女神からのメールと、意外すぎる「指名担当者」
木曜日の朝。
オフィスの空気は、お通夜のように重苦しかった。
「……くそっ、クソッ、クソッ!」
課長がデスクで頭を抱えている。
昨日の「ミミズ肉炎上事件」の傷跡は深かった。
ネットでは「ミミズ課長」という不名誉なあだ名をつけられ、社長からは「今週中に汚名返上できなければ降格だ」と最後通告を突きつけられているらしい。
「おい、誰か! 誰か女神とコンタクト取れた奴はいないのか!?」
課長が血走った目で叫ぶ。
社員たちは一斉に目を逸らす。無理に決まっている。相手は世界ランク1位の動画配信者だ。一介の中小企業が相手にしてもらえるはずがない。
「久住! お前はどうだ!」
矛先がこっちに来た。
「いえ、特に返信はありません(送ってないので)」
「役立たずめ! お前がもっと熱心にDMを送らないからだ!」
理不尽な八つ当たりだ。
私は心の中で舌を出した。
(……そろそろ、とどめを刺してあげようかな)
私は、彼が可哀想だから助けるのではない。
「私が担当になれば、堂々とサボれる……じゃなくて、自分のペースで仕事ができる」という打算があったからだ。
それに、課長が私に媚びる姿を見てみたい。
私はこっそりとスマホを取り出し、あらかじめ作成しておいたメールの「送信」ボタンを押した。
宛先は、会社の代表問い合わせフォーム。
差出人は、『OLの節約ごはん(公式)』。
◇
数分後。
総務部の女性社員が、真っ青な顔でオフィスに飛び込んできた。
「か、課長! 大変です! き、来ました!」
「なんだ、クレームか!? またミミズの件か!?」
「違います! ご本人からです! あの『女神』様から、代表メールに返信が!」
「なっ……なんだってえええええ!?」
課長が椅子から転げ落ちんばかりの勢いで立ち上がった。
オフィス中がざわめく。
課長は総務のパソコンに駆け寄り、食い入るように画面を覗き込んだ。
「ほ、本当だ……! このアドレス、認証マーク付きの本物だ……!」
課長の手が震えている。
まるで砂漠でオアシスを見つけた遭難者のようだ。
「なになに……『貴社の熱意ある(?)オファー、拝見いたしました。接待の席への出席、および料理の提供の件、前向きに検討させていただきます』……!」
「「「おおおおおおっ!!」」」
社員たちから歓声が上がる。
奇跡だ。
あの世界中が注目する配信者が、うちのような会社のオファーを受けてくれたのだ。
これで会社の株価はストップ高間違いなし。課長の首も繋がるどころか、大出世コースだ。
「やった……やったぞ! 私の誠意が通じたんだ!」
課長がガッツポーズをして涙ぐんでいる。
誠意というか、ミミズで笑いを取っただけなのだが、まあいいだろう。
しかし、メールには続きがある。
「……ん? 『ただし、条件がございます』?」
課長が続きを読み上げる。
「『私は極度の人見知りであり、信頼できる方としかやり取りをしたくありません。
つきましては、以前、高円寺商事の社長様からお聞きした【誠実そうで口の堅い女性社員】の方を、私の専任担当として指名させていただきます』」
「誠実な女性社員……? 誰だ? 総務の田中か? それとも秘書の佐藤か?」
課長の目が輝く。
女子社員たちが「私かも!」と色めき立つ。
そして、運命の一行が読み上げられた。
「『指名担当者:総務部 久住ハナ様』」
シーン……。
オフィスに、完全なる静寂が訪れた。
空調の音だけが虚しく響く。
「……は?」
課長が、ゆっくりと首を回して私を見た。
その顔には、「なぜ?」という巨大な疑問符が貼り付いている。
「く、久住……?」
「はい」
私はすっと手を挙げた。
努めて無表情に。あくまで「私も驚いています」という演技で。
「なんで……お前なんだ?」
「さあ……。人違いでは?」
「だよな! 間違いだ! お前みたいな無能で、地味で、気が利かない社員を、あの女神が指名するわけがない!」
課長が叫ぶ。
しかし、メールには続きがあった。
『※なお、久住様以外の方が窓口になられる場合は、このお話は白紙とさせていただきます。
また、久住様に過度な業務負担がかかっている場合も、契約は見送らせていただきます』
トドメの一撃。
課長の顔色が、赤から青、そして土気色へと変わっていく。
「は、白紙……」
その言葉の重みを、課長は誰よりも理解していた。
もしこのチャンスを逃せば、社長になんて言われるか。
ミミズ事件の挽回はこれしかないのだ。
課長は、ギギギ……と油の切れたロボットのような動きで、私のデスクに近づいてきた。
さっきまで私をゴミを見るような目で見ていた男が、今は縋るような目をしている。
「く、久住……ちゃん?」
ちゃん付け。気持ち悪い。鳥肌が立った。
「あ、あのー、課長。私、他の仕事が忙しいので……。
ほら、始末書とか、会議室の掃除とか、あと課長に言われた『お前は隅っこで息だけしてろ』という業務がありますので」
私がわざとらしく断ろうとすると、課長は顔面蒼白になって首を振った。
「ち、違う! あれは冗談だ! アットホームなジョークだ!」
「でも、私には荷が重いです。無能ですし」
「誰だそんなことを言ったのは! お前は我が社の宝だ! エースだ!」
課長が私の手を取ろうとして、私がサッと避ける。
空振りした課長の手が虚しく空を切った。
「頼む! 久住様! この通りだ!」
ガバッ!
課長が、衆人環視の中で頭を下げた。
あのプライドの塊のような男が、最下層の部下に向かって。
「この仕事を受けてくれ! お前しかいないんだ!
条件は何でも飲む! 残業もなしでいい! おやつも食べていい!
だから、女神との橋渡しをしてくれぇぇぇ!」
周りの社員たちが息を呑む。
私はその光景を、冷めた目で見下ろしていた。
(……ふうん。頭頂部、結構薄くなってきてるな)
そんな感想しか出てこない。
200万円(今は800万円)を持つ者の余裕とは、かくも残酷なものか。
「……わかりました」
私はため息混じりに言った。
「会社のため……いえ、課長の首のために、ひと肌脱ぎましょう。
ただし」
「た、ただし!?」
「全てのやり取りは私に一任してください。課長は一切、口出ししないでくださいね。
女神様は『無能な上司』が一番嫌いらしいので」
「うぐっ……! わ、わかった! 約束する!」
課長は屈辱に顔を歪ませながらも、何度も頷いた。
こうして。
私は「社内一の無能OL」から、「会社の命運を握るVIP担当」へとジョブチェンジを果たした。
実態は、自分で自分にメールを送って自作自演しているだけなのだが。
◇
その日の午後。
私は堂々と定時で退社した。
誰も文句を言わない。むしろ「女神様によろしくお伝えください!」と最敬礼で見送られた。
「……楽勝すぎる」
会社の外に出た私は、大きく伸びをした。
さて、接待の日取りは決まった。
問題は、「どうやって私が女神として出席するか」だ。
顔バレは防がないといけない。
私はスマホを取り出し、ウォレットの残高を確認した。
830万円。
これだけあれば、アレが買える。
「ショッピングに行こう。ダンジョン御用達の、あの店へ」
私は新宿の裏路地にある、怪しげな看板の店へと足を向けた。
看板にはこう書かれている。
『魔道具屋・マスカレード ~身分隠蔽、承ります~』
さあ、ここからは「変装」の時間だ。
私は地味なOLの皮を被ったまま、最強の装備を整えに行く。
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