肉落ちした戦乙女と聖女
まだ世界の中心に数多の英雄達が集結する少し前の話だ。
「異端……か」
「不思議な話ですねブリュンヒルト。リーア聖国にそのような方々が入り込めるとは思えないです」
「そうだな」
豪奢な馬車の中にいた二人の美女。ブリュンヒルトが呟くと、視線が定まっていないアンネリースが応える。
二人はリーア聖国が誇る神器所持者で、そのあまりの美貌からブリュンヒルトは戦乙女。アンネリースは聖女と呼ばれていた。
しかし質素を好むため纏っている女司祭の服は地味な白いものだし、宝石や化粧の類もしていないのに、禁欲を尊ぶ司祭すら惑わしてしまうため、なんとも罪作りな女達だった。
さて、そんな二人が話題にしているのは最近急に始まった大規模な異端狩りについてだが、かなり懐疑的な思いを抱いていた。
リーア聖国は他の神話体系を全く認めておらず、辺鄙な村にだって神々を称える教会がある。それを考えると他の信仰が混ざる余地など皆無と言ってよく、わざわざ大規模に異端を狩る行いをしても、成果が出ないだろう。
それが【極一部】の認識だった。
「戦争前の士気高揚。聖騎士のガス抜き……そんなところの筈だが……」
「それだけでは済まないと?」
「どうも騒ぎ過ぎているのではと思える話が聞こえてくる……」
ブリュンヒルトの語尾が弱い。
神器使いは国家と結びつくことが多いため、多少は政治に関わらなければならない。
それ故に異端狩りが、起こるであろう戦争への備えや聖騎士の不満を和らげる目的だと知っている。知っているのだが……。
基本的に神殿で生活しているブリュンヒルトのところまで、異端狩りの噂が聞こえてくるのはかなり危険な兆候だった。
「聖下や枢機卿猊下もこの件に関しては肯定的だ……」
「はい」
ブリュンヒルトとアンネリースは神器持ちとして、教皇アーデルヘルム五世や枢機卿とも会える立場だ。
そして国家の指導者たちも、予算で頭を痛めているが異端狩り自体には肯定的で、二人の女とはかなり意見が違う。
「まずは過ちを認識してもらうことが重要だと思います。いきなり殺すのは神の御意志に反するかと」
「ああ。お前の言うとおりだ」
深窓の令嬢のようなアンネリースが憂鬱気な声を漏らした。
二人もリーア聖国の一員として。アーリー神話体系を信仰する者として異端を許容しないが、そのアプローチは聖騎士と大きく違う。
元々自分達以外の神格は存在しない。我々こそが至高であるという前提で君臨していたアーリー神話体系の神々には、異端や神敵という概念すら持ち合わせていなかった。
なにせ異端や神敵とは、自らに介入してくる同格の者がいると言うようなものなため、最も古い聖典にはそれらの言葉は欠片も存在しないほどだ。
結果的に、古代ドワーフの事故で多くの使徒が消し飛んだあと、後発の国家に押され始めたリーア聖国が自国を引き締めるため異端の概念を持ち出したが、厳密には神が直接関与していないので、扱いが統一されていなかった。
ちなみに醜悪王と激突したアーリー神話体系の神々は、最後まで敵ではなく害虫を駆除する建て前を崩せず、その特定外来生物に敗れているので、至高であるという自認は筋金入りだ。
◆
「我ら一同、お待ちしておりました!」
馬車での移動を終えたブリュンヒルトとアンネリースは、王都から離れた街に訪れ歓待を受けていた。
通常は王都にいる神器持ちだが、これまた戦争前の士気高揚と、一応異端狩りに参加しているという形になっているため、宣伝係のように各地を巡っていた。
「聖騎士様達に続いて、名高きブリュンヒルト様とアンネリース様をお迎え出来て、これ以上ない名誉にございます」
「聖騎士達もここに?」
「はい、異端を探していらっしゃるようですが、神々の御威光があるこの地にそのような不届き者はおりません」
「……アンネリース」
「一応、聖騎士の行いを確認する必要があると思います」
「そうだな……すまない。聖騎士が向かった場所を教えて欲しい」
「……畏まりました。ここから少し離れた村に向かわれたはずですが……」
案内係の言葉にブリュンヒルトとアンネリースが不安を覚え、本当に一応の確認をするつもりで聖騎士たちの行き先を尋ねた。
そして……案内係が助かると言いたげな表情を浮かべたことで、ブリュンヒルトの不安が高まってしまう。
どうやら既に聖騎士達は、この街をひっくり返すような勢いで行動していたらしい。
ギリギリ。
何とか間に合った。
「待て! 何をしている!」
「これはブリュンヒルト様、アンネリース様。異端を見つけました」
ブリュンヒルトがアンネリースを背負い駆けた先の村で、今まさに人間ごと火を放とうとしている五人の聖騎士達と、怯える村人たちを見つけたのだ。
「異端だと⁉」
「これをご覧ください。禁書です」
ブリュンヒルトが問いただすと、聖騎士の一人が嫌悪に満ちた表情で本を見せる。
王都では全く好まれない、眠りについている神の力を人が利用すると、引き出しの加減が出来ずに寧ろアーリー神を弱体化させるのではと推測した、大昔の学者の本である。
そんなことがある筈ない。神のご意思が応えてくれているから、我々は奇跡を宿し繁栄しているのだ。これではまるで、神に仕える我々が盗人のようではないか。
と、禁書扱いになった本だが、識字率が低い辺境の村では、内容が分からなくても高価な本を持っているだけで一種のステータスのため、禁書とも知らず村長の家にあった。ただそれだけの話なのだ。
勿論そんなこと、聖騎士にはどうでもいい。
神に従うリーア聖国を馬鹿にした本を村長の家で見つけた。そして村の長が異端であるなら、村人全員もそうに違いないと判断して聖務が行われた。
そこに、この本は禁書だから誤った教えだ。正しい解釈はこうだから。といった常識などありはしない。単に妄信だけがあった。
そしてこの場には、聖騎士がやり過ぎないように監視するための人員も派遣されていたが、実際に異端の証拠が出ているので、浄化の聖務を妨げるようなことはしなかった。
全員を殺すのはやり過ぎと思っていても、変に庇えば異端の認定をされるので、口を閉じるしかなかったのもあるが……。
「その本がどういった経緯でここにあるのか。そして本当に村の方々が関わっていたのか。それを調べなければ、神の御意志に反するでしょう」
「アンネリース様。お言葉ですが異端は飛び散る前に清めなければ、あちこちに移る物なのですよ。最早この村は手遅れなのです」
現にアンネリースがまともなことを言っても、本一冊がそこにあっただけで全てを清めならなければならないと妄信する聖騎士は聞く耳を持たない。
「聖下がお許しになると思いますか?」
「っ」
聖騎士達の言葉にブリュンヒルトの声が詰まる。
彼女たちが知るアーデルヘルムなら、どちらを支持するか火を見るより明らかで、それこそ村に火を放てと言うだろう。
政治的な件で聖騎士に頭を痛めている教皇だが、彼もまた過激な妄信者であることに変わらず、その点に関しては聖騎士もブリュンヒルトも意見を一致させていた。
だが、アーデルヘルムがこの場にいたら、神器持ちと聖騎士が争うのは別の話だと絶叫しただろう。
「まず一旦、この場は私が預かる!」
それでも事態を穏便に終わらせようとしたブリュンヒルトは甘く見ていた。
異端を探す前に王都を守れと言っても妥協できなかった者達なのだ。異端を目の前にして何もするなと言われたら、もっと妥協できないに決まっている。
「異端だ! 神器持ちが異端に堕ちた!」
「どうしてそうなる⁉」
聖騎士がぎょっとして叫ぶと、ブリュンヒルトとアンネリースも驚愕した。
しかし、聖騎士の頭の中で異端を見逃すのは、異端に直結する行いであり、それが誰であろうと例外ではない。
「お待ちください聖騎士様! 神器持ちの方々との争いは聖下も⁉」
「貴様もか! 浄化せよ!」
「ちょっ⁉」
「待て!」
監視していた者達が止めても意味がなかった。
妥協が人生の否定につながる五人の聖騎士が剣を抜き、ブリュンヒルトとアンネリースが止める暇もなく監視の人員すら切り殺す。
(マズい!)
ブリュンヒルトが慄いた。
戦闘向けの神器持ちを持っている彼女だが、相手はその対神器を想定している人員だ。
しかも非戦闘員に近いアンネリースを守りながら戦うのは厳しい上に、逃げたら村人が間違いなく殺されるだろう。
「神器展開!」
神器が展開される。
ブリュンヒルトのものは黄金に輝く剣と鎧。アンネリースのものは頭で輝く純白の冠だ。
結局のところ異端審問は身内殺しに行き着く。
それが今起こっているだけでの話だ。
「っ!」
流石に聖騎士と言えども神器を展開した者達を無視して村人を殺す余裕はなく、五人が息を合わせて一斉に女達に襲い掛かる。
「ちいっ!」
迎え撃つブリュンヒルトには更なる問題があった。
見目麗しい女性であるため、鍛錬するよりも国内の宣伝に使われることが多く、他の戦闘向け神器使いに比べて明らかに劣っていた。
「神よご照覧あれ!」
「異端に堕ちた者を浄化いたします!」
逆に聖騎士は使命に燃え上がり、異端を殺すなら命を捨てても惜しくはない愚か者と化している。
輝く剣が……同じアーリー神に仕える者達の間で交わされた。
「どうか我らをお守りくださいっ……!」
一方、祈っているアンネリースは信仰の力で味方を強化し、守る能力なのだが状況が特殊過ぎた。
聖騎士だってアーリーを信仰している味方で、ブリュンヒルトも味方。なんならこの場にいる村人全員が、リーア聖国に所属する人間で、彼女は聖騎士だけを外して加護を与えなければならない。
この辺りが単純な反射と反応しか行えない他の神と、物質界に存在して人々に寄り添っている醜悪王の違いで、肉の神器ならば勝手にある程度の補助を行ってくれる。
尤もアーリー神にきちんとした意識があれば、この虫たちはいったい何をしているのだろうかと困惑するだろうが。
「くっ⁉ アーリー神よ!」
「異端が何をいうか!」
「裏切り者め!」
聖騎士を何とか捌くブリュンヒルトが心の信仰を燃やして乞い願う。
信仰と密接に繋がっている神器は、神に近寄れば近寄る程に強化されていくものが、やはり相手が一応の同胞のため躊躇がある。
もし悪逆の限りを尽くす悪魔なら神器も光り輝いただろうに、中途半端な力はかえって聖騎士を激昂させ、攻撃が益々激しくなってしまう。
単なる信徒が争っているのではなく、最精鋭の聖騎士と神器持ちが激突しているせいだろうか。
周囲に渦巻く神聖なる力はどんどんと輝きを増し、関わっているのが少人数の割に大規模な儀式と同等の効果を齎し始めた。
「お、おおおお! 感じるぞ! 神の御力だ!」
「やはり正義は我らにあり!」
神の力がそこにあった。
神以外を許容せず。慈悲を持たず。
計画性はない。我慢はない。
つまりは自己肯定感しかないアーリー神話体系の力だ。
聖騎士の目から迸る光は妄想だけを見せる。
口から漏れる光は妄信だけを紡ぐ。
耳から溢れる光は妄念だけを聞き届ける。
つまり、つまりは単なる神の操り人形と化す。
いや、アーリー神話体系がほぼ壊滅していることを考えると、生理的な反応の一部となった細胞か。
「なにっ⁉」
「これはっ⁉」
一方、ブリュンヒルトとアンネリースにも異変が起こっていた。
道具に自意識など必要ないのだ。
勝手に動く馬車など求めてないのだ。
言われたことに従い、神の敵を倒し、神を称え、そして全てが終わると消え去ればいい。
信徒にそれ以外を求める神がどこにいるというのだろうか。
神器が彼女達の精神だけを引っ張り、ほぼほぼ死体であるアーリーの精神に近づけた。
「ひっ⁉」
その悲鳴はブリュンヒルトのものだったか。アンネリースのものか……はたまた両方か。
なにもない真っ白な空間に浮かぶ白い球体が、彼女達の神器に接続されて命じた。
『殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ』
球体。アーリーの末端に意思させあったらもっと取り繕い、慈愛の声で語りながら、異端に容赦するなと言ったかもしれない。
だが今現在のアーリー本体はほぼほぼ死に体で自意識すらなく、球体は本能的な反射しか行えない末端だ。
その末端が遠慮もなくブリュンヒルトとアンネリースに情報を送り続け、彼女たちは至高であるがゆえに定命を心の底から虫としか思ってない神の本心を知る。
死にかけているくせにゴミを掃除したくて堪らない神の本心を。
「ア、ア、ア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア゛ア゛ア゛ア゛」
自分が叫んでいることすら分かっていないブリュンヒルトとアンネリースは正気を失う寸前だった。
間違っていたのは自分達だった。
神のご意思は少しでも汚らしい存在を抹消することだった。
寛容を示すのではなく虱潰しに殺して漂白することだった。
正しき国家に従い、正しき教皇に従い、正しき聖騎士に従い。
なにより正しき神に従うのだ。
変貌は現実世界ですぐさま起こり、聖騎士たちも祝福する。
「おお神よ! この者達を使われるのですね!」
神器がバキバキと音を立てて変貌し、ブリュンヒルトの鎧と剣は黒に染まって刺々しくなる。
アンネリースの冠に至っては外にも内にも針が突き出て、彼女の頭からは血が流れてしまうではないか。
「助け……て……」
ブリュンヒルトとアンネリースは、自身が失われる寸前に助けを求めた。
誰かに。
きっとどこかにいる本当の神に。
『アーリイイイイイイ! またかテメエえええええ!』
神器を介して、真っ白な精神世界に怒鳴り声が響いた。
『どうして信徒の声に応えない! なぜお前達の選択こそが正しいと言えない! ええ⁉ 俺ぁ天地の全てに誓って言えるぞ! 嘆いて悲しんでる者達に、手を差し伸べようとしてるこの二人こそが正しいとな! ああそうだろうが⁉』
漂白された空間を突き破るように現れた悍ましい肉の触手が溢れ、無防備なブリュンヒルトとアンネリースを守るように包み込む。
しかしアーリーの末端は宿敵の声すら認識しておらず、ただ本能的に駒を確保しようと力を強めた。
「あ、あああああああ⁉」
先程とは違う叫びがブリュンヒルトとアンネリースから迸る。
剥き出しの魂に絡みついたのは単なる肉塊ではなく、溢れんばかりの人への愛と、猛り荒ぶ暴風だった。
傷つき、倒れて、死にかけた。何度も何度も。だがそれでも人のために戦い続けた神が、彼女達の行いを肯定する。
全てがブリュンヒルトとアンネリースを否定しようと、お前達こそが正しいのだと。
『さあ叫べ! 己として立ち上がれ! いつも通り、お前達のまま、そうであれ!』
「神器展開!」
「神器展開!」
厳しい父のように。あるいは優しい兄のように、声がブリュンヒルトとアンネリースを少しだけ導いた。
ブリュンヒルトは肉塊と触手、血管が複雑に絡み合った鎧を纏い剣を手にする。
アンネリースは顔覆ったクラゲのような肉塊の、幾つもの瞳を介して異なる世界を覗き込む。
流石にアーリー神の末端を消し飛ばすことは出来ないが……。
「はあああああああ!」
「神よ!」
悍ましい剣と瞳から発生した神通力が、自身に伸びるアーリーの接続を断ち切り、彼女たちは現実世界へ帰還することに成功する。
「はっ……はっ……!」
「うぐっ……!」
物質界では肉の神器を纏っていなかった女達は、急に襲い掛かってきた疲労で膝をついた。
聖騎士たちは……干からびていた。
定命が調子に乗って神との接続を求め、その神の方も加減が分からない反射しか出来ないのだからある意味当然だろう。
「せ、聖女様⁉」
「大丈夫ですか⁉」
「さ、さ、さっきのは⁉」
「まさか神があんな⁉」
怯え切った村人達は、アンネリースの加護で多少神器と繋がっていたため、国が神と呼ぶ者の真意を知ってしまい狼狽える。
それに神の内心を知り、異端に認定された彼らは居場所もなかった。
「い、急いで荷物を纏めろ」
「森へ……世界の中心に向かいます」
息も絶え絶えなブリュンヒルトとアンネリースが村人に指示を出す。
彼女たちにしてもリーアにいれば、また意思を漂白される可能性があるし、それが無くても国に異端として処理されるのは間違いない。
だから彼女たちにとって真の神がいる、世界の中心を目指して……辿り着いたのだ。
掲示板でリーア聖国関連に与えられる名誉醜悪王信徒の称号は伊達じゃない。醜悪王に利することしかしない、マジで神にとっての大戦犯(*'ω'*)