第23話『首輪のグラビアと燃え上がる正義』
帰りのリムジンの中は薬品の匂いが充満していた。アルコールとケミカルな除菌剤の刺激臭。
「⋯⋯まったく、汚らわしい」
西園寺レイコ様は私の二の腕――先ほど神崎ハヤトに掴まれた箇所――を業務用の除菌シートで執拗に擦り続けていた。
ゴシッ、ゴシッ。
容赦のない力加減に白い肌が摩擦熱で赤く腫れ上がり、ヒリヒリとした痛みが走る。
その痛みこそが彼女の「所有欲」の証左だと私の胸がときめく。
「痛い?」
「い、いえ⋯⋯ありがとうございます⋯⋯」
私は痛みを堪え、潤んだ瞳で感謝を述べた。レイコ様の手によって浄化されている。他人の手垢を削ぎ落とされている。その事実だけで痛みは快楽へと変換される。
(あ、流石にお風呂場で体を洗ってはくれないんですね。そうですよね、そこまでサービス過剰だと心臓が持たないですもんね。でも、この無言のゴシゴシプレイ⋯⋯最高です!)
レイコ様は、赤くなった私の腕を見てようやく満足したようにシートをゴミ箱に捨てた。
「⋯⋯不愉快だわ。薄っぺらい正義感が感染る」
彼女は私の顎を掴み、自分の顔へと向けさせた。妖しく光る瞳。
「消毒だけじゃ足りないわね。⋯⋯上書きが必要よ」
「上書き⋯⋯?」
「ええ。あの愚かな男に、そして世間の有象無象に骨の髄まで思い知らせてやるのよ。貴女が誰のモノかということを」
ゾクリ――背筋に甘い電流が走る。
マーキング宣言! それは私のアイドル人生(奴隷ライフ)における新たな「神イベント」の開幕を告げる合図だった。
◇
翌日、都内の撮影スタジオは異様な緊張感に包まれていた。
急遽セッティングされた週刊誌の巻頭グラビア撮影。
タイトルは――『飼育』。
スタジオの中央には、天井まで届くほどの巨大なアンティーク調の鳥かごが設置されている。
黒い鉄格子とその床には深紅の薔薇の花びらが散らばっていた。
私は、その鳥かごの中に収まってカメラのフラッシュを浴びる。
衣装は、もはや服とは呼べない代物だった。粗い織り目の白い包帯のような布が身体に巻き付けられているだけで、胸元と腰回りをギリギリ隠しているが、動けば肌が露わになりそうな危うさがある。
そして首にはおなじみの首輪――そこから伸びる銀色の鎖は、鳥かごの鉄格子に繋がれているのではなく⋯⋯
カシャッ、カシャッ、カシャッ。
シャッター音が響く中、鎖の端を握っていたのは漆黒のドレススーツに身を包んだ西園寺レイコ様その人。
「もっと縋りなさい」
レイコ様が鎖をクイッと引く、首が絞まって私は強制的に上を向かされる。
「あ⋯⋯ぅ⋯⋯」
私は鉄格子越しに鎖を持つ主人を見つめる。カメラマンがその構図を逃さず切り取った。
『檻の中に囚われた、傷ついた白い小鳥』
『その鎖を冷酷に、しかし愛おしげに握る黒衣の魔女』
圧倒的な対比――暴力的なまでの耽美。
「いい⋯⋯っ! すごくいいですよ、Aiちゃん! その目! 絶望と諦めと微かな依存! パーフェクトだ!」
カメラマンが興奮してシャッターを切る。周囲のスタッフたちは息を呑み、その背徳的な光景に見入っていた。
「やりすぎでは?」「これ、掲載できるのか?」「社長の趣味全開だな⋯⋯」という困惑の空気も漂っているが、レイコ様の放つ圧倒的な「美」の説得力が倫理観をねじ伏せている。
私は鳥かごの床に膝をつき、鉄格子に白い指を絡ませた。
(はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯たまらん⋯⋯!)
私の脳内は撮影開始からずっと絶頂状態だった。この鳥かごという閉塞感、そして首輪に繋がれているという物理的な拘束感、さらにその鎖を握っているのがレイコ様本人ときた。
これは撮影ではない。公開プレイだ。
全人類に見せつけるための、私たちの「愛の儀式」だ。
「あの男に見せつけてやりなさい」
レイコ様が私だけに聞こえる声で囁いた。
「貴女の飼い主は私だけ。貴女を救えるのも、壊せるのも、この私だけだとね」
彼女は鉄格子の隙間から手を差し入れ、私の頬を冷たい指で撫でた。
私はその指に頬を擦り寄せ、猫のように目を細める。
「⋯⋯はい、レイコ様⋯⋯。私は貴女だけのモノです⋯⋯」
トロンとした目、紅潮した頬、半開きの唇から漏れる吐息。
それは傍から見れば「洗脳が進み、正常な判断力を失った少女の虚ろな表情」に見えたことだろう。
しかし実際は「推しに触れられて感極まっているオタクの昇天顔」である。
カシャッ!!
フラッシュが焚かれる。
この一枚が翌日の日本列島を激震させることになるとは、この時の私は(ある程度予想はしていたが)知る由もなかった。
◇
次の日、私はいつものように資料室兼倉庫の段ボールベッドの上で、優雅なエゴサタイムを享受していた。コンビニの100円コーヒーを片手にタブレットを開く。
週刊誌の発売日。
デジタル版の記事が配信された瞬間、SNSのタイムラインは爆発した。
トレンド1位:#FreeAi(アイを解放せよ)
トレンド2位:鳥かご
トレンド3位:エンパイア虐待
「おおー、燃えてる燃えてる。キャンプファイヤー並みの火力だねぇ」
私はニヤニヤしながら、阿鼻叫喚のコメント群をスクロールした。
***
@justice_warrior
今週のグラビアみんな見たか? 吐き気がしたよ。
あれは芸術じゃない。ただの虐待だ。
アイちゃんの目を見てみろよ。完全に死んでる。
助けを求めてるのに、声が出せない⋯⋯そんな顔してる。
#FreeAi #エンパイアを許すな
@angel_guardian
鎖を持ってるのって西園寺社長だろ?
自分のタレントをペット扱いして楽しんでるのか?
悪趣味にも程がある。
人間の尊厳をなんだと思ってるんだ。
警察に通報しました。
@art_critic_fake
いや、悔しいけど美しいと思ってしまった⋯⋯。
背徳的すぎる。
あの「飼われている」感じ、ゾクゾクする。
でも、やっぱり倫理的にはアウトだよな⋯⋯。
***
世間の反応は想定通りの「ドン引き」と「激怒」そして隠しきれない「興奮」がない交ぜになっていた。
特に『#FreeAi』というタグは、世界トレンド1位にまで上り詰めている。
海外の活動家まで参戦し「現代の奴隷制度反対!」などと英語でツイートされている始末だ。
「ふふっ、最高の宣伝効果だ」
私はパン(賞味期限切れ)を齧りながら満足げに頷いた。この大炎上のおかげで私の知名度は世界的レベルに至っている。
そして何より、レイコ様の「冷酷な悪の女帝」としてのブランドイメージも盤石なものとなった。
悪役としての格が上がれば上がるほど、その所有物である私の「悲劇性」も輝きを増す。
私たちは今、世界で最も注目される「主従カップル」なのだ。
「虐待? ノンノン。これは『究極の過保護』だよ。鳥かごっていうのはね、外敵から愛鳥を守るためのシェルターなんだから」
私は画面の鳥かごの中の自分を愛おしげに撫でた。
この写真、後で高画質でプリントアウトして倉庫の壁に飾ろう。家宝にしよう。
その時、つけっぱなしにしていた倉庫の小型テレビから聞き覚えのある声が流れてきた。帯のワイドショー番組だ。
『⋯⋯グラビアの写真を見ました。言葉を失いました』
画面には深刻な表情をした神崎ハヤトが映し出されていた。彼はレポーターの囲み取材に応じている最中だった。
『あれは、表現の自由なんて言葉で片付けていいものじゃない。彼女は⋯⋯アイさんは正常な判断力を奪われているんです。洗脳と言ってもいい』
ハヤトはカメラを真っ直ぐに見据えた。その瞳には燃えるような正義感と使命感が宿っているのが見て取れた。
『あの写真はSOSです。彼女は鎖に繋がれて、泣いているんです。⋯⋯だから僕は動きます』
彼は一度言葉を切り、決意を込めて宣言した。
『明日の生放送『スター・トーク』。僕と彼女はゲストとして共演することになっています。⋯⋯その場で僕は彼女を連れ出します』
――は?
私は食べていたパンを喉に詰まらせそうになった。ワイプのスタジオがざわつく、レポーターたちが「えっ、どういうことですか!?」「連れ出すとは!?」と色めき立つ。
『言葉通りの意味です。公共の電波を使って僕は彼女をあの檻から救い出す。⋯⋯西園寺社長、あなたが見ているなら伝えておきます。アイさんはモノじゃない。人間だ。僕が彼女の人間性を取り戻す』
公開誘拐予告、いや彼の中では「正義の奪還作戦」の宣言だ。
全国ネットの生放送で大人気の若手俳優が悪徳事務所からアイドルを救出する。
まるでドラマのような展開に世間は熱狂するだろう。
「げほっ、げほっ! ⋯⋯マジかよあいつ!?」
私は咳き込みながら、テレビ画面を睨みつけた。
正気か? 生放送中に連れ出す? 放送事故確定じゃん!
なんて迷惑な。なんて独善的な。
私の平穏な(そして変態的な)生活をどこまで引っ掻き回せば気が済むんだ!
⋯⋯と、怒りが湧いたのは最初の一瞬だけだった。
ガチャリ⋯⋯倉庫のドアの鍵が開く音がした。
レイコ様だ。彼女は片手にワイングラス(朝から!)を持ち、もう片方の手でタブレットを持っていた。
タブレットの画面には今のハヤトの会見動画が流れている。
「⋯⋯見たかしら?」
レイコ様の声は低く、静かだった。
だが彼女が持っているワイングラスのステム(脚)には、今にもへし折れそうなほど強い力が込められていた。
ミシミシ、とガラスが悲鳴を上げているのが聞こえる。
「あ、はい⋯⋯見ました⋯⋯」
私は正座し、怯えたフリをして答えた。レイコ様は画面の中のハヤトを冷ややかに見下ろし、そして――美しく歪んだ笑みを浮かべた。
「⋯⋯面白いわね。小物がキャンキャン吠えているわ」
パリンッ!!
ワイングラスの脚が砕け散った。赤い液体が彼女の白い手と床に飛び散る。
まるで鮮血のように。
「私の目の前で、私の所有物を奪う? ⋯⋯いい度胸ね。その薄っぺらい正義感がどれほど無力で滑稽なものか、全国民の前で証明してあげるわ」
レイコ様の瞳にドス黒い炎が灯った。それは獲物を前にした捕食者の目かあるいは、自分の領域を侵された魔王の激昂。
私は飛び散ったワインが染み込む床を見つめながら、ゾクゾクと震えた。
え、明日修羅場確定? ガチの殴り合い(物理ではないが)発生?
光の勇者(勘違い)VS闇の魔王(激怒)
その間に挟まれる、囚われの姫(変態)
なんて⋯⋯なんて美味しすぎるシチュエーションなんだ!
(やったー! 特等席でレイコ様の無双が見れる! ハヤト君、君の犠牲は無駄にしないよ。君が派手に散ることで、レイコ様のカリスマ性はさらに高まるんだから!)
私はレイコ様の足元に這い寄り、ワインで濡れた床を拭うように自分の服の袖を使う。
そして、彼女を見上げて媚びるように言った。
「私はどこへも行きません⋯⋯。ハヤトさんが何をしようと、私はレイコ様のものですから⋯⋯」
レイコ様は私の頭を濡れた手で撫でた。ワインの香りと血のような鉄の味がする(気がした)。
「ええ、知っているわ。⋯⋯明日は最高のショーにしましょうね」
彼女の指先が私の首輪をなぞる。
明日の生放送『スター・トーク』そこはトーク番組のスタジオではなく、処刑場となるだろう。
私は楽しみで涎が出そうになるのを必死に堪えた。
さあ、ハヤト君。せいぜい頑張ってくれたまえ。
私の首輪は、安っぽい正義感ごときで切れるような安物ではないのだから。