深川寺町怨面影・8
黒文字瓜実は三養堂の台所の小上がりで、義助と肩を並べて座っていた。
日が落ちて、長屋の者らは晩飯の用意を始める頃だ。七輪の上で秋刀魚が焦げてる匂いが漂ってくるのが、なんとも恨めしい。
けれど、この男を放って自分だけ飯を食いに帰るわけにもいかない。
(き、気まずい……)
江戸焼き討ちの企みを漏らし、身の置き場のない裏切り者となった義助は、刹那の「少しだけ外します。ここで待っていてください」というすすめに力なく従った。
「黒文字さん、義助さんをよろしくお願いします」
丁寧なようで強引なお願いに、泡をくったのは瓜実である。
「え、どこか行くんですかっ!?」
「すみません。動かないと言ったけど、新地に行かせてください。力を貸してくれそうな人をあたってきます」
「ちょ、ちょっと先生えぇぇ!」
こんな訳アリな奴と一緒に置いてかないでー!!
とは、訳アリ男の前では言えない。
刹那は懐に何やら紙の束を押し込むと、夕暮れの中に飛び出していった。
「待って先生、梅之助さんか弥九郎さん連れてったほうがいいってー!」
まだ宵の口だが、刹那の行き先はこれから千鳥足の闊歩する場所である。絡まれたらどうするんだ。
戸口で叫ぶ瓜実の額に、石つぶてがコツンと当たる。
「いてっ。……ん?」
足元に転がったのは、石を紙で包んだもの。
投げ文だ。「心配無用」と走り書きしてある。
「え、……誰?」
刹那の心配はいらぬということか。
信用してよいのか。しかし三養堂を離れることもできない瓜実は、投げ文に従うことにする。
義助は今のところ大人しく、疲れ切ったような顔で肩を落としている。世間話をする雰囲気でもない。
これは、アレだ。励まそうとか余計なことしたらかえって空気が重くなるやつだ。
瓜実はそおっと、義助の隣に腰をおろした。それからひとことも口をきいていない。
とりあえず、小上がりの隅にある行灯に灯りを入れる。蝋を塗った紙が張ってある行灯は、台所をほんのりと明るく照らした。
「…………おい」
「はいっ!?」
瓜実は跳ね上がる。
「お前は、あの子の何だ」
ぎろりと睨まれる。
そっとしておこうと思ったら、向こうから声がかかった。
あー、実はいい人とか期待してたけど、人相そのまんまだった。いま大人しくしてるけど、これ人殺しの顔だわー。
ちょっとだけ刹那を恨み、瓜実は慌てて応える。
「あ、俺はその、裏の長屋に住むしがない絵描きでして。先生とはちょいちょい、おかずをおすそ分けされたりする仲です、はい」
「客じゃあねえんだな?」
「客……、あ! いや、とんでもない。そんな奴いたら、同居のおふたりに簀巻きにされて大川に投げ捨てられてます」
「……ならいい」
こわー。
そんでこいつ、刹那先生大好きだわー。
義助は瓜実を害なしと見てか、ぽつりぽつりと語りだした。
「……俺は、あの子に大恩がある。あの子は知らなくていいが、俺は確かに救われたんだ。今度は俺が、あの子を助けなくちゃならねえ。……言えた義理じゃねえが」
ここの医者を殺すことで得るはずだった報復の喜びは、相手が刹那だったことで霧散してしまった。
懐の匕首は使いどころをなくした。
罪を重ねることは避けられたが、同時に生きる意味を義助は見失っていた。
「止められる人数じゃねえんだ」
「……あの、さっきの話、本当なんですね」
戸口の陰で、瓜実も聞いていた。
江戸の焼き討ち計画のことだ。
「本当だ。今さらひとりふたりが止めに入ったって、もう止められねえんだよ」
どうすることもできない。義助は泣くに泣けず、罪に染めた手で顔を覆う。
源一坊が幻惑の術で増やした味方は江戸中に散らばり、息を潜めている。
明朝、明け六つの鐘が鳴る前に、各所に火を着けることだけを頭に遺した動く人形だ。
火が上がれば術は解ける。自分の着けた火で人々が焼け、泣き、逃げ惑うさまを見ることになる。
瓜実は、この計画を立てた者の狂気に、鬼畜のごときおぞましさを覚えた。
「……畜生、意休の野郎…………」
あいつに遭いさえしなければ。
義助は過ぎた邂逅を嘆く。
世直しだの弔い合戦だのは、こじつけにすぎぬと義助は分かっていた。それでも話に乗ったのは、少なくとも義助は本当に勝治郎を弔いたかったからだ。
意休は己が愉快なように盤を整え、より愉しめる源一坊という駒を用意しただけ。
勝治郎を亡くして宙ぶらりんになった義助の心も、意休はただの駒のひとつとしか数えていないのだ。
力無く、歯ぎしりでしか後悔を伝えられない義助の声が、涙で震えた。
でも、と瓜実は三養堂の顔ぶれを思う。
(先生のツテっていったら、あの花川戸の侠客だよな。それに剣術道場を持った梅之助さん、チンピラ集団に顔がきく弥九郎さんが、これを知って動いてるのなら……何とかなるんじゃないか……?)
不思議と、不安を感じないのだ。
もちろん彼らが本当に動いている確証はないのだけれど、動いているに違いないと思えてしまう。
(だってあの人たち、三位一体だから)
転ばして切って薬を塗る鎌鼬のように、話さずとも役割りを自然と担っている人たちだから。
深い嘆きに沈む義助は、瓜実のだんまりを非難と取った。
助けたいのは刹那ひとり、と言っているのだ、当然のことだ。
台所の小上がりには、縄で厳重な封をした壺がいくつも並んでいる。ひとつは口が開いていた。白い粉のようなものが少量、見えた。
医者を隠れ蓑にする戸隠安陣の出先なら、よくないものを預かっているのに違いなかった。
「……そいつは、薬か?」
鼠捕り薬か、はたまた水銀か。
おそらく町方に踏み込まれたときの自害のためか、口封じにでも使うのだろう。
「え?」
瓜実はきょとんと使いかけの砂糖を見止めた。
刹那は湯水のように芋に振りかけたが、本来は高級調味料である。欲しくてホイホイ手に入るものではない。
(こんな訳アリ男に食われるわけにはいかんよなぁ)
瓜実は、砂糖の正体を隠すことにした。
「そうです。毒薬です。附子、というらしいです」
知ってる猛毒の名を持ち出す。
「……そうか……」
いずれここも火が回るかもしれない。
戸隠安陣の一味を、刹那は家族と言った。今のあの子は、幸せなのだ。
もしあの子の幸せを壊すことになったなら、この猛毒で命を絶とう。
義助は静かに、そう決意した。
新地の盛り場は、高楼を構えた料理茶屋が多い。
隅田川の河口、大川を行き交う屋形船の、水面に映える灯りを見物しながら、個室でどんちゃんできるからである。
その一角、揚茶屋『昇龍楼』。
三日に一度は届く恋文で、彼がここにいることを刹那は知っていた。
「おいでなさいませ」
上品な仕草の女将は、息を切らして飛び込んできた客にも嫌な顔をみせず指を揃えて出迎える。
その客が、店にいるどの芸者、遊女よりも色白で目鼻立ちの整った美形だったことに、勧誘の目を光らせながら。
刹那は走り通した息を整えると、懐の文を引っ掴んで女将に突き出す。
「この文を寄越した男を、呼んで頂きたいのですが」
「文?」
まったく大事にされる様子のない文を受け取り、女将はぱらりと広げた。
「ぶふっ」
女将の上品が崩れた。
刹那は「気持ちはわかる」と内心同意した。自分もこれを読んで噴き出したからだ。
「呼んでようござんすね?」
「お願いします」
女将はすぐうしろの座敷に声をかけると、芸者と幇間、遊んでいた客らにその文を見せた。
皆、一読して笑いをこらえている。
そして、ほかの座敷に迷惑なほどの三味線、鐘、手踊りで廊下へ繰り出した。
「ハイ、【俺の織姫、君恋し。君を思うと星屑も井戸端の塵に見えるのさ。酔って昇龍、夜遊びが辰巳へしけて天の川。橋を渡って彦星も、君の近くへ来てるのさ。俺の織姫、君恋し。花川戸の助六より】ソレ」
唄い練り歩く女将らに、そこら中の襖が開く。興の乗った客が踊りの輪に次々と加わり、さながら盆踊りの様相だ。
黒歴史まっしぐらの恋文であった。
若気の至りといってもまだ酷い。
こんなものが三日にいっぺん届くのだ。仕返ししてやってもいいだろう、と刹那は公開処刑に踏み切ったのだった。
お練りの行列が二階まで達して、ようやくバタバタと焦る足音が階段を駆け降りる音がする。
「刹那ちゃん、いけねえよ!それだけはやっちゃいけねえよ刹那ちゃあああん!!」
恥ずかしさで真っ赤になった花川戸の侠客、助六その人である。
刹那は唄には毛ほども触れず、居住まいを正した。
「助六さん、お願いがあって参りました」
「嬉しいけど! 泣いていいかなあああ!?」
あの頃のラブレター歌謡祭ってのがあって。使えるなと思って(笑)
さて、附子が附子らしくなってきましたよ。