63 シンドバッドと羊飼い
時間的に少し戻ったあたりから始まります。
長めです。
その日、リジーはスーザンに休憩室に連れて行かれ、椅子に座らされていた。
「リジー、良いことあった? あなた、朝からキラキラよ」
スーザンに笑顔で詰め寄られる。
「そうだった? あのね……えっと、ジョンが……」
リジーがもじもじしていると、しびれをきらしたらしいスーザンから、
「ジョンとうまくいったんでしょ? おめでとう!」と声がかかる。
眩しい笑顔で、スーザンが両手を大きく広げている。
スーザンが自分以上に喜んでくれている様子に、リジーは心の中に次々湧いてくる幸せを実感した。
「うん。ジョンが愛してるって言って、キスしてくれた」
「おお~良かったね!!!」
スーザンの豊かな身体にギュッと抱き締められ、たとえようもない嬉しさが、またリジーの胸に込み上げて来た。
(あああ、もう! 気持ちが舞い上がるってこんな感じなんだ)
「まさかとは思うけど、キスはちゃんと唇だよね。おでことかじゃないよね」
「うん! スーザンのいろんなアドバイスのおかげだよ。ありがとう」
「どういたしまして。でも、どうやったの? 彼、結構、頑なな感じだったから」
「好きって告白したの。でも困った顔されて……。もう辛くてジョンのそばにいられないって思って、アパートメントを出て行くって言ったの。そしたら、どこへも行かせないって言われて……」
「なるほど、無意識にそんな駆け引きを……。彼はリジーが自分から離れて行きそうになって、慌てたか。耐えられなかったみたいだね。傍から見てたらもう溺愛に近かったもん。じゃあ、これからは恋人同士なんだね」
「なんだか照れちゃうよ。どんな風に接したら良いの?」
「リジーはそのままでいいんだよ。流れに任せておけば。楽しいクリスマス休暇をね!」
スーザンはリジーの熱っぽい頬に手を当てにっこりする。
「頑張って」
含みを持った笑顔で激励され、リジーはキョトンとした。
リジーはジョンのいない間、昼間は忙しく仕事をこなし、終わってからはクリスマス休暇に向けて、プレゼントを準備したり、荷物をまとめたりした。
少しの間、部屋を留守にするので、掃除も丁寧に行った。
手を休めると、ぼーっとジョンの事を考えていて、準備が進まなくなってしまう。
ポインセチアのリースやジョンの直筆のカードを眺めながら、彼へと想いを飛ばしてしまう。
(好きな人と心が通い合うって、こんなに心が満たされて幸せな気分なんだ)
◇
そして、明日から、リジーのクリスマス休暇が始まる。
リジーは夕方、買い物をしてからアパートメントへ帰って来た。
<スカラムーシュ>から暖かい光が漏れている。
(ジョン、帰って来てるの?)
「ジョン!!」
店のドアを勢いよく開けて声を掛ける。
そこにいたのはジョンではなかった。
「おや、クロウが子リスになっている」
中にいたのは、濃い茶色の髪もひげも伸びきってボサボサで顔も判別できない、ヨレヨレの黒のトレンチコートを着た男だった。
「だ、誰ですか!?」
リジーは怖くなって後退った。
「もしや、リジーかい? 私だよ。シンドバッドおじさんだよ~」
「え? シン……おじさん?」
<スカラムーシュ>のオーナー、デイビッド、通称シンドバッドの帰還だった。
「何年ぶりかなあ? すっかり美しい娘になって」
ボサボサでヨレヨレのデイビッドが、戸惑っているリジーに近づいて来て頭を撫でる。
「子供の頃のキャシーに似てる……」
リジーはしばらくぶりに会うデイビッドに緊張していた。
棒立ちのリジーがハグされる寸前、デイビッドの手はリジーの身体に触れる間もなく、素早く伸びてきた別な手に阻まれて、背中に捩じ上げられていた。
「痛たたたた……!」
デイビッドが情けない声をあげる。リジーは息を飲んだ。
そこにはいつの間にか近づいて来ていたらしい、恐ろしい魔王の形相をしたジョンがいた。
「ジョン!? やめて! シンおじさんだよ!!」
リジーはジョンの腕にすがりついて止めた。
「え? シンドバッドさん?」
「ただいま、クロウ……」
苦しそうな声に、ジョンは手を放した。
「オーナー、なんですか、その胡散臭い姿は!」
「いやなに、クリスマス近いし聖者っぽくないか?」
「誰がです? まるで3ヶ月間漂流していたみたいですよ」
「おお、そうだよ。私は船乗り<シンドバッド>だからな」
「その姿でよく空港の税関を通れましたね」
「ははは、別室に連れて行かれて尋問されたよ」
「それはお疲れさまでした……おかえりなさい、オーナー」
ジョンの抑揚のないため息交じりの返答が、まるでサムとのやり取りのようだとリジーはクスっと笑う。
気が付くと、デイビッドから庇うようにジョンに肩を抱かれている。
「リジー! おいで! シンおじさんにハグさせてくれ~それとキスも!」
大袈裟にデイビッドが両手を広げる。
「だめです! まずは身なりを整えてからにしてください」
ジョンがリジーの前に壁のように立ちはだかった。
「ま、そうだな。レディに対して失礼か。では先にシャワーを浴びるとするか」
デイビッドは諦めたように手をひっこめる。
「シンドバッドさん!!!」
そこへサムがアイリーンを伴いひょっこり現れた。
「お~サミュエル! わが羊飼いよ!」
「店が休みなのに、灯りがついてると思って覗いたら、シンドバッドさんがいるじゃないですか。帰って来たんですね。おかえりなさい、師匠!」
ふたりはぎゅっと恋人のような熱い抱擁を交わしている。
呆れた様子のジョンに、戸口に突っ立ったままのアイリーン。
(何、この抱き合うふたり……ノリが同じ?)
そのわざとらしい芝居がかった再会シーンに、リジーも唖然とした。
「サム、また男前になったなあ。クロウは怖さ倍増だよ……突然襲われた……」
「あ、師匠、リジーにちょっかい出したんでしょう? クロウに殺られますから気を付けて下さい」
サムがデイビッドに耳打ちするが、しっかりと周りに筒抜けだ。
「からかうのも程々にしないと、痛い目を見ますよ。リジーの事となると豹変しますから」
「え? なるほど」
デイビッドが、ジョンに掴まれ赤くなっている自分の手首を見て眉を上げている。
「いつの間に……まあ、いいがな……。リジー! シャワーから上がったらたっぷりとハグとキスさせてくれよ! おじさんも男前になるからな!」
露骨に嫌な顔をしたジョンを何食わぬ顔でやり過ごしている。
「さすが師匠……」サムが吹き出した。
「だったら、髭も剃ってくださいね。あ、でも、キスはお断りします」
リジーはジョンの背後から意見した。
「つれないなあ~。小さいときは、おじちゃま~とか言ってたくさんむぎゅーってしてちゅーってしてくれたのに」
「い、いつの話してるんですか!」
今度は焦るリジーに絡んできた。
ジョンと接していたリジーは、ジョンがピクリと動いたのがわかった。
「見ものだ」と言って肩を揺らすサムを、アイリーンがあきれたように見ている。
「おや、こちらのノーマ・ジーンのようなブルネットの髪の魅惑的なお嬢さんは? 初めまして。私は<スカラムーシュ>のオーナーのシンドバッドと申します」
戸口に立つアイリーンに気が付いたデイビッドが、恭しく挨拶した。
「あ、シンドバッドさん、彼女はアイリーン。俺の……」
言いかけたサムを制するようにアイリーンが一歩進み出た。
「初めまして。私はアイリーンです。サムの……」
サムの期待の眼差しを横目に、
「友人です!」
と言い切った。サムがガクッと項垂れる。
「おやおや、その意地っ張りな感じが私の女神にそっくりだ。サム、へこたれないことだ。得た時には黄金の林檎のように、美味だろうからな。わははは」
高らかに笑うデイビッドを見るジョンとアイリーンの目は冷めていた。
「ジョン、ノーマ・ジーンて誰?」
リジーは今一つわかっていない。
「マリリン・モンローの本名だよ。彼女も本当はアイリーンみたいな髪の色だったんだ」
「へえ、そうだったの?」
少し屈んだジョンの顔が思ったより近く、見つめ合ってしまったことに気が付いたリジーは頬が熱くなった。
ジョンの手はさっきからリジーの肩に添えられたままだ。
(肩からの熱を感じるのは、気のせいかな。あれ、サムに見られてた?)
サムと目が合うが、サムはすぐにアイリーンへ向き直り、艶っぽく口角をあげた。
「アイリーン、焦らしてくれるよね、全く。後で後悔するのはきみの方だからね」
「後悔?」
アイリーンが首を微かに傾げ、訝し気な顔をする。
「たまに訳の分からないこと言うわよね」
「いいの、いいの。この場でわかるのはシンドバッドさんくらいかな。アイリーン、シンドバッドさんは俺の尊敬する師匠なんだ」
「なにを言う。サミュエルの方こそ、私たちを導いてくれる羊飼いだよ。なあ、ジョン」
「そうですね」
ジョンが素直に賛同したのを不思議に思ったのか、アイリーンは男3人を見回し、リジーに視線を向けてきた。
リジーもその通りだと思い、頷き返した。
「そういえば、オーナー、先日買い付けて下さったマホガニーのチェストは良かったです。すぐ売れましたよ」
ジョンが何気に切り出した。
「あれね、良かった。あのフォルムに一目ぼれだったんだよ」
「それから、ラリックのランプももう売約済です。オーナーの仕入れはいつも完璧ですよ。ありがとうございます」
「そうか~? ジョン、いつも好きにさせてもらってすまない」
「さあ、まずはゆっくりシャワーでも浴びてください。お疲れでしょう。食事も用意しますから」
「そうだな、じゃあリジー、サム、また後でな。アイリーン、サムをこれからもよろしく頼んだよ」
デイビッドは、ジョンに支えられるようにして店から出て行った。
「ジョンはシンドバッドさんに容赦ないけど、必ず最後にねぎらいの言葉をかけるんだ。店をほとんどひとりで任されて、色々苦労させられてるのにさ」
サムがふたりの背を見送りながらしみじみ言った。
「うん……」
リジーもその言葉に同意する。
「ところでリジー、もしかしてジョンと想いが通じ合った? キスもした?」
突然ふられてリジーは身体中の血が一気に沸騰した。
「な、なんで?」
目も泳ぐ。
「そうか~良かったな。ふたりのお互いを見る目が甘々だったんだよね」
「そ、そう?」
「師匠にもバレたよ」
「え?」
サムはやっぱり周りをよく見ていて、なんだか鋭いとリジーは思った。
それからジョンがすぐに戻って来た。
「今オーナーはシャワーだ。明日サムの家に行く前にオーナーを実家に送っても良いかな? 全然帰っていないらしいから」
「もちろん」
「OK!」
リジーもサムも頷く。
「ありがとう。オーナーはもう疲労でふらふらだから休ませる。サム、また明日ゆっくり車で話してくれ」
「了解。じゃあ、俺たちは帰る。明日朝6時には来るから」
「ああ、また明日」
「じゃあ、ジョン、リジー、楽しい休暇を。また来年会いましょう」
「ああ、きみも。また新年に」
「アイリーンも楽しいクリスマスとニューイヤーを過ごしてね」
リジーとアイリーンは微笑みながら抱き合う。
サムはアイリーンを伴って帰って行った。
静かになった店の中でジョンとふたりだけになり、リジーは急に気恥ずかしさを覚えた。
「おかえりなさいってまだ言ってなかったよね。おかえりなさい、ジョン」
「ただいま、リジー」
ジョンに優しく抱き寄せられ、暖かい腕の中でリジーはようやく一息つく。
「後で少し話せる? オーナーに食事をさせてから、7時半頃にでもきみの部屋に行くよ」
ジョンがポケットから出した銀色の懐中時計を見ながら言った。
「うん、待ってるね。綺麗なポインセチアのリースとカードありがとう。おかげで寂しくなかったよ」
「良かった」
「あの、お母さんとは話せた?」
「大丈夫。ちゃんと話せたよ。」
ジョンはリジーを抱く腕に少し力を入れてから離れた。
「じゃあ、後で」
頬に指でサラリと触れられ、リジーはそれだけで心臓が跳ねた。
「! うん。後でね」
自分を優しく見つめるジョンの目に囚われる。
最初に会った時から、ずっとそうだった気がする。
見つめられると、ビロードの幕に包まれるように、心地よかった。
そしていつの頃からか、安心するのにどこか胸がソワソワしてドキドキして……。
(また、しばらくはジョンと一緒に過ごせる)
リジーは嬉しい気持ちを抱えながら、部屋へ戻った。
◇◇◇
アイリーンはサムに手を繋がれ、クリスマスの装いで華やぐ通りを歩いて、彼女のアパートメントの前まで来た。
サムの心地よく感じる軽いお喋りに耳を傾けている間に、着いてしまっていた。
ふたりでいる時間はそろそろ終わりだった。
アイリーンは、鞄からリボンのついた袋を取り出しサムに渡した。
「これは実家でクリスマスの時に開けてね」
「わあ、もしかして、クリスマスプレゼント? 俺に?」
「そうよ」
「ありがとう。とっても嬉しいよ。きみからプレゼントをもらえるなんて!」
アイリーンの身体はサムに緩く抱き締められた。
その力加減は優しく、アイリーンはサムの気遣いが嬉しかった。
「アイリーン、好きだよ。俺の気持ち伝わってる? よね。」
サムが少し真剣な目をして、自分を見下ろしている。
「……伝わってる」
アイリーンは背伸びをすると、サムの頬に口付けた。
「!?」
サムが素で驚くのを見て、アイリーンは愉快になった。
「ようやくあなたを出し抜けた」
「案外子供っぽいことするね。お返しはどうしようかな~」
サムがニッと歯を見せたので、アイリーンは嫌な予感がして繋いでいた手をほどいて逃げようとした。
「待て! みんなの前ではすげない態度を取ってくれちゃって」
サムの方が素早かった。アイリーンは今度は少し強い力でサムに腕を掴まれ引き寄せられた。
「きゃあ」
アイリーンはよろけて、サムの腕の中にすっかり収まってしまった。
サムがすかさずアイリーンの片方の耳に顔を寄せてきて、パクリと耳朶をくわえた。
「ひゃああ~! なにするのよ!!」
その温かい唇の感触に、頭からつま先まで一気に電流が走ったように身震いが起こり、アイリーンは固まった。
「良い反応だなあ。本当は唇が欲しかったけど、我慢した」
サムは目を細めて、緊張しているアイリーンをじっと見つめて来た。
そして大人しくなったアイリーンの手を優しく持ち上げると、ポケットから出した銀色のブレスレットを彼女の白い手首につけた。
細いチェーンが二重になっていて、アクセントの透明の小さい石が光を放っている。
「俺の愛と欲望がたっぷり詰まったブレスレットという名のクリスマスプレゼント」
いつもの倍にも感じる甘い笑顔を向けられ、アイリーンは緊張が溶けていく。
「サム、ありがとう。余計な単語が入っていたけど、嬉しいわ」
アイリーンは手首に輝くブレスレットをうっとりと眺めた。
「今はクリスタルだけど、いつかは本物のダイヤモンドを贈るよ」
「いいのよ。これで十分嬉しい」
「俺が帰って来るまで、他の男を見ないでね」
「それは無理よ。だって道行く人の半分は男だし、父も弟も男だもの」
「素直にハイって言ってくれない所がきみだね」
「……素直な子が良いなら」
「そんなこと言ってるんじゃない。素直でもそうじゃなくても、ただきみが良いんだ」
「サム……」
「31日に帰って来たら、連絡する。会いたいから」
サムはまたアイリーンを力強く抱きしめると、耳元で囁いて来た。
「このまま連れて帰りたい」
アイリーンは自分の身体が強ばるのを感じた。
「じゃあ、おやすみ。お互い実家で家族とクリスマスを楽しもう」
サムからはいつもの軽口は出てこなかった。
「ええ」
アイリーンの胸に、寂しい思いが広がり、目を伏せた。
アイリーンは思いついたように瞬きすると、自分が中指にしていたハートの模様のついた銀のファッションリングを外した。
「サム、これ、次に会う日まで貸しておいてあげる」
サムの掌の上にそれを載せた。
「いいの?」
「意外と寂しがり屋さんみたいだから」
「きみほどではないと思うけど?」
サムは指輪をぎゅっと握りしめると、憂いの無い笑顔を見せた。
そして、首にしていたチェーンを外すと、そのリングを通した。
アイリーンは銀色の美しい男のそんな仕草を見ていた。
サムは羊飼い……シンドバッドと名乗った店のオーナーとジョンが信頼を寄せている。
「きみのハートは確かに預かった。離れていても心はひとつになったってことだよね。身体はまだだけど……」
(悪魔みたいに妖艶な微笑を向けて来て、羊飼いってなによ!)
「! もう、どうしてあなたはそう一言余計なのよ」
サムは咎められても平然としている。
不真面目なことを平気で言うが、実際は口だけだった。
手を繋いだり、抱きしめたりするだけで、それ以上はまだ求めて来ない。
一緒にいて楽しいし、望んでいた清い交際なのに、どこか物足りないと思ってしまう自分に気が付いている。
アイリーンもそんなサムのことがとっくに好きになっていた。