思考 或いは前提消滅
「まずは、そうだね。僕が推理をした流れから話そうかな。その方が、君にも分かりやすいと思う」
霧生は、そう言って俺の方に顔を向けた。
いつ見ても綺麗な顔だが、推理の時はやはり、自信に満ち溢れているように思える。
「最初、僕は言ったね?一晩閉じ込められた相模朋美が、トイレをしていない、というのはおかしいと」
「ああ、そうだな」
「そして、密室の中に居ながらトイレを済ます方法は、二つ。何らかの方法で密室から出てトイレに向かうか、倉庫の中で上手くすますか」
言いながら、霧生は指を二つ立てた。
前回もそうだが、霧生は推理を話すときには指を立てがちだ。
一種の癖なのだろうか。
そんなことを考えたが、聞くほどのことでもないので、俺は返答の方を優先する。
「その二つの方法は、今俺が調べてきた」
「そうだね。そして、君の話からすると、両方ともどうやら難しかったらしい」
「ああ、第一……」
「そう、後者はともかく、前者の方は仮に可能だったとしても話がおかしくなる」
言おうとしたことは、霧生が先に確認した。
調べる前から指摘されていたことだ。
仮に倉庫から脱出してトイレに向かったとしても、その後がおかしい。
普通、トイレが済んだら、彼女はそのまま家に帰るだろう。
何しろ、密室から出られたのだから。
しかし、彼女は今朝、倉庫の中で発見されている。
つまりこの場合、倉庫から出ても尚、トイレの後は倉庫に戻った、ということだ。
何が悲しくて、わざわざそんなことをしなくてはならないのか。
そんな、まるで倉庫の中に居なければならない理由があるみたいに────。
──ん?
そこまで考えたところで、俺は思考に淀みを感じた。
倉庫の中に居なければならない理由。
それが無いから、彼女の行動はおかしい。
逆に言えば。
倉庫の中に居なければならない理由があったのであれば、彼女の行動はおかしくない。
何が何でも、あの倉庫の中に居たかったのであれば。
外でトイレを済ませて、それからあの倉庫に戻る、ということもあり得る。
「その顔だと、だいたい僕と同じようなことを考えているようだね」
黙り込んでしまった俺を、霧生が興味深そうに眺めてきた。
それを尻目に、俺は口を開く。
「……彼女が、相模朋美が、何らかの理由であの場所に居なければならなかったと……そう言う話か?」
「まあ、そうだね」
「いや……無理だ。仮に彼女にそんな動機があったとしても、方法が無い。さっき確認した通り、あの倉庫から外に出る方法はなさそうだったぞ」
それは身をもって体験したことでもあるので、自信を持って言える。
霧生も、その点で争う気は無いようだった。
「まあ、だろうね。彼女に脱出は不可能だった……ならば、こう考えるしかないだろう」
「……どう考えるんだ?」
「脱出が不可能なら、そもそも彼女が倉庫の中に居なければいい、という話だ」
「……は?」
「分からないかい?要するに、彼女は最初からあの倉庫に閉じ込められてなどいない、という風に考えよう、ということだよ」
霧生は、本当にあっさりと。
話の大前提をひっくり返した。
「…………えーと、つまり……」
今まで考えていた前提が崩れ去り、俺の思考は混乱する。
それが見ていられなかったのか、霧生は助け舟を出した。
「よく考えて見なよ。普通に考えて、人間が半日以上もトイレを我慢するのは無理だよ。夜は寒いしね」
「……まあ、そうだな」
「だというのに、トイレの痕跡が無く、脱出すら不可能だったというのなら、そもそも彼女があの倉庫に居なかった、と考えるのが一番合理的じゃないか」
「……」
ド正論と言えばド正論である理屈を突然投げ込まれ、俺は思わず黙り込む。
まあ、確かに道理だ。
倉庫内に居る限り、彼女の行動がおかしくなるというのであれば、彼女は閉じ込められてなどいなかった、と考えるのが普通だろう。
何というか、今まで密室密室と言っていた自分が恥ずかしくなってくる。
「えーと、じゃあ、相模朋美の行動は、どうなるんだ?というかあの話、どこまでが嘘で、どこまでが真実なんだ?」
頭を整理するために、俺はそんなことを聞く。
相模朋美は閉じ込められた経緯は、基本的に俺が盗み聞きした彼女の話の中でしか触れられていない。
彼女が実は倉庫の中に居なかったのであれば、あの話は丸々嘘、ということになる。
だが、彼女が朝になって倉庫で発見されたことは、事実だ。
どこまでが嘘で、どこまでが本当なのか。
それが分からない。
「んー、まあそうだね。かなり僕の妄想が混じるけど、時系列順に行こうか」
「頼む」
霧生は、そこで少し口を閉ざし、多少言葉をまとめてから口を開いた。
「……まず、彼女の話に最初の部分──一年生は集合無しで帰れるだとか、後片付けをしていて遅くなっただとか──は、まず間違いなく嘘ではないと思う」
「何故、言い切れる?」
「相模朋美が話している相手が、同級生の早見唯だからさ。仮にそのあたりで嘘をついても、すぐにバレるだろう?」
なるほど、と俺は頷く。
早見唯だって、部活は違うが同じ体育会系の、仮入部員という点では立場が同じだ。
何か大嘘が入っていたら、そこで気が付いて問い返していただろう。
それが無かったということは、あのあたりは普通の話だった、ということだ。
大体、よく考えてみれば、相模朋美としてもこの辺りでは嘘がつきにくい。
早見唯は顔が目立つせいか交友関係が広く、取り巻き連中がいるからだ。
中にはバレー部の生徒もいるだろう。
早見唯が別のバレー部員にあの話をして、すぐにばれてしまうようであれば、嘘が意味をなさない。
そう考えれば、あの話は肝心なところ以外は事実だったはずだ。
早見唯が疑問を呈さなかったことが、それを証明している。
「それと、ネットに髪が絡まったとか、他の子には先に行ってもらったとか言う話も、真実だと思う。何というか、嘘にしては話が細かすぎるからね。多分、本当にあった出来事をそのまま語っていたから、詳しく話していたんだろう」
「なるほど……じゃあ、その次からが」
「そう、ここからが嘘だ」
コン、と霧生は爪で机を軽く叩いた。
「恐らく、彼女は髪をネットに絡ませはしたが、すぐに解くことが出来たんだと思う。まあ、そんなに時間がかかることでも無いからね」
「じゃあ、その後は……」
「勿論、普通に帰ったんだろう。そして、三奈とかいう生徒は、本当に無人だった倉庫を確認し、倉庫の鍵を閉めた」
すらすらと、まるで取扱説明書でも読んでいるかのように、霧生は推理を進める。
「だったら、相模朋美は倉庫に鍵が閉められる前に、学校を普通に出ていたんだな?」
「そうだろうね。……だいたい、いくら集中していたからって、鍵を閉められるのに気が付かなかったなんて、馬鹿すぎるだろう。普通、気が付くよ。外から倉庫を覗いている方はともかく、倉庫の中からは、入り口が殊の外明るく見えただろうし」
「……」
そこを言われると、確かに無茶苦茶な言い訳に聞こえてくるから、不思議だ。
初めて聞いた時には、納得していた気がするのだが。
「……それで、彼女はどうしたんだ?」
「まあ、更衣室に戻って荷物を取って、そのまま帰宅だろうね。先に帰らせていたから、他の生徒とは出くわさなかった──そうじゃないと、そもそも閉じ込められていた、という話が周囲に信じられない──のだろう」
「先に帰らせた生徒の下校時刻と、後から、鍵を閉めてから帰った三奈という生徒の下校時刻。その間の時間に、誰にも見られないまま、彼女は帰っていたのか?」
「ああ、彼女には、行かなくてはならない場所があったからね」
そう言ってから、霧生はもう一度ノートパソコンに手をかける。
暗転していた画面が復活し、そこには再び、ライブに参加する相模朋美の姿が見える。
「それが、このライブ、か?」
「ああ、高校生ではなかなか行けない、深夜のライブだ。その写真の下に書いてあるけど、そのライブハウス、県内にあるしね。加えて都合のいいことに、親が旅行で家に居ない。……夜遊びする絶好のチャンスだよ」
そう言えば、彼女は昨晩の話を早見唯とした後、何か音楽に関することを話していたな、と俺は思い出す。
あれはもしかすると、このバンドのことだったのだろうか。
いや、そもそも、このバンドが好きだったから、それを共通の話題として、相模朋美は早見唯と友達になったのかもしれない。
「……じゃあ、彼女はすぐに着替えて、ライブに向かったのか?」
「ああ。恐らく、最初から荷物は持ってきていたのだと思う。ホームページを見るに、そのくらいしないと時間的に間に合わないからね。とにかく、急いで彼女はライブハウスに向かった。……ああ、勿論、この時点で彼女は倉庫のことなんて、気も留めていないよ」
「……じゃあ、どうなる?」
「まあ、その写真にある通り、つつがなく楽しんだんだろうね……だが、問題が起きた」
少しだけ、霧生は声を低くした。
同時に、俺はその問題が何かを考える。
恐らくその問題こそが、先程考えた、倉庫に戻らなくてはならない理由なのだ。
彼女は、夜通しライブを楽しんだ。これは間違いない。
同時に、次の朝には、彼女は倉庫に居た。これも間違いない。
この二つを両立させるには、何らかの理由で彼女が慌てて学校まで帰ってきた、と考えるしかない。
その理由とは────。
そこで、妙な言い方だが、ようやく思考が勘に追いついたのか、俺の頭に閃くことがあった。
「……そうか、両親が帰ってきたことか!」
「ご名答。彼女の両親は、今朝、予定を変えて家に帰ってきたんだよね?」
俺は、大きく頷いた。
確か、親戚の葬儀のためだったか。
彼女の両親は、慌てて家に戻ってきたのだ。
相模朋美の話では、急遽帰る、という話をメールで送ってきたが、彼女は倉庫に閉じ込められているので見ることが出来なかった、とのことだった。
これも、霧生が言うように「嘘にしては細かすぎる話」なので、恐らく真実だろう。
少なくとも、彼女の両親がメールを送った、と言う点は。
「勿論、彼女は倉庫の中などには居ない。だから多分、彼女はライブハウスでそのメールを確認したんだと思う。スマートフォンは持ち歩いていただろうからね」
「彼女は、メールを普通に確認できた……」
「ああ、そして青ざめたはずだ。何しろ、彼女は夜遊びできたのは、両親が家に居なかったからだ。その両親が急いで戻ってくるというのであれば……」
「そうか、夜遊びがバレる。彼女は、それを恐れたのか」
俺たちもそうだが、相模朋美は高校一年生だ。
ライブハウスで徹夜した、となれば、さぞ心配されるだろう。
明杏高校は進学校だ。その手の趣味に眉を顰める親だったとしてもおかしくはない。
というか、自分たちが旅行している隙に、娘が夜遊びをしていた、というのは、親としてもかなり不安になる状況だろう。
「ここで、彼女の状況は一変する。もし両親がこのまま家に帰って、無人の家の様子を見たら、大騒動になるだろうからね」
「……彼女は、自分がライブハウスに居たことを、何としても隠したかったのか?」
「そうだろうね。……さて、そう考えた彼女は、どう考えたか?というより、どうするべきだったか?君ならどうする?」
霧生は、突然疑問を投げかけた。
思わず俺はそれに従い、解決策を考える。
すると偶然にも、いい案が浮かんだ。
「俺なら……すぐに家に帰るな。それで、両親より先に家に戻っておいて、ベッドの上で狸寝入りして、さも夜遊びになんか行ってなかったかのように振舞う……どうだ?」
「そうだね、悪くない。仮に時間的に間に合うなら、彼女だってそうしたことだろう」
霧生は、どこか引っ掛かる物言いをした。
時間的に間に合うのなら、そうした。
逆に言えば────。
「彼女は、間に合わなかったのか?」
「だろうね。恐らく、両親が彼女にメールをしたのは、かなりぎりぎりになってから……もうライブハウスからとんぼ返りしても、両親の方が家に早く辿り着いてしまう、という時刻になってからだったんだろう」
さらり、と霧生が仮説を述べる。
相変わらず、推理に自信があるようだ。
「さて、そうなると問題だ。最早、無人の家を見られることは、つまり彼女が家に居なかったことを知られるのは避けられない。このままでは叱られてしまう────。そう考えた彼女は、策を練った」
「策、と言うのは?」
「勿論、夜遊びがばれても、叱られないための策だよ。或いは、女子高生が夜中に家に居なかったとしても、叱られないような状況を作る策、かな」
そう言われて、俺は考える。
普通、どうやったって、夜中に娘が家に居なかったなら、心配がられるだろう。
夜遊びがバレてはだめだ。酷く叱られる。
かといって、何らかの理由で家に帰れていなかった、と嘘を言っても、それはそれで心配されるだろう。
場合によっては、犯罪を疑われるかもしれない。
つまり、夜中に女子高生がいなくなっていても、親に叱られない理由とは。
仮にその理由が判明しても、親が誰も責めることが出来ないような理由でなくてはならない。
つまるところ、故意ではなく、ただの事故であるかのように思われる理由でなくてはならないのだ。
きっと、それこそが────。
「そのために……そのために、彼女は鍵のかかった倉庫の中に入り込んだのか?」
「そうだ。『事故で倉庫に閉じ込められていて、そのせいで家には帰れていなかった』、と説明すれば、親もある程度は納得してくれるからね。心配はされても、あまり叱られはしないだろう」
霧生はそこで、ふう、とため息を吐いた。
「僕はあの倉庫を密室と言ったが、こう考えてみると、厳密には少し違うね。あの倉庫は確かに、鍵はかかっていた。そして間違いなく、一度中に閉じ込められたら、外には出られなかった。……だが、片道切符でよければ、中から外には出られなくとも、外から中には入ることは出来たんだ」
俺の頭に、あの大きな倉庫の窓が思い浮かんだ。
同時に、用務員さんが片付けたという、梯子のことも。