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不遇水魔法使いの禁忌術式 - 65話 告解
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65話 告解



ガサガサと葉が揺れる音がした。決して風に擦れる音ではない。激しく、息せき切って走る軽い足音を伴うものだった。


その音の主は、兵士が皇子を抱きかかえて去るのを見送ってから、辺りに人の目が無いのを確認して用心しいしいサーシャは飛び出した。


「……丸山!」


実に空虚な、頼りなく、薄っぺらい響きを伴う声だ。晩秋の夜風に吹き飛ばされて、どこかへと消え失せてしまいそうな声だった。

まるで喉元に石を埋め込まれたかのように重苦しい。彼女は静かに、そっと震える手先を律しながら彼の傍らに座り込んだ。


酷いありさまだった。膝裏から突き立てられた剣は、まるで昆虫標本のように丸山の大腿部を貫通して地面に深々と縫い付けられている。壊れかけた笛のようにヒュウヒュウと喉元に空いた穴から空気が漏れ出る音をさせ、泥土地に塗れながら、丸山は鳶色の瞳を濁らせ、どこかを呆然と見やっていた。

しかし、彼の双眸がなんとか焦点を結び、見慣れた水色のクセッ毛を見ると、小さく微笑んだ。


「…悪い、ミスった…」


絞り出したようなガラガラ声に、サーシャは答えなかった。ただ、背中を2、3回だけ撫でた。厚めの服越しからも感じ取れる、逞しい肉の乗った背中だった。

そして、恐る恐る声を掛けた。


「その、い...痛いかも、しれない、けど…」


キュッと彼女は自らの服の胸辺りを握り締め、深い無数の皺が刻み込まれた。


「信じて、くれる?」

「……好きに、しなよ」


その言葉に、丸山は諦めたように目を閉じた。



そろそろと、サーシャはなるべく傷つけないように、慎重に彼に突きたてられた剣を引き抜いた。ドロリと汚泥のように凝固し始めている半固形の血の塊がいくつか吹き出てきて、そのたびに丸山は小さく喉の奥で呻き声をあげた。


痛みを紛らわせるように、やや強めに丸山の背中を撫で付けながら、サーシャは完全に剣を引き抜いた。月光を反射してヌラヌラと怪しく赤黒い色を晒す刃は恐ろしく、嫌悪感を煽るものだった。


1秒たりとも長く握っているのも嫌でたまらなくなって、サーシャはそれを投げ捨てた。

そして、泥に汚れるのも厭わずに膝を折りたたみ、丸山の側に座り込む。

そして、その小さな白い両手に、青い燐光を纏わせ始めた。あの日、初めて出会った夜の砂漠と同じように。


彼女はそれを、そっと彼の頸あたりに翳した。

現れたのは水ではない。燐光がそのまま、粉雪のように彼の体に降り注ぐ。


じわりと広がる、まるでコーヒーにホットミルクを溶かして混ぜ込んだときのような、異物が渦巻きながらも全体に馴染んでいく感覚。丸山は、それに覚えがあった。


「おまえ、これ」

「......今、集中してる」


いつになく真剣な面持ちのサーシャの額には、玉のような汗が浮かび上がり、それに枝毛が張り付いている。彼女は琥珀のような目を丸に見開いて、真剣な眼差しを自らの手と彼の体に注いでいる。

丸山は泥と失血に霞む視界で、そんな彼女を見上げていた。



しばらくの時間が経って、サーシャはがっくりと肩を落として、項垂れ落ちた。もみあげから顎、喉元から鎖骨にかけて幾筋もの汗が滴り落ちて、浅く激しい呼吸を繰り返していた。


驚愕に目を見開きながら、丸山はゆっくりと起き上がろうとしたが、泥に足を取られ、転倒してしまった。その落ちてきた頭を、正座の姿勢を取っていたサーシャの太ももが受け止めた。

その細く肉付きの良くない大腿部に浮き上がった骨にしたたかに鼻をぶつけた丸山は低く呻き、少し顔を上げて鼻を摩りながらサーシャを見上げ、酷く嗄れた声で呟いた。


「……回復魔法、使えたのか?」

「えっと、アルテアさんとか、おばさんたちに教えてもらって…その、これが初めてだったんだけど...」


水要る?という問いかけに、丸山は小さく頷いた。サーシャの出した水球に、乳飲み子のごとく口を付けて一心不乱に飲み干し、火魔法で焼けて爛れた喉を潤した。

軽く咳き込み、彼は口元を湿らせた水気をしっかりと拭うと、サーシャの薄い腹に頭を押し付け、ほっそりとした腰を両腕で掻き抱いた。


「ちょ、ちょっと…!」


突然の奇行に、声を上ずらせ肩を強張らせたサーシャだったが、縋り付いてきた男の手が震えていることを察すると、小さくため息をついて彼の頭を抱き寄せた。

丸山は、くぐもった声で静かに話し始めた。


「……人に、暴力を振るった」


束の間の静寂が訪れた。不思議と風がやみ、月明りが雲の切れ間から差し込んで昼間かと錯覚するほどに明るく周囲を照らした。


「恩人に、迷惑もかけて…親にも、多分、心配させてる」


ほとんど泣いたような震えた声だった。サーシャはどこかにいる彼の両親も、この月を見ながら我が子を思っているのだろうか、などとボンヤリと想像を膨らませていた。

しかし、今浮かぶ月と彼の故郷の月は別のものだ。


「許してほしいわけじゃなくて、同情を集めたいわけでもないんだ……ただ、良くなろうと、頑張ったことは、認めてほしいんだ……」


サーシャは静かに、丸山の頭を撫でた。コシの強い黒い短髪が、チクチクとサーシャの手のひらを刺激したが、構わず優しく撫でつけた。しかし、いつまでもそうしてばかりはいられない。



これは告解なのだと、サーシャは直感的に理解していた。己の過ちと、それによって生じた負い目と心の傷とに正面から向かい合う儀式。彼女はそれの見届け人であり、治療者なのだ。


思えば、彼女は膝の上の彼の出自に関することをほとんど知らない。どこから来たのかも、誰から生まれたのかも、どうやって育ったのかも。

好きな食べ物や趣味、魔法の特性から散歩のコースまで知っているのに、それらを知らないというのは大変奇妙なことに思えた。


サーシャは頭を撫でる手を止めて、彼の耳の辺りに手を柔らかく添えた。氷のように冷めたくなってしまった耳だったが、確かに脈打っている。


貴方の罪は許される───


その言葉によって告解は締めくくられる。それは過去の暗い影を断ち切る断罪の剣であり、暗室より出た人間を未来へと振り向かせる方位磁針である。

しかし、今の彼にその言葉が必要だと、サーシャはどうしても思えなかった。むしろ、その言葉は彼にとって針となり、深く突き刺さって出血を強いるものになるのではないか、と彼女は考えた。

次の言葉に窮したサーシャは少しの間押し黙っていたが、やがて彼女は言葉を紡いだ。


「……大丈夫、だからね」


弾かれたような勢いで、丸山は顔を上げた。形式化された締めの言葉、いわばお決まりを崩されたのだから当然だ。

その意外そうな顔をしている彼に、サーシャは柔らかく微笑みを向けた。


「ボクと、一緒にいこっ?」


月影の中で、彼女は満面の笑みを浮かべた。



肩をすくめて笑った彼女に、丸山は力なく項垂れると、再び顔を埋めた。


「…敵わねぇや」

「ふふっ。な、なんか、弟できたみたい」

「うっせ」


先ほどまでとは打って変わって、両手でわしゃわしゃとやや乱雑に頭全体を撫でて愛でるサーシャ。丸山は緩やかな動作でその両手を払おうとするが、サーシャは上体を傾けて彼の頭部を腿と腹で挟み込んだ。


「ふ、へへへっ。お姉ちゃんだよ?」

「やめろ...っ!」


体を捻って丸山は彼女から抜け出し、服の汚れを手で払った。


「なんか、意地悪になったな...」

「お互い様じゃない?」

「口も上手くなった」


呆れたようにボヤきながら、丸山はおもむろに起き上がった。サーシャもそれに続こうとしたが、立ち上がることができずに彼女は跪いた状態で状態をよろめかせた。


「足......し、しびれちゃった」

「仕方ねぇなぁ...」


足首のあたりを抑えながら困ったように笑うサーシャに対して、丸山は頰を一つ掻くと、背中を向けて彼女の膝の裏へと手を回し、一気に持ち上げて彼女を背負った。


「ちょ、ちょっと...!」

「これが一番手っ取り早いだろ」


身じろいで弱弱しく抵抗するサーシャを、その大きな背中で軽々と持ち上げた丸山は、振り返ってサーシャと見つめ合った。彼女の毛先がまつ毛をくすぐり、鼻と鼻が突きあいそうになるほどの至近距離で、丸山は口を開いた。


「ついでに、もう一つだけ頼まれてほしい。……その、今から仲直りに行きたいんだが、一緒に行ってくれるか?」


その言葉に、サーシャは声で答えることは無かった。その代わり、彼の背中にしっかりと体重を預け、その背中に頬ずりした。少し泥に汚れていて埃っぽい匂いがしたが、それは確かに力強く脈打ち、しっかりと根を張った大樹の肌のように身を預けられる、寄りかかり甲斐のある双肩だった。


彼は改めて彼女を背負うと、ゆっくりと歩みを進めた。

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