第三十四話:ふたりと、一軒
かなり遅くなってしまいました。申し訳ありません!
ワタクシ反省です・・・。
「……おーい、カガリ。聞いてるか?」
「……ん? あ、うむ、聞いておるぞ。もちろんじゃとも」
「じゃあ今なんて言った?」
「……えっと……ぬ? 今のは……その……」
凛夜は深いため息をひとつ。
どうやら、全く聞いていなかったらしい。
隣を歩くカガリは、顔をほんのり赤らめ、どこかふわふわと浮いているような足取りだった。
それもそのはず、今日は――ふたりで新居探しをする、大切な日だった。
半年以上続いた寮での生活に一区切りをつけよう、と話し合ったのが昨日のこと。
凛夜の「そろそろ、ふたりで家を探さないか?」という提案に、カガリはほとんど意識を手放しかけ、それ以来、終始この調子である。
「……『みっしょん』じゃ。これは一世一代の『でーと』であり、家という名の聖域を選びし、神聖なる儀式……!」
「いや、儀式ってほどじゃ――」
「儀式なんじゃ!」
真顔でピシャリと断言され、凛夜は思わず口をつぐんだ。
◇
いくつかの物件を見て回ったが、どれも一長一短。決定打には欠ける。
そんな中、最後に訪れた一軒家があった。
逢魔の中心部から少し離れた、小さな山の麓に広がる静かな住宅街の端に、それはぽつんと佇んでいた。
――日本家屋。それも、少し年季の入った平屋建て。
古民家と言って差し支えないだろう。ところどころに時代の味わいがにじむ造りだった。
しっかりとした梁と柱、どこか懐かしい畳の香り。中庭には季節の花々が控えめに咲き、静かな風がそっと通り抜けていく。
凛夜はなぜか、その場に立った瞬間、深く息を吐いていた。
胸の奥に引っかかっていた小さな棘のようなものが、ふと抜け落ちたような感覚だった。
「……いいな、ここ」
そう呟き、隣を見やる。
「カガリ、おまえは?」
しかしカガリは、門をくぐってからずっと一歩も動かず、その場に立ち尽くしていた。
まるで、そこに立っていることすら精一杯のように。
「……おい、大丈夫か?」
「……」
返事はない。ただ、表情に険しさや戸惑いはなかった。
代わりに、何かに圧倒されているような、そんな面持ちだった。
「嫌か?」
「……ちがう。嫌などでは、ない。むしろ……あまりにも、居心地がよすぎて……怖くなるくらいじゃ……」
ぽつりと、カガリがつぶやく。
「まるで……この家に、迎え入れられておるような……そんな、気がしての」
不思議と、凛夜にもその感覚は分かった。
家がふたりを見守ってくれている――そんな錯覚すら覚えるような、優しい空気がそこにはあった。
「なら、ここにしよう。おまえと、俺の“家”として」
そう言うと、カガリはほんの少し間を置いてから、ふわりと頷いた。
その瞳は、ほんのりと潤んでいるようにも見えた。
◇
遠く、風に揺れる竹林の陰に、ひとつの人影があった。
紅明――逢魔特区を陰から支える、“異界の門の守り人”である異能者。
飄々としたその姿が、珍しく真剣な表情でふたりを見下ろしていた。
「へぇ……あいつら、あの家を選びやがるか。なかなかどうして……」
(それとも…お前が呼んだのか?)
口元がわずかに釣り上がる。
「ヒヨッコどもにしちゃあ、悪くねぇ選択だよ。その家――“大切”にしてやんな」
そう呟き、踵を返す紅明。
まるで何かを見届けたように。あるいは、何かを託したように。
◇
ふたりは、家の中を歩いた。
畳の上を踏みしめるたび、足音が柔らかく響く。
縁側に並んで腰を下ろせば、庭の風がそっと頬を撫でていった。
「……変な家じゃのう」
カガリがぽつりとつぶやく。
「変、か?」
「うむ。変じゃ。だが……悪い変ではない。妙に、心地がよい。なんというか……この家に、包まれておるような気がしての」
凛夜も、静かに頷いた。
不思議なほど落ち着くのだ。
初めて来たはずなのに、どこか懐かしく、優しい。
無言のまま、背を預けさせてくれるような、そんな安心感。
「……カガリ」
「うむ……儂も、ここが良い」
短く交わした言葉の中に、確かな想いが宿っていた。
ふたりは迷わなかった。
この家に、決めた。
これから共に生きていく場所。ふたりで、夫婦として歩んでいく場所。
いや――正確には、
ふたりと、一軒。
まるで、この家もまた“家族”の一員であるかのように。
新たな生活が、静かに始まろうとしていた。