10.生存本能
「ナディア殿、ちょっと話がしたいんだが……良いか?」
皇城から帰ってきたセレスティンは、どこか暗い表情でナディアに話しかけてきた。勿論「駄目」と答える理由はない。幸い目覚めた直後で眠気もまだまだやって来る気配はなく、ナディアはこくり、と頷いた。
「その……皇帝からの養子縁組許可が取り消された。と言っても、元々養子縁組に皇帝の許可は要らない。だから別に問題はないんだが……」
ゆりかごの前に立ち膝をし、ナディアと目線を合わせながら話すセレスティン。
問題ないと言いながらも歯切れが悪く、なかなか続きを話さないセレスティンに痺れを切らしたナディアは、ゆりかごの柵の隙間から腕を伸ばして彼の腕を叩き、続きを促した。
「分かったからやめてくれ、ナディア殿!」と恨めしげな表情で抗議をしながら、セレスティンは渋々と言った表情でようやく話し始めた。
「その……ナディア殿の処遇が不当である、と訴える為に罪状を調べてみたんだが、記録が見つからない。だからまずは、ナディア殿に話を聞きたいんだが……」
(私が嫌がると思って切り出せなかったのか。全く、甘すぎて胸焼けがしちゃうよ。これでよく公爵家の当主が務まるもんだ……)
——判決内容は私も知らない。だから事実を話すよ。それを元に閣下が判断しておくれ。
◇◆◇◆◇◆
ナディアを育ててくれた老人亡きあと。誰もナディアを引き取ると言う人物は居らず、ナディアはそのまま老人宅に一人で住み続けた。本当は色々手続きやら税金やらが必要だったのかもしれないけど、村の人々はなにも言わず、それきりナディアに干渉する事はなかった。
住む所があっても、食べ物がない。それを手に入れる手段も分からないナディアは本能のまま、村中を歩き回って残飯を漁った。だけどナディアの行動を目にした人々に対策を打たれ、その手はすぐに使えなくなった。
仕方がなく、食べ物を求めて徐々に行動範囲を広げ、ナディアは森に辿り着いた。いつか老人が作ってくれた食事に入っていたものと、同じような葉がそこら中に生えている。
これなら食べられるんじゃないだろうか。そう思ったナディアは、とにかく空腹を満たす為に葉っぱをむしゃむしゃと食べた。
その日は無事だった。翌日も大丈夫だった。だけどその次の日は腹を壊し、更に別の日には身体中の感覚が失われた。
(あれはたべちゃだめなやつ……? こっちはだいじょうぶだったよね……)
ナディアは生きる為に必死に覚えた。紙もなければぺンもなく、それ以前に文字も書けない。そんな状態だったから、目に焼き付けるようにして知識を吸収した。ギザギザの葉の植物は見た目とは逆に美味しい。反対に、ふわふわの葉の植物は触るのも危険……。
気を付けたつもりでも、危険植物を口にして嘔吐した日もあったし、空腹に耐えかねて「おなかが痛くなるだけだから」と自ら毒きのこを食べた日もあった。
そしてある日、ナディアは重大な事に気が付いた。
(きょうはお腹がいたくならなかった……! もしかして、きのこといっしょに食べたあっちの葉っぱのせい……?)
翌日もナディアは同じ組み合わせを試し、異常は出なかった。翌々日は少しだけ考えて、きのこ単体を恐る恐る口にし、腹痛に泣いた。
(うう、やっぱり……! あの葉っぱがお腹のおくすりなんだ!)
そこからのナディアの行動力は目を見張るものがあった。今まで見つけた色々な危険食材を、色々な食材と一緒に食べてみたのだ。
身体中の感覚がなくなる植物も、とあるきのこと一緒なら大丈夫だった。反対に、問題なかった食材同士を組み合わせたら頭が痛くなった、なんて事もあった。
そうして時間をかけて情報を集め、自分の知識に自信を持ったナディアはある朝「食べられる植物に似ているから」と油断して初めての植物を食べ、猛烈な眠気に襲われた。
次に目が覚めた時、右肩が焼けるような痛みを放っていた。まだ重いまぶたにあらがうように目を右に動かすと、そこには牙を剥き出しにした獣——魔獣——が居た。ナディアの右腕らしき肉片を口に咥えて。
当然助けてくれる者など誰もなく、ナディアは「今度こそもう駄目だ」と思った。
(このまま死ぬのか……。でもそれもわるくないなあ、死んだらおじいに会えるだろうし……)
結局、ナディアは生き残った。いや、生き残ってしまった、というべきか。正直な話、なにが起こったのかはよく分からないけど、すぐ側で魔獣が倒れている事だけは分かった。
痛みを感じない代わりに、身体は一切動かせなかった。その上、身体の右側には奇妙な感覚を感じた。むずむずするような……不思議な感じ。
どれくらい横になっていただろうか。既に日は沈み、すっかり夜を迎えていた。不思議な事に、無防備なナディアを襲おうとする魔獣はついぞ現れず、ようやく身体を起こせるようになった時には右腕は元通り違和感なく動かせた。
……魔獣は焼け死んでいた。香ばしい香りと強烈な空腹に見舞われ、その晩ナディアは魔獣の肉で飢えを凌いだ。
ナディアは自分の身になにが起きたのかを解明する事にした。傷を癒やした力はもとより、状況を考えれば魔獣も自分が殺したに違いない。
手っ取り早く魔獣に挑む事にした。あの日はきっと、口にした植物のせいで眠ってしまっただけ。だったら次に同じ事が起きた時はきっとこの目で確かめられるはず。
ナディアの予想は当たっていた。ただし、前回よりも酷い怪我という結果がついてきた。止めどなく溢れる血と、先日とは違って次々と襲いかかってくる魔獣。前回とはなにかが違ったらしい。だけど魔獣の殲滅と治癒を並行して行なう事に夢中で、そんな事を考える暇はなかった。
(今回も生きのびた……。それに前回よりもけががひどかったのに、だいたい同じくらいで治った……)
その日からナディアが飢える事は滅多になくなり、代わりに生傷が絶えず出来るようになった。ナディアは頭が良い分、好奇心を抑えられない性格だった。ナディアにとって、手に入れた新しい力は幼子にとってのおもちゃに等しかった。
魔獣の肉を食べるようになり、本格的に火を使う事を学んだ。それに関連して、熱すると効果が変わる植物がある事に気が付いた。
そうしてナディアは十六になった。日数なんて数えていなかったから、正確な年齢は分からない。季節の移り変わりや、近隣の村や町に住む女の子と比較して「それくらいかなあ」と考えただけだ。
ナディアは十三やそこらから、自分の持つ情報や力を使って人々の傷や病を癒やすようになっていた。
「娘を助けてくれてありがとう」
「貴方に貰った薬、とてもよく効いたわ!」
「医者にも見放されてたのに……今じゃすっかり元通りだ!」
「お前の薬を飲んだら、身体の調子が良くなったんだ」
初めこそほとんどの者が「子供になにが出来る」と鼻で笑ったけど、実際に元気になった人を見て、少しずつ少しずつ、ナディアの薬や治癒魔法を頼るようになった。それでも、ほとんどの人が人目を気にして夜に訪れた。
(馬鹿にした手前、堂々と来られないんだろうな)
ナディアはそう受け取った。少なくとも面と向かって馬鹿にする人が居なくなった事で、商売は格段にしやすくなった。
村長の娘を治した時に貰ったふかふかの寝台。隣町の若い娘が負ったやけどを、跡が残らないように処置した時に貰った可愛い洋服。そうして人間らしい生活を手に入れて、ようやくナディアは人生を楽しいと感じ始めた。
ナディアの元へ、とある集団がやって来るまでは……。