余談 或いは新章(Case 3 終)
時計を盗み出してからのことは、霧生は語らなかった。
それは、答えがあまりにも自明だったからだろう。
実際、まとめてしまえば簡単なことだ。
犯人は首尾よく腕時計をポケットに隠したが、自然に行動しようとするあまり──要するに、本物がやりそうな行動をなぞるあまり──犯行後のお茶会を断れなかった。
それ故につまらないミスを犯し、盗難がバレた。
結果、彼は動転したまま盗んだものを放り出し、逃走した。
言葉にしてしまえば、つまらない話である。
とある高校生が盗みをして、バレてしまったために逃げ出した、というだけの不始末。
それがこうも不思議な話に化けていたのだから、偶然というのは恐ろしい。
そして、もう一つ恐ろしいものが一つ。
「あああああーーーーーー、ああああーーーーーーー…………」
今、俺の目の前にいる、霧生だ。
彼女は今、頭を抱えて恥ずかしがっている。
いや、正確には、のたうち回っている。
比喩ではない。本当に両手で頭を抱え込み、机に額を押し付けてグリングリンとしているのだ。
これまた説明するまでも無いが────これは、霧生のいつもの発作である。
謎を解いた後、霧生はいつも、推理をしたこと自体を恥ずかしがる。
コンビニでの話でも、密室の話でもそうだった。
今回もまた、彼女にとっては例外ではなかったらしい。
だいたいの謎解きが終わった瞬間、霧生は顔を赤くし、机に突っ伏した。
それからはずっと、目の前の状態のままである。
──早見もこれを見て、滅茶苦茶驚いていたな……。
ちなみに、その早見は、今は部室には居ない。
霧生の推理を確かめるため、彼女の大叔母さんに連絡を取ると言って、席を外しているのだ。
当然と言えば当然の話である。
今回の一件──被害が出なかったとはいえ、れっきとした犯罪行為だ──が表沙汰になっていないのは、親戚同士のことをあまり大事にしたくないという、大叔母さんの厚意からである。
別に他人なら大事にしていいという訳でもないが、この推理を伝えたら、対応もまた変わって来るだろう。
尤も、それ以前に、霧生の推理を確かめるため、大叔母さんに届いたというメールをチェックしなくてはならないのだが。
「あああーーーー、また僕は……性懲りもなく……偉そうに……」
……俺の思考を打ち切るように、霧生の嘆きが部室に響く。
正直なところ、かなりうるさい。
いや、というより、そもそも。
霧生は一体、何を嘆いているのだろうか。
俺は、ふとそんな思考を浮かべる。
最初からそうだった。
彼女は、謎を解いてから、自分が推理を話したことを恥ずかしがる。
いや、それどころか、自分が謎を解く姿勢を見せたこと自体を、恥じている節がある。
出会った日には確か、推理のことを「悪趣味」とまで言っていた。
実のところ────今まで、霧生がこうやって恥ずかしがるのは、本当は謎を解いていないからではないか、と思っていた。
一件目の「日常の謎」も、二件目のそれも。
俺の邪推でしかないが、霧生は推理などせずとも真相を知っていたというのに、さもそれを知らなかったかのようにして推理を進め、演じていたらしきところがあった。
だからこそ、推理を語ったこと自体をいつも恥ずかしがるのかと、そう思っていた。
しかし、今回はそうではない。
早見の件には、さすがに霧生も関わってはいないだろう。
入学式のリハーサルやライブハウスの件とは違って、霧生は今度こそ、本当にゼロから謎を解いたのだ。
つまり、霧生が恥ずかしがることなど、今度こそ何もない。
だというのに、彼女は今日も嘆いている。
自分が、推理をしたことを。
「ああー、うあー、あうー……」
あまり女子高生が出さないような声まで出し始めた霧生を前に、俺は声をかける。
「ああああ……」
「……なあ」
「……何だい?」
意外にも、すぐに反応があった。
どうやら、周囲の声に反応する程度には理性を残していたらしい。
それをいいことに、俺は気になっていたことを、そのまま言葉にした。
何となく、思ったのだ。
今なら、答えてくれるのではないか、と。
まあ、ただの勘なのだが。
「……何で、いつもそうやって恥ずかしがるんだ?」
話しかけられた霧生が、きょとん、とした顔を浮かべる。
何を言われているのか分からない、という表情だ。
仕方なく、俺は言葉を継ぎ足した。
「いや、今回の件は、霧生が謎を解いてくれたおかげで、何というか、色々といい方向に進んだだろう?」
……いつも通り「日常の謎」と呼んでいたが、今までのそれとは違い、今回の事件には事件性があった。
仮にここで解かれなかったなら、誰も犯人が成りすましていたことに気が付かないまま、うやむやになっていたかもしれない。
そうなれば、本物の正樹君には冤罪が降りかかったかもしれないし、親戚関係でトラブルを招いたかもしれない。
まだ、霧生の推理が正しかったかどうかは分からないが、霧生がこの謎を解いたおかげで、確実に事態は解決に向かうのは間違いないだろう。
正直なところ、誇らしく思う理由はあっても、恥ずかしがる理由はないように思える。
そのようなことを、俺は声に出して説明した。
霧生は、最初どこか焦点のあっていない瞳を浮かべていたが────やがて、何度目かの苦笑いを浮かべた。
「……実際には、そんなことにはならないよ。仮にこれが問題になったら、本物の正樹君が呼び出され、早見さんと対面するだろうからね。そうなれば当然、そこで犯人のなりすましは発覚したはずだ。……別に、僕が解かなくても、この事件は勝手に解決したはずだよ」
「……だけど、早く解決したこと自体は良いことだろう?」
「そうとも限らない」
そう言ってから、霧生は俺から視線を外す。
そして、何もない空間に向けて、独り言のように言葉を並べた。
「現実は、推理小説とは違う。現実では、真実なんて明らかにせず、なあなあで済ませた方がまだ上手く回る、なんてことも多い。今回の件だって、もしかしたら……。……それを無理やり暴き立て、真実だから、といって周囲に告げまわることは……やっぱり、悪趣味だよ」
言い切ってから、霧生は喋りすぎた、とでも言うように顔をしかめる。
恐らく、ここまで語る気は無かったのだろう。
ここまでの────彼女の、本心は。
そしてまた、彼女は机に頭を突っ伏した。
だから、俺はそれ以上のことが、聞けなかった。
──謎を解くということは、誰かの心に入り込む、ということだからね。
いつかの霧生の言葉が、ふと、俺の脳裏に思い浮かぶ。
まただ。
また、俺は霧生の心の奥に、踏み入れかけている。
霧生の言う、悪趣味な領域に。
それだけは、はっきりと自覚できた。
しばらく、部室の中を静寂が満たす。
霧生も、俺も、一言も発しなかった。
だが、その静寂は、意外にもすぐに打ち破られた。
何故かと言えば、部室の扉が、突然に開け放たれたからである。
「……霧生さん!」
いかにも高揚している、と分かる声が、突然部室の中を反響する。
その声の主は、すぐに分かった。
もう、声だけでわかる────早見だ。
「推理、本当だったわ!大叔母さん、正樹君から別のメールアドレスを送られたことがあって、しかも一度は直には会わない予定だったって!」
上気した声のまま、早見はこちらを見つめる。
どうやら、大叔母さんとの連絡は済んだらしい。
そのまま彼女はカツカツと部室に入り込み、そして机に伏せていた霧生の肩をガシッ、と掴んだ。
そして、目を白黒させている霧生を前に、満面の笑みを浮かべる。
「本当にすごいわ。謎を解いてくれて、本当にありがとう」
「え、いや……」
霧生の返事も聞かず、早見はそのまま霧生に近づき────ハグをした。
霧生の顔が、一瞬で驚愕に染まる。
さらに目を白黒させる霧生と共に、俺は口をポカン、と開けた。
何というか、いつの間にか、雰囲気が一変してしまった。
霧生もこの喜色に満ちた顔を前にしては、悪趣味だのなんだのとは言っていられなかったのか、されるがままである。
先程の顔もそうだが、霧生の珍しい顔を立て続けに見ているような気がする。
勿論、これは早見にも当てはまるが。
つい一時間前まで、面識すらなかったというのに、今では普通に会話しているのだから。
──そう言えば、早見がここに来た理由も、聞けなかったな……。
現実逃避か、俺はそんなことを思い浮かべた。
いや、本当に、バスケ部はどうしたのだろうか。
春休み中も向かうほど、熱心に通っていたはずだが。
そんなことを、考えた瞬間。
本当に、計ったようなタイミングで。
霧生を抱きしめたまま、早見はその言葉を口にした。
「ねえ、霧生さん……私も、この部活に入れてくれない?」