番外編【スティーブン】
私は昔、この生を受ける前にウエスト区の東にある小さな領地を預かる男爵家の3番目の息女として生まれた。
姉たちが良家の令息と婚約していく中、後妻の娘である私はちっとも婚約者が決まらない。
髪は癖毛で姉たちに馬鹿にされ『記憶継承』の発現も弱く、アミューリア学園に行く前に礼儀作法と奉公で侯爵家のご息女の元へメイドとして働きに出されることとなった。
それは、仕方のない事。
普通の事なので、私は特に不満もなく×××様というご令嬢へのご奉仕に準じた。
我が家では考えられない侯爵家の屋敷の広さと、豪勢な造り。
置いてある家具や、飾られた絵画や壺。
皆素晴らしいものばかり。
×××様のお召しになるドレス一着だって、私では一生着られない価格のものだろう。
羨ましい気持ちもあるが、私はここに礼儀作法の勉強で来ているのだ。
アミューリア学園にも彼女付きのメイドとして付いていける。
働きながら勉強する機会は、これまで勉強する機会さえ与えられなかった私には貴重だ。
「×××、わたくしとアミューリアに来なさい」
×××様は優しい笑顔でそう言ってくれた。
活発な彼女と共に私はアミューリア学園へ入学し、彼女が勉強に励んでおられる昼間に仕事を他のメイドたちとともに行う。
洗濯をしたり、掃除をしたり。
それ以外の時間は第2図書館で勉学に励む。
料理の練習も頑張った。
ある時、とある伯爵家の男性が私に声をかけて来た。
ハンカチが飛んでこなかったかと。
彼のハンカチは彼がお母様から渡された大切なものなのだそうだ。
洗濯場なので、他の洗濯物と混ざったのかもしれない。
2人で懸命に洗濯物を干して、ハンカチが混ざっていないか探した。
そして、ピンクの可愛いハンカチが出てきて、まさかと思いながら彼に問いかけたら…。
「それだ!」
女性物にしか見えないハンカチ。
けれど、お母様から頂いたものだから大切なのね。
「笑わないの?」
どうして。
だって、お母様から渡されたハンカチなのでしょう?
「…ありがとう」
何故か嬉しそうに微笑むその人に、私は恋をしてしまう。
その方はノース区の西の伯爵家次男の方。
第2図書館や、運動場の側にある丘などでデートを重ねた。
私の作るお弁当を美味しそうに頬張る姿を見るのが好きだった。
手を差し出されて、その手に私の手を乗せるとはにかむ顔も好きだった。
初めて抱きしめられた時、母を亡くしてから父にすら抱き締められていなかったことを思い出した。
そして、人の温もりというものを思い出した。
幸せだ。
この人と居ると、幸せだ。
とても、とても…。
ずっとずっと側にいたい。
いられたらいいのに。
「結婚してくれ」
跪いた彼にある日、そう言われて涙が溢れた。
デートでよく来る運動場の側の丘で。
夕陽に照らされて、それでも真っ赤な顔の彼の緊張して乾いた唇が震えるのがよく見えた。
涙が溢れて止まらなくなる。
この時、私は断らなければならなかった。
私はウエスト区の小さな男爵家の三女で、彼はノース区の伯爵家次男。
父は喜ぶかもしれないけれど、姉たちは妬むだろう。
そして、彼の家も喜ぶことはない。
田舎の貴族の三女で、『記憶継承』も大して発現していないメイドの娘なんて。
…それでも、喜びが優った。
涙を拭って、私は頷いてしまった。
そして、その幸せは続かない。
卒業後、結婚の話は完全に停止して…私は突然仕えていた×××様に実家に帰るように言い渡された。
×××様は悲しそうに首を振り、私の父が私を早く家に返すように言ってきていると仰る。
よく分からないまま、何もかもが中途半端なまま、私は実家へと帰ることになった。
姉たちが良家の令息へと嫁ぎ、すっかり静かになった家に父は1人で住み続ける。
そういえば…この家の跡取りは…。
姉たちが嫁いで居なくなった。
私が結婚してこの家を継ぐ事になるのだろうか?
父に、生意気だと思われるかもしれないが…聞いてみた。
父は微笑んで首を振る。
そして私は、自分の愚かさを突き付けられたのだ。
私が好きになったあの方へ、侯爵家の令嬢が想いを寄せていたのだそうだ。
その侯爵家の令嬢は、私があの方と付き合っていると知ると家の力を使ってあの方との婚約を取り付け…進めた。
あの方はそれを知っていたけれど私へ跪き、婚約を申し入れた。
それがどういう事なのか…。
その時の私は考えることを放棄していた。
侯爵家令嬢は次に、私が奉公していた×××様に私をクビにするよう迫っていたらしい。
しかし×××様はずっと庇ってくださった。
それでも、私を父のところへ帰したのは…彼女の手が私の実家まで伸びたからのようだ。
取り潰しが決まったこの家で、父は静かに終わりを待つ。
そして私に「縁談をいくつか用意したんだ」と言って、お相手の姿絵を見せてくれた。
ただ一つ。
私はあの方に見捨てられたんだな、と…悟った。
「…………」
絶望感に満ちた夢の終わり。
悲しみの余韻がぼんやりとする頭に強く残る。
こんなに強く、鮮明に刻まれた前世の記憶は…きっとフロリーアの悔恨故なのだろう。
今度こそ幸せになりたいと、自分から全てを奪ったリセッタの家の跡取りに生まれ変わるという執念にゾッとする。
それとも、跡取り息子である私に成り代わりリセッタの家に復讐するつもりなのだろうか。
この家の血を絶やしてやろうと……。
なんて恐ろしい。
フロリーアの思い通りにはさせたくない。
確かにリセッタ家の令嬢は貴女から大切な人を奪ってしまったのかもしれないけれど、そんなの私には関係ないのだ。
私は両親が好きだし、誰かの大切な方を奪い取ったりする度胸もない。
起き上がり、自分で身支度を整える。
悲しいがフロリーアの記憶は私に自分のことは自分で出来るだけの自立性を与えてくれているのだ。
それに、彼女の記憶故あまり男性の使用人に体を触られるのが恐ろしくもある。
両親には幼い頃から変な言動が多いせいで、前世の記憶が強く現れているということを知られていた。
だから、着替えは私に自分でさせてくれる。
侯爵家の者としてはどうかと思うものだろうけれど。
「…おはようございます。……あれ?」
朝、食堂へ行くと両親が居ない。
メイドに目で問うと遠い目で微笑まれる。
多分、彼女たちのこの表情は我が家特有だろうなぁと眉尻を下げた。
「また…ですか…?」
「は、はい…何度かお呼びしたのですけれど…」
「…あ、ああいうのは、求めていないのですが…」
首を振る私へメイドがやはり優しく微笑む。
私も昔はよくこんな顔で主人を眺めていた。
だから気持ちが嫌というほどよくわかる。
仕方なく、メイドたちへ朝食の準備を進めてくれるようにお願いして両親の部屋へと向かった。
そして母の部屋から高笑いが聞こえてくるのでこっそり扉を開けて覗いてみる。
「素晴らしい! 素晴らしいぞソランジュ! 私とても綺麗になったと思わない?」
「ええ、アンドレイ! とても可愛いわよ! そのまま登城してもいいくらい可愛い!」
「はーあ、ほんと一回このまま登城しちゃおうかしら。部下たちビックリするよね! …ねぇ、ソランジュ…今夜このまま愛し合わない?」
「まあ、それはいいわね! 試してみましょう!」
…………朝っぱらから何を話しているのでしょうね…この両親は…。
頭が痛む。
扉をそっと閉めて、頭を抱える。
…なんか、最近父の女装に磨きがかかってきた気がします…。
嫌だな…そのうち自分用のドレスを仕立ててしまうんじゃ…。
いくら我が国が女神を信仰していて、女性が尊敬される国とはいえ…男が女性の格好をしたところで微妙な反応をされるだけだと思うのですが…。
心と体の性別が違うのなら性変更も可能と…そう励ましてくれたのはお父様とお母様ですけどね?
…そ、その女装の日課も私を励ますためのもの……なのでしょうか……?
ううっ、求めてない。
求めてないですぅ、お父様〜!
「…けど、やっぱり私のドレスじゃコルセットしても背中のファスナーが全部上がらないわねー。今度貴方用のドレス仕立ててみるー?」
お、お母様⁉︎
「え! いいの⁉︎」
お父様⁉︎
そこは喜ぶところではありません⁉︎
「ウィッグも作りましょうよ! そうすればもっと完成度が上がると思うわ!」
「わーい! ソランジュ愛してるよー!」
「私もよ! 可愛いアンドレイ! …残念だけどそろそろ着替えて男の貴方に戻りましょうか。スティーブも食堂に来る頃だろうし」
「はーい」
「……………………」
そっと、扉の前から食堂へと戻る。
うちの両親はほんとに仲がいいですね……。
父はこのリセッタ侯爵家の跡取り息子で、一人息子。
母は婚約者に3回も婚約解消されたリエラフィース侯爵家の執事家系、ケミュト家の五女。
完全なる行き遅れの母をメイドとして連れた、ロズリーヌ・リエラフィース侯爵令嬢…今はロズリーヌ夫人だけれど…と同級生だった父。
やや破天荒の行き遅れメイドになにを思ったかすっかり惚れ込み、ロズリーヌ様へ土下座までして母ソランジュを妻に望んだそうだ。
先方は「え? この子でいいんですか⁉︎」…と15、6回確認してきたそうだけれど。
「……スティーブン様? どうかされたのですか?」
「………私がアミューリアに入学した後、両親が心配です…。休みの日に1日、お父様が女装で過ごすようになったらどうしましょう……」
「…………。…………、…、…わ、私どもは大丈夫ですよ…」
うん、うん。
食堂のメイド、そして給仕の使用人も微妙な笑顔で頷く。
その笑顔が、より私の頭を悩ませるのに…。
これは…フロリーアの呪いなのでしょうか…?