62.ミルクティーの糖度?
「……え?」
――――――ミルクティー?
杏実が突然のその言葉に驚いて颯人の方を見ると、颯人は杏実の顔をじっと見て「……ダメか?」と、ためらいがちにつぶやいた
ダメ?
いや。そんなわけはない。颯人にミルクティーを入れることに何の支障もない。むしろ……ずっとそうできたらいいのにと願っていた
しかし……なぜ?
「どうして……」
「急に飲みたくなった。平田が杏実のお茶はうまいって言ってたし……嫌か?」
「いえ……そんな。もちろん良いです。……でもおまんじゅうですし、お茶の方が……」
「ミルクティーがいい。好きなんだ」
「……そうですか。わかりました」
杏実はそう言うとキッチンの方へ足を向ける。ドキドキと心臓が早鐘を打っていた。「ミルクティーがいい。好きなんだ」と言った時の、颯人の視線がなぜか脳裏に焼き付いていた
キッチンに着くとやかんでお湯を沸かしながら、牛乳を鍋に掛ける
ふとリビングの方に視線を向けると、颯人は何事もなかったかのようにテレビを見ていた。スクラリにいたころ、こうして厨房からこっそりと颯人の姿を見つめていたものだ
やがてお湯が沸き、紅茶の葉を入れていると、ふと甘さを加えるか聞くことを忘れたことに気が付いた
棚からいつもの蜂蜜を取り出し、その瓶を見つめながら少し悩む
……今日はおまんじゅうがあるわけで……でも疲れているみたいだし……う~ん……
そう思い、やはり甘さは加えないことにした
ついでに自分の分も入れることにする。隣で一杯飲むぐらい文句も言われないだろう。それに……少し反応も気になる。
―――――今でも杏実のミルクティーを好きでいてくれるんだろうか……
自分用はいつものように甘めに作り、トレーに乗せて颯人のもとに向かう
颯人は杏実が近くに来ると、杏実に視線を向けた
「お待たせしました」
ソファの前のテーブルの上には、おまんじゅうの箱の蓋が開けてあり、中にきれいに並んで小さなおまんじゅうが4つ鎮座していた。準備して待ってくれていたらしい
杏実はそのテーブルにカップを2つ並べてから、颯人に「私も一緒に飲んでいいですか?」と尋ねると、颯人は「いいよ」と言って、ソファーの席を少しあけてくれた
杏実は颯人の隣に座り、自分用のカップを手に取る
颯人も何も言わず、杏実が用意したミルクティーに手を伸ばし取っ手をとると、ゆっくりと口元にそれを持って行った
ごくっ
思わず杏実の喉が鳴る。直視できないにせよ、杏実の緊張感は頂点に達していた
颯人はカップの熱い紅茶に二度息を吹きかけると、その液体を一気に飲み干す
しばらくすると颯人はカップから口を離した
「美味しい……」
その言葉を聞いてホッとする。たちまち先ほどの緊張感が和らいだ。
やっと……飲んでもらえた
しかもあの時と変わらない感想をくれた。杏実は自然に笑みがこぼれた
しかし次の瞬間……思いもよらぬことが起こった
颯人はもう一度カップに口をつけると、ピタッとその動きを止める。そしてなにか思い出したかのように――――――――――突然笑い出したのだ
颯人はカップを机に置くと、おかしそうに肩を震わせお腹を抱えて笑っている
な……何?
突然の颯人の笑い声にびっくりしていると、颯人はチラッと杏実の方に視線を向けた。そして呆れたように「そうだよなぁ……杏実だもんなぁ……」とつぶやき、また再び笑いだした
な……な……なんなのぉ…
杏実には全く理由が分からない。颯人はただ……ミルクティーを飲んだだけだ
“杏実だもんなぁ……”そう颯人は言った。私の行動が……なにかおかしかったんだろうか? その笑いも、言葉の意味も分からなかった
やがて颯人は気が済んだのか、「あ~面白かった」と言うと、呆然とする杏実をよそに、再びカップを手に取り飲み始める
「何が可笑しかったんですか?」
杏実がそう聞くと颯人は杏実の方を向いて、楽しそうにニコッと笑顔を見せた
その優しい笑顔にドキッとする。急にそんな優しい顔をされると心臓に悪い。颯人は杏実が戸惑った様子を見て、再び笑った
「美味しいよ。なんだか……懐かしい味がする」
「懐かしい……ですか?」
どういう意味だろう? しかも質問の意図とは外れている気がする
まさか……
杏実がその曖昧な言葉の意味を考えようとした時、颯人は杏実の質問には答えず、再びカップに口をつけると眉をひそめてつぶやく
「ただ……甘くないな。これ」
「あ……今日はおまんじゅうがあるので、甘くしなかったんです。萌ちゃんから甘党じゃないって聞いて……」
「ふ~ん……」
颯人は杏実の言葉に、そうつぶやくと、サッと杏実の持っていたカップを横から奪った
「あっ……」
杏実が声を上げると同時に、杏実のミルクティーは颯人の喉に流し込まれていった
「うん。こっちの方がしっくりくる。杏実、俺のはお前にやるよ」
そう言って杏実のカップの方を飲み始めた
ええ~……!!
紅茶は甘党だったのか……。なるほどと思う反面、自分用が取られたことにがっかりする。杏実が渋々颯人用に入れたカップを取り飲もうとすると、颯人は目の前に置かれたおまんじゅうを1つ取って、杏実の方へ差し出した
「苦いんなら、これを食えばいい」
「え……でもこれは……」
「俺はこれがあるから良いよ。杏実が食えよ」
そう言って杏実の手の中に、おまんじゅうを落とす
これがあれば十分らしい
そんなにミルクティーが好きだったなんて、少し驚く。とはいえ、せっかくもらったので杏実はそのおまんじゅうを食べることにした。しかし一口食べて顔をしかめる
「甘いぃ~……」
甘さが控えめだと聞いていたのに、とんでもない甘さだ。あんこが濃縮された砂糖菓子のように甘い。杏実は口直しに一口苦い紅茶を飲むと、そのまま一気におまんじゅうを口に入れた
その様子を見ていた颯人が、不思議そうに尋ねてくる
「そんなに甘かったのか?」
「はい。店員さんは甘くないって言ってたのに……砂糖の分量、間違えたんでしょうか」
「ふ~ん……」
箱の中には3つ、おまんじゅうが並べられていた。せっかくお礼にと買ってきたつもりなのに……これでは勧められない
「せっかく、買ってきたんですけど…………朝倉さんは食べない方が良いと思います。……すみません」
杏実がすまなさそうにそう言うと、颯人は箱の方を見て杏実に言う
「んじゃ……残り、どうすんだよ?」
「うぅ……私が……いただきます!」
杏実はそう言うと意を決して、おまんじゅうを手に取り口に入れる
あ……甘ぁぃぃ…………
殺人的な甘さだった
あの店のおまんじゅうのすべてに、このあんこが使われている場合、店の存続問題まで発展しかねないと思う
もう二度とここでは買わないと、杏実は誓う
涙目になりながらも、おまんじゅうと奮闘している杏実の様子を見て、颯人は我慢できないというように肩を震わせ笑い始めた
「う……旨いかよ?」
「……はい」
所詮自分の判断ミスが招いたことだ。笑うでもなんでもしてくれと言う心境だった
杏実が憮然として返事を返すと、颯人は「んじゃ、ちょっくら……もらおうかな」と言って杏実の顔を自分の方に向かせる
え?
そう思うよりも早く、颯人の唇が杏実の唇に重ねられた
「んん……」
強く押し付けられ、杏実の下唇を味わうかのように舌と唇で巧みにキスされる
唇がしびれてしまうかのようにびりびりと感覚が鋭くなり、熱い吐息が杏実の口から洩れた
「……ぁ…」
唇から蕩けてしまいそうな感覚
どのくらいそうしていたのだろう。颯人が唇を離した時、杏実はすでに体の力が抜けていて、いつの間にか添えられていた手に全体重を預けていた
颯人は杏実のキスで呆けて真っ赤になった顔をじっと見つめる
「うん。確かに……甘かった」
そう言って意地悪そうに笑う
「……っ!」
杏実は何も言えずパクパクと口を動かす。突然の颯人の行動に怒っていいのか、恥ずかしいのか頭の中はごちゃごちゃと混乱していた
颯人はそんな杏実の様子に「はは……」と一瞬笑った後、ふと優しい表情を杏実に向けた
「お前のミルクティー好きだよ。ごちそうさま」
そう言って優しく笑う
――――――あの時のような蕩ける………蜂蜜のような笑顔だった