23.遊歩道
ポーン
エレベーターの到着の音が響く
大浴場は離れにあり、杏実が泊まる本館とは短い通路でつながっている
その通路の横は、小さな庭と雑木林。等間隔に、おしゃれな間接照明がポツポツと置かれている
庭に置かれているベンチでは、カップルや若者が楽しそうに談笑している姿があった
気まずいよぉ…
部屋を出てから、杏実たちは終始無言だった
杏実より少し先を歩く颯人が、今どんな表情をしているのか……うつむく杏実にはわからない
―――あのキスは杏実のファーストキスだった。……颯人はその事実に気が付いたのだろうか?
いや……もしかするとフミの言葉を嘘だと思っているかもしれない
言い訳しなくては……と思うが、結局は事実を告げなくてはいけないと思うと、なんといっていいかわからなかった
「じゃ……後でな。」
大浴場の入口に着くと、颯人はそういって男湯ののれんの中に消えていった
お風呂に入りながらも、先ほどのやり取りが頭から離れない
「なんで……こんなことになっちゃうのよ…」
杏実のつぶやきは、湧き上がるお湯に静かに消えていった
「あ……朝倉さん! 待ってたんですか?!」
お風呂から上がると、颯人が入口の前のベンチに座っているのが見えた
先ほどの落ち込みもあり、杏実はかなり長風呂をしていたのだ
カードキーは颯人が持っていたが、部屋には祖母たちもいるので、先に帰っているものだと思っていた
何度も温泉に入ったり出たり……上がってからは髪を乾かしたり、とのんびりしていたので、颯人が普通に入っていたとすればかなり待っていたはずである
「まあな…」
「すみません……てっきり先に帰ってるかと…」
杏実に気が付いた颯人は特に怒った様子もなく、隣に座れと促す
杏実が急いで座ると「ん」と言って瓶を差し出した
「ああ! コーヒー牛乳!」
「飲むか?」
「はい! ……私大好きなんです!」
「そりゃよかった。……まあちょっとぬるいかもしれんけどな」
そういうと杏実の手の中に瓶を渡してくれる
杏実は先ほどの気まずさも忘れて、ひと時この飲み物に至福の時を味わった
おいしい……おいしい…
そのおいしさに自然に笑みがこぼれる
しかし……確かにぬるい。買ってから相当経っているのだろう
やはり颯人はかなり待っていたのだ
とっさに申し訳なくなって颯人を見ると………颯人は優しそうな顔をして杏実を見ていた
颯人と再会してから初めてみる、穏やかな表情だった
その表情にびっくりして目を丸くする
しかし颯人は、杏実と視線が合うと表情を硬くし、さっと視線を逸らしてしまった
そこでようやく先ほどのやり取りを思い出す
私ったら……無神経にも忘れてた…
次に会ったら……と言い訳をいろいろ考えてみた
しかし、いざとなると何も出てこない
気まずい思いのまま残りのコーヒーを飲み干すと、颯人は杏実の手から瓶を抜き取り、売店に捨てに行ってくれる。そして杏実を振り向き「行くか…」と言って、石段の通路を歩き出した
あれ?
すこし行きの景色と違う気がする
エレベーターまでこんなに距離があっただろうか
颯人の後ろをついていきながら、杏実は疑問に思う
間違えた?
そう思って口を開く
「朝倉さん……道が…」
「ああ……さっき売店の店員から、この旅館の自慢は遊歩道だって聞いてな。ちょっと食後の運動がてら通ってみようかと寄ったんだ。……悪い。言うの忘れてた」
「そうだったんですか…」
なるほど
確かに行きの通路より道は狭いが、竹林や小さな池なんかもあってきれいな景色だ
照明は先ほどよりは暗いが独特のムードある。自慢というだけあって通る価値はあると思う
「あっ…」
廻りの景色に気を取られていた杏実は、石畳の隙間に足を取られてバランスを崩す
手を突こうととっさに手を伸ばすと、颯人が前方から体を支えてくれた
「大丈夫か?」
「すみません…」
杏実が申し訳なさそうにそういうと、颯人は一瞬考えるように眉をひそめてから杏実の手を取り、再び歩き出した
え……手…手!
「ああ……あの…手!?」
「またこけたら危ないしな」
そういって何事もなかったように歩き出す
杏実は男の人と手をつなぐのも初めてだった
颯人の大きな手のひらがすっぽり杏実の手を包み、温かい体温が直接伝わってくる
―――その感覚に驚いた
緊張で、手がカチカチに固まる
心臓が驚くほどバクバクと早鐘を打っていた
遊歩道は二人っきりで……杏実の心臓の音が颯人に聞こえるんではないかと思うほど静かだった
恥ずかしくてうつむきながら颯人に歩調を合わせて歩く
「くっ…」
突然立ち止まり、颯人が笑いをかみ殺したような声を出した
顔を上げるとかすかに肩を震わせて笑っている
なにか面白いものでもあるのだろうか?
颯人の前方を見てみるが、特に変わらない遊歩道があるのみだ
「?……朝倉さんどうしたんですか?」
「手…」
「て?」
「……どんだけ緊張してんだよ。もしかして手繋ぐのも初めて……とか言わないだろうな?」
そういって、意地悪そうな顔を杏実に向けた
その言葉にびっくりして、あまりの恥ずかしさに手を引っ込めようとした
しかし反対にギュッと強く握られてしまう
その力強さに杏実の心臓はドキッと跳ね上がった。まるで心臓をそのまま掴まれてしまったかのように…その強さから逃げられない
なすすべもなくうつむく
しかし髪の付け根まで真っ赤にして硬直してしまった杏実の様子は、必然と颯人のその問いを肯定していた
颯人は空いている手を額に当てて長い溜息をついた
そのため息にびくっと身体が震える
きっと杏実という人物にあきれている……はたまた面倒に巻き込まれて迷惑しているのかもしれない
またあの時のように拒絶の言葉を浴びたら……そう考えると怖かった
ギュッと強く目を閉じたとき、以外にも穏やかな颯人の声が頭上から聞こえてきた
「ごめんな」
その言葉に驚いて―――――杏実は顔を上げた