恋鞘当三本勝負・5
「……轟天怒涛流、葛城道場…………」
一畳ほどの巨大な扁額が客を見下ろしてくる。
ここの主の為人がそれで察せられて、梅之助はもう帰ろうかと思った。
(こういうところで、客の入りって左右されるんだろうなぁ……)
比べるべくもないが、兄が父から継いだ雲居道場の看板は質素だ。
建材に向かないヘンテコな形の切り株を薄く切り出したものに、『雲居剣術道場』と墨書きしているのみ。おそらく風呂屋の焚きつけに回るものだったのだろう。
貧乏御家人には、看板にかける金の余裕はないのだ。
そして流派。
とても見覚え、というか聞き覚えがある。
流行ってるんだろうか、見た目格好いい文句を並べる流派が。言ったもん勝ちか。
葛城屋敷の裏道に面した道場は、冷や飯食いのものとは思えないほど華美であった。
金箔で縁取られた扁額に、朱塗りの柱。崇めよとばかりに着飾るさまは、物欲まみれな仏閣のようである。
戸板に貼られた「見物良し」の墨書きに、偵察だし、と思い直して梅之助は踏み入ることにした。
「御免下さい」
「入門かっ!?」
数人の門弟の視線が暑苦しく襲ってきた。獲物を見つけたハヤブサの食いつきっぷりだ。
「いえ、見物させて頂いてもよろしいでしょうか」
「おぬし、武士であろう!?」
「剣術道場に来て見物だけとは、なんと情けない!」
「男であれば剣を磨け!」
(帰りたい)
梅之助は呆れた顔を隠さない。
扁額から受けた印象は正しかった。俺の流派こそ最強と疑わず、敵が欲しくて仕方ない暴れん坊集団。こちらの話は通じない。きっと近所迷惑に違いない。
上座にいた道場主であろう男が、ゆっくりと戸口へ近づいてきた。達観した世捨て人の雰囲気がある男だ。
「お手前が、葛城丹前さまですか」
「いかにも」
丹前は門弟から竹刀を受け取ると、ずい、と梅之助に差し出す。
「入門の気のない者はこの戸を叩きはすまい。参られよ」
「薬種問屋の娘の件で、お話がありまして」
こいつもか、という落胆はひとまず顔には出さず、竹刀をそそっと払い除けて本丸へ切り込んだ。もう直接言わないと耳には入るまい、と判断した。
一度だけまばたきをして、「聞こう」と丹前は上座へ戻る。梅之助もあとへ続いた。
丹前が門弟らに目配せすると、また各々鍛練に戻る。その素振りの掛け声の大きいこと大きいこと。これが武士の正しい姿だと、いら立ちを大声で発散しているのだ。
(桂馬さまのところも、こんな感じなんだろうなぁ)
おもちゃが思い通りにならず、わめく赤ん坊。
元は白だった薄汚れた稽古着が赤ちゃんのむつきと重なり、甥っ子の幼い頃を思い出してふふっと微笑む梅之助である。一瞬で殺気が充満したが気にしない。
道場の隅で丹前と向かいあった。
年少の門弟が茶を運んできて、梅之助にはこぼれるほど乱暴に置いてゆく。それを叱りもしない丹前。道場の程度が知れるというものだった。
「話を伺おう」
丹前が淡々と切り出す。
「その前に、丹前さまには許嫁、お十美どのからの文は届いておりますか?」
いきなり訪ね来た男が許嫁の名前を出しても、丹前はぴくりともしない。
「とある男と決闘し、勝てぬときは破談にする、という文なら昨日、受け取った」
「はい。その、とある男が私です」
仙人然としていた丹前が、目を輝かせた。
ただし、不破伴左衛門は梅之助を『相手に取って不足なし』と見た輝きだったが、丹前は『獲物』を見る輝きであった。刀憑きの目が、不気味にぬらりと光る。
察した梅之助は知らぬ顔でかわした。
「それで、決闘に参ったと」
「いえ。私は当て馬のようなもので、お十美を娶る気はありません。丹前さまがお十美を娶りたいと仰るなら喜んでお譲り致します。ですので、決闘の意義は果たしてあるのか、避けるべきではないかと思っております」
言いながら、梅之助は丹前の機嫌が急降下していく様子を眺めていた。眉間にしわを寄せ口を曲げ、あからさまにがっかりしている。
彼もまた、おもちゃに不服な赤ん坊のような顔になった。
「ですが、少し事情が変わりました」
ここに来る途中で、梅之助は別の道を見落としていたことに気づいた。
お十美の乳母、お兼の存在である。
おそらく彼女は、お十美と同じくらいの子供がいる。母乳が出る女でなければ乳母は勤まらなかったはずなのだ。
ではそれが、誰の子か?
「丹前さま、つかぬことを伺いますが、三ツ葉屋の娘を許嫁にとの話を持ちかけたのは、どちらからですか?」
「向こうだな」
「お十美の文をこちらに届けたのは、乳母ではありませんか?」
「女であったが、乳母かどうかは分からぬ」
「その女は、三ツ葉屋は、貴方さまに何を頼まれましたか?」
師範につめよる無礼な客に、門弟らはいつの間にか鍛練の手を止めていた。
まるで、尊敬する師範が悪党の片棒をかついでいるかのようなもの言いだ。門弟らは梅之助を逃すまいと、遠巻きに囲みはじめた。
丹前は腕を組み、ごく真面目に、しかし酷薄な声で梅之助の問いに応える。
「お十美を始末せよ、と」
「やはり……」
最悪の予感が当たってしまった。
乳母も三ツ葉屋も、お十美が邪魔なのだ。それは、代わりになる者がいるからだろう。
お兼と、三ツ葉屋又八郎との娘が。
「……丹前さまは、お十美に懸想なされていたりは」
「懸想など、するわけなかろう。縁組が決まれば我が家に持参金千両が入る、そのためだけの娘」
「持参金、千両……!?」
梅之助は絶句した。
その金があれば、平民でも武士の位を買える。それほどの額である。
旗本も豊かな家ばかりではない。千両もの大金が手に入るなら、冷や飯食いの息子が平民ひとりを殺すのに目を瞑るやもしれぬ。
許嫁候補らがお十美を好いているように偽装したのは、お十美が急に消えても『駆け落ちした』で済ませる気だからだろう。
「お十美の命は、我が流派を支える礎となろう」
丹前は鎌首を持ち上げるように立ち上がる。
神前に納めている一振りの刀に手が延びる。刃の分厚い、剛剣である。門弟らは素早く脇に寄り、師範のための舞台を空けた。
「親が娘の縁組を決めるのは当然の倣い。そなたもその気がないのなら、俺が喜んで娶ろう。嫁いだ先のことは、他人が口を出すことではない」
娶る気はないと言った男に、止められるいわれはないと。
お十美というひとりの娘の命を軽視した、身勝手で無慈悲な縁談であった。
「決闘する気になったか?」
「…………」
梅之助は空を睨み、沈黙する。
(動揺したか。青いな)
丹前は、もはや勝ったと算段した。
お十美に惚れているのか、随分と心を砕いている様子だ。そんな男が惚れた女を殺すと言われて、動揺しないわけがない。逆上した敵を屠るのは容易である。
(俺を殺したかろう?)
丹前はもう一振りの刀を梅之助に突きつけた。戦いたくて、渇いて渇いて、たまらない。
お十美の文からして武芸者だろう。知っている流派か、まだ見ぬ流派か。切り合いの中に身を置くことこそ武士の本当の姿。丹前はそう信じて疑わない。
(さあ、剣を取れ、俺と戦え)
興奮を隠しきれぬ眼が向けられるも、差し出された刀の柄を梅之助は一瞥し、はあ、とため息をつく。
「金を目当てに、ご自分より遥かに弱い娘を騙し討ちする……。神前の刀を振るうほど武士らしい行いですか、それ?」
「……!」
丹前は声を潰し、赤面した。
天照大御神の御前で。金をもらって人を斬る、これぞ我が流派であると。
武士であること、刀を振るうことに誇りを持つ男に、肝っ玉の小さい畜生の所業であると痛烈に思い知らせる言葉であった。
「轟天怒涛流剣術で、お十美を斬るおつもりでしたか? 斬るだけなら野盗にもできますけどね」
梅之助は向けられた刀を袖で遠ざけた。触るのも穢らわしい、というそぶりだ。
「平民のもうけ話に乗って人を斬った侍、と噂が広まっては、うちの流派最強〜などと言ってる場合ではありませんよ?」
「流派は関係なかろう!!」
赤面を怒りに変えて、丹前が怒鳴る。畜生の所業ついでに流派まで貶めたことが逆鱗であったようだ。
門弟らは師範がこの無礼者を血祭りに上げることを期待したが、丹前は刀を太刀置に戻すと、代わりにわなわなと震える手で木刀を握る。
武士らしい決闘ではないと認めてしまった。
ここで刀を用いれば、武士の魂たる刀への侮辱となってしまう。使うわけにはいかない。
冷静になろうと努めるも、湧き出る怒りは止まらなかった。
「あのような文を送りつけてくるからには、腕に覚えはあるのだろう。ならば今、ここで決着をつけようぞ。そなたが勝ったら俺は葛城道場の看板を降ろす。だが俺が勝ったら、この場で貴様を斬り刻んでくれる!」
ガラン、と足元へ放り出された木刀に、梅之助は手を伸ばす。
屈んで死角となった口元には、笑みがあった。
(標的が私に移った)
殺す対象を、お十美から自分に向けさせたのだ。
見届け人はいない。正式な決闘ではないが、葛城丹前の矜持を粉々に打ち砕けば、二度目はあるまい。
(勝たなきゃね)
団子と鰻のお礼もある。
梅之助は腹を決めた。
「仕方ないなぁ。ほら、さっさと始めますよ」
「誰の道場だと……ッ!」
道場の真ん中で相対する。ことさらに『お前のせいで面倒臭い』という顔を作れば、血を昇らせた丹前の怒気は最高潮に達した。
門弟の「はじめ!」の号令と同時、両者が床を蹴る。
丹前が床を蹴ったのは「はじめ」の「め」のときだ。梅之助は、「は」で蹴っていた。
体ひとつ分以上の差ができる。
「なっ……」
それは真芯での攻撃を最高速度で当てられる者と、遅れる者を生む。
ガン、と不快な音が響き。
梅之助の木刀が丹前のそれを弾き、すれ違いざま空いた脇腹に一撃を叩き込んでいた。
「……ッ!!」
電光石火。
怒りで鈍った丹前の眼は、梅之助憎しに意識を割くあまり、剣筋が見えていなかった。
丹前が板間にもんどり打つ。
苦悶に歪んだ顔は、痛みと屈辱、梅之助の技量、負けた事実、色んな認めたくないものがない交ぜになり、土気色をしていた。
「おのれっ」
門弟が叫ぶ。師範の面目、流派の最強を守るためには、梅之助をここで殺すしかない。
林立する木刀の輪が一斉に狭まる。
梅之助は、袖に潜ませていたものを掴むと、床にばら蒔いた。
「痛ェっ!」
それを踏んで、門弟らが悲鳴を上げる。
足の裏に突き刺さったものを抜いてみれば、硬い殻を持つ菱の実であった。
素破が使う撒菱である。
煎じて飲んだり、粥に入れれば内患に良しとされるので、三養堂にも置いてあるものだ。念のためにこっそり持ち出した。
しかし、使うことになるとは。
(せっちゃん怒るだろうなぁ)
人の体を助ける食べものを、足で踏ませたのが心苦しい。
刹那は米びつに足を向けない。罰が当たると、よく言っていた。撒菱を撒いたことも怒りそうである。
黙って怒られよう、と梅之助は腹を決めた。
「こちらの流派の極意は、よーくわかりました」
皮肉をこめて丹前を見下ろせば、血走った眼が梅之助を映す。
門弟の行いは師範の鏡。流派を貶めたのは、彼ら自身である。おそらく、認めないだろうけど。
「私の師は、ふたりおりますが」
ひとりは父、もうひとりは千住の大侠客。
「どちらからも、貧乏人や女子供に喧嘩を売る侍になれとは教わっておりませんので」
夕刻、雲居家の裏口をうろうろする男の姿があった。中を覗き込み、引き返し、しばらく入るかどうかを悩んでいる。
「あの、当家にご用ですか?」
見かねた当主の妻、律が声をかけた。使用人がいない家なので、来客の取り次ぎも茶汲みも、家の皆でやる。もちろん当主もやる。
怪しまれるとは思ってもいなかった男は飛び上がったが、律が首をかしげて、促すようにほにゃんと微笑むと、びしりと居住まいを正す。
血は繋がってないのに、義弟とおそろしく似ているほにゃんである。
桂馬はほにゃんに弱い。というか、恐怖の対象となっていた。
「梅之助どのは、ご在宅でしょうかッ」
「ええ、帰っておりますよ。奥野桂馬さまですね? どうぞ、おあがり下さい」
「えっ!?」
桂馬は再び飛び上がる。
この妻君はご存知ないのか。俺が昔、義弟を殺そうとしたことを。
いや、知っててこの対応なのか? だとしたらこれは、罠? いやいや、女の細腕で何ができようか。いやいやいや、俺を嫌っている用人の爺が吊り天井でも仕掛けておるやも……
「いや! 俺、それがし、……拙者は! これを梅之助どのに届けに参っただけゆえ、御免!」
律に書き物を押しつけると、桂馬は逃げるように雲居家をあとにした。
「あら、まぁ。梅之助さんのご友人は、恥ずかしがり屋さんなのですね」
「義姉上、たぶん違いますから」
板戸の陰で、梅之助が苦笑する。
とっさの判断だったとはいえ、自分もずいぶんな人選で諜報を頼んだものだ。お互い顔を合わせるのが気まずい相手だというのに。
正直なところ、桂馬へのわだかまりがなくなったわけではない。けれど、恨んでいるかといえば、そうでもない。
桂馬が雲居家の敷居をまたぐことを気まずく思っている、気にさせている、と知れただけでも、いくらか気分は晴れていた。
お互い関わり合うことなく、違う世界で元気でやっていればそれでいい。
「……しかしまさか、これほど調べて下さるとは」
書き物にあったのは、梅之助が頼んだ以上のものだった。驚きとともに満足し、自然と笑みが浮かぶ。
「こちらにも、お礼が必要だなぁ。何がいいかな」
傷に梅干しを塗りこんだことは、都合よく忘却のかなたであった。
「お嬢さんの筆は、いつもお見事ですね」
三ツ葉屋の奥の間で、お十美は三度目の文をしたためている。名古屋山三に充てるものだ。
葛城丹前から、縁組を破談にしてほしいとの文が届いた。よほど悔しい思いをしたのか、筆はのたうち紙もくしゃくしゃで、お十美は、梅之助が自分のために動いてくれたのだろう、とご満悦である。
「ええ、亡くなったおっ母さんにも褒められたわ。私は頭は悪いけど、字だけは綺麗なのよ」
「そうでしたねえ」
頭が悪い自覚あったのか、とお兼は顔に出さず感心する。
店の仕入れや帳簿などは、古参の番頭や手代がいるから、跡取り娘が覚える必要はあまりない。できる婿を貰えばいいのだ。
ただし貰うのは、お十美ではない。この家の跡取り娘となるのは……
(梅之助とかいう貧乏御家人にも、話を付けておかなきゃねえ。冷や飯食いは金をちらつかせれば、辻斬りくらいするだろ)
お兼は物陰で、ほくそ笑んだ。
『鞘当』は、不破伴左衛門と名古屋山三が葛城(ていう遊女)を取り合う話です(笑)