25.調査(イノセント目線)
これはイノセントが公爵城で過ごし始める、ほんの少し前の話——。
「……嘘だ……」
知らぬ間に声が漏れていた。あのナディアが? どうして? 魔獣にやられるはずはない。だけど事実、ナディアの気配が消えた。森からではない、この世界の全ての場所からだ。
これからどうすれば良いのだろう。ナディアが僕にとって唯一の希望だったのに。だけど彼女の元を訪れる勇気がなくてグズグズしているせいで、彼女に会う機会を永遠に失ってしまった……。
「森へ……とにかく森へ行ってみよう。手がかりがあるかも……」
森はあの頃とほぼ変わらなかったけど、大きな違いと言えば素朴な家と立派な庭が増えた事か。きっとナディアが建てたのだろう。彼女は手先が器用だったから。
家の中は雑然としていて、まるで今にもナディアが帰ってきそうなくらい生活感に溢れていた。飲みかけのコップも机の上に置いてある辺り、とてもじゃないが遠出したとは思えない。
(一体どこでなにをしてたんだ……?)
正直な話、ナディアの性格を理解しているとは言い難い。あの頃の僕は他人に興味が微塵もなくて、ただひたすら自分の魔術を磨く事にだけ集中していたから。ただ、ナディアに関しては自分の能力の糧となりそうだからと根掘り葉掘り色々と聞いた事もあり、ある程度は分かるつもりでいる。
イノセントが思うに、ナディアは食器を片付けずに出掛ける人間じゃない。つまり、この状況は彼女の想定外だったはず。彼女に出掛けるつもりがなかったとすると、家の中でなにかがあった……?
他になにか怪しい物はないだろうか。改めてぐるっと家の中を見て回ったところ、使いかけの薬草と、床に転がった空のガラス瓶が目に留まった。瓶の底にはうっすらと液体が残っているけど、残念ながらイノセントにはそれがなんなのかは分からない。一応あの頃、ナディアから薬学も多少教えてもらったけど、さすがにそれだけでは分からない。なによりあれから何百年も経っている、今はもっと実力に磨きがかかっていて、イノセントが想像も出来ないような効能の薬も生み出しているに違いない。
「うん……困った、全然分からない」
ふと、一枚の紙が目に入った。紙なら他にも腐るほどあるけど、これだけは明らかにナディアの文字ではない。
「……孤児院への潜入?」
どうやら調査依頼書のようだ。時折治安局の依頼を受けてナディアが森から出ている事は知っているので、依頼書の存在自体は不思議ではない。だけど。
「ひと月前……。ナディアの気配が消えた頃だ……」
いつものように治安局が森から出した訳じゃない。綺麗さっぱりナディアの気配——魔力——が消え失せているのだから。
かといって、今更治安局が彼女をどうこうしたとも思えない。一体どういう事だろうか。
考えているとにわかに外が騒がしくなった。誰かが来る。それも一人では泣く、かなりの人数だ。
(こんな所に一体なんの用だ? ナディアに会いに来たのか?)
イノセントはそっと家から出て集団の様子を窺った。見た目からして騎士、それもかなり身分が高そうな連中に見える。
じっくり値踏みしていると、何故か先頭の人物が気になった。なんとなくナディアの気配に似ていると感じたのだ。
なおも観察していると、先頭の人物が紙と風景を見比べ、満足げに頷いた。
「あれがナディアの住んでいた家だろう……目的地はもっと奥だな」
「ナディア」。今あの男は間違いなくそう言った。彼女を知っている!
今すぐ駆け寄って関係を聞き出すべきか。それとも今しばらく成り行きを見守るべきか。少しだけ悩み、見守る事にした。奥に行くなら大量の魔獣に遭遇するはず。襲われているところを助ければ、スムーズに接触出来るかもしれないと考えた。
イノセントの読み通り、大量の魔獣が彼らに襲いかかった。とはいえさすがに訓練された騎士だけあって、彼らの連携は素晴らしく、大して苦労する事なく進むせいでイノセントの出る幕がない。
(彼らが苦戦しそうな魔獣を適当にけしかけるか?)
そう考え始めた時、タイミング良く彼らに隙が出来た。休憩する間もなく続く襲撃に、若者達を中心に陣形に乱れが出始めたようだ。
「加勢しよう!」
一人が魔獣の攻撃を受け損ね、ついに陣形が崩れる……そんなギリギリのタイミングでイノセントは声をあげ魔術を放った。鼻面にこぶし大のつぶてをお見舞いされた魔獣は、「ぎゃいんっ」とひるみ、大きく後退した。
「……助かる!」
明らかに警戒している硬い声音で先頭の人物がイノセントに礼を言った。それでも受け入れるしかないと判断したようだ。
無事人的被害を出さずに魔獣の集団の殲滅に成功した後。多少警戒心が薄れた声で改めて自己紹介をしてきた先頭の人物は、あの有名なエバーナイト公爵だった。
「まさかエバーナイト公爵にお会い出来るとは。僕はイノセントと言います。……ああ、今日は魔獣を狩りに来たんです」
「こんな場所になんの用だ?」と言わんばかりの表情に、イノセントは嘘を口にした。
「魔獣を? 一体なんの為に」
「まあ色々……毛皮が高く売れる魔獣、肉が高く売れる魔獣……とにかくお金になりますから」
集団で狩っては人件費の方が高くつく。だけど一人で倒せるならその限りじゃない。適当についた嘘ではあるけど、事実なので疑われはしなかった。
「確かに貴殿の腕があれば金策に丁度良さそうだな」
「そういう公爵はどうしてここへ? 僕と同じ目的……ではないですよね」
「まあ……、演習と魔法陣の正常性確認だ」
嘘だ、とイノセントは判断した。だがそれをおくびにも出さず、適当に公爵を褒めちぎっておく。
「さすが帝国の守護者様! 六大公爵家には感謝してもしきれません」
「いや……」と困ったような表情で呟く公爵に、イノセントは内心「青二才が」と鼻で笑いながら会話を続けた。
結局一行は、イノセントを臨時の護衛として雇う事にした。イノセントは思い通りに事が進み、内心ほくそ笑みながら承諾した。これで魔獣の素材を持ち帰るフリをする必要もない。
だがなにをしに来たのかをイノセントに明かすつもりはないらしく、今日は下見と割り切って、後日増員した上で再訪する方針に変えたようだ。
イノセントは、ナディアについて知ってる事さえ聞き出せればそれで良い。その為に後日もう一度彼らの跡をつけるなんて回りくどい真似、冗談じゃない。この手は使いたくなかったけど……と自分に言い訳をしながら強硬手段に出た。
夜、全員を眠りにつかせてから公爵の額に軽く触れて意識を集中する。
「悪いけど……少し記憶を覗かせてもらうよ」
持ち主の記憶を覗く魔術。特定のなにかに関してだけを覗く、という事が出来ないので極力使いたくはなかったのだが、背に腹はかえられない。
幸いにも、新しい記憶から順に掘り起こすので知りたい情報はすぐに見つかった。ナディアは生きている!
「なるほど……赤ん坊。それで気配が追えなかったんだね……」
赤ん坊には魔力がない。ナディア特有のあの美しい、輝く夜のような気配が消えたのもそのせいらしい。
「どうしようかな。公爵と一緒に暮らしているようだし……僕も仲間に入れてもらおうか」
この者達では魔法陣の解読なんて到底不可能だろう。となると元の姿に戻るという彼女の願いを叶える事は出来ない。
そこに勝機がある、と直感した。本来なら問答無用で追い出そうとするだろうけど、魔法陣の情報が欲しい今ならナディアもイノセントを受け入れてくれるはずだ。
「……再会が楽しみだな」
会えたらまず、昔の事を謝ろう。それからナディアの手助けをして、少しでも許してもらう。欲を言えばお願いを聞いてもらえたら……、とイノセントは近いうちに訪れるであろう再会の日を妄想しながら、公爵一行の意識を書き換え、「副団長代理」の地位を得たのだった。