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黄金の帝国 - 第四六話「アナヴァー事件」
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黄金の帝国  作者: 亜蒼行
逆襲篇
53/65

第四六話「アナヴァー事件」


 ときはアルカサムの月(第八月)の上旬、アルカサムの月の戦い(モーゼの堰の戦い)が終わった直後のこと。ミカはある人物の訪問を受けていた。


「お久しぶりです、王女ミカ。まずはこのたびの戦勝、おめでとうございます」


 ありがとうございます、と返答しながらもミカは疑わしげな眼をその人物へと向ける。そこにいるのはエジオン=ゲベルの貴族の一人で、名をアナヴァーといった。頭部はきれいに禿げ上がっているがそれとは対照的な豊かな白髭が顔の下半分を覆っている。アミール・ダールとそう変わらない年齢のはずなのだがアミール・ダールが若作りなこともあって、ミカの目に映る彼は高齢の老人のように見えていた。


「一体わたしにどのような用件が? 父にはお会いになったのですか?」


 アナヴァーは一時期アミール・ダールに仕えた経験もあり、ミカも可愛がってもらった記憶がある。が、父親を差し置いて真っ先に自分に会いに来るような関係ではないはずだった。


「私はエジオン=ゲベル王の特使としてここに来ております。この陛下の親書を皇帝クロイにお渡し願いたい」


 そう言って差し出された親書を、ミカは少しの間無言のまま見つめた。


「……伯父上はギーラを支援して勅書まで託したのではないのですか? どういう風の吹き回しですか」


「政争に敗れた半端者のバール人など、もう用済みでしょう」


 アナヴァーはばっさりと言い捨てた。


「それに対して皇帝クロイは聖槌軍との戦いに完勝しようとしています。今エジオン=ゲベルが手を結ぶべきは勝利者たる皇帝クロイ、それだけのことです」


 サフィナ=クロイからエジオン=ゲベルまではどんなに急いでも一月は必要であり、エジオン=ゲベル王ムンタキムが「モーゼの堰の戦い」の結果を知っているとは考えられず、それに基づいてアナヴァーに命令を出すことはあり得ない。つまりはギーラに勅書を――竜也失脚のための切り札を――託すのと同時に、保険としてアナヴァーを友好使節として送り出したのだろう。アナヴァーはどこか近くの町に滞在して戦いの様子をうかがい、竜也が勝ったのを確認した上でこの町にやってきたのに違いない。ムンタキムの無節操さやアナヴァーの振る舞いに呆れるミカだがそれ以上の追及はせず、ミカはその親書を預かった。


「……ともかく、皇帝に渡しはします。それ以上のことは約束できません」


 アナヴァーとの会見を終えたミカはその足で臨時総司令部へと向かい、竜也と面会。事情を説明した。


「それで、これがその親書ってことか」


 親書の封書はミカがその場で開封して中身だけ竜也へと手渡す。受け取った竜也はすぐに目を通した。最初は気のない様子だった竜也が、今は食い入るように親書を読んでいる。竜也が読み終えたのを見計らいミカが声をかけた。


「それで、何が書いてあったのですか?」


「え、あー、その、また今度説明する」


 ミカの質問に竜也は口を濁した。


「特使アナヴァーがタツヤとの会談を望んでいます。タツヤにエジオン=ゲベルの船まで赴いてほしいのです」


「行くのは構わないけど、特使の方がこっちに来るのが筋じゃないのか?」


「その……言葉を飾らずに言ってしまうと『白兎族がどこに隠れているか判らない場所には行きたくない』と」


 ミカが気まずげにそう伝えると竜也は「あー……」と納得の感嘆を漏らしてしまう。


「まあ聖槌軍のような敵ならともかく、これから友好を結ぼうとする相手なんだからある程度の配慮は必要だろうな」


 と竜也はアナヴァーの言い分を了解した。


「このアナヴァーって人は信用できるのか?」


 竜也の確認にミカは「それはもちろん」と胸を張った。国王ムンタキム派と王弟アミール・ダール派が対立していたエジオン=ゲベル王宮においてアナヴァーはムンタキム派の所属だった。だがそれと同時にアミール・ダールの立場を守るべく尽力してくれており、アミール・ダールもアナヴァーに感謝し信頼していたのだ。


「王位は長兄が継ぐのが当然だが、王弟にして将軍たる方がその地位と実績に相応しい処遇を受けることもまた当然」


 それがアナヴァーの信念であり、それはアミール・ダールの基本姿勢と全く同一のものだった。

 そうか、と頷く竜也はその後アナヴァーと会談を持つべく準備を進める。ミカを挟んでの使者の往来が何度かあり、会談が実現する運びとなったのは数日後のことである。








 竜也を乗せた軍船がスキラ湾を進んでいく。軍船はスキラ湾の沖合で別の軍船を発見、その船に接近する。竜也の船より一回り小さなその船はエジオン=ゲベルの軍船であり、それにはアナヴァーが乗っているはずだった。

 やがて二つの軍船が接舷。船と船の間には板が渡され、板はロープで固定された。まずはバルゼル、サフィールといった近衛が板を渡ってヌビアの軍船からエジオン=ゲベルの軍船へと乗り移る。それに続いて竜也が、さらにはミカが隣船へと移動した。


「お待ちしておりました、皇帝クロイ。どうぞこちらへ」


 竜也とミカはアナヴァーに案内されて甲板の中央へと進んでいく。そこに用意された椅子に着席し、テーブルを挟んでアナヴァーと向かい合った。

 まずは面倒な挨拶を儀礼的に消化するのに一刻弱。それが終わってようやく竜也達は会談の本題へと入っていく。


「まずはエジオン=ゲベル王の真意を確認したい。『ヌビアとエジオン=ゲベルが手を結び、東西からケムトを挟撃する』――これは本気で言っているのか?」


「もちろん本気で検討するべき選択肢の一つです」


 竜也の問いにアナヴァーが即答。一方何も聞かされていなかったミカは驚きの表情を竜也へと向けたが、竜也はミカを無視して話を進めていく。


「ケムトは三大陸でも有数の豊饒の地です。ケムト征服がヌビアにとって、皇帝にとってどれだけの利益となるかは計りしれません。そしてエジオン=ゲベルはその恩恵の一部を被る――両国にとってこの事業は大いに有意義なものとなることでしょう」


「だが、大義名分がない」


 と竜也は肩をすくめた。


「利を求めるだけで他国を侵略するのは聖槌軍と同じだ。我々は彼等とは違う」


「ケムトの宰相プタハヘテプは聖槌軍のヴェルマンドワ伯ユーグと手を結び、西ヌビアを割譲しようとしました。それは大義名分にはならないと?」


「確かにそれは我々から見れば利敵行為だったが、そんなのはあくまで結果論だ。元老院議員の半数が賛同していたことを戦争の理由とするわけにはいかない」


 ケムトとの戦争に否定的な竜也にミカは心から安堵している。だが安心するのはまだ早いようだった。


「副特使ギーラが皇帝を暗殺しようとしている――これは戦争の理由とはなりませんか?」


 ミカは思わず息を呑むが、竜也は眉一つ動かさなかった。無表情のまま冷たい瞳をアナヴァーへと向けている。


「それは理由になるだろうな、充分な証拠さえあれば」


「証拠ならあります」


 竜也とアナヴァー、両者の間で緊張感が急速に水位を上げていく。ミカは息苦しさを覚えていた。


「今日、サフィナ=クロイではギーラが自分の支援者を集め、クロイ・タツヤ暗殺の謀議をしているはず」


「随分詳しいようだな」


 会談の当事者でありながらミカにはどうして両者がここまで殺気立っているのか皆目判らない。それはサフィールやバルゼルも同様だったが、二人の場合は考えるよりも先に剣士としての本能が反応していた。二人とも腰の剣に手がかかり、いつでも抜刀できる体勢になっている。

 突然の轟音がミカの脳を揺さぶる。ミカは思わずテーブルにしがみついた。


「な、何が――」


 次いで立ち上がったミカが音のした後背を振り返り、そのまま言葉を失う。エジオン=ゲベルの軍船に備え付けられた大砲の砲口から煙が漂っており、一方ヌビアの軍船には側面に大きな穴が空いて水が船内に流れ込んでいる。その瞬間は見ずともどちらが何をしたのかは一目瞭然だった。


「アナヴァー殿! これは一体――」


 そのとき船が大きく揺れ、倒れそうになったミカを竜也がささえた。エジオン=ゲベルの軍船がヌビアの軍船を切り離し、遠ざかっていく。どんどんと離れていっている。突然砲弾を撃ち込まれて混乱状態のヌビア側はそれでもアナヴァーを追おうとするが、方向転換一つもままならないようだった。

 事態の急変にミカは思考も身体も棒立ちとなってしまう。そのミカの身体を竜也が引っ張る。ミカは竜也の胸の中に飛び込み、竜也に庇われる格好となった。その竜也達の前にバルゼルが、サフィールが、近衛の剣士が立ちふさがっている。そして甲板に上がってきたエジオン=ゲベルの水兵が竜也達を完全に包囲した。

 ざっと見て水兵は三十人以上いるだろう、その全員が剣や槍、弓や火縄銃で武装している。一方の近衛はバルゼル、サフィール、他三名。戦力差は六対一を越えていた。


「アナヴァー殿、一体何故……」


「王命です。どうかお覚悟を」


 ミカが声と身体を震わせる一方、竜也は平静を保ったままである。たとえそれが見かけだけだったとしても大したものだと、アナヴァーは内心で舌を巻いていた。


「エジオン=ゲベルはギーラと手を切ったように見せて、手を結んだままだったんだ。でもまさかギーラを囮にしてエジオン=ゲベルが手を汚すなんて……」


「手を汚したのはエジオン=ゲベルではありません。将軍アミール・ダールが皇帝位を狙いクロイ・タツヤを謀殺した――ギーラはそう主張し、将軍を告発するはずです」


 ミカが歯を食いしばった。この会談を主導したのは自分であり、立ち会ったのも自分だ。アミール・ダールは末娘一人を犠牲にして皇帝を謀殺した――自分の行動が、自分の存在がギーラの告発を裏付ける結果となってしまうのだ。


「そこまで自分の弟を貶めたいのか。そのためだけに俺を殺そうとするのか」


 竜也が舌打ちしつつそう問うがアナヴァーは首を横に振った。


「誤解なきよう。陛下が皇帝クロイを亡き者とするのはあくまでエジオン=ゲベルを守るため。聖槌軍との戦いに勝利したなら皇帝クロイはケムトを併呑し、いずれはエジオン=ゲベルに食指を伸ばすことでしょう。自分と王女ミカとの子供をエジオン=ゲベルの王位に就けようとするでしょう」


「ギーラがそう説いて、ムンタキムはそれを真に受けたわけか」


 竜也のその確認をアナヴァーは否定しない。自分がこの事態のそもそもの原因となっていることにミカはさらなる打撃を受けていた。ミカの瞳からひとしずくの涙が流れる。


「何故、何故です! 父上の信頼も厚かったあなたがどうしてこんな……」


「大方、家族の誰かを人質にでも取られたんだろう」


 竜也の指摘にアナヴァーは一瞬だけ顔色を変える。どうやらそれが正解のようだとミカも理解した。


「何と下劣な……! それがエジオン=ゲベル王のやることか!」


「口を慎みください。我等は王命を果たすのみ」


 アナヴァーの背後で水兵がマストに張られた帆に火を放つ。帆は一瞬で燃え上がり、アナヴァー達を赤々と照らした。さすがに竜也やバルゼルも顔色を変えている。


「我等全員が黄泉路までお供する。もって瞑していただきたい」


 できるか!と竜也が思わず悪態をつく。そんな会話をしている間にも火の手は広がっていた。甲板に燃え移った炎が急速に大きくなっている。炎に押されて水兵が移動し、竜也達との間合いはどんどんと狭まっていた。一部の水兵は海へと飛び込んでいる。だがほとんどの兵はその場に留まり竜也達を包囲し続けていた。崩れない包囲にサフィールがわずかに苛立ちを見せている。


「特使アナヴァーがよほど部下から心服を得ているのか、それとも部下もまた家族を人質に取られているのか」


「おそらく両方なのだろう」


 とバルゼルがサフィールの疑問に答えた。炎の熱を受け、バルゼルの額を汗が流れている。その背後ではミカが竜也の胸に顔を埋めていた。


「……タツヤ、わたしが彼等を引きつけますからその間にタツヤは海へ」


「どうするつもりなんだ?」


 ミカはうつむいたまま続けた。


「わたしが彼等の前に出て説得します。説得できはしないでしょうが、時間くらいは稼げます」


「却下。逃げるなら一緒だ」


「ですが!」


 ミカは涙に溢れた瞳を竜也へと向ける。


「この窮地はわたしに責任があります、わたしにその償いをさせてほしい」


 だが竜也は「だめだ」と首を横に振った。


「生命を投げ捨てたってそれで責任を取ったことにはならない。責任を取るなら生き延びて、できることを考えろ」


 竜也はそう言って笑いかけるが、ミカは再びうつむき、力なく呟いた。


「……ですが、この状態では」


「いや、諦めるのは早いようだぞ」


 と言うのはバルゼルだ。その意味をミカが問い質そうとしたとき、船体に強い衝撃が加わり大きく揺さぶられる。水兵のほとんどがひっくり返り、竜也やバルゼルは手すりに掴まってかろうじて転倒を免れた。ミカは竜也に、サフィールはバルゼルに捕まって何とか姿勢を保っている。


「今のうちだ、行くぞ!」


 バルゼルの合図に従い、竜也やサフィールが次々と海へと飛び込んでいく。ミカもまた竜也に抱きかかえられたまま海に飛び込むこととなった。いきなり水の中に放り込まれてパニックを起こすミカだがそれも長い時間ではない。


(焦るな、ここでわたしが溺れればタツヤまで溺れさせてしまう!)


 ミカは呼吸を止め、身体を丸めて水に沈むに任せた。そのミカの身体を何者かが抱きかかえる。そのまま海面へと浮上していく。海面の上に顔を出したミカは海水を吐き出し、大きく息をついた。


「大丈夫か、ミカ? 泳げるか?」


「は、はい。何とか」


 ミカは泳いだ経験が少なくあまり得意ではないが、泳げないわけではない。ミカは竜也の後に続いて海を泳いでいく。その先にはヌビア海軍の軍船が三隻あり、うち一隻はエジオン=ゲベルの軍船に衝角から突っ込んでいた。

 竜也とミカはヌビアの軍船の一つにたどり着き、海から引き上げられた。サフィールやバルゼル、近衛の剣士も一人も欠けることなくその軍船に助けられている。


「皇帝、よくご無事で」


 と安堵の大息をついているのは髑髏船団のハーディだ。竜也は「ああ、助かった」と礼を言っている。


「彼等は大事な生き証人だ。一人でも多く生きたまま確保してくれ」


 竜也の指示にハーディは力強く頷く。一方のミカは複雑そうな面持ちだった。

 ……その後、ハーディはエジオン=ゲベルの水兵や船員、二〇人余を生きた捕虜として確保。その中にはアナヴァーも含まれている。この日のエジオン=ゲベルによる竜也暗殺事件は無事に未遂のまま終わった。だがミカにとって、事件はまだ始まったばかりだったのだ。








 竜也暗殺未遂のニュースは風よりも早く総司令部とヌビア軍に広まった。竜也がサフィナ=クロイの港に帰着するのとほぼ同時にアミール・ダールが港まで駆けつけている。


「今回の事件の責任は全て私にあります。全ての責任は私が負います故、ミカにはどうか皇帝のご寛恕を」


 アミール・ダールは地面にこすりつけんばかりに頭を下げた。その父の姿にミカは狼狽えるばかりである。


「まあ、お前も皇帝も無事で何よりだ」


 とアミール・ダールと一緒に来ていたノガがミカを慰めているが、ミカの気は晴れなかった。


「将軍やミカに責任がある話じゃないだろう。俺はどこかの誰かが犯した罪をその弟やその姪に償わせたりはしない」


 竜也はまずはアミール・ダールの頭を上げさせた。次いで、やはり港までやってきているベラ=ラフマへと顔を向ける。


「ギーラがこの暗殺事件に関わっているとの証言をアナヴァーから得ている。ただちにギーラとその支持者の捕縛を」


「おう、判った」


 とベラ=ラフマに代わってノガが答えた。ノガは愛用の槍の柄で地面を突き、


「第七軍団からも兵を出す。今度こそあのバール人に引導を渡してやる!」


 と吠えている。竜也とベラ=ラフマは困ったような顔を見合わせた。


「……第七軍団の協力は助かりますが、ギーラを含めて誰一人殺さずに捕縛するのが条件です。それができないのなら協力は不要です」


「おう、判った。半殺しなら構わんのだな?」


 と張り切るノガに対し、ベラ=ラフマは早くも疲れたような様子である。


「証言が得られるのなら」


 と妥協を示し、ノガを連れて臨時総司令部へと戻っていく。竜也とアミール・ダールがそれを見送った。ミカもまたその兄の背中を見つめていたが、その瞳は何も映していないかのようだった。

 その日の夜遅く、竜也はベラ=ラフマからその後の顛末について報告を受けていた。


「第七軍団の協力もあり、ギーラの支持者については全員無事に逮捕することができました。何人かが負傷していますが死者はいません」


「それでギーラは?」


「自分の支持者を囮にして単身で逃亡しました。現在追跡中です」


 そうか、と竜也は頷き、


「それは予定通りにいったか」


 と安堵のため息を漏らした。見ればベラ=ラフマもまた同じような表情をしている。


「ギーラはプタハヘテプの元に逃げ込むでしょう。ケムト征服の大義名分とするには充分です」


「ああ、まずは聖槌軍との戦いにけりを着ける。その後は東だ」


 竜也は執務室の壁に貼られた地中海を囲む三大陸の地図に目を向ける。竜也の視線はケムトの大地に固定されていた。

 翌日、竜也を訪ねてノガが臨時総司令部へとやってくる。


「すまん、肝心のギーラは捕まえられなかった」


「いや、それは気にしなくていい」


 挨拶代わりにノガが頭を下げ、竜也がそれを上げさせる。ノガは早々に本題に入った。


「俺はエジオン=ゲベルに帰ることにした。軍団長は今日で辞めさせてもらう」


 竜也は驚きに小さく息を呑む。


「それは、ギーラを追うためか?」


 ノガは意表を突かれたように目を見開いた。


「――ああ、道中見かけたならついでに始末しておいてやる。だが、あんな小物はどうでもいい。俺の獲物は伯父貴だ」


「エジオン=ゲベル王を?」


 竜也の確認にノガは「ああ」と力強く頷いた。


「伯父貴は決して無能でも暗愚でもないはずなのだが、どこかで道を誤ってしまったようだ。まさか他国の国主の暗殺という暴挙に及ぶとは……しかも、臣下の家族を人質にして濡れ仕事を強要するとは! それが栄えあるエジオン=ゲベル王のやることか!」


 ノガが腹の底からの罵声を上げ、竜也は耳を塞ぎたくなった。


「このまま伯父貴を玉座に座らせていてはエジオン=ゲベルの名誉は地に落ちてしまう。そうなる前に玉座から排除する」


「それは、ムンタキムに代わってあなたがエジオン=ゲベル王になるという意味か?」


 竜也の確認にノガはしっかりと頷いた。


「退屈そうで堅苦しそうであまり気は進まんのだが、他に適任の者がいないのなら仕方がない。俺が王様になってやる」


 と偉そうに分厚い胸板を張るノガを竜也はしばしの間無言で見つめる。


「聖槌軍との戦いはどんなに長くてもあと二月もあれば終わるだろう。それが終わるまではあなたに第七軍団を見てほしい」


「いや、急がねばならんのだ。一日でも早くエジオン=ゲベルに戻れればアナヴァーやその部下の家族を助けることができるかもしれん。ああ、エジオン=ゲベルにはアナヴァーとその部下を連れていくが構わんな?」


「いやちょっと待て」


 ヌビアから見ればアナヴァーは皇帝暗殺未遂犯であり、何の処罰もなく釈放しては法の意義を疑われてしまう。もし釈放するなら「対エジオン=ゲベル戦に協力するのと引き替えにする」等の、それなりの理由が必要だった。


「エジオン=ゲベルに対する軍事行動も考えているが、実行するとしても聖槌軍との戦争が終わってからだ。それまで待て」


 その後もしばらく押し問答がくり返されたが元々ノガは理屈よりも直感で行動する質であり、決して弁が立つ方ではない。口で竜也にかなうはずもなく、ノガでは竜也の意志を変えることができなかった。ノガは不満を呑み込んで臨時総司令部を後にする。ノガがアナヴァーの部下を引き連れてサフィナ=クロイを出奔したのはその日の午後のことである。


「……それで、一体何があったんだ?」


 その日の夜、臨時総司令部では竜也、アミール・ダール、ベラ=ラフマといったヌビア軍首脳が頭痛を堪えたような顔を揃えていた。


「アナヴァーとその部下は海軍の牢獄に囚われていましたが、軍団長ノガがそこに直接赴いて『皇帝の命令により囚人を移送する』として牢屋から引き出したのです。その後ノガは囚人二〇人を連れて船で東へと逃亡。アナヴァーは自ら総司令部に出頭しました」


「出頭?」


 アミール・ダールの確認にベラ=ラフマが「はい」と頷く。


「皇帝暗殺の責任も処罰も全て自分が負う、部下の助命を願いたい、と」


「そうするしかないだろうな」


 と竜也は苦り切った顔で独り言のように言った。


「軍団長ノガは皇帝の特命を受け、ムンタキム排除工作のためにエジオン=ゲベルに向かった。アナヴァーの部下はその工作に協力することを条件に釈放した――一応つじつまは合うだろう」


 申し訳ありません、とアミール・ダールは身を縮める一方だった。もしアナヴァーが自ら出頭せずノガに同行したなら「アミール・ダールは皇帝暗殺未遂犯を同国人だからという理由で牢屋から逃した」と見なされ、窮地に陥ることは必定だったろう。竜也としてもノガやアナヴァーを決して見逃せず、捕縛して厳罰に処す他なくなっていたはずだ。


「まあそれはそれとして、ノガの元にあなたの部下を送ってくれ。資金や情報の面で色々と協力することもあるだろうから」


 竜也の指示にベラ=ラフマは「判りました」と首肯する。竜也としてはエジオン=ゲベルになど関心は持っていなかったのだが、向こうから余計なちょっかいを出してきた以上話は別である。竜也にとってもムンタキムは排除すべき敵となっていた。


「あとはアナヴァーを刑に処して、これでこの件は終わったことにしよう」


 だが竜也の言葉にアミール・ダールは「いえ」と首を振った。


「あと一つ問題が残っております。ミカのことです」


 何がだ?と首を傾げる竜也にアミール・ダールが説明する。


「事の発端はミカが自分の立場を利用して皇帝とアナヴァーとの会談を設定したことです。ミカを皇帝の側仕えのままにしていては示しがつきません」


「それじゃどうすると?」


「ミカを皇帝の元から辞させ、部下の誰かにでも嫁がせます」


 やむを得ないとは言えノガの行動を許容したことは「皇帝はアミール・ダール一門に甘い」「皇帝はアミール・ダールに近すぎる」という批判を生むだろう。ミカがこのまま皇妃になってしまってはその批判をより強めることとなる。だがミカを皇妃候補から外せば、それを明確に示せば、その批判もかなり和らげられるはずだ。それに「皇帝クロイがエジオン=ゲベルの王位を狙っている」という誤解に対する反論にもなる――この期に及んではほとんど意味はないものの。


「……」


 竜也は沈黙したままで「否」も「応」も口にしていない。だがその沈黙を承諾と受け止めたアミール・ダールは「ではこれで」と竜也の前から立ち去った。ベラ=ラフマもまた去っていき、一人残された竜也は長い時間思いに沈んでいた。

 そして翌日、竜也の公邸となっている船ではミカが荷物をまとめている。竜也は何か言いたそうにして結局何も言葉にできず、ただ物陰からその様子をうかがうだけだ。やがて、荷物をまとめ終わったミカが竜也の前へとやってきた。誰かが気を利かせたようで今その部屋には竜也とミカの二人しかいない。

 ミカは竜也に対して深々と頭を下げた。


「ご迷惑をおかけしました。今までありがとうございます」


 それだけを言い、ミカはその場を立ち去ろうとする。竜也の横を通り過ぎようとするミカだが、


「な――」


 竜也がその前に立ちふさがり、ミカは竜也の胸の中に飛び込む形となった。ミカは慌てて竜也から離れようとするが、その肩を竜也が掴む。竜也は大して力を入れていない。ミカでも簡単に振り払えるくらいのものだ。だが竜也のその手はどんな太い鉄鎖よりも強くミカを縛り付けていた。


「は、離してください。わたしはここから離れないと」


「嫌だ。ミカは俺の皇妃になるんじゃなかったのか?」


 耳元で竜也がささやくように言う。ミカにとってそれは悪魔のささやきであり、誘惑だった。その甘美さに、何もかもを投げ出して全てを委ねたくなってしまう。ミカはぎりぎりでその誘惑に耐えていた。


「今わたしが皇妃になることはタツヤにとっても父上にとっても政治的な不利益です。それでは意味がありません」


「誰が親だとか誰の娘だとか、皇帝だとか皇妃だとか、有益だとか不利益だとかはこの際どうでもいい。ミカが俺と一緒になりたいと思っているのか、それを訊いているんだ」


 竜也にとってミカは既に身内のカテゴリー内だ。だから「これ以上皇妃を増やすつもりはない」と何度言おうと、内心には「いずれ皇妃にしなきゃ仕方ないかな」という思いがあったし、「いずれは皇妃になるんだろう」と無意識に思っていた。竜也にとってミカは婚約者みたいなものであり、それが他の男に嫁ぐとなったなら面白いはずがない。

 とは言え、多少の独占欲はあっても竜也は基本的には欲望が薄く、嫌がる女の子を無理矢理自分のものにするなど逆立ちしてもできはしない。「親の命令で顔も知らない男の元に嫁ぐのがミカにとって本当に幸せなのか」という大義名分が竜也の行動を後押ししているのであって、もしミカがほんのわずかでも冷めた態度を見せたなら竜也は適当なところで話を切り上げただろう。そして「皇妃になりたいか」等とは二度と問わなかったに違いない。


 だが、ミカの態度はその真逆をいっていた。竜也に真摯な瞳を向けられ、ミカは眩しいものを見たかのように顔を逸らす。赤面したミカが聞き取りにくい小声で、


「……では逆に問いますが、タツヤはわたしを妻として迎えたいと思うのですか? アミール・ダールの娘でないわたし、政略結婚の相手として意味のないわたしに、妻に迎えるだけの価値があるのでしょうか?」


「俺は誰かを妻にするのは家族となるためだ。余計な肩書きなんか家族になるには邪魔なだけだろ」


 竜也は屈託なく微笑む。ミカは恥ずかしげに身体を縮めた。


「アミール・ダールの娘でないわたしなど……わたしにはファイルーズ様ほどの包容力も人望もありませんし、カフラさんほど女性としての魅力もありません。武術の腕では恩寵を使われなくてもサフィールさんやディアさんの足元にも及びませんし、ラズワルドさんみたいに誰にも負けない特技があるわけでもありません。強いて言うなら事務処理仕事は得意ですが、わたし程度に仕事のできる者なら総司令部にはいくらでもいます。そんなわたしがタツヤの妻になど……」


 ミカの全身が百万言よりも雄弁に「好き好きラブラブ超愛してるー!」と物語っている。竜也はそれにあてられ、のぼせ上がった。


「皇妃が三人から四人や五人や六人になっても大して変わらない、何も問題はないではないか」


 ディアの顔をした悪魔が竜也の耳元でそうささやいた。


「俺はミカって子の悪いところもいいところもいっぱい知っている。生真面目で融通が利かなくて頑固で、結構泣き虫で恥ずかしがり屋で……誰よりも一生懸命で。俺が家族にしたいと思うのはそんな女の子だ」


「わたしもタツヤという方のことを誰よりもよく見ていました。不真面目で融通無碍でそのくせ頑固で、こうと決めたなら梃子でも動かない。どんな困難にも怯まず、誰もが不可能だと思ったことを実現していく……わたしが好きになったのは、そんな世界にただ一人だけの男性です」


 ミカが再び竜也の胸へと身を寄せ、竜也は無意識にミカを優しく抱きしめた。


「第三でなくても、末席でも構いません。どうかわたしも皇妃に。他の方がタツヤに見てもらい、触れてもらえるのに、わたしだけそうしてもらえないのはあんまりです」


 竜也の自制心はあえなく陥落し、落城した。ミカが「皇帝」ではなく「男」としての竜也を本気で求めるなら、竜也が堕ちないわけがない。


 竜也がミカの思いに応えようとし――唐突に石像のように硬直した。


「……タツヤ?」


 不審に思ったミカが竜也の視線の先を目で追い、ミカもまた塩の柱と化す。


「ああ、見つかっちゃいましたね」


「そんなに身を乗り出すからだ」


 物陰からファイルーズ・ラズワルド・カフラ・サフィール・ディアが首を伸ばし、いろんな意味で熱い視線を二人へと送っていたからだ。


「あらあら、仲がよろしくて結構なことデスわぁ」


 おほほほ、と笑いながらも笑ってない目を向けているファイルーズ。


「……ミカはずるい。わたしもタツヤに告白される」


 と子供じみた対抗心を燃やすラズワルド。


「……それでも、ミカ殿はわたしよりもまだマシだと思います」


 と自分の時のことを思い出して頬を赤らめるサフィール。


「ミカさん素敵です! こんな恋物語をこの目にできるなんて! この場面は劇にして歴史に残しますね!」


 と巨大なお世話なことを決意しているカフラ。


「うーむ。やはりこういう恥ずかしい台詞を堂々と口にして皇帝を堕とすものなのか」


 と唸りつつもしきりに感心するディア。

 ファイルーズ達五人は竜也とミカを、祝福半分・嫉妬半分で散々玩具にする。二人は反撃することも叶わず、一方的にされるがままとなっていた。

 ……このような経緯を経て、ミカもまた皇妃として内定する。あるいは様々な雑音に悩まされるのかもしれないが、それは竜也にとっては大きな問題ではなかった。


「さて、次はわたしだな!」


 と張り切るディア。果たしていつまでディアの攻勢に耐えられるのか、それは竜也にもあまり自信が持てなかった。




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