8.皇太后の思惑
「すまない、急用が出来たからちょっと出てくる。ナディア殿は自由にしててくれ。だが、私が戻るまでは絶対に外に出ないでほしい」
バーナードが差し出した一通の手紙を読んだ途端、突然セレスティンはそう宣言して執務室を出て行った。
(外に出ないでくれと言ったってね……、私一人じゃどうせどこにも行けやしないのに)
もしやセレスティンは、ナディアが自由自在に姿を変えられると思っているのだろうか。……巷に流れている噂を考えれば、魔法の一つや二つであっと言う間に変身! ……と思われていてもおかしくないか? いや、それなら「文字盤じゃ会話しにくいから子供の姿になってくれ」と、とっくの昔に頼まれているか。
突然赤子のように扱ったり、かと思えば大人のように扱ったり……セレスティンという人間はいささか変わっているようだ。
(大体、赤子が苦手なら最初から私を養子に迎えずもっと大きい子を選べば良かったものを……)
ナディアが呆れていると、ガチャリ、と音がしてバーナードが執務室に入ってきた。おや? 彼はセレスティンについていかなかったのだろうか。
「失礼いたします、ナディアお嬢様。閣下の代わりにお嬢様のご質問に答えるよう仰せつかりました。……なにかお聞きになりたい事はありますか? こう見えて私も魔術師ですから、ある程度はお役に立てるかと」
——魔法に関する質問じゃないけど……、閣下についていかなくて良かったのかい?
「勿論、私が答えられる範囲でしたらなんでも構いませんよ。……閣下は皇城に向かわれました。私は皇帝陛下との謁見時には同席出来ませんし、お嬢様を守れとのご命令を受けてここに居ます」
——閣下は……手紙を見て飛び出して行ったけど。理由を聞いても?
「少々まずい事になりまして……。お嬢様にも関連する事なのでお伝えしますが、陛下からの養子縁組許可が取り消されたようです。それで怒鳴り込みに……失礼、状況を確認しに行かれました」
皇帝に怒鳴る? ナディアは驚きのあまり身体を硬直させてしまった。そんな事が可能なくらいセレスティンの権力が大きいのだろうか……。いや、さすがに比喩だと信じたい。
——私が魔女だからかい? でも、それを知っていて皇帝は許可を出したんだよね? 閣下が内緒にしていた訳ではなく。だったら何故……。
「皇太后陛下の介入でしょう。第二皇女殿下と閣下のご婚約は、まだ正式には破棄されておりませんから。お嬢様との養子縁組さえ妨害すればどうにでも出来ると踏んでいるのかと」
「あうあう(そこだよ)」
——そもそもどうして閣下はそこまでして第二皇女との婚約を破棄したがっているんだい? 血の繋がらない養子を探すより、さっさと皇女と結婚して自分の子を産んでもらった方が何倍も良いだろうに。ましてや相手は皇族だよ? 最高じゃないか。
「そうですね……いくつか理由はありますが、私の口からお伝え出来る事だけ」
バーナードはナディアへと近づき、声を潜めてから話を続けた。
「現皇帝陛下は先代皇帝陛下とご側室の間の生まれで、皇太后陛下とは血が繋がっておりません。そして第一皇女殿下と第二皇女殿下は皇太后陛下の実子でございます」
——ふむ……。皇帝と皇太后の仲が良くないって事だね。ところで、女性は皇帝になれないのかい? 順当に考えたら血筋的に第一皇女が皇帝になっててもおかしくないけど。それとも現皇帝がその座についた時、第一皇女はまだ幼かったのかな?
「女帝の前例はございます。が、お察しの通り、皇帝陛下は十年前、陛下が十四歳の時に皇帝の座につきました。当時、第一皇女殿下は五歳でしたので……」
いくら血筋的に優れていても、五歳なら不利だっただろう。だから皇太后は今になって第一皇女を皇帝にする為に動いている、と。第二皇女とセレスティンの婚約は、第一皇女を支持してもらう為って事か。
——白羽の矢が立てられたって事は、閣下は現皇帝を支持していないのかい? だけど皇帝はまだ若い。よほどの暗君じゃなければ引きずり下ろすなんて無理なんじゃ?
「うーん、それがそうでもなくて……。昔の事は分かりませんが、今の時代ですと、皇帝になる為には六大公爵家のうち過半数以上の承認が必要です。基本的には即位時に承認があれば、以降はよほどの理由がない限り問題はありません。ただ、改めて過半数以上が別の人物……今回の場合は第一皇女殿下を支持した場合、現皇帝陛下は彼らの承認を失ったと判断され、その座を手放す事になります。
帝国法によると、六大公爵家の支持を失ったあとに全貴族による多数決があります。規定上はここで皇帝が過半数以上を取れば玉座を死守出来ますが、六大公爵家が根回しをしていると思いますから、まず無理でしょう。
ちなみに閣下は十年前の皇帝即位時にも支持せず、現在に至るまで沈黙を保っています」
六大公爵家というのは、ナディアが思っていた以上に大きな権力を持っているらしい。ナディアの記憶が正しければ、ナディアがまだ王国で生活していた頃には六大公爵家なんてなかったし、国王は絶対的な地位だった。家臣の承認がなければ即位出来ないなんておかしな法則は……、絶対になかったはずだけど。
——第一皇女は四家以上の承認が得られる見込みがある、と?
「皇太后陛下のご実家は六大公爵家の一つ、トワイライト公爵家ですからそこからの支持は確実でしょう。最近トワイライト公爵家と懇意にしている二家も取り込まれている可能性が高いです。その逆に、トワイライトとは犬猿の仲の二家は絶対に味方しないかと」
——三家の支持はほぼ確実、と。残り一票が閣下の意志にかかっているのか。でもそれなら、皇帝は玉座を守る為に閣下の機嫌を損ねられない。たとえ皇太后からの妨害があったとしても養子縁組の要求は断れないはずじゃ?
「暗君ではないですが、察しも良くはないですからね……。皇太后陛下の妨害のせいで、まともな部下も居らず、情報に疎いのでしょう。恐らく皇太后陛下の狙いは知ってたとしても、現状までは把握出来ていないかと。その上閣下は第二皇女殿下と婚約しましたから、皇太后陛下についたと思われてる可能性もあります」
——ふうん……。ところで、六大公爵家が皇帝を選べるなら、その家門から皇后を輩出するのはご法度なんじゃ? だから今こんな面倒な事になってるんだろう。
「そうなんですけどねえ……法の穴を突いたんですよ、トワイライト公爵家が。元々皇太后陛下は、侯爵令嬢だったんですが、皇太后陛下が皇太子妃になったあと、実家が没落しましてね。トワイライト公爵家からの支援で再起は出来たんですが、その見返りとして養子になったんです」
——はあ……。その没落もどうせトワイライト公爵家の差し金だろう? 実に馬鹿げたシナリオだが……、養子も実子と同じ扱いにしなかった帝国法が悪いな。ある意味皇太后も被害者か。
「ふふ、お嬢様は本当に察しが良くて……、将来立派な公爵になるでしょうね」
——なにを馬鹿な事を。
(けど……、今の話が本当なら、閣下は下手な家門から妻を迎えられないし、勿論色々と下心を持った六大公爵家や皇女を妻にするのは論外。だったらいっその事、どこの家にも繋がっていない孤児を養子に、と考えた理由には頷ける。うう、まさか本当に私を次期公爵にするつもりで引き取ったのか……? そんなつもりは毛頭ないと思って契約を承知したっていうのに……甘く見すぎたな)