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妖霊異譚 - 月丸 伍
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妖霊異譚  作者: 天戸唯月
第玖幕 月丸
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月丸 伍

 しゅわしゅわとビールの炭酸の音がやけに大きく聞こえる。雄座は先程までの月丸の話に夢中になって、気が付けば口も付けぬグラスを只々持つだけであった。


「凄いな月丸。当時の天皇に会っているのか…。そんなに簡単に会えるものでもなかろうに…。」


 呆然と驚く雄座の顔が面白く、月丸がくすくすと笑う。


「ふふ。人の世はまだまだ疎いが、きっとあの時代は案外会えたのではないかな?鞍馬だって妖霊おれの討伐を帝から命ぜられたんだしな。」


 月丸の目線がちらりと鞍馬に向く。当の鞍馬はふん、と声を漏らすと、ぐいっとビールを飲み干した。


「儂はこれでも神として敬われておるんだぞ。そりゃ当時は帝と会うこともあろうて。」


 討伐の言葉が気に入らなかったのか、鞍馬はつまらなそうに手酌でビールを注いでいた。


「月丸、帝との謁見が終わって、どうなったのだ?」


 雄座の催促。その目は興味に満たされ、まるでご褒美でも貰える子供のようにきらきらと輝いている。恐らく雄座の頭の中では、幼き月丸と吉房の姿がありありと映し出されているのであろう。情景の続きを期待するその目に、月丸は再びくすりと笑うと、ビールを一口飲み下し、再び語りはじめる。






 吉房は光厳の為に働く者ではない。いや、寧ろ後醍醐に付いたのではないか。

 帝との謁見後すぐに御所にその話は広がった。安倍晴明以来の術者と謳われる吉房が、敵に回るやも知れぬ。その感情は御所の者達を殺気立たせた。当時の情勢が、味方でなければ敵でしかない。そういう空気を作り上げていた。


「さて、さっさとお暇せねば、面倒がおきそうじゃな。」


 吉房はそう言うと、月丸の脱いだ着物を預かると、さっさと御所を後にした。帝は頼れない、何よりこのまま御所に居ては、強硬派の者達と一悶着あるやも知れぬ。そう考えたのであろう。吉房の動きは速く、帝の元を離れてから半刻もせぬうちに帰路に立っていた。


 帰りの道すがら、数件の家に寄り、町の者で協力して、通りの浮浪の者達を助けてやってほしいと頼み込んだ。

 月丸が驚いたのは、帝が断った吉房の願いを、町の者は喜んだ風に引き受けてくれたことであった。


「吉房様から頼まれたら、嫌とは言えまへんよ。」


「吉房様の役に立てるなら。」


「他の者にも声を掛け廻ってきますえ」


 月丸が不思議そうな顔を浮かべその光景を眺めていると、後ろから安土が語った。


「吉房様は、あの路傍の者達を助けるために町人に声を掛けておるのだ。帝の助けが期待できぬ。ならば自ら頼んで廻っておるのだよ。」


 へぇ。そう月丸が返事をする。それにしても、誰かを選んで声を掛けている様には見えない。寧ろ、通りすがりの者にも気安く話しかけて頼んでいる。それでも吉房が声を掛けた者は全員吉房の願いを快諾した。都の人も案外捨てたものではない、月丸はそう思った。一部の人が路傍の浮浪者を助け廻っていたというが、案外皆で助ければ、帝に頼る必要はなかったのではないだろうか。


「例え将軍が頼んだとしても、きっと町の者はあれ程嬉しそうに承諾しないでしょう。よしんば、承諾しても、何故自分が手を貸さねば…。そう思うでしょうな。吉房様のお陰でございましょう。」


 続く安土の言葉に、月丸が尋ねる。


「お師様が頼んだから、あの人達は助ける気になったってことかい?」


 安土は頷く。


「この都の町人は、多かれ少なかれ、吉房様のお世話になっております。吉房様は時には身を削って人の為に動いて参りました。そんな吉房様に御恩を返したいと思う者はこの都には数えられぬ程居ます。そんな者達が、こうして吉房様に直々に頼まれれば、ああしてやる気も起きようというもの。有難い。」


 月丸が御所の女にも聞いた話であった。それ程、吉房は町の者に好かれていたのだ。今も吉房が頭を下げ、語っている姿を見ている。声は聞こえぬが、頼まれた者はぱぁ、と顔が明るくなり、この鬱蒼とした雰囲気の町に似つかわしくない生きた目を取り戻している。


 改めて吉房という人の凄さを感じる月丸。吉房の元にとてとてと歩み寄ると、吉房に声を掛けた。


「お師様の方が、帝よりも断然凄いじゃないか。あの人達がみんなで助けてあげれば、きっとあの子達も元気になるな。」


 満面の笑みを浮かべる月丸に、吉房はふん、と鼻を鳴らすと、月丸の頭をがしがしと撫でる。


「馬鹿もん。帝と儂なんぞを比べる奴があるか。それに儂の力では何もできん。皆を助けるには金が要る。散財するのを分かった上で、救いの手を差し出してくれた町の者達こそ、真に良き連中よ。」


 言い終えた刹那、吉房の表情が険しくなった。


「安土また走らねばならん様じゃ。月丸も。行くぞ!」


 そう言うと吉房は、だっ、と駆け出した。分からずに月丸も駆け出す。安土もげんなりした顔で、渋々駆け出した。

 三町ほど走ると、今度は横道に外れ、山へと向かう一本道へと辿り着いたところで、吉房は足を止めた。既に民家からは離れ、周囲には田畑が広がる。日も落ち、月の登る前の夕暮れ時。

 吉房は薄暗く、既に先の見えなくなりつつある道の先を睨みつける。


「あの馬鹿共が…。民家のある場所でやるつもりであったのか?」


 吉房が呟く。

 月丸も、吉房の見る先に目を向ける。薄暗い道の先から、何やら大人数で歩いてくる者がいる。


「追手でございますか?」


 安土の不安そうな呟きに吉房が答える。


「で、あろうが…。何とも面倒な者を寄越したものだ。」


 吉房が面倒と言う程強い者であろうか。月丸は考える。八百万の神の力を借り受ける吉房が警戒するとは、どれほどの者か。月丸はじっと道の先を見る。


 道の先にいたのは人ではなかった。


 鬼や餓鬼、手足のある者から、首だけでふわりふわりと近づく者。頭は牛、体は屈強な不気味な出立の者。大太刀を肩に置き、カタカタを体を鳴らし歩く骸骨。


「ひゃ…百鬼夜行…」


 腰が抜けたのか、安土は震える声で呟きながら、しゃがみ込んだ。

 その隣で、月丸はがっかりした様に言う。


「何だ。妖の行列じゃないか。お師様が怖い顔をするから、どんな恐ろしい奴かと思ったじゃないか。」


 言いながら、吉房の隣に立つと、静かに言う。


「ありゃ式神よ。恐らく帝お抱えの陰陽師共の仕業であろう。味方にならぬであれば消しに掛かるとは、何とも浅はかよ。」


 吉房は月丸の肩にとん、と手を置くと、言葉を続けた。


「月丸。彼奴らに生はない。すまんがお前の妖霊の術だけで、あの妖怪共を消し去ってはくれぬか?」


 月丸は首を傾げた。

 吉房はあの者達あやかしに生はないと言う。しかし、何者も無闇に命を奪ってはならぬと吉房から言われていた月丸にとって、今の言葉は理解できなかった。

 何よりも、吉房であれば、数は居ようともあの程度の妖の列ならば、容易く消し去れるはず。月丸は疑問を投げる。


「お師様なら、あんな奴ら大したことないだろう?それに俺はお師様から無闇に殺してはならんと言われたが…。」


 月丸の疑問に、吉房は徐々に近づいてくる百鬼夜行を見ながら、答える。


「式神返しといってな。儂が陰陽の術によって百鬼夜行あれを討てば、その力は術者に跳ね返る。恐らく御所の陰陽師達が死ぬことになる。出来ればそれは避けたい。ならば、月丸。お主なら、式神とはいえ、術者共に害を成すことなく、あの百鬼夜行を消し去ることができるであろう?」


 月丸も何となく理解していた。数十年前、鞍馬天狗と戦って以降、人、妖怪、精霊、様々な者が月丸に挑み、討たれた。その魂は完全に消え去ることとなる。

 月丸の目の前で、山犬が怪我で今まさに散ろうとしてる時、月丸の目にはその山犬の体から白い光球が浮かび離れ、空へと消えゆくのが見えた。それが魂であることは後に知ることとなるが、月丸が手を下した者からは光球は現れず、霧散した。

 妖霊は命を操る。

 吉房から学んだ自分のことである。妖霊は魂を輪廻に戻すことも、完全に消滅させることも思いのままであるという。無論、吉房から聞いたのみで、月丸自身にどうやるかなどわかりはしないが、怪我や病いで死ぬ者と、自分が手を下した者の違いは理解している。


「お師様に式神を消し掛けるようなことをする奴らに気を使う必要はないんじゃないか?」


 そういう月丸に吉房は答える。


「良いか?御所の陰陽師達も、儂らが敵となる前に消さねば、自らが殺される。そう思っておるのだ。それは彼奴らの悪意ではなく、今の時勢がそうさせておる。決して悪い者ばかりではないのだ。じゃからこそ、術を返さずに式神そのものを打ち消してくれんかの?」


 月丸はその言葉に頷いた。

 いずれにしろ放っておいても、町人が襲われたのであっては気分が悪い。何より、式神を放った術者も殺さないようにと言うのであれば、確かに自分ならばできるのであろう。月丸は久方ぶりに妖霊として面前の百鬼夜行に対峙した。


「お師様。じゃあ蹴散らしてくるよ。後でやりすぎたと怒るなよ?」


 月丸はそう言うと、たっ、と駆け出すと、そのままひらりと跳躍した。道一杯に拡がる百鬼夜行の数を認識するために跳んで見たが、随分と長い行列であることに気づく。百はゆうに超えるその行列は、一斉に月丸へと目線を移した。

 前に立つ者が各々月丸に襲い掛かろうと駆け出してくる。ぼろぼろの太刀を振りかざす者、喰らおうと大口を開ける者。切り裂こうと爪を広げる者。月丸は襲い掛かる妖達に手をかざす。


「そうら。」


 月丸が一言溢すと、その手から黒い焔が勢い良く百鬼夜行に向かって噴き出す。


 ごう。


 巨大な焔に妖達が包まれる。断末魔の叫びがないのは、式神であるが故であろう。焔が消えると、そこに在った妖は姿を消していた。しかし、さらに道の奥から、構わずに向かってくる百鬼夜行の列。

 月丸はその行列に向かって駆け出すと、右手を横に払う。その途端、再び列の頭にいる数十の妖が焔に包まれる。時折、人型の紙が燃え上がり、炭となっている。個々の力は大したことはないが、随分と数が多い。幸い、百鬼夜行は道に並んでいる。月丸は駆ける足を速めると、右手から妖気によって作り出した黒い焔の剣を現す。その長さは道の端から端まで届く程の長さであった。

 月丸は列の左手に移り、右手の焔の剣を間横に伸ばしながら、列の横を駆け抜けた。月丸のあまりの速さに百鬼夜行は反応する前に月丸の焔の剣に撫で斬られた。そしてその黒い焔によって、次々と焼き消えた。

 百鬼夜行の列を蹴散らしながら、術の流れを意識する。確かに術者に繋がっているであろう力の流れを感じる。恐らく、吉房が陰陽の術によって撃てば、その力が術者に流れ、呪いとなるのだろう。だが、月丸の剣に焼かれた途端、その力の流れも分断されていた。恐らく、術者への返しはないであろう。それを信じ、月丸は一層速度を上げた。


 人の作りし百鬼夜行は月丸の相手にはならず、四半刻も掛からずに全ての百鬼夜行しきがみが消え去った。

 あれ程居た恐ろしい百鬼夜行の列は既にない。地面には燃えた人型の灰となった紙がかさかさと風に流されるのみであった。


「あれ程の数の百鬼夜行をあっという間に…。月丸殿の…妖霊の力とはこれ程ですか…」


 腰が抜けたのか、安土が地面に尻を突きながら力無く呟いた。改めて、月丸が妖霊であることを思い出したのであろう。全てを片付け、歩き吉房達の元へ戻ってくる月丸を見る目は、驚きに満ちていた。

 吉房は笑う。


「月丸が本気を出したら、こんなものではないわ。。しっかり術者への返しもさせぬように片付けてくれたわ。ありがたい。」


 吉房の言葉に力無く安土も笑う。


「然り。月丸殿が我らの…人の味方で良かったです。伝承と同じように人の敵となっていたらと思うと恐ろしいですな。」


 吉房はてふてふと走ってくる月丸を見ながら、呟く。


「敵となるか、味方となるかは月丸が何を見て、感じて決める事。奴が成すべき事を見つけた時、その時に我ら人が敵と思われぬようにせねばな。」


 吉房の呟きに、安土は無言で返した。今は月丸が懐いている吉房が居るが、もし、吉房が居なくなったらどうなることであろうか。安土に一抹の不安が芽生えた。

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