episode.96 甘い、想い
その頃、リュビエはボスの間へと向かっていた。現在の状況について、ボスに説明するためである。
「失礼致します、ボス。報告に伺いました」
ボスから入室許可を得ているリュビエは、彼の部屋——通称ボスの間へ入ると、丁寧に述べる。
すると、黒いベールのかかったベッドの奥から、ボスが姿を現した。
のっしのっしと現れたボスは、襟を立てた白いシャツと黒のズボンだけという薄着だ。しかも、白シャツは彼の体よりずっと小さなサイズで、前面のボタンを留めることはできていない。それゆえ、胸から腹にかけ、見事に肌が露出していた。
「リュビエか。話すがいい」
「ありがとうございます」
慣れた様子でボスの前にひざまずくと、リュビエは口を開く。
「一つ目。ゼーレを殺害すべく送り込んだクロとシロがやられました。二者とも、復帰は不可能と思われます」
淡々とした口調で告げるリュビエ。
クロとシロがやられたことなど、彼女にとってはどうでもいいことのようだ。二人の敗北を伝える彼女の顔に、特別な色は微塵も浮かんでいない。
「二つ目。マレイ・チャーム・カトレア及びゼーレの捕獲作戦について、伝えて参りました」
リュビエが二つの報告を終えた瞬間、それまで黙っていたボスが突然述べる。
「そうか。ご苦労だったな」
ねぎらいの言葉をかけてもらうことができたリュビエは、ほんの少し頬を赤らめ、言葉を詰まらせた。そんな彼女へ、ボスはさらに言葉をかける。
「リュビエ。お主はあの男などと違い、優秀だな」
「い、いえ……」
ひざまずいた体勢のまま、恥ずかしそうに身を縮めるリュビエ。
今の彼女は、どこにでもいるような、いたって普通の恋する乙女だった。マレイらと接する時の彼女とはまるで別人のような、初々しい雰囲気をまとっている。
「我の悲願を叶えるべく、今後も存分に働くが良い」
「もちろんです。あたしはただ、ボスのためだけに。貴方へ、この生涯を捧げます」
リュビエは迷いなく忠誠を誓った。
それによって機嫌が良くなったボスは、片膝を床につけてひざまずく彼女の喉元へ手を伸ばす。そして、彼女の頭部を、くいっと上げる。
これにはリュビエも戸惑った顔をした。
「な、何でしょうか」
「そう、それでいいのだ。物分かりのいい女で助かる」
「もったいないお言葉です……」
ボスに素手で直接触れられたリュビエの頬は、リンゴ飴のように赤く染まり、火照っている。ゴーグルのようなものを装着しているため目元は見えないが、多分、今の彼女は恋する乙女の瞳をしていることだろう。
「頼りにしているぞ」
「ありがたきお言葉。感謝致します」
リュビエは礼を述べてから、少し間を空けて続ける。
「それで、作戦の決行はいつになさるおつもりなのですか?」
「うむ……」
「一週間以内、とのことでしたが、正確には何日後辺りを予定なさっていますか?」
彼女が再び尋ねると、ボスはやっと重い口を開いた。
「実はな」
ボスはリュビエの前に仁王立ちをしたまま、男性らしい声を出す。地鳴りのような、低く太い声である。
「今回は我も参加するつもりでいるのだ」
「なっ……!」
問いの答えとは多少ずれているが、そんなことはどうでもよくなるほどに、リュビエは驚いていた。
だが、当然といえば当然だ。
ボスが自ら動くなど、極めて稀なことなのだから。
「なぜですか? もしや、あたしが頼りないから——」
まさか、と、焦りの色を浮かべるリュビエ。
しかしそれは違ったようで、ボスは首を左右に動かしている。
「すべてをお主一人に押し付けるわけにはいかんからな。それに、正直なところを言うなれば、我も久々に暴れたくなってきたのだ」
ボスは楽しげな声で言いつつ手と手を合わせ、ポキポキと、指から威圧的な音を鳴らす。
リュビエは慣れているから何も思わないようだ。しかし、もしこの場にボスとリュビエ以外の者がいたとしたら、きっと恐怖感を抱いていたことだろう。ボスは、それほどにパンチのある音を、一切躊躇いなく鳴らしていた。
「暴れたく? では、あたしがお付き合い致しましょうか?」
「いや、お主は休め。この前あの小娘にやられたダメージが、まだ残っているだろう」
「あんなくらい、たいしたことは……!」
「いいや。今は無理をすべき時ではない。お主は休め」
拒まれたリュビエは、不満げに頬を膨らます。
もしこの光景をマレイが見たとしたら、きっと口が塞がらなくなるだろう。一体どうしたのか、と、リュビエの頭を心配するかもしれない。
それほどに、普段とは違った様子のリュビエである。
「いいな、リュビエ。大事な時に力を発揮できるようにしておけ」
「……分かりました」
一応首を縦に動かしたリュビエだったが、明らかに納得していなさそうだ。表情はもちろん、声色にまで、それが滲み出ている。
だがそれでも、リュビエはボスに逆らったりはしない。
彼女のボスへの忠誠心は本物。たとえ少しくらい納得がいかずとも、それによって崩れるような柔なものではなかった。
「それではボス、そろそろ失礼致します。また何かありましたら、いつでもお気軽に」
リュビエは一度、その場でボスにひざまずく。そして、数秒経ってから立ち上がる。
立ち上がった彼女の姿勢は、まるで美しい彫刻のようだった。
女性特有の、凹凸のあるライン。猫背でもなければ反り返りすぎてもいない、真っ直ぐ伸びた背筋。そして、すっと伸びる長い脚。
スタイル抜群な彼女の立ち姿は見事としか言い様がない。どんな文句言いでも、この立ち姿には何も言えないはずだ。
「ゆっくりお寛ぎになって下さい」
「気遣い感謝する」
短い言葉だけを交わし、リュビエはボスの間から退室した。
結局はぐらかされてしまい、作戦決行の正確な日は知れずじまい。けれども、彼女には不満など欠片もなかった。それどころか、満足感がじんわりと広がっている。
「……触れていただけるなんて」
リュビエは一人になってから、胸の前で片手をきゅっと握る。
全身を満たす、ケーキのように甘い感情を、再確認しながら。