30話 苦悩と罪悪感と欲望
クロエは驚きながらも、アーシャが疲れから肩を大きく上下させている姿を見て、すぐさま彼女のもとへ駆け寄った。
「こんなに汗をかいて……っ、大丈夫なの……!? 寝てなきゃだめじゃない!」
「ごめん、なさい……っ、でも……もうこれ以上、お姉様に苦しんでほしくなくて……」
「!」
アーシャの発言と、彼女の現場の状況に驚いていない様子から、どうやらクロエは何故テティスたちがこの場に現れたのかを理解したらしい。
クロエはハッとした表情を見せてから、アーシャを覗き込んだ。
「アーシャ……貴女、水龍様の祠が土砂崩れの下敷きになっていることを知っていたの?」
「うん。お姉様の様子が変だったから、一度後をつけたの……。その時に見ちゃって……。お姉様が秘密にしてるなら、私もそうしたかったけど、ノア様が怪我をしたって聞いて、それでテティス様にお話して……」
「……そう、だったの」
クロエはアーシャに対して、声を荒らげることも、何故秘密をバラしたのだと責め立てることもなかった。
むしろ、申し訳なさそうにアーシャを見つめている。
大切な妹に、精神的な負担をかけてしまったことを悔いているのだろうか。
「アーシャ、私は少しテティス様とお話するから、貴女はあっちの木陰で休んでいなさい」
「うん……」
クロエは大木の側までアーシャを連れて行く。よほどの小声でなければ、話し声は聞こえる距離だ。
そして、アーシャが腰を下ろしたのを確認してから、クロエはテティスの目の前まで歩いた。
「テティス様、お待たせしました」
クロエと対面したテティスは、彼女の何とも言えない雰囲気に緊張感を覚え、固唾を呑んだ。
「そんなに緊張なさらないでください。この場にテティス様が来たことを問題にするつもりはありませんから。……それで、何故こちらにいらっしゃったんですか?」
「……クロエ様がこの現状を何故隠していらっしゃったのかを、尋ねたくてまいりました」
土砂崩れの被害に遭っている箇所を横目で見ながら、話すテティスに、クロエは「そうですわよね」と相槌を打つだけで、驚いた様子はなかった。
「テティス様はどう思われます?」
「えっ」
「何故、私が秘密にしていたのだと思いますか?」
「…………」
改めて考えてみても、これだという理由は見当たらなかった。
テティスが少し間をおいてから「分かりません」と答えると、クロエは吐き捨てるようにハッと息を漏らした。
「まあ、分かるはずありませんわね」
そして、クロエは嘆くような声でこう言った。
「水龍様の祠の管理は、必要ないのだということを、証明したかったからですわ」
「それは、どういう──」
理解が追いつかないテティスに、クロエは言葉を続けた。
「順を追って説明しましょう。まず、水龍様の祠の管理を私たちマーレリア家の人間が代々引き継いでいると話したことは覚えていますか?」
「はい」
水龍の祠に供物を捧げたり、汚れなどを清掃したり、お祈りを捧げたり。その他、何か異常がないか、不法侵入者がいないかなどの確認を毎日行っていると前に話していた。
確か、マーレリア家の人間が行うというより、クロエ一人がその役目を担っているというような口ぶりだった。
「八年前までは、そのお役目は私と母が任せられておりました。父はかなり領地経営で多忙で、屋敷を空けることも多くて……他のマーレリアの血筋の者は様々な事情で他国や他領に行っていましたから。けれど、八年前……アーシャを出産した直後に母は亡くなってしまい、そのお役目は私一人で担うことになりました」
「……では、クロエ様は八年間もの間、ずっと一人で水龍の祠の管理を……」
「ええ、その通りです。暴風の日も、雷雨の日も、欠かすことなく。とはいえ、三年ほど前からは祠に供える花をアーシャが摘んでくれるようになったので少し楽になりましたし、マーレリア家の誰かがやらなければいけないなら致し方ないと思って、行ってまいりました」
諦めたように話すクロエを見て、テティスは胸が痛んだ。
(きっと、何度もそのお役目を降りたいと思ったはずだわ……)
これが自分の好きなこと、自分でやりたいんだと思ったことならまだいい。
けれど、クロエの場合はそうでなかった。たとえ一日に一時間程度のことでも、義務感や責任感だけで毎日何かを全うするのは、とてつもなく大変なことだ。
「……でも、数カ月前のとある日、思ってしまったんです。こんな生活が一生続くのかしら……自分が子を産んで、その子も同じ思いをしたら、嫌だなって」
「クロエ様……」
「そんなふうに、お役目に不満を持ち始めてから少しした時、マーレリア領地は豪雨に襲われたのです」
豪雨はこの辺りに最も長く留まり、その影響で土砂崩れが起きた。
豪雨が過ぎ去った次の日にこの場を訪れた時には、既に祠は土砂に埋もれてしまっていたらしい。
「この状況を見た時、私はチャンスだと思いました。あの祠は、守り神になってくださって水龍様に感謝し、今後もこの土地を守ってくださるよう願うためのもの。けれど、祠がこんな状態でも魔物が襲ってこないのならば、毎日祠の管理をせずとも、何ら問題がないことを証明ができるんじゃないかって。しばらくしたら、祠の現状とその期間、その間何もなかったことを父に相談して、このお役目はなくしても構わないんじゃないかと伝えようと思っていました……」
「けれど、豪雨の日を境に、数百年もの間ヴァイゼル湖の奥底で沈黙していた水龍が動き始めたんですね」
「……ええ、そうです」
周りから怪しまれないよう、豪雨に襲われた日以降も、クロエは毎日この場所を訪れていたそうだ。
その際、ヴァイゼル湖の様子も確認したという。
無風だと言うのに水面が不規則に揺れている姿を見て、彼女は誰よりも早く水龍が湖の底で暴れているかもしれないことを、その原因が祠の現状にあるかもしれないことを察したらしい。
「……ヴァイゼル湖には多くの人が訪れていたため、遅かれ早かれ異変に気付いてしまいます。そうしたら、父が祠には問題はないのかと確認するかもしれません。祠の管理は毎日私が行っていますから、当然私がこの状況を隠していたことは知られてしまいます。更に、『祠を大切にせず、管理を怠れば災いが起きる』ということが広まれば、なおさら祠の管理のお役目はなくならない……。正直、まずいと思いました」
しかし、とある偶然が起こった。
領民からヴァイゼル湖の様子がおかしいという話を聞いたクロエの父が、ヴァイゼル湖と祠を見に行こうとした日、転倒して足を骨折し、入院することになったのだ。
そのため、祠の現状と、それをクロエが秘密にしていたことがバレることはなかった。
「とはいえ、水龍様がお怒りになっているかもしれないと事を大きく捉えた父は、魔術師様たちに派遣依頼を出しました。その結果、テティス様やセドリック様たち……。そして、初恋の相手だったノア様がこの地にやってきてくださいました」
「……! ノア様が、初恋の相手……?」