第七十一話:託された過去、繋がる未来
かすかに風の音が吹く夕暮れ。
癒しの家の中庭には、赤く染まる光が差し込み、静けさと温もりが同居していた。
縁の気配が満ちるこの場所で、紅明は縁側に腰を下ろし、凛夜とカガリのふたりを前に座らせていた。
「お前たちには……そろそろ、全部を話しておくべきだな」
その声はいつになく低く、落ち着いていた。だが、そこに宿る想いの深さはひしひしと伝わってくる。
「昔、1200年前……芦屋冥道という男がいた。あいつは最初から“悪”だったわけじゃねぇ。むしろ最初は、誠実でまっすぐで……俺たちの中でも、最も強い正義感を持っていた」
紅明はふと遠くを見るようにして、言葉を続けた。
「だが、冥道は世界に拒まれた。正しいことをしているはずなのに、受け入れられなかった。術の力に溺れた連中にも、元老院にも……俺たちですら、彼の苦しみに気づけなかった」
凛夜が息を呑む。カガリはただ、目を伏せていた。
「そして冥道は、正道を捨てた。己を認めぬこの世への復讐として、禁忌を求めたんだ。……その一つが、篝――お前のことだ、カガリ」
ゆっくりと、カガリが顔を上げる。
「儂を、駒にしたと……そういうことかの」
「そうだ。お前は“癒しの巫女”と呼ばれた。人の傷を癒す稀有な力を持ち、人々に愛されていた……。それを冥道は妬み、陥れ、力を引き出すために、絶望と呪詛の中に堕とした。……すべては、自分の“兵器”とするために」
沈黙が落ちた。
だが紅明は、なおも語る。
「そして……冥道と同じ“芦屋”の血を持つ者がいた。俺の友――芦屋宗雅だ。だが、宗雅はその血を拒み、母方の姓である“久遠”を名乗った。彼は抗ったんだ。芦屋の闇に、冥道の誘惑に」
凛夜は、その言葉に目を見開く。
「……宗雅って、俺の、祖先……?」
紅明はうなずいた。
「お前の中には、宗雅の魂が流れてる。調和を選んだ芦屋の血……つまり、冥道にとっては、お前の存在自体が自らの“否定”なんだ。だからこそ、冥道はお前をの力を喰らい、自らを完成させ、調和を否定しようとしている」
凛夜は黙って拳を握りしめた。カガリがそっと、その手を握る。
紅明は、それを見てわずかに微笑んだ。
「……俺は、あの時、未来に希望を託された。安倍晴明――兄者が“予知”を遺したんだ。1200年後、冥道が異界の門を開き、大百鬼夜行を起こす。人も妖も神すら呑まれるほどの災厄が、この世を覆う」
紅明の視線が、凛夜とカガリを真っ直ぐに見据える。
「だからこそ俺は、禁呪によって長い眠りにつき、現代に目覚めた。そして今、お前たちに、伝える義務があると思ったんだ」
その声には、揺るぎない想いが込められていた。
「凛夜、カガリ。……癒しの家には、晴明や俺の従姉妹だった“安倍縁”の魂が今も宿ってる。かつて人々を救い、最後には自らを器にしてまで、未来を守ろうとした少女だ」
「……その魂は今も、お前たちを癒やしている。だから、忘れるな。その家に流れる“想い”は、祈りなんだ。繋がれた命の、希望なんだ」
言い終えると、紅明は大きく息をついた。
「……少し、疲れたな。続きはまた今度にしよう。決戦は近い。だが、今は……少しだけでいい。備える時間を作れ」
立ち上がり、紅明は振り返らずに言った。
「“逢魔”へ戻れ。あそこには、お前たちの居場所がある。仲間がいる。……守る理由が、ある」
紅明はカガリの目を見て優しいほほ笑みを浮かべる。
「⋯⋯変わったな。己が罪を受け入れ、それでも⋯か。良い目だ」
そして彼は、そっと笑った。
「それがある限り、お前たちは冥道になど負けはしない」
その背を、凛夜とカガリは黙って見送った。
夕闇の中、縁の庭の風鈴が、かすかに鳴った。
それはまるで、彼女の魂が静かに微笑んでいるようだった。