古代狼
凍てつく心を溶かす焔。
呪いを焼き焦がす刃。
それが自分の持っている神の包丁、焔刃の役割なんだ。
(トラジ。そうやって少しずつ、世界を握り直していって欲しい。貴方ならできるわ)
女神さまの声がどこからか聞こえ、頭の中で形になったような気がした。
「ベルガ! やっと……やっと認めてくれたんだな」
ベルガの雄叫びを聞いて、もう誰も流れを止めることはできなかった。
村の皆の美味しいものを求める強い気持ちが痛いほど感じられて、今まで空腹感と戦ってきた孤独感や、飢餓への恐怖感が手に取るように分かる。
生魚が毒ではなく、食べられるものであるということ。
まだ希望を捨ててはいけないのだ。
この凍てついた世界にもあたたかな光が灯されるのだと。
「まさに、美味しい物を食べたら、心も体も満たされるってことさ」
その言葉に、フィリナも笑顔で頷く。
グリューンが口笛を吹く。
エレノールだけは黙って腕を組みながら、どこか寂し気にこちらを見やる。
周囲が落ち着くとベルガは改めて俺の前に立ち、手を差し伸べてきた。その手を取り固く握手を交わす。
「トラジ。貴様の心意気は見せてもらった。まったく。とんでもないことをやってのけたんだぞ!」
ベルガの心底呆れたというような表情。そこから感じられるものは以前のような恐怖に満ちたものではなく、どこか信頼感に足るものに変わっていた。
へへっと照れたように笑う。
ベルガの穏やかな表情なんて、ラベルク村に来てはじめて見るのかもしれない。
しかし、エレノールの瞳だけは別の事象を的確に捉えていた。
ベルガの手の震えが止まり、その体から炙られた煙が吐き出されるようにして渦を成していく様。
エレノールの細い眉が弓のようにしなり険しくなる。
癖の付いた金髪が小刻みに揺れた。
「トラジ! 強い魔力の波動がベルガの身体から抜け出ようとしているわ!」
神々しいばかりの緑の光を放つエレノールの瞳。
それは、彼女の異能が発動した証拠だ。
フィリナもその言葉に和らいでいた唇を一気に引き締める。
グリューンが上を見上げた。
「相棒、ありゃあ何だ。ベルガから紫色の魔力が立ち昇っているぞ!」
それは俺の目にもすぐにわかった。
小刻みに体を震わせるベルガから、沸き立つような紫の湯気のように見える魔力の渦。
感じる強烈な違和感。
『ビィィィィィィン!!』
焔刃が燃え盛るような金切り音を発する!
これは神の包丁が臨戦態勢にはいった証だ。
敵が、すぐ近くに居る。
「ククク。まさか本当に燻りだされるとは思っていなかったぞ……」
剥がされた魔力の渦が一か所に集まり、色濃くその形を為していく。
それは牙を剥いた、ベルガの畏れをそのまま具現化したもの。
禍々しい1匹の巨大な狼の怪物。
額から伸びるたてがみのような紫色のテカテカした触手がちょっと気色悪い。
「をいをい。マジか。あれって3メートルくらいないか」
顔にあるひとつ目がぎょろりと俺の手の中にある包丁をきつく睨む。
フィリナはすぐさま両手に魔力を集中させると臨戦態勢に入る。先ほどの敗れた袖口がちょっと痛々しい。
グリューンが血相変えて肩に乗ってきた。
途端エレノールの呪文の詠唱の声が村中に響き渡る。
「あんなものがワシの体の中から! 信じられん……」
自分の隣で、口をまだもぐもぐとさせながら緊張した声を出しているベルガ。
「トラジの焔で炙り出されたんだよ。すっきりしただろベルガさんよ!」
グリューンがなんで得意げな声を張り上げているんだ。お前は特に何もやってないだろ。いや、ご飯の蓋を開けてくれたから何もやっていないわけではないな。
俺は盛大にツッコミを入れつつも、視線は紫狼から外さない。
『魔法の矢!!』
エレノールの詠唱が完成する。輝く魔力を纏う光の矢が12本。彼女のか細い体の周囲で旋回するように出現する。
そのまま短杖を大きく、まるで演奏を導くかのように振りかざした!
雪をまき散らすような音を上げながら、上空に具現化した大紫狼に向かって、真っ直ぐに突き刺さっていく。
しかし。それは空しく虚空に散りゆく定めにあった。
紫狼は黒板を摺り切るような咆哮を上げる。
俺とグリューンが胃を揺さぶられるような音に耳を塞ぐのと同時であった!
触手が大きく振られる。
大きな爆発音。
奴の身体に届かんとしていた魔法の矢は、1本残らず触手に叩き落される。
「なんでよ! 魔法の矢を全部防ぎきるなんて、ありえないってば!」
エレノールの信じられないという表情。
グリューンの目配せ。
『情報処理』
【古代狼――ウェアウルフの最上位種。
レベル45。魔王レイカの眷属。
毒の模倣により凶悪化しています。爪や牙にも毒がありますので注意。
毒の息も吐きだします。何とか避けてね。
古代種は魔導も効きづらいから、エレノールの天敵かも。
直接打撃が有効。焔で理ごと焼き切りなさい。
倒した後は……食べられますよ。お肉はA3ランク並みです。さっぱりしたお味がポイントよ。しっかりウェルダムに焼いて召し上がれ】
(つまりは焔刃で切りつけるしか手が無いってことか。というか、女神シャウザ・ニークは間違いなく食いしん坊確定だな)
神の包丁――焔刃は俺やグリューンの言葉を待たずとも、大きな炎を巻き上げ一気に剣の形を描き出す。
「よし。こうなりゃなんでもかかってこい! 俺が全部美味しく握ってやるから覚悟しやがれ!」