第八十一話:癒しの奇跡
癒しの家の呪縛を破り、微かな光が揺れていた。
その中心に、彼女は立っていた。
白装束に包まれ、微笑みを湛えた少女。
その姿は、かつてのまま――いや、さらに凛とした気配を帯びていた。
「……お主が……縁……なのか?」
カガリの震える声が漏れる。
凛夜も、思わず呟いた。
「受肉……魂はあの家に……? だとしてもこれは……死者蘇生に他ならない……」
目の前の少女が“癒しの家”にいた「誰か」であるという確信が、なぜか二人の胸に宿っていた。
そう、目の前の少女こそが、紅明が言っていた『癒しの家』に宿っていた、安倍縁に他ならなかった。
縁――安倍縁は微笑んだ。
「はい。安倍縁と言います。お二人共、はじめまして……ですね」
その言葉には、過去と現在、そして未来を繋ぐ不思議な優しさがあった。
凛夜の思考が追いつかないまま、縁は振り返り、逢魔の癒し手・美奈子に向き直る。
「状況は把握しています。美奈子さん、ごめんなさい。お辛いでしょうけど、もう少しだけ……力を貸してください。紅明お兄ちゃんを……助けるために」
その声に、美奈子ははっと息を呑む。
何度も訪れた癒しの家――
そこで感じた穏やかな力の源泉。それが、この少女なのだと理解した。
「……わかったわ。もうひと頑張りしてみる!」
二人の癒し手が紅明の傍らにひざまずき、癒しの術を展開する。
「……この子……凄い……」
美奈子はすぐに異変に気づいた。
縁の力は、“天才”などという言葉では到底表せない。
それはまるで、神に選ばれた存在のようだった。
紅明の脈が、わずかに戻っていく。
だが……それでも、まだ届かない。
現世に蘇り、逢魔の建設に身を投じ、無数の妖魔を倒し、異界の門を封じ続け、
禁忌の秘薬を使った。そして冥道との死闘を繰り広げた紅明。
その魂と肉体は、すでに限界を超えていたのだ。
「まだ……足りない……」
縁が苦しげに呟いた。
その時――彼女は、声を上げた。
「篝さん! お願いです、力を貸してください!」
その名に、カガリの肩がびくりと震える。
「儂は……もう……癒しの力など……」
かつて癒しの巫女と謳われた者。
だが今の彼女は、過去の罪と恐れに縛られていた。
それでも、縁は懇願した。
「そんなことありません!
貴女の中には、人を守り癒す力が、今も確かにある。
それを信じて……紅明お兄ちゃんを助けてください!」
カガリの瞳に、戸惑いと……微かな光が宿る。
「儂の中に……癒しの力が……?」
その震える手に、そっと添えられた手があった。
「……!!」
振り返ると、そこにいたのは――凛夜。
彼は、穏やかに、そして確かな信頼の眼差しで言った。
「カガリ。お前なら大丈夫だ。必ずできる」
その一言が、カガリの中の何かを解き放った。
恐れが、過去が、罪が、霧のように消えていく。
「……凛夜様……私……やります」
かつての口調で、かつての気高さを取り戻し、カガリは縁の隣に並ぶ。
紅明の傍らに膝をつき、手を差し伸べる。
……だが、力はすぐには出なかった。
それでも、カガリは諦めなかった。
背後には、凛夜の信頼の気配がある。
その温もりが、彼女の心に火を灯す。
「凛夜様……どうか……私に力を……」
瞬間、カガリの掌から柔らかな光が溢れ出した。
それは――かつての癒しの巫女が持っていた、真の“癒やしの力”。
ここに、時を超えて三人の癒し手が集った。
癒しの巫女、白鐘篝。
癒しと守りの申し子、安倍縁。
そして逢魔の癒し手、日下部美奈子。
三つの光が紅明の命を包み、壊れかけた魂を優しく繋ぎ止める。
やがて――
「……ん……」
微かな息吹が、紅明の唇から漏れた。
縁が、涙を滲ませて言った。
「おはよう……紅明お兄ちゃん……そして……ただいま!」
千二百年の時を越えて、二人は再び巡り合った。
それは、冥道が命を代償に託した“奇跡”の果て。
人としての心を取り戻した、最期の“贖い”。
そして、未来へと受け継がれた――癒しの光だった。