに人以上に事件には関わっている自覚はあるけども!!
それもこれも未来を知っている者の――人よりもずっと多くの情報を持っている者の性のようなもんだろう。
自分だけがいち早く動けるのであれば、それによってより最善を選び取れるのであれば、と考えたならば、動こうとするのが人間というもの。
少なくとも、ルシアはそういった人種であった。
「...はぁ。――分かった、言うだけ言ってみろ。ただし、どんな内容であろうと許可は出さない」
むう、と拗ねた顔で王子を見続けるルシアに諦めたように口を最大限に引き結んでいた王子は全くもって不本意、という顔をしながらもルシアに話すことを促した。
まぁ、ルシアが頑固なのはよーく実体験をもって、身に染みている結果である。
「私がアルクスへ行ってくるわ」
「却下」
ルシアはにこりと微笑んでそう言い切った。
しかし、こちらも宣言通りに王子は即座にルシアの言葉を切り捨てた。
だが、それで引き下がるルシアであると言えば――ない。
「もう、頭が固いわよ。貴方、まだ14歳でしょ」
「そういう君はたったの10歳だろう。それに俺がこう言うのもいつも何かしら、君が厄介事に見舞われるからだろう。レジェスの宮にさえ、俺は一人で行くことを許可していない。それなのに、友好国である隣国とはいえ、国外に出ることの許可を出す訳がない。この分だとルシアも俺の同行は考えていないんだろう?」
ルシアは王子の言葉がその通り過ぎて、ぐうの音も出なかった。
身に覚えのあり過ぎる却下理由に先の思考回路まで読まれたような言葉にルシアは気不味げに視線を余所へと逸らす。
そりゃ、だって王子は忙しいし...。
「まぁまぁ。彼女がアルクスへ来るなら、ちゃんとお返しするまで僕が付いてあげるよ?僕が一緒に居れば、危険もないと思う。――けど、君一人がアルクスへ来たところで何か出来るのかな?」
二人の立板に水といった会話に横槍を入れたのはクリストフォルスだった。
にこにこと笑いながらも彼の目は真剣である。
「あら、貴方が望むのならば、イストリアにも広まっていない最高の策を提示出来るけれど」
ルシアは素のまま、含みのあるような微笑みでクリストフォルスに答えた。
淑やかさが鳴りを潜めて、代わりに表に出てきたその表情は酷くルシアに似合っていた。
そんなルシアにクリストフォルスも同様の笑みを浮かべて頬杖を突いた。
「へぇ、それは本当に上手くいくの?」
「ええ、勿論」
だって、ここより発展している前世での知識をフル活用した策だ、失敗はしない。
そう、ルシアが提供しようとしているのはこの世界の水準よりも遥かに高いだろう技術。
きらり、と光っているように見えるルシアの灰の瞳にクリストフォルスはにぃ、と目を細め、笑いかけて、ルシアの王子に掴まれていない方の手を取って、握手の要領でぶんぶんと振る。
「よし!じゃあ、冬が明けたらアルクスへ行こう!歓迎するよ!!」
「――おい、勝手に決めるな!!」
王子が止めようと声を上げるがルシアもクリストフォルスも聞いちゃいない。
部屋の隅で控えていたフォティアとクストディオが間に入るべきか、と考え倦ねている表情でお互いを見合っているのを視界の端で捉えたものの、ルシアはクリストフォルスと繋がれた手に力を篭めて、ガシッと掴み、それをちゃんとした相互の握手に変える。
「ええ、よろしく。お世話になりますわね、クリス様。...ねぇ、カリスト。私がこの後、何を言うか分かるかしら。」
「――無許可だろうと、場合によっては脱走してでも行ってやると言うんだろう。......分かった。護衛を強化するから絶対に、単独行動をするな。だから、それを破ったことが発覚した瞬間に即刻強制帰還だと思え」
「ええ、充分よ。ありがとう、カリスト」
長考に長考を重ねて、それでも不承不承な表情を浮かべて盛大なため息を吐いた後、王子らしからぬ投げ遣りな態度でテーブルに肘を突いてから王子は許可を出した。
先程はそれによって先手を打たれてしまったが、今回はルシアの思考回路とそれに基づく行動をよめてしまった以上、王子の負けである。
その回る頭脳によって人よりは少し先まで見えてしまうからこその最善手。
だからこその絶対に与えないと言われたはずの許可を王子は下ろした。
それにルシアは一番の満面の笑みを浮かべたのだった。
こうして、ルシアの来年頭の予定にアルクス行きが書き込まれたのである。