幕間 溪のほとりで
森の奥、せせらぎが静かに流れていた。
淡い紫の短髪をした子どもが岩に腰を下ろし、澄んだ声で歌を口ずさんでいる。
その旋律には、言葉にならない寂しさが宿り、まるで森全体が息をひそめて聴き入っているようだった。
その時、茂みの向こうからガサガサと音がした。
枝葉をかき分けて、同じ年頃の少年が転がり出てくる。
灰色がかった銀髪が斑に光を受け、驚いた子どもの目が見開かれた。歌声が途切れる。
「ご、ごめん!」
少年は慌てて手を振り、少し照れた笑顔を浮かべた。
「邪魔するつもりはなかったんだ。ただ……すごく、きれいな歌だったから。」
紫髪の子は肩をすくめ、警戒の色を宿す。
だが少年は気にする様子もなく、笑みを残したまま、彼の髪先を見つめた。
「髪、ちょっとガタガタだな。でも、この色……きれいだ。」
返事はない。少年は困ったように眉を下げ、思い出したように手にした獲物を掲げた。
「そうだ! 一緒に食べない? ウサギが獲れたんだ。」
紫髪の子は一瞬目を瞬かせ、小さく答える。
「……お肉は、食べられない。食べると、吐いちゃう。」
「じゃあ、お魚は?」
「……お魚なら、平気。」
少年は笑い、ためらいなく兎を放り投げて小川へ飛び込んだ。
「ちょ、ちょっと! 何してるの!」
「魚、捕まえるんだよ! 魚ならいいんだろ? 焼き魚には自信あるんだ!」
陽光の下、彼の笑顔は夏空のように明るかった。
紫髪の子は呆然とその背中を見つめ、胸の奥の警戒が少しずつ溶けていくのを感じた。
少年は乾いた枝を拾い上げ、掌の上に小さな火をともした。
「ボッ」と炎が上がり、彼の顔を照らす。
紫髪の子の瞳が丸くなる。
「……それ、魔法?」
「うん。君は使えないの?」
短い沈黙の後、小さな声が返る。
「ううん、魔力がないから、使えないんだ。」
「そっか。ま、いいけど。」
少年はまるで気に留める様子もなく、魚を手際よく捌き始めた。
濡れた服を脱ぎ、上半身をさらす。まだ幼いが、体つきには確かな力があった。
紫髪の子は思わず顔をそらす。
「濡れたままだと風邪ひくぞ?」
「……だ、だって……」
「へんなの。」
少年は笑いながら、胸元の小さな銀青色の鱗に触れた。
「それ……竜の鱗?」
「うん。アエクセリオンにもらったんだ。かっこいいだろ?」
少年の瞳が誇らしげに輝く。
紫髪の子はその光に目を奪われた。
「ほら、焼けたぞ!」
香ばしい匂いとともに、こんがり焼けた魚が差し出される。
「食べてみて。」
太陽の下の笑顔はまぶしく、紫髪の子の胸に、ほのかな温かさが広がった。
恐る恐る一口。
「……おいしい。」
少年は一瞬目を瞬かせ、それから満面の笑みを浮かべた。
「やっと笑ったな!」
「……え?」
「さっき歌ってたとき、すごく悲しそうだったから。笑ってほしいって思ったんだ。」
紫髪の子はうつむき、火の揺らめきを見つめた。
指先が、そっと膝の上で握られる。
――その時、光が陰った。
「……?」
顔を上げると、空が巨大な影に覆われていた。
樹々がざわめき、風が渦を巻く。
一頭の銀青の竜が雲を裂いて降りてくる。
その存在だけで、世界が静まり返った。
「アエクセリオン……迎えに来た。」
少年が小さく呟く。
竜は翼を畳み、地に降り立った。純粋な青の瞳が二人を見下ろす。
紫髪の子は息を呑む。
恐ろしいはずなのに、不思議と胸の奥が静かだった。
竜の鼻先が少年を軽く押す。
「あ、ちょっと待って!」
少年は慌てて服を着直し、次の瞬間、竜の顎が彼の襟を咥え上げた。
そのままひょいと背へ放り上げる。
「たぶん……もう会えないかもしれないけど。」
少年が微笑む。
「僕はノアディス。君の名前、教えてくれる?」
紫髪の子が唇を開いた瞬間、
竜が翼を打った。
「うわっ!」
風が轟き、言葉が風にかき消される。
「何て言ったの!?」
少年の声も、空の彼方へ消えていった。
銀青の巨影が雲を裂き、遠ざかっていく。
残されたのは、ただ一人、風に揺れる小さな影。
――彼は知らない。
目の前の「魔力のない子ども」が、
本当は少女だったことを。