84限目 二子玉空の幸運体質
暗澹とした雰囲気が漂っている。
シュルツやヒナはもう、Windowsのスタート画面並に見慣れている葬式会場だ。
その場で、ひどく場違いな思いをしている少年がいた。
そう、一年生の空色の髪を持つ美少年、二子玉空だ。
彼の目の前で藤井ヒナは亡くなった。
死因はなんだったか。
――それは、心臓麻痺だった。
空がぶつかって、ショックを与えた場所はどこだったか。
――それは、ちょうど胸の辺りだった。
偶然の一致だろうか。
あるいは果たして、それこそが運命だったのだろうか。
というわけで二子玉空は今……。
ものすさまじい居心地の悪さを感じていた。
葬式には学園の有名人たちが集まっていた。
サッカー部の次期キャプテンであり、高校選抜にも選ばれた三島優斗。
九条財閥の御曹司。生徒会に並び立つ権限の持ち主、九条椋。
成績優秀、品行方正、そのずば抜けた容姿で芸能事務所にも所属している現役女子高生モデル、百地凛子。
などなど、そうそうたる顔ぶれだ。
どうやら藤井ヒナは、すごい人だったらしい。
まあそんな中に混じって、ひとり、下級生の空が小さくなっていたりする。
「……」
辺りには家族や親類縁者たちのすすり泣きが、響いている。
どうして自分はこんなところにいるのだろう、空はそう思わずにはいられない。
それもこれも、そうだ。
空が彼女の胸に――ぶつかってしまったからだ。
誰もその因果関係を指摘することはなかった。
だが、彼らの目は如実に語っている。
おまえがやったのだ。おまえがぶつかったから。
おまえのせいで。おまえがなにもかも悪い。
そこには空の被害妄想も混ざってはいただろう。
しかしそれがすべてではない限り、皆が空を許すことも、空自身が空を許すこともできない――。
いっそ責めてくれたら楽になれるかもしれないのに。
散り際、藤井ヒナが言っていたことを思い出す。
『空くん、これからあなたには、すごく辛いことが待っていると思います。でも、くじけないでください。心折れないでください。その悲しみはいつか時間が解決してくれますから……ええ、大丈夫です……。
あなたは強く――生きてくださいね』
果たして彼女はこのことを予言していたのだろうか。
「……」
お経に紛れて、空はぎゅっと膝の上に置いた手を握り固めた。
二子玉空はいわゆる『幸運体質』の少年だ。
これは物語が進めば明らかになるのだが、彼にはそれなりに複雑な家庭の事情がある。
乙女ゲーにおける攻略対象者は大体ふたりにひとりは複雑な家庭の事情があるものだが――まあ、彼にもある。
空はその幸運によって、身を守られていた。
彼はただそこにいるだけで、人々の笑顔の中心となる存在だった。
しかしそれは空にとって、自らの居場所とはなりえなかった。
幸運は彼の先天的な加護だ。幸運と空はイコールではない。幸運だけを求める輩は、空にとって必ずしも味方ではなかったのだった。
幼心を抱いたまま成長したそんな彼にとって、誰かに『イタズラ』を仕掛けるのは、自分とそして相手を繋ぐ立派なコミュニケーションの手段だった。
自分が不快なことをしても、それでも許してくれて、そばにいてくれる。それが空にはなによりも嬉しかったのだ。
「空」
そんな中、ひとりの青年が彼の元にやってきた。
見上げる空。その長身は藤井翔太。サッカー部のクラスメイトであり、貴重な空の友達――だったのに。
翔太は有無を言わせぬ迫力で、空の胸ぐらを掴み、彼を立ち上がらせた。
驚く。
「な、なんだよしょーちゃん、おい」
「おまえ」
翔太の目は怒りに燃えていた。
普段から口数が少なく、物静かな翔太がここまで感情をあらわにすることなど、滅多に見たことはなかった。
クラスメイトはその形相を向けてくる。
「俺の姉ちゃんは、心臓が弱かったんだ」
「……は、はあ?」
歯を食いしばる翔太の全身からは、怒りが立ち上っていた。
「それなのに、お前が、お前が……! またなにか、くだらねえイタズラをしたんだろ……! てめえが……!」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
思わず空は叫ぶ。
違う、空はそんなことをしていない。
ぶつかったのだって、ただの偶然だ。
「なに言ってんだよ、しょーちゃん、僕は別になにも、ちょ、ちょっと聞いてよ!」
「うるせえ!」
翔太は力ずくで空を床に叩きつけた。
180センチオーバーの彼が、160センチ弱しかない空を渾身の力で振り回したのだ。
空は人をなぎ倒しながら転がったが、打ち所が良かったのか、奇跡的にたったひとつも怪我はなかった。
――幸運体質である!
空は起き上がり、のっしのっしとこちらにやってくる翔太に、手のひらを向けた。
「ちょっと待ってよ、しょーちゃん! 僕は本当に、ただぶつかっただけなんだよ! それで、相手がそんな、そんなに病弱だなんて知らなくて!」
「うるせえ! だったらどうせ廊下も確認せずに走ってたんだろ! てめえはいっつもそうだよ! 自分が楽しければそれでいいんだ!」
「待って、待ってってば!」
空の弁解などまるで耳に入れず、翔太はその場にあった水差しを掴むと、彼に向かって思い切り投げつけた。
しかし、それは空には命中せず、彼の目の前で床に落下して砕け散る。
だが、きらきらと飛び散った水しぶきすら、空にはひとつもかかることはない。
すべてがまるで意志を持っているかのように、空のその周囲の人たちを濡らしていった。魔法のようだ。
――これが幸運体質だ!
生まれながらの祝福保持者、空は立ち上がり、翔太に抗弁する。
「大体、僕がなにをしたって言うんだよ! 廊下を歩いていればぶつかることだってあるだろ! そんなんで学校に来られても困るよ! 周りの迷惑も考えてよ!」
その瞬間、辺りの空気が変わった。
翔太は目を見開き、それだけではなく、家族たちもまた息を呑む。
クラスメイトは拳を握り、俯いた。
「空、お前……」
「あっ……」
口に出してはいけないことを言ってしまったことに気づきながら、しかし空はぐっと唇を噛む。
違う、そんなことを言おうとしたわけではないのに。
口からついて出るのは、ただの自己弁護でしかなかった。
「だ、だって僕は悪くないよ……。今までだって、ずっと、小学校でも、中学校でも、僕はこんな風に過ごしてきて、それで下手を打ったことなんて一度もなかったんだ……。僕はラッキーだったし、やることなすこと全部うまくいった……」
震える拳を自らの手で押さえながら、少年はうめく。
「こんなことになるなんて知らなかった! 誰も教えてくんなかった! 僕は悪くない! 僕は悪くないっ!」
彼は自らの頭を抱え、そして叫ぶ。
「なんだよこれ、たまたまだろ、なんで僕だけ責めるんだよ……わ、悪いのは僕じゃない、学校に来た藤井さんだ……僕は悪くないぞ、なあ、しょーちゃん、どうしてだよ……!」
皆の視線が空に突き刺さる。
そのときの『目』を彼は、一生忘れることはないだろう。
これからもずっと怯えながら生きてゆくしかない。
他人を、そして他人の『目』を――。
翔太はぐっと拳を握りながら、空へと近づいてゆく。
そして、彼の頬を思いっきり殴り飛ばした。
悲鳴が飛ぶ中、翔太は吐き捨てる。
「――二度とツラ見せんな」
空は、追い出されるようにして、葬式会場から退場した。
頭の中を占めていたのは、どうしてこんなことになってしまったんだ、という、現実に対する不条理な思いだった。
これから先もあの学校に通わなければならないのだという億劫さに、手も足も鉛に変わってしまいそうだ。
帰りに、痛む頬を冷やすためにジュースを買おうと思って、自販機に硬貨を投入した空だが。
「……」
二回連続でアタリであった。
余談であるが、自動販売機のアタリというものは、基本的にはプログラムで仕込まれているものだ。
数日前の販売本数から計算し、その日にアタリを出してもいいものかどうか、という設定がある。
ふたつ以上連続で当たることなど滅多にないものだが、空はそれを叩き出す。
ここまで書けばもはや説明は不用であろう。
――二子玉空は、幸運体質なのだ!
シュルツより一言:ツッコんだら負けだと思った。