第五十三話:篝の章7――平安最強の妖魔、そして調和の陰陽師――
長い時が過ぎた。
篝は、いや今や「カガリ」と呼ばれるその存在は、人の名を捨て、妖魔として数多の罪を重ねていた。
かつて癒やしの巫女として人々を慈しみ、愛した日々は既に遠い。
人を癒やしたその手は、いまや命を奪うための刃と化し、
言葉は人を支えるものではなく、呪詛として吐き出されるようになった。
それでも――その瞳の奥に宿るものは、憎悪や狂気だけではなかった。
ただ、深く、静かな悲しみが、瞳の奥に灯っていた。
その悲しみを断ち切るように、彼女は戦い続けた。
恐れられ、追われ、名を口にすることすら禁忌とされた妖魔。
それが「カガリ」だった。
そして、ついに。
彼女の前に、かつてない三人の陰陽師が現れる。
一人は、平安の天をも穿つ才をもった男――安倍晴明。
その弟にして、野性の力と温もりを併せ持つ陰陽師――安倍紅明。
そして――
静かなる気配を纏いながらも、誰よりも深く他者を見つめる陰陽師――久遠宗雅。
「……ここで終わらせるつもりか、カガリよ」
晴明の声が鋭く空を裂いた。
「いや、私たちが終わらせてやる……! それが、お前の、そして――人々のためだ」
「終わらせて……?」
カガリはかすかに笑った。
「ならば見せてみるがよい。おぬしらの“正義”とやらを」
戦いが始まった。
大地が裂け、風が叫び、光と闇が交錯する。
晴明の結界が天を貫き、紅明の炎が命を焦がし、宗雅の詠唱が時の流れを制する。
しかし、カガリもまた、ただの妖魔ではなかった。
悲しみを、絶望を、裏切りを、呪いに変えて戦い抜く。
彼女の力は、ただ強大であるだけでなく、魂そのものを蝕むような業だった。
そして――長き戦いの果て。
カガリは、ついに膝をついた。
その身体は血に染まり、衣は朽ち果てていた。
晴明と紅明は、術式を構え直す。
今こそ、祓いの時。終焉の瞬間。
だが――その時。
「待て」
宗雅が一歩、前に出た。
「宗雅……?!」
晴明と紅明の声が重なる。
宗雅はカガリのもとに歩み寄り、その顔を見つめた。
カガリの瞳が、わずかに揺れる。
「どうして……」
その言葉は、カガリの口からこぼれたのか、それとも宗雅の胸の内か。
宗雅は、静かに首を振り、そして――
「お前の絶望を、私は……感じた。何故それが分かるのか、自分でもわからぬ。だが……お前が、あまりにも……あまりにも、哀れで、不憫でならぬ」
宗雅の頬に、涙が伝った。
「すまぬ……私にはお前を救ってやれぬ……だが、祓うなど、そんなことは……できぬ」
晴明も紅明も、宗雅のその涙に言葉を失う。
怒りも、正義も、すべてを飲み込んで、宗雅の悲しみだけが、そこにあった。
「せめて……せめていつの日か……お前の魂が救われる日が来ることを。お前を救ってくれる者が現れることを」
宗雅は振り返り、仲間たちに言った。
「……封印で、頼む」
晴明と紅明は、しばし沈黙した後――頷いた。
こうして、妖魔カガリは祓われることなく、封印されることとなった。
静かな闇の底で、彼女は眠る。
未だに人の心を捨てきれぬまま。
誰かが、自分を救ってくれる日を――
信じながら。