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黄金の帝国 - 第一九話「ソロモンの盟約」
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黄金の帝国  作者: 亜蒼行
会盟篇
26/65

第一九話「ソロモンの盟約」



 聖槌軍によるルサディルの殺戮から一夜が過ぎ、アダルの月(第一二月)の一〇日。東の空が赤くなり、太陽が間もなく昇ろうとする頃。

 場所はルサディル郊外、街道からやや外れた海岸である。漁村もなく民家もなく港もないその場所は普段なら人影は全く見られない。が、今その場所には人が溢れていた。

 獣道を歩く何百という人間、その全員がルサディルからの避難民である。ほとんどの者が着の身着のまま、手荷物を持っている者は少ない。怪我を負っている者、力尽きて行き倒れる者も少なくなかった。小さな峠を乗り越えると彼等の眼前に海と海岸が広がる。虚ろな表情でその光景を眺める彼等の目にある船影が写った。


「船?」「船だ!」


 髑髏の旗を掲げた三隻の船が海岸に接岸しているのが見える。ガイル=ラベクの髑髏船団、マラカ偵察に向かい戻ってきた船団である。避難民は最後の力を振り絞って足を速める。避難民が吸い寄せられるように船団に向かっていた。

 停泊した船の前では、岩場に降り立ったガイル=ラベクが誰かを待つように仁王立ちになっている。その彼に亡者の群れのような避難民に群がっていた。


「どうしてもっと早く来てくれないんだ!」


「乗せていってくれ!」


「お願いです、この子だけでも」


 見当違いの八つ当たりをする者もいるが、大半は何とか船に乗るべく懇願をし、あるいは同情を誘おうとしている。避難民の振る舞いにガイル=ラベクは閉口しているようだった。

 ガイル=ラベクの背後にはバルゼルが佇んでいる。元は白かったバルゼルの服は今は全身が返り血で汚れ、赤と黒の斑模様となっていた。汚れていない場所を探すのが難しいくらいだ。


「夜明けだな」


「まだ昇り切っていない」


 ガイル=ラベクの呟きにバルゼルが答える。が、そんな問答の間にも日は見る間に昇っている。太陽が地平線から離れたのはそれから間もなくのことだった。


「出港準備だ」


 ガイル=ラベクが部下へと静かに指示を出す。


「そんなに慌てなくてもいいだろう」


 バルゼルは腰の刀に手をかけつつそう言う。周囲にいる髑髏船団の船員に緊張が走った。ガイル=ラベクはため息をつく。


「俺だってあいつを待ちたい気持ちは同じだが」


「ならば、待つべきだ」


 バルゼルはルサディルの方角を見据えた。山中の獣道に程近い場所に大きな岩があり、その上には獣道を見張るサフィールの姿があった。


「タツヤ殿抜きでどうやって聖槌軍と戦うつもりだ」


「だが……生きていると思うのか? あの殺戮の直中に放り出されたあいつが」


 バルゼルはその問いに答えなかった。こみ上げてくる焦燥と後悔と慚愧を押し潰すように必死に蓋をし、ただひたすらにルサディルの方角を見据えている。

 一方、サフィールは船からやや離れて内陸に少し入った場所に陣取っている。サフィールは大きな岩の上に立ち、そこから獣道を見張っていた。

 太陽は徐々に高くなり、強い日差しがサフィールの肌と黒い髪を焼いている。だがサフィールは流れる汗をぬぐいもせず、彫像のように微動だにせず、瞬きする時間すら惜しんで獣道を見つめ続けていた。

 未明から立ち続けて数時間、時刻はすでに朝と強弁するのも苦しい頃になっている。きつく結ばれたサフィールの口元が、不意にほどけた。元々大きい瞳をますます大きく見開き、前のめりになって獣道へと視線を注ぐ。姿勢が崩れて岩場から落ちそうになる寸前、


「――ラズワルド殿! それに、タツヤ殿!」


 そのまま岩から飛び降りたサフィールは転がるようにして二人の元へと走っていく。何呼吸か遅れてバルゼルがその後に続いた。

 一方竜也は力尽きたラズワルドを背負って歩き続けている。髑髏船団の船影はとっくの昔に視界に入っていた。本来ならすでにこの場所を離れている時間だ。待ってくれていたことを安堵する一方、今にも離岸するのではないかと焦りを抱かずにはいられなかった。


「あと二スタディア(約三六〇メートル)くらいだから、あと千歩も歩けば到着する。あと九九九、あと九九八……」


 だが竜也にできるのは念仏を唱えるように一歩一歩を数えて大地を踏みしめることだけだ。あと九〇三歩になったところで、


「――タツヤ殿!」


 名前を呼ばれた竜也が顔を上げると、竜也達に向かって走ってくるサフィールの姿が目に入った。


「サフィール!」


 竜也もまたサフィールへと足を速めた。だがその速度は早歩きよりもまだ遅い。竜也が一〇メートルも進まないうちにサフィールが眼前へとやってきていた。


「ご無事でしたか!」


 サフィールは感激のあまりそのまま竜也の胸へと飛び込もうとし――その寸前で足を止めた。


「……タツヤ殿、一体何が」


 サフィールは顔をしかめて鼻をつまんでいる。竜也は「まだ臭いかな」と自分の身体の臭いを嗅いだ。服と身体を海水で散々洗った竜也とラズワルドだが、身体に染み込んだかのような悪臭は簡単には落ちてくれないようだった。


「そう言うサフィールもひどい格好だけど、怪我は」


「ご心配なく、これは全て返り血です」


 エレブ兵の返り血で染まったサフィールの服は元の色を思い出すことも困難な有様だ。そこにバルゼルもやってくる。バルゼルの全身はサフィール以上に返り血で真っ黒に汚れていた。竜也は思わず訊いてしまう。


「一体何人斬ったらそんなことに」


「いちいち数えていられなかった。二百かそこらは斬っただろう」


 とバルゼル。「わたしが斬ったのは多分百くらいです」とサフィール。竜也は引きつったような笑みを返してその場をごまかした。

 眠ったままのラズワルドをサフィールに委ね、竜也はバルゼルに肩を貸してもらい、船への帰路を急いだ。


「他の皆さんは無事ですか?」


「ハンジャル、ピギヨン、サキン、ハッドは死んだ。ツァイドは手傷を負ったが無事だ」


 竜也の足から力が抜け、崩れるようにその場でひざまずいた。死んだ四人のうち二人はスキラから連れてきた牙犬族、もう二人はルサディル出身の恩寵の戦士である。


「ハンジャル殿とピギヨン殿も何十というエレブ兵を斬ったのですが、恩寵を使い果たしたところを敵に囲まれ、討たれました。サキン殿は恩寵を使い果たしたわたし達を逃がすためにおとりとなって敵に突っ込んで、そのままです。ハッド殿は逃げることを是とせずにルサディルに残りましたが……」


 サフィールが説明するが、その表情は仲間の死を悼む思いと竜也への気遣いが半々となっていた。実際、竜也は自責の念に駆られている。自分がアニードに捕まらなければ彼等だってもっと早くに逃げ出せていた、彼等が死ぬこともなかった――竜也はそう考えている。


(俺のせいだ)


 その思いが言葉となって口からこぼれそうになるのを竜也は寸前で堰き止めた。顔を上げた竜也は自力で立ち上がり、バルゼルの肩を借りずに前へと歩いていく。バルゼルとサフィールがその後に続いた。

 船の前へとやってきたバルゼルとサフィールは避難民をかき分け押しのけて前へと進んでいく。ラズワルドを背負った竜也がそれに続いた。人混みの海を泳ぐようにして、ようやく竜也はガイル=ラベクの前へとたどり着いた。


「よく無事だったな」


 ガイル=ラベクは大きな安堵のため息をついた。一方のバルゼルも似たような表情だ。ガイル=ラベクは斬られずに済んだことを、バルゼルは斬らずに済んだことを心底安堵していた。


「はい、何とか」


「早く船に乗れ。すぐに出港するぞ」


 群がる避難民の排除はバルゼルとサフィールに任せ、ガイル=ラベクと竜也は船へと乗り込んだ。


「出港してどこに向かうんですか?」


「ん? ともかくお前を一日でも早くスキラに帰す。俺達はこっちに残って聖槌軍と戦う。当初の予定通りだ」


 竜也が通路に足を止め、ガイル=ラベクもまた立ち止まった。


「それなら、スキラに戻る船に一〇人か二〇人は乗せることができますよね」


「ああ。サドマとダーラクの部隊の者が降りるからな。避難民を乗せるつもりか?」


 ガイル=ラベクが非難がましく問い、竜也が「ええ」と頷いた。


「ルサディルで何があったかの生き証人になってもらいたいんです。あちこちの大きな町に一人ずつ残して、スキラに何人か連れていって、聖槌軍がルサディルで何をしたかしゃべってもらおうと思います」


 ガイル=ラベクは少し考えて「まあ、いいだろう」と頷いた。


「連れていっていいのは二〇人だ。半時間以内にあの中から選べ」


「判りました、すぐに」


 竜也はラズワルドを背負ったまま元来た道を引き返す。サフィールとバルゼルがその後に続いた。

 より悲惨な体験をした者、より多くの殺戮を目撃した者、より教養のある者、より体力を残している者。ラズワルドの恩寵を使ってそんな人間を二〇人選び、竜也は船に乗り込む。髑髏船団がその場所から離れて沖へと遠ざかっていくのを、残された千を越える避難民が嘆き、恨みながら見送っていた。








 竜也を乗せた高速船は最速で地中海を駆け抜ける。途中、補給のためにいくつかの町に立ち寄ったときはルサディルの避難民をその町の長老会議に託して残していった。彼等はルサディルで何があったかを問われるままに語り続けるだろう。最初は疑われるかもしれないが、彼等は第一報に過ぎないのだ。今後、西からの避難民が続々と東の町へと移動していく。生き証人も次々とやってきて、ルサディルの惨劇のニュースは西ネゲヴを席巻することになるだろう。


「聖槌軍に全面協力し、住民の多くが聖杖教に改宗したルサディルですらあんなことになったんだ。聖槌軍に降伏しようなんてもう誰も言い出さないだろう」


 残された方策は、抗戦するか逃げるかの二つ。百万の軍勢と戦って勝てるはずがない以上、逃げるしかない――選択の余地も何もない。ネゲヴが採るべき戦法は焦土作戦しか残っていない。


「俺が独裁官になる。独裁官として焦土作戦を推し進めて、西ネゲヴを地獄の荒野と化す。百万を飢え死にさせて、この戦争を一年で終わらせる」


 竜也の進む道は茨の道となるだろう。百万の敵だけではなく何十万という味方を、西ネゲヴの無辜の民を死に追いやることになるだろう。だがそれでも、竜也は前に進むと決めたのだ。


「俺には『黒き竜の血』が流れている。聖槌軍と対等に戦えるのは『黒き竜』の俺だけ、ネゲヴを救えるのは俺だけなんだ」


 ――その脳内設定だけを心の支えとして。

 竜也達がスキラに到着したのはアダルの月・二四日。通常急いで二〇日程度の航路を最速で走り続け、半月足らずで帰着してしまった。夜に入港しようとして場所を見間違え、ナハル川の南岸に接岸。さらに焦っていたため船が座礁し、船の底には大穴が空いてしまった。その船はもう二度と使い物にはならないだろう。

 渡し船を使ってスキラの町に入ってきたのは二四日の未明。竜也やラズワルド、サフィール達が「マラルの珈琲店」に到着したのはようやく夜が明けた頃だった。群青色に染まる空の彼方で太陽が昇り、地平線と雲が茜色に輝いている。早朝の涼しい空気が肌に心地良く、町にはまだ人影がほとんど見あたらない。

 そんな時間帯にもかかわらず、珈琲店の前には大勢の人間が集まっていた。牙犬族を始めとする恩寵の戦士達が、奴隷軍団の兵士達が、ベラ=ラフマが、ハーキムが、竜也が帰ってくるのを待っていたのだ。そして誰より、


「お帰りなさい、タツヤ様」


「無事でよかったです、タツヤさん」


「ずっとあなたを待っていたのですよ、タツヤ」


 ファイルーズが、カフラが、ミカが店の前で竜也を出迎える。


「――ああ、ただいま」


 竜也は久々に自分が笑ったような気がした。








「――ルサディルで何があったかは今話した通りだ」


 場所は「マラルの珈琲店」内のいつもの個室。集まっているのは竜也・ラズワルド・サフィール、そしてスキラ居残り組の主要メンバー、ファイルーズ・カフラ・ミカ・ベラ=ラフマである。竜也はスキラ居残り組とまず情報交換から始めていた。


「……聖槌軍はそこまでするのですか」


「そんな軍勢が百万も……」


「しかし、にわかには信じられません」


 竜也の報告を受けたファイルーズ達は慄然とした顔を見合わせている。


「俺の証言だけじゃ足りなくとも証人なら何人も連れてきている。彼等にはスキラ会議でも証言してもらうつもりだ」


「いえ、タツヤのことを疑っているわけではありません」


 ミカはちょっと慌てつつ、


「……ですが、どうしても信じられないのです。そんな虐殺にどんな意味があるのですか? それを成すことで聖槌軍に、エレブに何の得があるのですか?」


「ルサディルで殺戮を繰り広げたのは枢機卿アンリ・ボケの部下でトルケマダという男の兵だと聞いています。あの男なら異教徒を異教徒であるという理由だけで殺戮しても何の不思議もありません。何も起きなかったとしたならそちらの方が異常なくらいです」


 そう解説するのはベラ=ラフマだ。


「それに、自国の中ですら神の名の下に略奪や人攫いを散々やってきた連中なんだ。元々乏しかった自制心が、他国に来て完全に外れてしまったと考えればそんなに不思議はないんじゃないか?」


 と竜也が補足し、ミカも一応の納得の様子を見せた。


「それで、こっちの動きはどうなんだ?」


 竜也の問いに一同の視線がベラ=ラフマに集まる。一同を代表してベラ=ラフマが説明を始めた。


「偵察船団がスキラを出港した直後、ギーラが自分を臨時独裁官とするよう提案。それが採決されています」


「臨時独裁官?」


「はい。あくまで偵察船団が戻ってくるまでの期間限定の、仮の独裁官です」


 カフラが顔を曇らせて、


「タツヤさんが、他の候補がいないのに強硬に反対しても仕方ないと、賛成に回る人が多かったんです。ファイルーズ様も期間限定の遵守を条件に賛成するしかありませんでした」


「臨時独裁官ギーラはまずネゲヴ軍を再編します。将軍アミール・ダールはナハル川方面を担当、将軍マグドはトズル方面を担当とし、将軍マグドをトズルへと移動させました」


「トズルというと……ここか」


 竜也はテーブルの上に広げたスキラ近辺の地図を確認した。トズルは、元の世界で言うならジェリド湖とガルサ湖に挟まれた場所に位置している。この世界ではジェリド湖とガルサ湖は一つにつながりスキラ湖という名前で呼ばれており、トズルはその北側の地名である。トズルとその対岸は橋のように、岬のように大地が突出しており、一番狭いところでは一スタディアも離れていなかった。


「ナハル川を迂回して東進するならトズルを通るしかありません。その防衛は不可欠ですし、ガフサ鉱山にも近いその場所に将軍マグドを配置することも不自然ではありません」


 ふむ、と頷いて竜也は続きを促す。


「現在、将軍アミール・ダールはナハル川南岸の要塞化を進め、防衛線を構築しようとしています。将軍マグドはトズルで砦を築城しています。一方臨時独裁官ギーラはナハル川南岸の整備をしようとしています」


「まあ、必要だろうな」


 と頷く竜也。ミカ達もまたそれに同意する。


「二〇万とも三〇万とも言われるスキラの市民、それにスファチェ、ハドゥルメトゥム、カルト=ハダシュトといった大都市の住民、それより西からの避難民。全部合わせれば百万を優に超えるでしょう。それだけの数が遅くとも三、四ヶ月のうちに大挙してナハル川南岸に押し寄せてくるのです。避難民を受け入れるためにナハル川南岸を整備することは必要不可欠です。ですが……」


「こちらをご覧ください」


 とベラ=ラフマが大きな紙を広げる。そこに描かれているのはスキラ近隣の地図だった。ただし現実のものではない。ナハル川南岸には現時点では影も形もない巨大な都市が記されている。碁盤の目のように大通りが整備され、運河があり、ローマ式の水道橋があり、政庁があり、太陽神殿があり、四階建て五階建ての石造りの建物が整然と並んでいる。壮大かつ絢爛な都市建設の計画書と完成予想図であった。


「これは?」


「ギーラが公表したナハル川南岸の整備計画です。ギーラはこの都市を『ギーラ=マグナ(大ギーラ)』と名付けています」


 竜也がその事実を咀嚼し、理解するに数十秒ほどの時間が必要だった。


「……まあ、何十万という避難民がやってきてナハル川の要塞化工事に従事したならこの辺りは放っておいても都市になるだろう。今のうちに戦後を見越してちゃんとした都市計画を立案しておくのは決して無意味なことじゃない」


「タツヤ様の言うことにも一理ありますわ。ですが、どう考えてもギーラさんは優先順位を間違えているとしか思えないのです」


 ファイルーズの言葉を竜也も否定しない。竜也もそこまではギーラを庇いはしなかった。


「ギーラも今すぐにこの都市を建設しようとはしていません。ギーラはまず独裁官の仮設政庁を建築しようとしています。この場所です」


 ベラ=ラフマが指差したのはナハル川河口、海に面した小高い丘である。その丘は葡萄が多く自生していることから葡萄ゲフェンの丘と呼ばれていた。


「また、ギーラは政庁に隣接して王女ファイルーズの行宮を建設するつもりでいます。警備上の問題から王女ミカにもそこに入るよう指示がありました」


「ついでにわたしもそこに入るよう命令されました」


 カフラが皮肉げな笑みを浮かべてそう言う。竜也は十数秒ほど開いた口がふさがらなかった。


「……何を考えているんだ? あの男」


「理解できる理由が全くないわけではありません。周囲が臨時独裁官ギーラに対して非常に非協力的なのです。将軍マグドは自分が納得できる範囲でしか、必要最低限の協力しかしておりませんし、それは将軍アミール・ダールも同様です。王女ファイルーズと太陽神殿、ナーフィア商会を始めとする各バール人商会、西ネゲヴ各地の商会連盟、各町の長老会議もまた同じです。ギーラの主要な支持層のはずの東ネゲヴの各町・各商会連盟すらが全面協力には程遠い状態です」


「多分、ギーラさんに深入りして梯子を外されるのを怖れているんでしょう」


 ベラ=ラフマの説明にカフラが補足した。


「笛吹けど踊らず、ってことか?」


「まさしくその通りです。焦ったギーラが強権を振り回し、白けた周囲がますます非協力的となり、ギーラがますます焦り、と悪循環に陥っています。それを打開するためにわたし達の身柄を欲したのでしょう」


 ミカの解説にベラ=ラフマが続ける。


「王女ファイルーズを自分の手元に置くことはその支持を得ていることの証明となります。王女ミカは将軍アミール・ダールの、カフラマーンはナーフィア商会の支持の証明となるでしょう。それだけの支持があれば周囲も非協力的な態度を改める他ありません。周囲の支持を得られれば実績も上げられる。そうなれば臨時独裁官から正式な独裁官に就任することも難しくはない――それを意図してのことと見られます」


「もちろんわたし達はその指示を拒否しましたわ」


 とファイルーズ。


「ギーラは私兵を集めているようですから、強攻策に出るのではないかと考えて将軍マグドの部下や恩寵の戦士を集めて守ってもらっているところです」


 ミカの言葉に竜也は思わず苛立たしげに舌打ちした。


「そんなことをしている場合じゃないだろう」


 ファイルーズは面目なげにしているがミカは「誰のせいだと思っているのですか」と反撃する。竜也は一瞬言葉を詰まらせるが、


「判っている」


 と頷いた。


「――ギーラを排除して俺が独裁官になる。皆の力を貸してほしい」


 その場を一瞬静寂が満たし、次いで静かな高揚が徐々に水位を上げていった。


「もちろんですわ。わたしと太陽神殿がタツヤ様の力となります」


 とファイルーズ。


「やっとですか。ですが、あなたなら少なくともギーラよりはマシな独裁官となれるでしょう」


 とミカ。


「タツヤさんならできます。タツヤさんのやり方でネゲヴを救っちゃってください」


 とカフラ。


「言うまでもありません。牙犬族はタツヤ殿の剣となって敵を斬り払います」


 とサフィール。

 ラズワルドとベラ=ラフマは無言で頷くだけだ。だがその瞳を見ればその意志を問う必要などなかった。

 全員の賛同を受け、意を強くした竜也は即座に行動を開始した。


「まずはスキラ会議でルサディルの惨劇について報告して、その場で支持を集めて独裁官に就任する。次のスキラ会議は?」


「来月の一五日です」


 ミカの答えに竜也は数拍言葉を途切れさせた。


「……何でそんな先に」


「臨時独裁官の意向です」


 とミカは肩をすくめる。


「臨時でも独裁官がいるのだからスキラ会議を頻繁に開く必要はない、と主張しそれを通してしまいました」


 竜也は「そんなに待てるか」と舌打ちをしつつ、


「ギーラに構わなくていい、スキラ会議の面子を集めてくれ。ルサディルの惨劇について報告する」


 竜也の指示を受けてミカが、カフラが、その部下が動き出す。竜也はその現実を当然のものとして受け止めていた――そのように見えた。


「……タツヤさん、何だか変わりましたね」


 ベラ=ラフマの報告を受け、指示を出す竜也の背中を見つめながら、カフラが独りごちる。以前であれば指示や命令をするにしてもどこか遠慮やためらいが感じられたのだが、すっかりそれがなくなっているのだ。


「ようやく人の上に立つ自覚が出てきたのでしょう」


 とミカは頷き、


「タツヤ様、無理をされていなければよろしいのですが」


 とファイルーズは眉を寄せている。それに対して、


「タツヤは自分の血に目覚めた」


 そんなことを言い出したのはラズワルドである。


「自分の血?」


「そう。クロイ・タツヤという名前は『黒きシャホル・ドラコス』という意味。タツヤは黒竜の恩寵の民」


 ミカ達は「まさか」と思うがラズワルドは真剣な表情で、嘘や冗談を言っているようには到底見えなかった。竜也の脳内設定をラズワルドが勝手に本気で信じ込んでしまっただけ、それをネゲヴ風に独自解釈しているだけ、とファイルーズ達に判るはずもない。


「……その、黒竜の恩寵というのはどんなものなんですか?」


「よく判らないけどとにかくすごい」


 ラズワルドが大真面目にそう答える。カフラとミカとファイルーズは全身から脱力して崩れ落ちそうになった。








 スキラ会議参加者のほぼ全員が招集され、竜也主催の「ルサディルの惨劇・報告会」が開催されたのは二六日のことである。その日、竜也達は揃ってソロモン館に出かけていた。一方「マラルの珈琲店」にはラズワルドとベラ=ラフマの二人が残されている。ラズワルドは竜也に付いていきたかったのだがベラ=ラフマに引き留められたのだ。


「何の用?」


 不機嫌な感情を露骨に声に出してラズワルドが問う。


「ギーラは独裁官タツヤの暗殺を計画し、その工作員を偵察船団に潜り込ませていた。心当たりは?」


 ラズワルドは驚きに息を呑んだ。「心当たりがあるようだな」とベラ=ラフマが頷く。


「この情報を掴んだのは偵察船団の出港後で、工作員の名前や具体的な工作内容までは未だ掴めていない」


 お前がいてくれれば話は早かったのだが、とベラ=ラフマは内心で呟いた。一方のラズワルドは殺意に真紅の瞳を燃えるように輝かせている。


「許さない、殺す」


 ラズワルドの人生の中でこれほど強い憤怒を覚えたのも、これほど明確な殺意を抱いたのも初めてだった。自分が決死の覚悟で助けに行かなければ竜也は間違いなく死んでいたのだ。自分もまた間一髪で死ぬところの連続だったが、竜也を喪うところだったことを思えば些細な話である。


「落ち着け。ギーラの暗殺は認められない」


 ベラ=ラフマに止められ、ラズワルドは「どうして」と強く反発した。


「独裁官タツヤの立場を悪くするだけだからだ。暗殺をするような指導者を兵も民も支持しない。独裁官タツヤもまたそのような手段を許可しないだろう」


 政治的な立場云々の話はラズワルドにはいまいち理解できなかったが、竜也が暗殺を許可しないという話ならよく判った。ラズワルドのよく知る竜也ならそうするに決まっている。


「ギーラを殺したい。いい?」


「駄目に決まってるだろ」


 脳内の竜也にあっさりと却下され、ラズワルドは軽く落ち込んだ。


「もちろん必要とあれば独裁官タツヤの許可を得ないまま、内密のまま暗殺をすることも考えられる。だがそれは独裁官の政治的立場に悪影響を及ぼさない限りにおいて、あるいは独裁官が意図した殺害と疑われない限りにおいて、だ。今のギーラはこの条件に合致しない」


「じゃあどうするの」


 すねたように問うラズワルドにベラ=ラフマが力強く告げた。


「独裁官タツヤを守る。独裁官の目となり耳となり、素早く危機を察知し、先回りしてそれを排除する。今できるのはそれだけだ」


 ラズワルドが「判った」と頷く。ラズワルドの瞳に意志の光が輝いた。今の自分にできることを呈示され、行動する意欲を強く発露している。


「部下が欲しい。白兎族の女を集めてほしい」


「いいだろう。手配をしよう」


 ラズワルドの依頼にベラ=ラフマが頷く。ラズワルドはいかにして竜也を守るべきか、その思考を巡らせている。暖かな微睡みの中で眠るだけだった「白い悪魔」が真の意味で目覚める刻は、そう遠くはなかった。

 一方のソロモン館。そこにはスキラ会議メンバーのほとんどが集まっていた。アミール・ダールは長男のマアディームを名代として寄越し、トズル方面からはマグドがやってきている。ギーラの支持層であるはずの東ネゲヴ各町代表もほぼ顔を揃えていた。


「東ネゲヴの各町からも代表が来ているな」


 参加者名簿に目を通した竜也が述べ、ミカが解説した。


「はい。大部分は名代でしょうけどこの場に集まっています。ギーラがあまりに頼りないのでタツヤとのつながりを保っておこうというのでしょう」


 竜也は特に何も言わず、「ふん」と小さく鼻を鳴らした。


「……本日集まってもらったのは他でもありません。西ネゲヴに偵察に向かった船団が帰着しました。西ネゲヴで何が起こっているのか、クロイ・タツヤからの報告を皆に聞いていただきたい」


 いつものようにラティーフの挨拶から報告会が始まった。ラティーフと交代して竜也が議場の中心に進み出た。


「クロイ・タツヤです。俺はアダルの月の四日にルサディルの町に潜入しました。聖槌軍の先鋒がルサディルに到着したのは九日です」


 竜也は自分が見たことだけを、経験したことだけを淡々と語っていった。議場はしわぶき一つ起こることなく静まり返っている。その中で聞こえるのは竜也の声だけだ。竜也がルサディルの光景を一つ語るたびに議場の温度が一度下がるかのようだ。


「……俺が経験したことは以上になります」


 竜也の語りが終わる頃には議場の空気は完全に氷点下となっていた。


「……しかし、まさかそんな」


「到底信じられない」


 ようやく発せられた声はそんな内容ばかりである。竜也は視線を議場の入口に送る。入口で待機していたサフィールが十人ほどの人間を引き連れて議場に入ってきた。訝しげな思いが広がっていく。


「彼等は俺がルサディルから連れてきた避難民です。全員、あの日、あのときにルサディルにいた人達です」


 その十人が議場のあちこちに分散して移動するのを確認し、竜也は告げた。


「俺の証言だけでは不足でしょうから、その人達からも話を聞いてください。あの日、あのときにルサディルで何が起こったのかを」


 当初は戸惑ったように顔を見合わせていた参加者達だが、やがて各々が近くの場所にいる避難民の元に集まってきた。最初は遠慮がちに、次第に熱心に避難民に質問をする。避難民は涙を堪えながらも、あるいは泣き崩れながらもその質問に答えていった。


「妻は何人ものエレブ兵に犯されていた。妻を犯すために何十人ものエレブ兵が集まっていた。俺はそれを助けることもできず、それどころか妻をおとりにして逃げ出してきたんだ……!」


「父と母がわたしを逃がすためにエレブ兵に立ち向かいました。父も母も、身体中を槍で刺されて、それでもわたしに逃げろって……」


「俺のご主人は光り物が好きだったからエレブ兵のいい獲物になっていた。エレブ兵の一人がご主人の腕を剣で斬り取って、腕ごと指輪を奪っていって、別のエレブ兵は耳飾りを耳ごと奪っていった。奪われるものがなくなったご主人はエレブ兵の腹いせに剣で串刺しになっていた」


「夫とはぐれたわたしは子供を抱えて、隠れるところを探して、どぶ川の中に隠れたんです。でもあの子はまだ五ヶ月で、あの子が泣き出して、エレブ兵が近くまで来ていて、何とか泣き止ませようとしてわたしは……自分が助かりたい一心であの子を水の中に沈めて……この手で……!」


 各場所での聞き取りは一時間ほどで終了する。憔悴した避難民が退場していき、議場の中は泥沼の底のような重苦しい静寂に満たされた。


「――ついに奴等はやってきたんだ。俺達を皆殺しにするために。俺達を奴隷にするために」


 ただ竜也の声だけが議場に響いている。


「奴等がネゲヴを地獄にしようというのなら――俺達もまたそうしてやるだけだ。奴等全員を飢餓地獄に落とし込んでやる。百万の聖槌軍を皆殺しにする。一年でこの戦争を終わらせる」


 竜也の静かな宣言が全員の耳朶を打った。その決意が胸に響き、その覚悟が心臓に轟いた。


「一年だ!」


 竜也は人差し指を立てた手を高々と頭上に掲げた。


「一年だけあなた達の生命を俺に預けてくれ! あなた達の力を、あなた達の財産を、あなた達の権限を俺に貸してほしい! そうすれば俺が一年で聖槌軍を皆殺しにする。一年でこの戦争を終わらせる!」


「それはあなたが独裁官に就任するということですか? クロイ・タツヤ」


 ラティーフの問いに竜也は力強く頷く。


「やっとその気になったか、待ちかねたぞ!」


「もちろん我々は支持するぞ!」


 真っ先に反応したのは恩寵の部族の族長達だ。西ネゲヴの各町が、各バール人商会が、竜也の支持を表明する。


「今更言うまでもないだろう。俺達奴隷軍団はタツヤのために戦い、死んでやる」


 マグドが静かに、だが明確に宣言。


「アミール・ダールの真の忠誠は正式な独裁官に捧げられます」


 マアディームはアミール・ダールの名代としてそう明言した。

 議場の半分以上が竜也の独裁官就任を熱く支持する一方、もう半分――東ネゲヴ各町の代表が集まっている箇所は静かなままである。だが、


「……反対しないのか?」


「敵は半月も前にネゲヴに侵入しているんだぞ。いつまでも内輪で揉めている場合じゃないだろう」


「あの男はあまりに期待はずれだった。所詮は口先が上手いだけの男だ」


 誰かの言葉に周囲が揃って頷く。東ネゲヴの各町でも誰も積極的に反対しようとしていない。


「臨時独裁官ギーラはどうするのだ?」


「説得して降りてもらう」


 誰かの問いに竜也が即答。「それができるのなら特に文句はない」と東ネゲヴ各町も竜也の支持を表明した。

 そんな中、ファイルーズが椅子から立ち上がり、竜也の前へと進み出た。一同の注目を集める中、竜也とファイルーズが議場の中央で向かい合う。


「タツヤ様、ネゲヴを救ってくださいますか?」


「約束する。聖槌軍を倒し、ネゲヴを救うと」


 竜也は静かにそう宣言した。ファイルーズは竜也の手を取る。


「ネゲヴを、ケムトを、わたし達の未来をあなたに託します。あなたに太陽神の御加護を」


「ありがとう」


 竜也はそう応え、全員に向き直る。竜也は静かに、もう一度人差し指を立てた手を高々と掲げた。


「独裁官クロイ!」


 誰が竜也をそう呼び、その呼びかけが議場全体に広がる。


「独裁官クロイ!」「独裁官クロイ!」


 熱狂的な呼びかけがソロモン館全体を揺るがすかのようだ。その歓呼の声はいつ果てるともなく続くこととなった。








 スキラ会議の支持を受けて竜也が独裁官として就任――その知らせに対し、ギーラは表面上は動揺を示さなかった。


「何を言っている? 正式なスキラ会議の開催は来月の一五日だ。非公式の会合でスキラ会議の参加者が何人集まって何を決めようと、それに何の意味がある?」


「ガイル=ラベクが戻ってきていないのに偵察船団が戻ってきたとは言えんだろう。つまりは私が独裁官から退く理由もないということだ。ガイル=ラベクが偵察の報告を寄越したのは聞いている――クロイ・タツヤ? ふん、知らんな。そんな小物の名前は」


 ギーラは公然とそのようにうそぶいた。それを聞いた竜也やその支持者は当然呆れ果てたが、それは竜也達だけではない。


「東ネゲヴの各町がますますギーラから距離を置いています。ギーラに完全に見切りを付けてしまった者も少なくないようです」


 ベラ=ラフマの報告に竜也は「まあ、そうなるだろうな」と頷いた。


「さて、どうする? タツヤ。ここまで来たら少々強引な手段をとっても問題はないだろう」


 と今にも自らギーラの元に向かいそうなのはマグドである。ベラ=ラフマが無言のまま頷き、他の面々もマグドに反対していない。

 だが竜也は「いや」と首を振った。


「ギーラはできるだけ説得で退かせたい。それで誰に説得させるかだけど――」


 竜也がある人物の名前を挙げ、その場の全員が戸惑いの表情を浮かべた。特にミカは驚きに目を丸くしている。








 スキラ市街地の一角、とある商会の別邸。そこが臨時独裁官ギーラの官邸となっている場所だった。その別邸はオエアのある商会の所有物件で、ギーラが一時的に借り受けているものである。

 その官邸を警護しているのは数十人の傭兵だ。ギーラはアミール・ダールに警護を依頼したのだが人手不足を理由に断られている。仕方なしに自分で傭兵団を雇ったのだが、予算の関係もあって雇えたのは無名の、二流の傭兵団でしかなかった。

 ギーラは執務室内を苛立たしげに歩き回っている。執務室は大して広くなく、ギーラは檻の中のハツカネズミのように短い範囲をぐるぐると回っていた。執務机は部屋の広さにそぐわないくらいの大きさであり、その上にはギーラ=マグナの完成予想図が広げられている。


「……くそっ」


 気に食わない。気に食わない。何もかもが気に食わなかった。東ネゲヴの各町は自分を利用しようとはしても自分に協力しようとはしていない。アミール・ダールは反旗を翻す隙をうかがっているかのようだし、ファイルーズは自分になびこうともしなかった。


「くそっ、あの小僧。あいつさえちゃんと死んでいれば……!」


 そして誰よりギーラが気に食わない人間がスキラに戻ってきている。ギーラのものだった地位を、名声を、権力を奪おうと画策している。


「今からでも遅くはない、あいつさえ死ねば問題は全て解決するんだ。何とか殺す方法は」


 ギーラは思考を巡らせるが上手い方法はなかなか見つからなかった。その人間に付いている護衛があまりに厄介なのだ。無双の威力を持つ恩寵の剣士達と、アシューで歴戦を重ねた戦士達。彼等が竜也に信服と忠誠を捧げている。それはギーラがどれだけ望んでも手に入れられないものだった。


「独裁官ギーラ、クロイ・タツヤの使者が」


 ギーラの執務室に突然飛び込んできたのは護衛の一人だ。ギーラは侮蔑と余裕の表情を作って見せた。


「ふん、私は忙しい。事前に約束もしていない人間と会えるほど暇ではない」


 だがその護衛はギーラの芝居など見ていなかった。護衛は剣を手にし、ギーラを庇うように扉に向かって立った。執務室の扉が蹴破られ、入ってきたのは、


「よう、ギーラ。久しいな」


「お、お前は」


 鋼鉄の槍を手にし、そびえるように立っている巨漢の男はノガであった。ノガはギーラを無視するように執務室の真ん中を歩いていき、執務机に腰掛ける。遅れて集まってきた何人もの護衛がノガを包囲するが、ノガは泰然とした態度を崩さなかった。


「お、お前は一体……」


「ああ、俺はタツヤから頼まれたんだ。お前を説得して臨時独裁官を辞めてもらうようにな」


 ギーラは「お前が?」と戸惑いを浮かべる。


「俺もこんな仕事は初めてなんでどうすればいいのかよく判らんのだが」


 ノガはそう肩をすくめた。ギーラはそれでようやく多少なりとも余裕を取り戻す。


「ノガ殿は礼節を覚えるところから始めるべきだと思うが、それは置いておこう。それで? 一体どんな理屈で私を説得しようというのだ?」


 ノガの返答は鋼鉄の槍の一旋だった。槍の先端がギーラの頬をかすめ、わずかに血が流れる。ギーラは全身を凍り付かせた。


「使者に俺を選んだってことは俺のやり方でやっていいってことだろう? あいにく俺はこのやり方しか知らんのでな」


「き、貴様……」


 護衛の傭兵達が剣を構える。何本の白刃がノガを取り囲んだが、ノガはそれが目に入っていないかのようだ。


「いくら貴様でもこの人数に勝てると思うのか」


 ノガは「まあ何とかできるだろう」と思いつつもそうは答えず、無言で窓の外を指差した。雨戸が開いたままの窓の向こうにはこの別邸の前庭が見えていて、


「独裁官クロイ!」「独裁官クロイ!」


 そこに集まった戦士達が竜也の名を呼んでいる。集まっているのは牙犬族を始めとする恩寵の戦士達、奴隷軍団の兵士達、それにアミール・ダールやノガの部下達だ。その数ざっと百数十人。


「どっちが勝つかやり合ってもいいんだが、それよりは大人しく独裁官を辞めてくれた方がいいんじゃないか? 結果は同じなんだし」


 だがギーラは引き下がる姿勢を示さなかった。血が出そうな程に歯を食いしばり、火が出そうな眼差しをノガへと向けている。ギーラの心はなおも折れてはいないのだ。

 ノガは矛先を変え、傭兵達へと視線を向けた。


「ところであんた達を雇っているのは何者だ?」


「臨時独裁官ギーラだ」


 傭兵のリーダーと見られる男がわずかに戸惑いを見せながらも答える。


「その臨時独裁官殿は先日のスキラ会議によって解任されている。あんた達を雇っている人間はもういないんじゃないか? 独裁官を辞めたその男に報酬を払えるとは思えんのだがな」


 傭兵達は互いの顔を見合わせた。報酬が支払われないということはギーラが契約を反故にするということであり、傭兵達がギーラのために戦う義理もなくなることを意味する。勝ち目のない戦いに直面する中で逃げ道を用意されたのだ。その選択肢に心を引かれるのは当然だった。


「世迷い言だ! 私は独裁官を辞めてなどいない!」


 ギーラは「だから報酬の心配などするな」と言いたかったのだろうが、傭兵達はそうは受け止めなかった。ギーラが報酬の支払いを明言しなかった――できなかった、そう理解したのだ。もしギーラが「独裁官でなくても報酬は払う」と言っていれば傭兵達は契約に縛られ、ギーラを見捨てることができなかっただろう。だがギーラはそうは言わなかった。結果としてギーラは自分から傭兵契約を反故にしたのだ。

 傭兵達は一様に剣を鞘に収め、ギーラに背を向けて執務室から去っていく。傭兵が一人もいなくなり、その場にはノガとギーラだけが残された。


「護衛の傭兵に見捨てられたってことは、この男を臨時独裁官だと認める人間は一人もいなくなったってことだ。ま、これで仕事は果たしたと考えていいかな」


 そう判断したノガもまたその執務室から去っていく。執務室に最後に残ったのは屈辱に打ち震えるギーラだけである。

 「ギーラを臨時独裁官と認める人間は一人もいない」――ノガの判断には若干の間違いがあった。世界中の誰が認めなくてもただ一人、ギーラ自身だけは自分の正義と正統性を確信し、決して疑いもしていないのだから。


「……あの小僧、あの小僧、今に見ていろ! 殺してやる! 貴様が俺から奪ったもの全てを必ず奪い返してやる!」


 ギーラの自己確信は狂気の域に達していた。ギーラは狂気と復讐に燃える眼を虚空に向ける。ギーラはそこに竜也の顔を、自分の宿敵の顔を思い浮かべていた。








 アダルの月・三〇日。スキラのソロモン館にはギーラを除くスキラ会議のメンバー全員が集まっていた。


「それじゃまず、傭兵契約を結ぼう」


 正式に独裁官に就任するにあたり、竜也は事前に用意した契約書を提示した。その内容の要点をまとめると以下のようになる。




「一、独裁官クロイ・タツヤは一年以内に聖槌軍全軍をネゲヴから放逐するか、戦闘不能に追い込む」


「二、その代わり、全てのネゲヴの自治都市・恩寵の部族・商会連盟・太陽神殿は独裁官クロイ・タツヤに全権を委任し、戦争遂行に全面協力する」


「三、全自治都市はこの戦乱で発生した避難民を、都市の大きさに応じて受け入れる」


「四、全自治都市の全市民・全商会連盟は戦費として十分の一税を負担する。または、全自治都市の全市民のうち、十人に一人が兵役を負担する」


「五、この契約は一年更新とする。一年後に契約の改廃を検討する」


「六、その他、必要に応じて契約条項の見直し・追加を随時行う。条項の見直し・追加については契約者の過半の同意を必要とする」




 竜也は会議の参加者全員に契約書への署名を求め、内心はどうあれ会議の参加者は全員それに応じて署名した。この契約はソロモン館の名にちなんで「ソロモン盟約」と呼ばれるようになる。






《お知らせ》




 投稿が追いついてストックが乏しくなってきたため、しばらくの間更新を休止します。



 週一ペースでは間隔が空き過ぎだったとか、改訂版というのがそもそも評価されないものだったとか、幕間を連投しすぎたとか、色々と判断ミスもありまして、読者からの評価が乏しくなる一方です。モチベーションを維持するのも難しくなっています。


 ですが、一旦始めた以上は最後まで改訂したいと思います。そこで、最後まで改訂が終わってから一気に投稿することにしました。年内の更新再開を目標に努力しますので、それまでお待ちください。



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[一言] 主人公が決意するシーンってやっぱり良いですよね・・・
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