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かつて英雄と呼ばれた男は、今はただ幼竜と生き延びたい - 第34話 封鎖された海
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かつて英雄と呼ばれた男は、今はただ幼竜と生き延びたい  作者: 雪沢 凛
第三章:中立港都市カスティア

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第34話 封鎖された海

 アッシュが目を覚ましたとき、外はすでに夜だった。

 カーテンが光のほとんどを遮り、暖炉にはまだ静かに火が灯っている。乾いた薪の香りが部屋に漂っていた。


 室内はとても静かで、ただ穏やかな旋律だけが空気を満たしていた。

 その歌声は澄んでいて安定しており、音の一つ一つが心のどこかをなだめるようだった。


 アッシュは無意識に息を止める。

 その旋律は、夢の中の戦場で響いていた歌とあまりにもよく似ていた。

 厚い霧の向こうから懐かしい声を聞いたような、胸の奥を締めつける感覚——けれど、同じ曲かどうかまではわからない。


 火の光がリゼリアの横顔を照らしていた。

 彼女は炉辺に座り、リメアの首元をゆっくりと撫でている。まるで眠る幼獣をあやすように。

 リメアは彼女の膝に丸まり、静かに尾を垂らしていた。


 アッシュは視線をそらし、無意識にシーツを握りしめた。


「目が覚めた?」

 リゼリアが振り返り、自然な口調で問いかける。まるで今の歌もただの暇つぶしだったかのように。


「……ああ。」アッシュは短く答え、ゆっくりと上体を起こす。

 身体にはまだ重さが残っていた。


「熱、まだ引いてないわよ。」

 彼女は湯気の立つ水を一杯差し出しながら、淡々と言う。

「もう少し寝てた方がいい。明日、階段を下りるのすら辛くなるわよ。」


 アッシュは黙ってそれを受け取り、一口ずつ飲む。

 その間、視線は杯の縁に落とされ、どこか言葉を避けるようだった。


 暖炉の明かりが、三人の影を壁に映し出している——

 一つは高く、もう一つは低く、小さな丸い影が寄り添っていた。

 しばらくそれを眺めてから、アッシュは再び枕に身を預け、目を閉じた。


 再び耳に届くその旋律。

 夢で聞いた歌と似ているが、そこにはもうあの刺すような鋭さはなかった。

 火のぬくもりが角を削り、まるで石の隙間を満たす水のように、静かに、しかし確かに胸の中を埋めていく。


 リゼリアの歌声は続いていた。

 だがその視線は、アッシュの静かな横顔にそっと向けられている。


 そして、彼女は小さく、囁くように呼びかけた。


「……ノアディス。」


 その声は、まるで彼を驚かせないようにそっと落とされた。

 しかし、その中にはわずかに、試すような響きが混ざっていた。


 アッシュは反応しない。

 呼吸は変わらず静かで、まるで眠っているようだった。


 リゼリアは視線を落とし、唇がかすかに動いた。

 その声は、暖炉の薪がはぜる音にかき消されそうなほどに微かだった。


「……ごめんなさい。」


 彼女は再び火に目を戻し、旋律を途切れさせることなく歌い続けた。

 その声が、アッシュを戦場に戻すのではなく——

 今、この場所に、しっかりと引き留めていた。




 朝、窓から差し込む光が部屋を照らす。

 湿った海風と潮の香りを伴って、新しい一日が始まる。


 目を覚ましたアッシュの耳に、まず届いたのは外の通りから聞こえる重いブーツの足音と、押し殺された怒声だった。


 彼は窓辺へと歩き、カーテンの隙間から外を覗く。

 港の方向はすでに巡検隊で埋め尽くされていた。

 鎧は朝日に冷たく光り、長槍と火縄銃が行き交い、人々や荷車が一人ずつ調べられていた。


 遠くには、あのセラウィンと王国の旗を掲げた商船が、依然として係留されている。

 その周囲には小舟と監視の哨兵が増え、物々しい警戒が張られていた。


「今日は嵐になりそうね。」

 階段を上ってきたリゼリアが言いながら、パンと果物のジャムを載せた皿をテーブルに置いた。


 彼女の目がアッシュの顔に一瞬止まる。

「体調はどう? 昨日は……本当に、危なかったわよ。」


 アッシュは答えず、椅子に腰を下ろし、布に包まれた木箱を膝に乗せる。

 布に触れた瞬間、あの熱がじわじわと手にしみ込む。

 暗い潮のように、魔力が静かに吸い取られていく。


 彼の眉間に皺が寄る。

 布の端をめくると、銀の符文が朝の光を受けて一瞬だけ輝き——すぐに消えた。


 リゼリアはその様子を見ながら、低く言った。

「昨日の連中、あれを狙ってたんでしょ? ブレグを装って、あなたから素直に受け取らせるつもりだったのね。」


 アッシュは箱の角を指でなぞりながら言う。

「……もしそうだとしたら、これを手放さない限り、追撃は止まらない。」


「それに——」

 リゼリアの視線が薄くなった符文に落ちる。

「この封印、魔力を吸ってるってことは……力を失えば開く?」


 アッシュは首を横に振る。

「逆かもしれない。魔力で開ける仕組みって可能性もある。」


 彼は箱をテーブルに置き、指先を符文にあてて集中する。

 魔力が糸のように封印へと伸びる——

 だが、すぐに符文が震え始め、強烈な反動が走る。

 アッシュの腕が揺れ、思わず箱を落としそうになる。


 リゼリアがすかさず手を伸ばして支える。

「……やっぱり、そう簡単にはいかないわね。」


 アッシュは深く息を吐き、再び布で箱を包み直す。

 その手つきはいつになく重かった。


 リゼリアはそれを見届け、肩をすくめた。

 パンを一口かじって、ようやく口を開く。


「じゃあ、もう一度市街に行って、情報を集めましょうか?」

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