Sランク冒険者からの「呼び出し」
月曜日の朝。
オフィスの空気は、先週末の「青空キッチン」の煙よりも重く淀んでいた。
「……書き直しだ」
「は、はい……」
課長のデスクには、白い書類の塔が建っている。
始末書だ。
先日のバーベキュー大会での失態は、会社にとって致命的だった。
近隣住民からの悪臭によるクレーム。
生焼け肉を食べた社員数名が腹痛で欠勤。
そして何より、レオンというVIPを激怒させたこと。
社長の怒りは凄まじく、偽物役をやらされた営業部の高橋さんは、地方の倉庫番へと左遷されたらしい。
そして、企画立案者である課長は――。
「うぅ……私のボーナスが……出世が……」
課長は亡霊のように呟きながら、震える手でペンを走らせている。
今回の件で、彼の査定は地に落ちた。
減給処分に加え、三ヶ月間の「トイレ掃除当番」という屈辱的な罰まで課せられたのだ。
「(……自業自得だね)」
私は自分の席で、涼しい顔をしてお茶を啜った。
私が提案したわけでもないし、私が焼いたわけでもない。
私はただ、命令通りに「肉(脚一本)」を提供しただけだ。
もちろん、課長からは「お前がもっと止めなかったのが悪い!」と八つ当たりされたが、「私のような無能に、課長のご判断を止めることなどできません」と涙ながら(嘘泣き)に訴えたら、ぐうの音も出なかったようだ。
平和だ。
邪魔者は消え、課長は大人しくなり、私の平穏な社畜ライフが戻ってきた。
そう思っていた、定時過ぎ。
スマホが震えた。
『剣聖レオン:今夜、少し時間が取れるか?
君に返したいものがある』
ドキリとした。
返したいもの?
私は彼に何か貸しただろうか?
嫌な予感が背筋を駆け上がる。
無視しようかとも思ったが、追伸が来た。
『剣聖レオン:君の会社の屋上で待っている』
「……嘘でしょ」
ここに来ているのか。
逃げ場はない。
私は覚悟を決め、カバンを掴んで屋上へと向かった。
◇
夜の屋上は、ひんやりとした風が吹いていた。
フェンスの向こうに、東京の夜景が広がっている。
そして、その夜景を背に、白いロングコートの男が立っていた。
「……来たか」
レオンが振り返る。
その表情は、いつもの穏やかなものではなく、どこか探るような鋭さを帯びていた。
「こんばんは、レオン様。
こんなところで呼び出しなんて、社員に見られたらまた騒ぎになりますよ?」
私はあくまで「普通のOL」として、怯えたフリをして見せた。
レオンは私に近づき、ポケットから「何か」を取り出した。
「これを、君に返そうと思ってね」
彼の手のひらに乗っていたのは、小さな白い欠片。
――『簡易麻痺弾(ボアの骨製)』。
あの日、私が指輪の中からこっそりと弾き飛ばし、コンロの脚を破壊した暗器だ。
回収するのを忘れていた。
「……なんですか、これ? ゴミですか?」
私は首を傾げた。
シラを切るしかない。
「ゴミに見えるか?
これは『アイアン・ボア』の大腿骨を、極めて高度な圧縮魔法で加工した弾丸だ。
硬度はダイヤモンド並み。
そして何より、微量だが『君の魔力』が残っている」
レオンの目が光った。
やはり、Sランクの感知能力は誤魔化せないか。
指輪を使っているせいで、私の魔力波長が覚えられてしまっている。
「……偶然じゃないですか?
私が運んだ肉の破片が、たまたまそんな形になっただけかも」
「ほう。
では、その肉片が、正確にコンロの脚を狙撃し、偽物の茶番を終わらせたのも偶然か?」
レオンが一歩踏み込む。
威圧感がすごい。
壁ドンならぬ、空圧ドンだ。
「君があの場にいたのは知っている。
炭置き場の陰から、これを放ったのも見た」
完全にバレている。
言い逃れは不可能だ。
私は溜息をつき、演技をやめた。
「……はぁ。
で? それがどうしたの?」
私が開き直って睨み返すと、レオンは少し驚いたように目を見開き、それから嬉しそうに笑った。
「やはり、君だったか。
認めないつもりかと思っていたが、意外と潔いな」
「認めたわけじゃないわ。
ただ、あなたの妄想に付き合うのが面倒になっただけ」
「ふっ、厳しいな。
だが、感謝しているよ。
あのままでは、私はあの偽物を斬り捨てていたかもしれない。
君が止めてくれたおかげで、私の手は汚れずに済んだ」
レオンは骨の弾丸を指で弄びながら言った。
「君は不思議だ。
莫大な魔力を持ち、Sランクの魔物を狩る実力を持ちながら、なぜこんな会社で『無能なOL』を演じている?」
「……趣味よ」
「趣味?」
「そう。目立たず、騒がず、定時で帰って美味しいものを食べる。
それが私の至高の幸せなの。
あなたみたいに、有名になって四六時中追いかけ回されるなんて真っ平ごめんよ」
私の本音だ。
有名税なんて払いたくない。
私はただの社畜として、ひっそりと贅沢を楽しみたいのだ。
レオンは私の言葉を聞いて、しばらく沈黙した後、静かに言った。
「……そうか。
君がそれを望むなら、私は誰にも言わない。
君の正体も、この弾丸のことも、墓場まで持っていこう」
「えっ? いいの?」
「ああ。その代わり」
レオンが私の顔を覗き込む。
整いすぎた顔が至近距離にある。
「また、あの料理を食べさせてくれないか?
今度は偽物ではなく、君の手料理を。
それだけで私は満足だ」
……なんだ、その条件。
脅迫にしては可愛すぎる。
この男、最強の剣士のくせに、頭の中は食べ物のことしかないのか。
「……わかったわよ。
ただし、材料費は請求するからね。高いわよ?」
「望むところだ。私の全財産を払っても惜しくはない」
レオンは満足げに頷くと、私の手を取り、骨の弾丸を握らせた。
「これは返しておく。証拠隠滅だ」
「……どうも」
「では、また連絡する。
……おやすみ、ハナ」
レオンはふわりと笑い、屋上のフェンスを軽々と飛び越えて消えた。
まるで風のように。
残されたのは、骨の弾丸を握りしめた私と、ドキドキと早鐘を打つ心臓だけ。
「……ずるい男」
名前。
最後に、初めて下の名前で呼ばれた。
私は熱くなった頬を冷ますように、夜風に当たった。
とりあえず、最大の危機は去った……のか?
いや、秘密を共有したことで、余計に逃げられなくなった気がする。
私は頭を抱えた。
私の平穏な社畜ライフは、Sランク冒険者という特大の爆弾を抱えたまま、綱渡りを続けることになりそうだ。
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