第55話 「いやそんなに笑わなくても……」
カイが首をひねると、アウレリアは首を横に振った。
「いいや、普通のトレントは移動なんてしない。植物だからな。だが今回のやつは、根っこを土から引っ張り出して足のように使って動くから、ウォークトレントとも呼ばれている」
「ウォークトレントですか」
感心したようにカイが言い、ヒルダも感心したようにこくこくとうなずいていた。
「ああ。あいつらは、普通のトレントと比べてもやたら弱いんだ。だから移動して安全を図る。奴らの新芽が、エルフの妙薬の材料になるらしい」
アウレリアが肩をすくめてセリスの去った方向をちらりと見た。
「そんな魔物がいるんですね。僕は初めて聞きました」
「あまり知られていないからな。ギルドでも、違いが分かりにくいからほとんどは『トレント』としか認識されていない。素材にうま味もないから普通は避けて通る。弱いウォークトレントでも、基本的には近づかずに逃げるべきだ」
腕を組んだアウレリアは、軽く首を振った。
「弱いのに、逃げた方が良いんですか?」
ヒルダが首をひねった。
それに対して、アウレリアが大きくうなずいた。
「あいつらの中には、上位種が混ざっていることがあってな。ウォークトレントは上位種でも私たちから見ればとても弱いんだが、ときどき即死級の毒ガスを出すんだ」
カイは思わず息をのんだ。
即死級の毒ガスとは、かなり危険な存在だ。
「ときどきって、危険を察知したときとかですか?」
恐る恐るカイが聞くと、アウレリアは眉を寄せた。
「いや、どういったタイミングかは謎なんだ。身を守るというよりは、捕食行動だとセリスが言っていたな」
「捕食行動……」
つまり、動物を毒ガスで倒し、根元で倒れた動物を根っこから吸収するとかそういうことなのだろう。
想像したカイは、思わず震えがきて両手で自分の腕をこすった。
「まあ、基本的にはすぐに倒せる。こちらが手を出さなければ何もしてこない、比較的無害な魔物だ。毒ガスにだけは気を付けた方が良いぞ」
「いや即死する毒ガスは無害とは程遠いですよ!どうやって気を付ければ」
カイが思わず突っ込むと、アウレリアはぷっと噴き出した。
「ははは。だが、向こうからはやってこないから、やはり基本的には無害と言えるぞ。近づかないのが一番だが、万が一そばに行ってしまったときには」
「ときには……?」
ごくりと喉を鳴らしたカイと一緒に、ヒルダも真剣に聞いていた。
「風魔法を使って空気を飛ばしてしまえばいい。その間に逃げるのが良いだろう」
「でも、それだと仲間が巻き添えになりませんか?」
方向を間違えると、仲間のところへ毒ガスを送ってしまいそうだ。
「ああ、横じゃなくて上に飛ばすんだ。そうすれば、地上は安全になるからな」
なるほど、魔法で上昇気流を作るということのようだ。
ガスであればそこまで強い力はいらないし、生活魔法程度の強さで大丈夫だろう。
「わたしはとっさの判断ができそうにないので、森には近づきません」
ヒルダが耳を軽く寝かせて言った。
尻尾も力なく下がっている。
「それが一番安全だな。特に今回は、セリスの希望があってウォークトレントは当面討伐しないようギルドに要請する。セリスが百五十年ぶりに見たらしいから、相当珍しいんだろう」
肩をすくめたアウレリアの言葉を聞いたカイは、思わず疑問が口をついて出た。
「えっ。セリスさんって、おいくつなんですか?」
すると、アウレリアとヒルダが同時にカイを見た。
二人とも、同じ表情で瞬きもなくこちらを凝視している。
「あー、その……。ごめんなさい」
カイが素直に謝ると、二人はそれぞれにうなずいた。
「カイ、興味で女性に年齢を聞くのは良くないよ。特にエルフはだめ」
「深淵の底を見せられることになるぞ。ライナーは二日ほど使い物にならなかった」
カイはよく知らないが、何やらエルフに年齢を聞いてはいけないらしい。
そしてライナーはすでにやらかした後のようだ。
こういうときは、素直に聞いておくのが正解である。
「わかった。聞きません」
とはいえ、対面してそんなことを聞く機会があるとも思えない。
二人が納得したのを見て胸をなでおろしたカイは、ふぅとため息を吐いた。
「『おじいちゃんはエルフを見たことがあるんだよ』って孫に自慢するだけにしとくよ」
「あぁ、何十回も聞かされるやつね」
ヒルダは笑顔になって両手をパチンと叩いた。
「なんだ、カイは結婚する予定でもあるのか?」
アウレリアが意外そうに聞いてきた。
「いえ、全くこれっぽっちもありません。相手の気配もありません。僕の想像上のおじいちゃん子な孫です。想像だけは、自由なんですよ」
それを聞いたヒルダは、吹き出して腹を抱えた。
「ぷふっ、あははは!想像上のおじいちゃん子!!んっふふふぅあはは!」
腹筋崩壊というやつである。
「いやそんなに笑わなくても……」
「き、気にするな」
「アウレリアさんまで!」
カイを宥めるように手を軽く振ったアウレリアは、こちらを見ずに肩を震わせていた。
次の日、カイはゆっくりと二度寝をしてから起きた。
仕事のスケジュールはそれなりにゆったりと組んでいるのだが、なんだかんだと結局あまり休みもなく働いているので、たまの休みには色々とサボりたい。
それに、アウレリアのゴーレム部位を修理した報酬から奮発して買った布団が、カイを放さない。
「布団こそ贅沢をするべき」
もごもごと布団にもぐりこんで眩しさから身を隠していたカイだったが、空腹に負けて起きることにした。
今日の食事は、すでに買い込んであるので家を出る必要がない。
「地下の倉庫は便利だな。涼しいから、肉も長持ちするし」
朝食用に持って上がってきたのは燻製肉、いわゆるベーコンだ。
兎獣人である小柄でひょろりとした主人が、大きな塊を店先に出して売っていたものを切り分けてもらった。
そのベーコンを少し厚めにスライスし、熱したフライパンに置いた。
香ばしい匂いがしてきて、少しずつカイの頭が覚醒してくる。
買っておいたパンを半分に切って、適当な野菜と炒めたベーコンを挟んだら簡易サンドイッチのできあがりだ。
「ん……。ウーロン茶はなんにでも合うなぁ」
産地の村の名前がついているのだが、カイはうっかりウーロン茶と呼んでしまう。
本当はウムランツ村の特産品、『ウムランツ茶』だ。
「似てるから仕方ない」
自分の記憶力を棚に上げたカイは、もう一口サンドイッチをほおばった。
今日は昼からはのんびりと庭で作業するのだ。
何度かは庭の雑草を処理したのだが、もうすでに庭が緑色になりつつある。
さすがに夏は奴らが強い。
とはいえ、雑草を引っこ抜くくらいなら土魔法ですぐに終わるので、大した手間ではない。
カイは、やりたいことがあった。
「木材よし、釘よし、場所よし!安く譲ってもらえてよかった」
庭の一部を平らにならし、少し地面を固めておいた。
そこに、角材や板を並べていく。
「のこぎりはあるし、金づちも買った。設計図はこれ!」
ひらり、とカイは一枚の紙を地面に置いた。
ノートの一枚を切り取ったそこには、カイ熱望の家具が描いてある。
「さて、作りますか」
腕まくりをしたカイは、多分誰にも理解してもらえない設計図らしきものを前にして、のこぎりと角材を手に取った。