配慮 或いは米粒
「いやあ、食べた食べた……ごちそうさま」
満足そうに言いながら、父親が自身の腹をポンポンと叩く
いやに大げさな仕草だが、霧生の視線を意識しているのだろうか。
こういう食事は、誰かが明確に終了を告げないと、終わることなくだらだらと続くこともあるため、そうならないよう気を遣われているようにも感じた。
まあ、ただの勘なのだが。
「じゃあ、約束通り霧生さんを車で送りたいんだが……霧生さん、申し訳ないが、住所は?カーナビに入力させておきたいんだが」
「あ、そうでしたね」
申し訳なさそうな顔で、霧生は県内のある地名を言う。
それを聞いて、俺と父親は同時に目を丸くした。
──掛川先輩の住んでいた、高級住宅街の一角に住んでいるのか、霧生。
以前、早見に連れられて歩いていった街並みを、瞬時に脳内で想起させる。
確かに、あそこからなら明杏高校にも徒歩通学できる。
同様に徒歩通学をしている早見の家からでも、歩いていける距離にあったのだから。
──そう考えると、寧ろ自然な流れか。ウチの高校に歩いていける範囲の、高そうな家が並んでいるところと言ったら、早見の家みたいな高級マンションか、あの辺りしかないからな。
社長令嬢らしい、という話を聞いたのが、ついさっきの部活中であるため、勘を働かすのが遅れたが、そう考えると妥当な話だった。
つまり、猫の事件で掛川先輩宅を訪ねた際、俺と早見は、知らないうちに霧生の家のすぐ傍にまで来ていた、ということになる。
あの時は早見妹の協力で霧生と連絡を取ったが、しらみつぶしに家の表札を見て行けば、直に会えたかもしれない。
「あの辺りかあ、凄いところに住んでいるなあ」
父親の方が、俺と同様に驚いた声をあげる。
だが、すぐににへら、と笑って表情を崩した。
「まあ、場所だけで言えば、うちも相当か」
「そりゃそうだろ父さん、殺虫スプレーだけで年間何円使っていると思っているんだ」
父親の分かりやすいおとぼけに、反射的に突っ込んだ。
周囲を木に囲まれているため、特にこの時期は虫の侵入が酷いのである。
その会話を境に、何となく、話の雰囲気が流れ、霧生の家に関する話題はそこまでとなった。
話題を出した父親も、何かしら察したのか、それ以上特に言及せずに背を向け、壁にかかっている時計の方を見る
「もうこんな時間か……事務所の方、閉めた方が良いか」
そう独り言を呟いてから、同じく一階にあるイラストレーターとしての作業場の方に体を向けた。
「霧生さんを送る前に、事務所の電源を落としてくる。待機画面のまま放っておいたからな。……葉、鍋を洗って置いてくれ」
「へーい」
父親はそう言って、すたすたと家の奥に向かっていった。
その背中を見つつ、不思議そうな顔で霧生が俺に質問を投げた。
「事務所の電源を落とす、というのは、何だい?今しておかなくてはならないことのようだけど……」
「あー……」
思わぬ反応に、俺は説明に困って腕を組んだ。
確かに、家族である俺には普通に通じる表現だったが、霧生には分かりにくい言葉だったかもしれない。
──要するに、イラストレーターとしての仕事に使っているパソコンやら液晶やらの電源を落としてくる、ということなんだが……。
あの口ぶりからすると、恐らく今日の父親は夕食作りに入る前、すぐに夕食は終わると思って、機器の電源を切らずに、待機画面のまま置いてきたのだろう。
そして夕食後に、もう一仕事するつもりだったのだ。
だが、俺が霧生を連れてきたため、夕食に時間がかかり、かつ霧生を家に送るためにさらに時間を使うことになった。
加えて、今から霧生の家に向かい、さらに帰ってくると、それなりに遅い時間になってしまう。
このため、今日はもう、夜に仕事をするのを止めたのだろう。
だから、待機画面のままの機器たちの電源を落としに行ったのだ。
要するに、自営業の人にありがちな話、というだけなのだが。
俺の勘は、この話を霧生にするな、と告げていた。
──何か、家に入ってから妙にしおらしいし、言ったら迷惑をかけてしまった、と気にするかもしれないから、いいか。
別に父親だって、霧生を責めたいわけでは無いだろう。
そう思って、俺は適当に言葉を濁しつつ、キッチンに移動した。
「まあ、事務所の電気でも消し忘れたんじゃないか?」
そう言いながら、俺は中身が空になった──まだ帰ってきていない母親の分は既に取り分けてある──鍋を抱え、流し台の蛇口を捻る。
流し台には、朝食の時点から洗っていないのか、水につけただけの食器が他にもいくつかあった。
放っておく理由もないので、俺はそこにも手を付けた。
「……手伝うよ」
後ろから、霧生がそう言って手を出そうとする。
それに驚き、俺は言葉で押しとどめた。
「いや、別にいいぞ?」
「でも、折角夕食を頂いたのだから、これくらいは……」
「いや、そう言う問題じゃなくて、物理的なスペースの問題だ」
俺は一度食器から手を放し、流しの両端をトントン、と叩いた。
「二人で一緒に皿洗いできるほど、広くないから。どう見ても、ひとりでやった方が早いだろう?」
「あ、ごめん」
スッ、と霧生が手を引く。
この理屈で言えば、霧生一人にやらせる、という選択肢もあるのだが、流石に霧生もそこまではしたくなかったのだろう。
というか、俺もそこまで仕事を丸投げに出来る人間でもない。
────気を取り直して、俺は流しの中にあった茶碗を手にする。
そして。
その茶碗を見て、俺は突然、強烈な違和感に襲われた。
──何だ?
動きの全てを止めてしまうほどの、強烈な勘の囁き。
それに気を取られ、俺の動きは硬直してしまう。
「……どうしたんだい?」
流しに手を突っ込んだまま動かない俺を見て、霧生が不思議そうな声をあげる。
だが、俺としては、それに気に留めることもできなかった。
──何だ?何が、気になっている?
そんな疑問に、頭の中を占領される。
正確には、頭の半分が「何かがおかしい」と叫び、もう半分が「何がおかしいんだ?」と悩んでいるような感じだ。
形としては、霧生と出会ってすぐのころに目撃した、密室事件のそれが一番近い。
あの時、俺は体育倉庫から出てきた女子生徒たちを見て、何かがおかしい、とは勘づいたが、それが何なのかまでは分からなかった。
勘は目の前の光景の矛盾を把握しているが、思考が追い付いていない、という状態だったのだ。
今、それと同じことが起こっていた。
俺は今、この何の変哲もない茶碗を見て、何かおかしい、とは思っている。
だが、何故俺がそう思ったのか、それが分からない。
そして、この何かがおかしいのにその原因が分からない、という対象こそ、俺が一番気にするものである。
つい先ほど霧生に述べた、俺の行動指針のようなもの────「普段は周囲との関係を薄くするが、それでも気になったことは出来る限り調べ、考える」というやり方に、思いっきりひっかかるからだ。
だって、気になったのだから。
それがどんなに些細なことでも、俺は考えることを止められない。
「ねえ、どうしたんだい、相川君?もしかして体調でも……」
よほど心配したのか、霧生が俺の肩を叩いた。
それで俺は自分を取り戻し、慌てて振り返る。
「あ、いや、すまん。ちょっと気になることがあって……」
「気になること?」
たかが皿洗いに、何を気にしているんだ、という瞳で霧生が俺のことを見つめる。
その視線に苦笑しながら、俺は弁明をした。
「今、ちょっとこの茶碗をみて、違和感を覚えたんだ」
そう言って、茶碗を流しから持ち出し、霧生に見せる。
それと同時に、俺の視界に、茶碗の端に張り付いたものが見えた。
霧生に突き出すようにして見せたため、俺の持っている側の部分が見えやすくなったのだ。
自然、俺の視線はそこに吸い寄せられる。
──米粒……?
俺の持っている茶碗の端に、一つ、米粒が付いていた。
その光景が、嫌に目についたのだ。
……茶碗に食べ残しがある、というのは、多少行儀が悪い行為だが、まあ、無いわけでは無い。
我が家は、そう言ったマナーは「人前で出来ればいい」くらいのスタンスであるため、そこまで食べ残しに厳しいわけでも無いからだ。
しかし、この時。
俺は、今朝の父親と母親の会話を思い出した。
今日、朝食──トーストだった──を家族で取っている時。
確か、こんな会話をしていたな、と思い出されるものがあったのだ。
『……あなた、丁度田舎から送ってもらっていたお米が、昨日の分で切れちゃったから、悪いけど、しばらくお米が欲しい時は、パックご飯で代用してもらえる?未開封のままの物が、キッチンにあるから』
『新しく米を買っちゃだめなのか?』
『どうせお父さんがまた送って来るでしょうし……変に少しだけ買っても、場所を取る上に不経済でしょう?』
そう言って、母親は今日の仕事に出かけて行ったのだ。
つまり、今日に我が家に、パックご飯以外の、普通の米の類は一切ない。
そこまで考えてから、俺は横目でキッチン内の棚を見た。
ここに入った時に見ていたのだが、そこには、未開封のパックご飯の束がある。
母親の言葉通り、元々あったものだろう。
しかし、鍋の締めがうどんになったため、これは使われなかった。
要するに、今日の我が家で、白米が食べられた機会というのは、無い。
「変だな……」
思わず、声を漏らした。
「今日は家のどこにも米が無いはずなのに……何で茶碗に米粒が付いているんだ?」