第9話:極光
2025/9/4 大幅改稿+タイトル名変更
2026/2/18 加筆修正
朝が来た。
昨日の異変は、夢だったのでは──そう思いたくなるほどの、穏やかな朝だった。
けれど、スヴィグルの目の下にある隈と、繋が静かに彼の様子を見守るその表情が、すべてを物語っていた。
そして何より違っていたのは───
「スヴィ……目の色が変わってる……」
「な───ッ」
繋は魔法のトランクケースから、小さな鏡を取り出すとスヴィグルに向ける。
今まで薄緑色だった瞳が、深い紅色に変わっていた。
自分の身体の一部が変わってしまった事にショックを受けるスヴィグルに、繋は言葉を選びながら問いかけた。
「昨夜のこと、覚えてる?」
繋の問いかけに、スヴィグルはわずかに頷いた。
「断片的に……けど、あれは……オレの意思じゃなかった。あんな戦い方──まるで魔獣と同じじゃねえか……」
本能のまま力を振るい、溢れる破壊衝動に身を任せる。それは、まるで人ではなく獣そのもの。スヴィグルは焚き火の灰の中を見つめながら、言葉を続けた。
「……でも、初めてじゃないんだ。思い返せば、何度も似たような感覚があった。村を襲われたときも──気がついたら、斧を握って、身体中魔獣の血で血まみれになってた」
暴力と蹂躙に支配されるあの瞬間。少しでも、一瞬でも、心地良いと感じてしまった自分が恐ろしいとスヴィグルは恐怖する。
だから、つい言葉にしてしまう。破壊衝動に染まり、果てに辿り着く魔の存在。
魔人になってしまったのではないのかと。
「───オレは魔人になっちまったのかもしれねえ」
「違う」
スヴィグルの震える声を鋭い声で遮るように繋の力強い声が2人だけの部屋に響く。そして、もう一度、何度だって言い聞かせるように言葉を続けた。
「───それは違う。断じて」
スヴィグルは目の前の相棒の姿を、俯いたまま視線だけを何とか向ける。
そこには凛とした佇まいで真剣な表情をした繋が目の前にいる。
スヴィグルの両手をそっと取り、繋は優しく手を包んだ。
繋を不安な表情のまま見上げるも、そこには目を逸らさずに、ジッと目を合わせる相棒の瞳があった。
スヴィグルは「……だけどよ」と声を漏らす。珍しく精神共に弱っているスヴィグルに繋は何度も何度も「大丈夫」と優しく繰り返す。
「僕は知っている。君が暴力を楽しむような人じゃない事も、意外と優しい人だってことも」
縋るような目を向けるスヴィグルに繋は微笑む。
繋は無意識に選択する。こういう時こそ、不安にさせないようにする為の笑顔を。
その笑顔を見て、スヴィグルは少しだけ心が落ち着くのだった。
「すまねえ。だいぶ気が弱ってたみたいだ……」
「良いんだよ。それにね。スヴィグル聞いて欲しい事があるんだ」
「ん?」
「君の家系について。そして、君の血筋について」
繋から静かに語られた内容はこうだった。
ヒョードルと手合わせを受けていた時から、気を失い暴走してしまう事があった事。
そしてヒョードルと繋は調べたところ、スヴィグルの一族は古くから存在する狂化の魔力を宿し、仲間殺しと呼ばれていた戦闘民族に属する一族だった事。
そして──スヴィグルの血。ハーキュリーには古き魔王が残した血が流れている。
それらを全て一切噓偽りなく説明をした。
その内容に勿論本人はショックを受けていた。繋はスヴィグルの混乱が落ち着くまでの間ベッドの隣に座り彼の大きな背中を優しくさする。
やがて落ち着いた後、スヴィグルは頭痛に耐えるようにこめかみを抑え、椅子代わりに座っていたベッドの上で体を折り曲げた。
「オレの家系にそんな秘密が……それも、昔の魔王が残した血族……どうしよう……ケイ。お前と旅を続けてえのに、オレの狂化を放っておいたらお前を危険に合わせちまう」
悲痛な声を漏らすスヴィグルの手を繋は強く握りしめる。
「大丈夫。その解決方法まで僕は知っているから」
「ほんとうか?で も、それはお前に迷惑がかからねえか?」
「……うん」
「おい?!」
視線を横に逸らした繋に、まさかと目を見張る。危険な事をしないでほしくてスヴィグルは繋を止めようとするが、繋は「大丈夫」と言うばかりだった。
「まあまあ、落ち着いてよ。昨日も言ったでしょう? 君も知っている通り、なんだかんだ僕も強いからね」
その力強さに逆らえる事も出来ず、スヴィグルは呆れた顔をしながらも、ほっとしたような表情で頷いた。
──そしてふたりは、ヒョードルから渡された地図を手がかりに、町から外れた海沿いの村を目指す。
「海だ……」
「うん、海だね。……久しぶりだなあ」
辿り着いた場所は漁港というのもあり人々が活気づいていた。
海が隣にあるからか潮の香りが強く、繋はふと地球の祖父の家を思い出す。
「なあ、なんか周りの奴らやけにオレの事を見てるよな?」
「確かに…でも敵意は無いし、もしかしたら君が同胞だと勘付いているのかも?」
「それは、なんというか、嬉しいのかどうか分かんねえな」とスヴィグルが苦笑いをする。
村の人達にある場所を尋ね続け、やっと2人は目当ての場所に辿り着く。
村の少し外れだったがそこには海を背景に聳え立つ古びた遺跡が立っていた。
「ここが、例の儀式をする場所……」そう呟いた瞬間だった。
「ほう。ここの場所を知っているとは、もしや同胞か?」
2人の後ろから、しゃがれた声が投げかけられる。
ばっと2人は後ろを振り向くと、そこには白い髪を三つ編みにした老婆が杖を突き立っていた。
老婆はスヴィグルにゆっくり歩み寄り、その全身と真紅の瞳をじっくりと見つめる。
「おや? ふむ……お主、もう狂化に呑まれつつあるのじゃな」
その言葉に繋はぴくりと体を強張らせ、本題に入るべく老婆に話しかける。
「僕たちは、彼の狂化を解除する方法を探してここに来たんです。儀式についてご存じの方はいませんか?」
「お前さん、そこまで知っているのか……。一体、何者じゃ?」
繋は勇者として魔王討伐の旅をしていること、スヴィグルの狂化は復讐心から始まったこと、そしてヒョードルからのつてでこの村を訪ねてきたことを端的に説明する。
「まさか、ヒョードル王の養子が来るとは――これはまた、運命というものか」
「えっ、ヒョードルを知ってるんですか?」
「ふふふ、昔起きた大規模スタンピードがあった時に一緒に戦った仲じゃよ」
「まさか、じいさんの知合い!? それって大戦の大英雄じゃねえか!?」
老婆は楽しそうに笑いながら応える。
「ワシの名前はヘルヴォール。80まで斧を振ってたが、今はただの老いぼれじゃ」
ちなみに、本来の彼女の年齢は120歳。魔王に繋がる血のおかげか、人間離れした健康さと長寿を誇っている。見た目もやろうと思えば若く維持
「では、繋、スヴィグルよ。立ち話もなんじゃ。宿で飯でも食いながら話すとしよう。付いてきなさい」
老婆に案内され、ふたりは村一番の宿へ。1階の食堂には、港町らしい海鮮料理がずらりと並ぶ。
「うわ、パエリアとかアクアパッツァもあるなんて、地中海料理風って言うのかな? 僕の居た日本でも、こんな本格的なレベルな物は中々食べられないんだよね!」
子供みたいに目を輝かせて料理をはしゃぐ繋。その様子にスヴィグルも思わず吹き出し、ひと時だけ重い空気が和らぐ。
と、その時。村人たちが次々に食堂を覗きに来て、嬉しそうに声をかけてくる。
「おお! やっぱり同胞だったじゃあねえか」
「こんなご時世に、血族が戻ってくるとは!」
スヴィグルは、若干居心地悪そうにしながらも、その注目を受け止める。
ヘルヴォールはふたりを見て、しみじみと微笑む。
「すまんな、若い同胞よ。この村を出た血族の者が戻って来る事自体、珍しいのだ。許してやってくれ」
彼女は軽快に笑いつつ本題に入った。
「本題だが、ヒョードル王の言う通りじゃ。狂化を解呪するには、スヴィグルよ、狂化した状態で誰かと戦い、どちらかが勝つ必要がある」
「……は?」
「あ、やば……」
繋はエビの殻を破る手をピタリと止める。解呪の条件。その一部をワザと伏せていたのだが、ヘルヴォールが説明してしまった事で、隣にいる存在から怒気を感じて、ギギギと錆び付いた人形のように、ゆっくりスヴィグルに首を向ける。
案の定、そこには鬼のように険しい顔をしていたスヴィグルがいた。
「……繋お前、一番大事なとこ黙ってやがったな」
だが、こうなってしまった以上、仕方がない。本音を言えば、繋としては何も告げずにスヴィグルが狂化した状態で戦いたかった。
狂化中ならスヴィグルの記憶は断片的にしか残らない。そのほうが、本人も余計な罪悪感を抱かずに済むし、繋自身も迷いなく全力を出せる。そう思っていたのだ。
「ケイ、答えろ」
低く重たい声に、繋はあくまで平静を装って肩をすくめる。
「そんなに怒らないでよ。どっちみち、必ず戦うことになってたんだから」
おどけた風を装うその仕草が、逆にスヴィグルの怒りに油を注いだ。
「ふざけんな!! 勝手に決めて、勝手に一人で背負おうとしてんじゃねえよ!!そんなのが条件ならオレは納得できねぇ!」
スヴィグルの怒声が食堂に響く。
一瞬、場が凍ったように静まり返る。
食堂の空気が一変し、村人たちのざわつきが広がり、「なんだなんだ」とひそひそ声が飛び交う。
繋もほんの一瞬だけ驚いた表情をしたが、そのまま静かにスヴィグルの怒りと視線を受け止めていた。
ヘルヴォールが椅子を押しのけてゆっくり立ち上がり、スヴィグルの肩に優しく手を置いた。
「スヴィグルの言う通りじゃ、繋よ。何もお主が戦うことはない。今はもう昔と違い、殺し合う必要なんてないのじゃ。同じ血族者なら、スヴィグルの狂化も受け止めれるだろうし、最終的に勝負でどちらかが勝てば呪いは祓える」
ヘルヴォールの落ち着いた声に、繋は一瞬だけ感謝の表情を浮かべる。が、すぐに決意を取り戻し、真っ直ぐ彼女を見返す。
「……ありがとうございます。でも、それじゃ駄目なんです」
「それは、なぜ?」
「彼の師はヒョードルなんです」
その言葉に、ヘルヴォールの目が一瞬大きく見開かれた。師がヒョードルだということは、つまり、自分と同じく世界規模のスタンピードを止めた大英雄から、さまざまな武技を教え込まれ、身につけているということに他ならない。
これでは、この村の上位層の戦士でも、太刀打ちできないはずだ。
「この村の戦士は、冒険者でいうSランクに値するのだが、ヒョードル殿の弟子なら一筋縄ではいかぬのう……むしろ、我ら一族の中でも古き魔王と直系であるハーキュリーにあの武王からの手解き……やばいのう!」
出来上がったのは最強の戦士でした!みたいな想像が出来てしまってヘルヴォールは思わず豪快に笑ってしまう。
「あははは。でしょう? だから、同じ師を持つ僕じゃないとダメなんです」
繋は静かに立ち上がり、スヴィグルの腕をつかんで隣の席に座らせた。彼の心臓付近、胸を軽く叩くと、くしゃりと微笑んでみせた。
「大切な人が苦しんでいるんだ。僕の力で助けれるなら、助けさせて欲しい」
スヴィグルは息を呑む。拳を小さく震わせたまましばらく俯いていたが、やがてぽつりと告げた。
「お前、その言い方はズルいぞ」
「えへへ。そのくらいには本気ってことさ。それに、前に約束したじゃないか?」
「……約束?」
「君に何かあったら、必ず僕が助けるって」
その言葉に、スヴィグルは息を詰まらせた。
しばし黙った後、ようやく搾り出すように言葉を返す。
「すまん……ありがとう。頼んだ」
ヘルヴォールは嬉しそうに大きくうなずき、「ふふふ。本当に良い仲間に恵まれたのう、スヴィグル」と言った。
スヴィグルは照れ隠しのように「……まあな」とそっけなく答え、繋は小さく肩をすくめて照れ笑いを浮かべた。
儀式の夜は、次の満月まで。
二人はその間、村で過ごしていた。
スヴィグルは同族のよしみもあり、村人たちから両親のことや外の世界について色々と尋ねられることが多かった。
加えて、もともと好戦的な一族の性格も手伝って、食堂での繋の発言を聞いていた一部の村人たちはスヴィグルに戦いを挑むことも少なくなかった。しかし、ヒョードル仕込みの戦闘力には勝てるはずもなく、あっさりと打ち負かされる村人ばかりだ。
負ければ悔しがるものの、「次は負けねえ!」と強気なことを言ってまた挑む姿は、スヴィグルとも重なり、一族ゆえの気質なのかもしれなかった。
そんなこともあってか、小さな子どもたちからはすっかり憧れの的になり、しょっちゅう子どもたちに追いかけられて、逃げ回るスヴィグルの姿が村の日常風景となっていた。
「スヴィグル兄ちゃん、稽古つけてくれ!」
「斧の使い方、教えて~!」
「逃げんなっ!」
「なんでオレに聞くんだよ!? オレは教えるの苦手だから他の奴に聞けってんだ!」
そんな光景を、繋は面白そうに眺めていた。だが、繋自身にも似たような状況が待っていた。儀式の挑戦者ということもあってか、どれくらいの強さなのか確かめたいと、村の若者たちから次々と勝負を申し込まれることが多かった。
最初のうちは真面目に相手に応じていたものの、その数があまりにも多すぎて、今では上空に飛んで逃げる羽目になっている。
「おい! ケイ! オレも乗せてくれ!!」
「そうしたいのは山々なんだけど、こっちを狙う目が多すぎて降りられないんだよ!」
そんな明るい日常を送りつつも、スヴィグルの身体は徐々にハーキュリー族の呪いに蝕まれていった。気を失い、暴走することも次第に多くなって、そんなときは、繋が必ず相手をして、鎮静の魔法をかけて抑えるような日々が続いていた。
繋自身は気にしていない様子だが、スヴィグルはそのたびに「迷惑をかけている」と自分を責め、精神的に追い詰められていった。
……そんな日々が過ぎて、ついに満月の夜がやってくる。
そして、ついに待ち望んだ日。
遺跡の前の広場。
遺跡を背に、満月が空高く浮かび、その光が静かに海の水面にも映し出されている。
少し離れた場所で見守るヘルヴォール。向かい合うスヴィグルと繋。
「ほんと、無理だけはしないでくれ」
「………ん」
心配そうなスヴィグルを横目に、繋は目を右斜め上に逸らす。
「おい! マジで無理はすんなよ!」
「あはは、うん、無理はしないさ」
スヴィグルは思わず舌打ちをした。
なぜなら、目の前の繋の笑みは、出会った頃に何度も見た作り笑いだったからだ。
恐らく、いや、間違いなく目の前の相棒は自分を助ける為に無理をするのだろう。
何も出来ない、寧ろ迷惑をかけてしまう自分に歯がゆくなるも、もう時間はない。
空には満月が昇り、遺跡の静かな空気を一層神聖なものに染め上げていく。
月の光が徐々に遺跡に満ちていく。
スヴィグルの心臓がドクン、と高鳴った。鼓動がだんだん早くなり、血が熱く体中をめぐる。スヴィグルの黄金色の髪が逆立つように揺らめき、後ろで束ねていた紐がぷつんと切れた。
ゆっくりと顔を上げると――焦点の合わない真紅の瞳が、“敵”をまっすぐに見据えていた。
ガッっと地面が砕けるような衝撃音とともに、スヴィグルは地面を蹴り、一気に繋の懐へと迫った。
「ッ!!」
繋は瞬間的に反応し、心の中で『シュラム(沼と化せ)』と呟く。無詠唱でスヴィグルの足元を沼地に変え、その凄まじい勢いを削いだ。
だが、スヴィグルの怪力と跳躍で沼地は一瞬でぶち抜かれたが、しかし繋には、その一瞬の隙で十分だった。
わずかに距離を取った繋は、杖を下から上に一閃する。
スガン!!と土の槍が地面から何本もせり出し、スヴィグルの身体をまるで牢屋のように四方から取り囲んだ。
(よし! 今のうちに、彼の意識を飛ばすほどの攻撃を叩き込めば!)
杖に魔力を集中させ、杖を魔力で補強させる。自分の身体にも強化魔法をかけた状態でスヴィグルの鳩尾を狙う為に駆けようとする。
その瞬間、キン、と甲高い音が響いた。
(え……?)
微かな違和感。繋が動きを止めると、キン、キンと続けざまに音がする。その正体に気づいた繋は、「嘘でしょ……」と顔を引き攣らせた。
「まさか、スヴィグル……魔力回路、持ってたの!?」
スヴィグルの体と魂が危機によって覚醒し、眠っていた魔力回路が一気に開放された。そして、その音はただの音ではなく、光属性魔法が発動する時のものだった。
「リョース(極光)」と低く、獣じみた声が漏れる。
スヴィグルの体に白い光の膜が現れ、消えたかと思うと、檻のような土の槍が音を立てて砕け散った。
(身体能力強化……いや、それ以上の何かか?!)
スヴィグルは斧をゆっくりと振り上げる。極光が集まり、斧が白く輝き始める。
キキキィーーン!と音が短くなり、斧が光を集めて唸っているようだった。
(これは、まずい……ッ!)
繋の脳内に危険信号が警報のように鳴り響く。
「ブローディア!!」
すぐさま、未完成ながらも、繋は自分の持てる限りの最上位の防御結界を村全体に展開し、角形の防御壁が村を包むように張っていく。
同時に、念のため自身にも防除魔法をかける。「フロス」と新作魔法を唱えると共に極彩色の薄いシャボン膜が繋自身を包み込んだ。
その直後、スヴィグルが渾身の一撃を振り下ろす。
キン!と繋に向かって放たれた”白い光の裁断”が走る。繋自身は斬撃が如何に早くともスヴィグルの動きを見て避けた為、傷一つつかずに済んだのだが避けた直後パリンとガラスの割れる音が響いた。
「まさかッ!!」
背後を振り返れば、放たれた一閃が、繋の最上級結界をあっさり粉砕していた。
「……ふふふ、マジかあ」
一流の魔法使いが繰り出す上級魔法でさえ数回防ぐ最上結界をたった一回の一撃で壊された事に、繋は悔しさよりも、思わず嬉しさが勝って笑みを浮かべていた。
再びスヴィグルが斧を振り上げる。
「ヘルヴォールさん! 大丈夫ですか!? 村の人たちは?!」
「ふははは! 安心せい、儂らは全員儀式のときは村から少し離れるようにしとる!」
「良かったです!」
「すまぬな! 我ら一族は、いろいろ厄介であろう!」
この光景の一部を見ていたヘルヴォールは、同胞が見せた強烈な一撃を見て高揚しているのか、高ぶった様子で豪快に笑っていた。
そんな彼女に思わず苦笑し、「まったく、好戦的な人たちだ」と呟く。
だが、繋も繋だった。その熱気に当てられたのか、繋の顔にも自然と笑みが浮かんでいる。
「ヒョードル、彼は貴方の想像以上に強くなってるよ!」
(なら、僕も強くならなきゃだ!!)
隣に立つために、限界を超えてみせる。
「フォルガルドゥル(禁呪、起動)!!!」
そして、更なる奥義を行使する。
「リズラウス(上限解除)!!」
呪文を強く唱えると繋の髪の一部は赤く染まり始め、花びらを模した魔力が繋の周囲に舞い広がる。
橙色の花びらは奔流となり、繋の背中へと集まる。
その幻想的な光景に、狂化で意識が混濁しているスヴィグルも、遠くで避難しているヘルヴォールとその他の村人たちも思わず見入っていた。
一対の羽。大量の花びらを模した魔力の翼。
淡い橙色の羽を纏った繋は、地球で言う所のまるで天使のようだった。
しかし、それはただの羽ではない。
繋の手には杖はない。杖は羽となり、初級魔法しか使えない繋の魔法を増幅かつクールタイム無しで発動させる為の奥義。
「スヴィグル! 勝負だ!!」
これで、自分が負けたって、死んだって良いと思えてしまうぐらいには、今この戦いに興奮してしまっている。
繋は「だって、全てスヴィグルの糧になるのだから!」という気概で魔法を唱える。それは、繋が使える攻撃魔法の中でも最上位のオリジナル(攻撃魔法)だった。
繋の花の翼から花びらが舞う。眼前に、自分の身長と同じ直径の花輪が作られていく。致命傷までは与えないよう出力を抑えて、魔法を制御する。
右手の人差し指をスヴィグルへと静かに差し出した。
一瞬の静寂。
月明かりだけが二人を照らす。
空気が張り詰める。二人だけの世界に、満月と潮騒の音だけが静かに響く。
次の瞬間――
「レームル!(裁きの光)」
「………!!!」
花輪から極太の光線が放たれる。
スヴィグルも斧を振り下ろした瞬間、眩い極光の斬撃が真っ直ぐと飛んでくる。
光線と斬撃が衝突し、激しい光が辺りを覆った。
鍔迫り合いのように夕陽に染まる光と白光がせめぎ合う。
だが、夕陽色の光線は白い光の裁断で真っ二つに叩き斬られる。光の斬撃が繋の目前へと迫った。
「っくそう、ちょっと悔しいなあ」
苦みに満ちた笑みで、繋は自分の状況を冷静に見つめる。このまま受ければ致命傷は免れない。防御魔法を唱えるべきなのに……。
けれど、手が動かなかった。
あまりに美しい真っ白な光に、呑み込まれそうになる。
(……綺麗だ。この光に包まれたのなら……)
ふっと心に、死への誘惑さえ広がっていく。
地球に置いてきた親友のこと。
両親と切り離された日々。
ノイズが走る。
果てしなく繰り返された母と父の喧嘩、誰の声もしない虚ろな家――。
中途半端な愛情かも分からない感情。
さまざまな記憶が、脳裏に走馬灯のように駆け巡る。
(もう、ここで……死んでもいいかもしれない――)
ほんの一瞬だけ、あの頃の、ヒョードルに出会うまでの自分に戻ってしまう。
繋は目を閉じて静かに笑った。
──そして、決定的な一撃。
ズバァッ。凄まじい光の一閃が、繋の胸を深々と斬り裂いた。
沈黙のなか、繋の身体から血飛沫が舞い、鮮血が夜空に舞った。
◇
その瞬間、スヴィグルの目に映る光景が鮮やかに切り替わった。
これまで靄がかかっていたようだった視界がすっと晴れて――
繋が、ゆっくりと倒れていく姿が目に映った。
「……ケイ?」
時が止まったかのように、すべてが静止する。
数秒後、
「血……? そうだ……オレがッ……」
スヴィグルの膝が力なく沈みかける。凶暴な熱が消え去り、急激に理性が戻る。目の前の光景に、言葉を失い、代わりに絶望だけが、心を塗りつぶした。
崩れそうな体を何とか立て直し、彼は繋の傍へと駆け寄り、すがりつくように倒れ込んだ。
「ケイ! なあ、ケイ!! 嘘だろ、おい!!」
震える手で、繋の身体を抱き起こし、必死に呼びかける。
「こんなの、あんまりだろ!」
涙を浮かべながら、怒りと絶望で体を震わせる。
オレが――オレが、ケイを斬ったのか?
何度も呼び続ける。けれど、返事は来ない。繋の体から、少しずつ生気が失われていく。徐々に冷たくなる身体にスヴィグルは泣きそうな顔になる。
「行くな……! 行かないでくれ! 頼む!」
やっとできた家族を、兄弟を、
オレから奪わないでくれ――
「オレを独りにしないでくれ!!!」
その瞬間――
繋の体に、淡い光が満ちる。
胸の身体が輝き、血が逆流するように傷がふさがっていく。
――フリッグから授かった、自動高速再生魔法が、発動したのだ。
奇跡のような光景に、スヴィグルはただ呆然とするしかなかった。
「……ッ…ごほっ、…あっぶな、死ぬところだった……」
繋がかすかに咳き込みながら目を開いた。
それは、痛みと苦しさと、安堵が入り混じった、弱々しくも生気の光が宿っていた。
スヴィグルは何が起きたのか分からず一瞬呆然とするが、次の瞬間繋が弱々しい笑みで話し始める。
「よかった、戻ってきたみたいだね……スヴィグルは大丈夫?」
その声に、スヴィグルは堪えきれず涙がこぼれそうになる。
傷が癒えたとはいえ、繋のほうがずっと辛いはずだ。それでもなお、かすかに微笑みながらこちらを気遣ってくれる。その姿にスヴィグルはたまらず繋の身体を強く抱きしめ、額をそっと合わせた。
儀式が無事に終わった。
村人たちによる手当てが終わり、宿の静かな部屋に夜風が流れ込む。
村人たちの手で簡易な治療が施されたその間も、スヴィグルはずっと隣で繋の寝顔を見守り続けていた。
しばしの沈黙のあと、ヘルヴォールが重い口を開いた。
「スヴィグルよ、お主の片割れはずいぶん特殊じゃのう……」
意味が分からず、スヴィグルは問い返す。
「特殊?」
「おぬしの放ったあの光の裁断……あの子はな、あえて防がずに受けたのじゃ。あの腕前の魔法使いであれば、自分を守る時間は十分あったはずなのに」
その一言に、スヴィグルは静かに目を伏せる。
スヴィグルの脳裏に、初めて出会った頃のことがよみがえる。
そして今もなお残る彼の“悪癖”が、スヴィグルの胸に重くのしかかった。
(また、オレが呼び起こしちまったのかもな――)
何も言い返さず、スヴィグルは繋の寝顔をじっと見つめた。それ以上、ヘルヴォールも言葉を重ねなかった。
「……なあ、狂化の呪いは、本当に解除されたのか?」
ヘルヴォールに問いかけておきながら、老婆の返事を待つまでもなく、スヴィグルは小さく呟いた。
「……いや、もう関係ねぇ」
強い覚悟が、その目に宿っていた。たとえまだ呪いが残っていたとしても二度と繋だけは傷つけない。もし、二度起きるようであれば、今度は、自分で全てにけじめをつける。
それが、今のスヴィグルの中で確かに実った覚悟だった。
「もちろんじゃ。儀式は完遂しておる。その証拠にお主の鎖骨を見てみるがいい」
促され、スヴィグルはそっと鏡の前に立ち、上着をずらす――
首筋から鎖骨を通り、心臓まで続く赤紫色のタトゥーが、そこにはっきりと刻まれているのが見えた。
「なんだこりゃあ!?」
「儀式が完遂した者には、こうして心臓から広がる形でタトゥーが身体のどこかに刻まれるのじゃ」
「ほれ、わしもここにな」
ヘルヴォールは杖の上にのせていた左手と袖をまくってスヴィグルに見せる。確かにそこには手の甲から腕に続く、同じ色合いのタトゥーが刻まれていた。
「なんか、悪趣味だな……でも、ケイの傷と似たようなものなら――ちょっと悪くねえかもな」
スヴィグルは鏡の前で、そっと笑みをこぼした。
「そういえば、スヴィグルよ。お主らは魔王を討つ旅の最中であろう?」
「ん? ああ」
「であれば、その力は捨てるに惜しい。飼いならす方が良いだろう」
「……そんなことができるのかよ?」
「もちろんじゃ。サムフェラグ(共生の儀式)と呼ばれ、この村の者でお主と同じようにブロートヴェイズラ(鎮魂の儀式)を終えたものは全員やっている儀式だ。もちろんケイにも目を覚ましたら説明してやろう」
「……また儀式かよ。とことん、問題が多い一族だな」
スヴィグルは皮肉に言って見せるも、その血が自分にも流れている事に辟易する。
そんなスヴィグルの皮肉に、ヘルヴォールは笑ってみせる。
「ふはは。大丈夫じゃよ。それにな……お主の片割れのためにも、絶対にやっておくべきだ」
ヘルヴォールはきっぱりと断言する。彼女の断言に、スヴィグルは訝しげに問い返す。
「そこまで言うなんて、どうしてだよ……?」
老婆の瞳が真剣な色を浮かべる。
「主な効果は狂化の制御じゃが、もう一つ、お主にとって重要な意味がある。」
そう言うと、ヘルヴォールはもう一つの能力について語り始めた。
そのとき、彼女の目は一瞬だけ優しく細められ、何か懐かしいものを思い出すような表情になった。
「――遠く離れていても、互いの危機感知ができるようになるのじゃよ」
そう語るヘルヴォールの目は、どこか遠く過ぎ去った日々を懐かしむようだった。
今はもう会えない、かつての相棒に想いを馳せるように彼女は手の甲の刻まれた刺青に振れる。
彼女は懐かしむように優しく笑みをこぼす。その笑みには優しさと寂しさが、静かににじんでいた。
もしこの内容が良かったらブクマ・評価・リアクションしてくれますと飛び跳ねて喜んでるかも。