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妖霊異譚 - 月丸 参
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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第玖幕 月丸
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月丸 参

 吉房達は翌朝早々に御所へと向けて出発した。月丸は神に会えるのがよほど楽しみであったのだろう。朝から笑みを浮かべたままである。

 反対に、安土はといえば、妖霊との一晩が余程緊張したのか、すっかりと憔悴している。しかし、栗を食い、にまりと無邪気な笑みを見せる妖霊が、伝承に残る恐ろしい者とは異なることだけは、薄ら理解した。


 月丸は歩きながら、吉房に訊ねる。


「なあ、お師様。この辺りは気が澱んでいる様に感じるが、何かあるのか?」


 吉房は足を止め、ふむ、と、一息溢して辺りを見回す。


「月丸や。儂には何も感じぬ。どの様な澱みを感じるか?」


 月丸も先程の吉房同様、辺りを見回し、首を傾げる。


「分からん。今まで見た人里に感じないものを感じるだけだ。心地良くはないやつだ。」


 月丸の応えを聞き、そうか、と、一言溢す吉房。この陰湿な空気に包まれた京ならば、さもありなんと思う。しかし、妖霊が不快を感じるという気の澱み。人である吉房には感じないが、気に留めることにする。


「それはそうだろう。ここは帝の住まう京だぞ。田舎の里と一緒にするな。この地は帝の力や陰陽により悪しき気を通さぬ結界が張られておる。気の澱みなどあるものか。結界の力が妖霊であるお主を拒絶しておるのだろう。」


 月丸の言葉に安土が言う。月丸は、里とは違うと言われ、納得する。


「そうか。よくは分からんがその結界とかのせいか。これが京の気なのだな。何だか気持ち悪いな。」


 直ぐに気持ちを切り替える月丸。だが、拒絶されていると言われると、僅かに気落ちする。


 やがて市で賑わう通りを抜け、京の中央に位置する大路に出る。市では商いがあり、人の往来があったが、御所へと続く大路には歩くものはまばらである。どころか、大路の道端には虚ろな顔で座り込む者、ぼろを纏い倒れている者、最早生きているのかすら疑わしい姿があちこちに見てとれた。大人に混じり、童の姿も多い。


「これは…酷いな。先の戦があったとはいえ、これ程飢えや病いで苦しむものがおるとはな。」


 吉房が怪訝な顔色を浮かべその景色を眺める。


「元々、乞食もおりましたが、先の戦で親を失い、食う物もなく、彷徨う子らが多く生まれました。農民であれば、生きる術を知っていように…。あの者らは武家の子であったり、或いは六波羅勤めの幕府の子であったり。余裕のある町の者が助けてはおりますが、全員というわけにはゆかず、この様な状況です。」


 安土が言う。月丸にも、辺りに居る童が、腹が減っているのであろう事は見てとれた。目に入った一人の娘。壁にもたれしゃがみ込み、すっかりとどろに汚れているが、歳の頃はすずと同じであろう背格好。


 その姿にすずを重ねた。月丸は思いついた様に、その娘に駆け出した。


「こら月丸!よさんか!」


 背から吉房の声が聞こえるが、月丸は無視した。娘の前にしゃがむと、背の風呂敷を下ろし、栗を三つほど取り出し娘に手渡す。


「俺の分を分けてやろう。少しは腹の足しになるぞ。」


 娘は礼も言わずに手にした栗を貪り始めた。よほど腹が減っていたのだろう。そう思い立ち上がろうとする月丸に、幾人もの人が襲い掛かった。


「わわわ」


 風呂敷を奪われ、着物を剥ぎ取られそうになる。着物はすずから貰った物。いくら飢えているとはいえ、月丸にとって大事な着物に触れられるのは癇に触る。襲いくる人を払い、とんと道端の建物の屋根まで飛び上がる。


 見ると、風呂敷は広げられ、入っていた栗を我先にと奪い合う人々。子供も大人も入り混じるその光景は、月丸にとっても異様であった。


 酷い。


 素直にそう思えた。

 拾った栗を慌てて口の中に放り込み、泥のついた皮ごと喰らっている。大人は子供の手から奪い、子供は足元の栗を拾い口に放り込む。


 屋根の上から動けずにいる月丸に、吉房が声を上げる。


「月丸!そのまま屋根の上を走れ!」


 月丸は頷くと、言われるまま、大路に沿って屋根を走る。合わせて吉房と安土も大路を駆けた。


「よ…吉房…様。我はもう…走れませぬ。」


 二丁程度走ったところで、安土が根を上げた。吉房は後ろを見ると、既に追って来るものは居ない。吉房は足を止めた。

 ぜいぜいと激しく息をこぼす安土を他所に、同じく屋根の上で足を止めて後ろを眺める月丸に降りてくる様に言った。


「全く…よせと言うたじゃろうに…」


 月丸の頭を撫でながら吉房は優しく言う。


「腹が減ってるんだろうと思ったんだ。助けてやろうと思ったんだ。なのにあんなにたくさんの人が…。」


 数多の鬼供を討ち、人の軍勢も一人で返り討った妖霊とは思えぬほど、驚きと恐怖の顔を浮かべたまま、細りと呟く月丸。


 吉房は月丸の前にしゃがむと、着物に着いた泥を払ってやりながら、優しく、静かに語を続ける。


「助けてやりたい。食わせてやりたい。お主のやった事は間違いではないぞ。じゃが、あの娘を助ければ、我も助けよと飢えた他の者達も求めてくる。今のあやつらには、人を思う余裕はない。一人だけを助けるというのは、ここでは意味を成さぬ。」


 人の情に触れ、人を知ったからこそ、月丸は自然と助けようとした。それは今までの旅で月丸が幾度となくされてきた事であった。


 腹減ってるだろ?これをお食べよ。そう言って差し出してくれる人の顔は、日に焼け、垢に塗れていても、優しい笑みであった。月丸はその様な顔を見るたび、嬉しく、そして感謝するという気持ちを覚えていった。

 だが、先の光景は、同じ人とは思えぬ。まるで過去に見た鬼供に連れられた餓鬼供の様であった。そこには喜びもなければ感謝もない。


「子供を大人が跳ね倒していた。子供の手から栗を奪っていたぞ。すずの父上ならそんな事しないのに…。」


 月丸の泥を払い終え、立ち上がった吉房は、改めて月丸を撫でた。


「そうじゃな。この者達も、腹が満ちれば、きっと人を取り戻すであろう。飢えや病いは人の心をも壊してしまう。」


 周りを見ると、先ほどと同様に、道端に寝転ぶ者や座り込む者、ただ、ふらふらと歩く者がある。こんなに大勢の人は助けられぬ。月丸は口をきつく結んだまま、吉房の言葉に頷いた。


「帝に頼んでみようかの。町人や農民、貴族が助け合えば、あの者達も救えよう。」


 吉房の言葉に月丸は再度頷く。


「帝なら助けてくれるんだな。このままじゃ皆可哀想だ。」


 再び御所へと向かおうと歩を出した月丸の前に、安土が塞がる。不思議に思い見上げる月丸に、安土は頭を下げた。


「もう何日も、この光景を見ている。助けたくとも助けられぬ事に心を痛めておりました。月丸殿の行動。あの様になってはしまいましたが、月丸殿の優しさに心を打たれました。昨晩からのご無礼、お許しください。」


 ぽかんとする月丸に、吉房が言う。


「お前が優しい子だと分かったから、仲良くしたいと言っておるのだ。良かったな。月丸。」


 吉房の言葉に、月丸の顔が明るくなる。


「勿論だ。仲良くしよう。」


 そうして三人は御所に向けて大路を進んだ。

御所に近くにつれ、道の端の浮浪の者達は居なくなった。安土の話では、この辺りは公家や貴族の住まう地であり、御所の近くでもある。路上で浮浪している者は斬られて捨てられるやもしれぬからだという。

 必死に生にしがみつく者を、助けるでもなく斬り捨てるとは、貴族と言うのも、実は鬼の種なのではないだろうか。いや、鬼ですら自分の一族を守るだろう。もしかしたら貴族と言うのは、人に似た別の何かなのかもしれない。月丸はそんな事を考えながらも、帝があの子らを助けてくれると信じた。


 直ぐに御所に到着した。これまで見たこともないほどの美しい作りの佇まいに、月丸は、ほう、と呟く。

 門には武家の者であろうか。腰に太刀を帯びた者達が立っている。安土はすたすたとその者達に近づくと、何やら話している。吉房は月丸の肩に手を置きながら言う。


「安土はああ見えて、帝に気に入られておるからな。陰陽の道を教えてやったが、そっちはからっきしな癖に、花や唄、茶には道を見つけおってな。その道のおかげで、帝の目に留まったんじゃ。」


「ふうん。」


 月丸に花や唄は判らぬが、鈴と歌った唄は好きであった。だからこそ、月丸としては安土は遊びが好きなのだろうという思いに至る。ごそごそと懐からお手玉を取り出す。


「何じゃ月丸。突然お手玉を出して…。遊んでいる時間はないぞ?」


 吉房の問いに月丸がにっと笑って答えた。


「安土も、帝も遊ぶのが好きなのだろう?安土と帝とも仲良くしたいしな。だからお手玉を教えてやろうと思ってな。」


 花も茶も唄も。言われれば貴族の遊びである。月丸にとっては童の遊びも貴族の遊びも変わらないのであろう。


「そうか。そうであったな。じゃが帝は忙しいからな。遊べんかもしれんぞ。」


「じゃあ、安土に教えてやるか。」


 月丸が胸にお手玉を仕舞っていると、安土が戻ってきた。


「お待たせしました。参りましょう。吉房様も月丸殿も、まずはお着替えになって下さい。私は帝に謁見できるか伺って参ります。」


 安土の先導で御所に入ってゆく。途中、門に立つ者の声が月丸の耳に入る。


(おう。あれが天下最高と謳われる陰陽師吉房殿か。)


(安倍晴明以来の術者だと言うぞ。)


(その様な者が味方につけば、我らも安泰ぞ。)


 月丸にはよくわからない言葉であったが、吉房が褒められている事は分かった。しかし、前を歩く吉房から、「ふん」と機嫌の悪い声が聞こえた事から、口に出すのを止め、ただ、師の背を追った。

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