深川寺町怨面影・12
「何故、橋すら渡れぬ……?」
江戸市中に火をかけることを望む吉家は、市中へ入ることもできず足留めされていることに気分を害していた。
企みが漏れていた証左である。
しかし、着け火は幻惑の術で操った郎党であり、裏切ることはない。意休も、企みを漏らしたなら自分の隣になどいないだろう。
ここ数日の深川の、僅かな違和感を見逃さず、先手を打った者がいるのだ。
「あの者か?」
吉家の眼光が、橋の上の刹那に向けられた。
意休の問いに応えた男。我々の根城を看破した者。
他の者らに比べ非力な優男に見えるが、奴の人脈がこの妨害を整えたことは疑いない。
排除すべきは、あれだ。
「輿を降ろせい!」
生気のない担ぎ手らが、ゆっくりと膝を折る。
朱塗りの輿から雲漢が地に降り立った。桂馬の門弟らは、その巨躯を見上げて呆然とする。
優に七尺を超えている。白装束が松明の灯を受けて燦然と燃え、不動明王の火炎のごとき威厳を放っていた。
その手にあるは錫杖でなく、白の柄糸が美しい太刀。抜き身の降魔の剣である。
「来たか、御落胤」
「引きずり降ろす手間が省けたね」
乱戦の中にいた弥九郎と梅之助は取って返し、刹那へと歩を進める吉家に立ちはだかる。
「もしもの時は絶対に護るから」と、ふたりは刹那を橋に残し、囮にした。刹那としては、いくら利用してくれても構わなかったのだが、
「本当の意味でお前を狙うのは御落胤じゃねえ、意休なんだぞ!」
「意休に詰め寄られるせっちゃんを見るくらいなら、まだ御落胤に詰め寄られた方がまし!」
と、橋から動かないよう厳命された。
橋なら、左右と背後を警戒する必要がない。前方だけ守ればいいからだ。
「……っ」
ふる、と刹那は吉家の殺気に身震いするが、退きはせぬ。足を踏ん張り、ふたりの背に護られながら吉家を睨み返す。
「てめえらにだけ、いい格好させるかよっ!」
刹那を護るならと、助六も乱戦を抜け出して吉家の前に廻り込む。が。
「あーっ!!」
唐突に、助六が叫んだ。橋の三人、乱戦の者らも、何ごとかと目を向ける。助六は、吉家の手にした太刀を指差していた。
「そいつぁ、俺の刀じゃねえかっ!!」
「…………は?」
ぽかん、と音がしそうな静寂であった。
吉家はじめ全員が、吉家の持つ一振りの刀に注目していた。
意休のみ明後日を向いている。
当然、反論するのは吉家である。
「戯れ言を。これは源氏の宝刀、髭切丸である。この神々しい輝き、貴様ごときが知るはずがない」
「五月蝿え! 刀身に彫った俺の魂、目ン玉かっぴらいて、よっく見やがれ!」
吉家、握った刀に目を落とす。そこに彫られていたのは。
『刹 那 命』
「…………せつな、いのち……?」
橋の上に強めの寒風が吹いた。
「灸すえ日に、そこの爺に盗まれた俺の刀だってんだよっ!!」
皆一斉に、意休を見た。吉家も見た。
輿の上、意休はひと言の弁明もない。緩んだ口元が語るのは「あーあ、バレた」という悪童の開き直りだけだった。
「莫迦な」
吉家の威風がぐにゃりと歪んだ。
力強い眉は怨みに逆立ち、羞恥に顔は赤く燃え、血走った目が泳ぐ。「莫迦な」と繰り返す声は怒りに震えている。
己は源氏の末裔、将軍家の血筋であると、意休が太鼓判を押してくれたのだ。宝刀はその証であった。
その意休が、この仕打ちである。
「どこからが、嘘だ」
多感な少年はそれでも、恩師に一縷の望みをかけた。どこかに真実があるはずだと、縋って立てる手を求めた。だが。
「さて、どこからでしたかな。それがし、将軍家にも八幡太郎にも、何の思い入れもございませぬゆえ……最初から嘘、にござりまする」
「……ッ!!!!」
意休は、吉家を笑殺するのみであった。
憤怒の叫びを上げて、吉家は刀を輿に突き立てる。ぎりりと噛んだ歯のあいだから、言葉にならぬ瘴気が漏れていた。
「貴様、よくも、よくも……!!」
何が将軍家、何が源氏の血筋。太鼓判そのものがデタラメであった。自分はこの、人を喰ったような爺の暇つぶしに使われたのだと、嫌でも思い知った。
幻惑で操られている者らは、悲しいかな、吉家を笑ってすらくれない。
「そう悲観なさいますな、吉家さま。世直しはまことでござります」
意休は嘘くさい臣下の礼を取ったまま、うやうやしく言上する。
「ふたつの強者の切磋琢磨こそが世を変え、世を進める。源氏と平氏、武田と上杉、豊臣と徳川……。されど今、世は徳川一強のまま停滞しておりまする。大名どもは牙を抜かれ、老犬のごとく将軍家に頭を垂れる。吉家さま。世を変えたいと思うのならば、まこと将軍の座を狙いたくば、どうぞこのまま江戸に進軍なされませ」
少し前ならば奮い立っていたであろう意休の激。しかし今の吉家には、まったく中身のない空々しい文言であった。
このよく回る舌に、今まで自分は操られていたのかと。
「それを眺めてこの意休、腹を抱えて笑いまする」
「貴様の思い通りになど動かぬわっ!!」
高笑いを残し、意休は輿を足蹴にして、いずこかへ飛んで消えた。
吉家は追わない。
追ってやる価値すらない。
さぞ、蜜に集まる虫のようであっただろう。
それを虫籠に入れ、餌を与えて、旨そうに蜜を吸うさまを嗤われていたのだ。
羞恥と屈辱に焼かれ、僧であることを忘れた吉家は、意休が唯一口をきいた、橋の上の優男に狙いを定める。
意休ひとりを八つ裂きにしても足りぬ。己を止めたあの者を屠らねば、腹の虫が治まらぬ。
眼を、囚えた。
「喝あッ!!」
意休と吉家が決裂した。何かが起こると思った。
考えられるのは、一騎当千の強者を幻惑し操ること。もしそれが梅之助と弥九郎なら、集めた者らを束にしたところで敵わない。
自分なら、絶対にふたりが止めてくれる。
だから、吉家の激昂と同時に、刹那は走っていた。
梅之助と弥九郎を背に、術の壁になる。
「せっちゃんっ!!」
「おいっ!!」
凶風が形をなして、刹那に激突した。
頭の中に誰かが入り込んだ。体がうしろへ突き飛ばされたように、傾いてゆく。
珍しいふたりの叫びが、遠くに聴こえた。
「何やってんだ、てめえらあっ!!」
助六が怒鳴り、倒れた刹那を介抱すべく橋へ向かう、その両脇をふたつの影が駆け抜けた。
「刹那を頼んだ」
そのひと言だけを残して。
「来るかっ」
吉家は、己を護るように槍持ちを張り巡らせ、武器を失った者らで人の壁を作る。
優男を護っていたふたりを操るつもりだったが、まあいい。こちらも線の細い侍と、腕力だけのチンピラだ。
蚊をはらうように一蹴してやる、はずだった。
「!?」
躍り上がったチンピラが、櫂で吉家の防波堤だった弓、刀持ちを叩き潰した。情け容赦ない一撃。吉家までのまっすぐな道ができる。
その道を、潰れた人の上を、侍が恐ろしい速さで突進してくる。刀は抜かれていない。
「居合いかっ!!」
鬼ッ、と鯉口を切る音が聴こえた。
斬撃が来る。吉家は髭切丸だった太刀を構える。
そのまま突っ込めば槍衾の餌食。
しかし梅之助は突き出された槍の先を、木刀でするりと払うと、自ら道を作り吉家に迫る。
(そうだ、こやつらは、木刀……!!)
『斬る』はない。鯉口を切る音は幻聴であった。それほどの殺気。
突き出された梅之助の木刀が吉家の右眼を穿った。
「おおおお!!」
大きく傾いだ巨躯。
その不安定な足を弥九郎が櫂で薙ぎ払う。
大の字に倒れた吉家の下に弓組の矢筒があった。筒の中にあった油がぶち撒けられ、吉家の白装束に降りかかる。
弥九郎に潰された松明持ちの火が、白装束に燃え移った。
「こんなところで、こんなところで……っ!!」
吉家は、泣いていた。
世直しと意気込んで、江戸へ来た。
夢を見た。
しかし己で努力し掴んだことが、いくつあったか。
全て、意休に用意された幻であった。
己の志に賛同した者などいただろうか。
術で従わせていただけだった。
こんなところで終わる。
否、橋すら渡れぬことが、己の力量を現している。
こんなところに来る努力すら、己はしていない。
世直しの夢を見た。
いったい、誰のための世を直す気だったのか。
(俺は、俺だけが居心地の良い場所を作ろうとしていただけだった……)
永代橋のたもとに、燃え尽きた抜け殻が残った。
火が上がったのを合図に、御用提灯が外堀門の各所に並んだ。
火を目にしないと術は解けない、いったん火を上げてもらいたい、という説得が聞き届けられた形であった。
火を着けた者らは、その火を見て突然狼狽しはじめた。捕縛はされたが、同心らに言い渡されていた『こたびの着け火は、お咎め無し』の特例により、早くに出牢を許された。
夜明けまでにたっぷりと火消しの水を用意しておけたのも、功を奏した。
(よく頑張りました。花まるをあげましょうね)
(俺はもう大人ですよ、母さま)
(皆様、本当によく助けて下さいました。ちゃんとお礼を言わなくてはね)
(はい)
(ちゃんと、言うのですよ?)
(……怒られる覚悟は、しています)
(怒ってはいないと思いますよ。心配してるでしょうけど)
(……母さま、俺は……母さまのことが一番、大切です。でも、梅之助と弥九郎……施療院の皆を、二番だとも思わない。皆、一番なんです。皆、俺の、大切な人たちで……)
(いい人たちに出会えたのね)
(……怒りますか……?)
(まさか。一番の人がいっぱいいたっていいじゃない)
(……母さまだけを一番にできない俺を、俺は許せない。でも、皆はこんな……優柔不断で恩知らずな俺のことを……大事にしてくれます。嬉しいのに、俺は皆に、酷いことをしてる……利用して、好意に甘えてるのです……)
(ひとりで抱え込まないで。家族なのだから)
(俺は、皆の家族に……ふさわしいですか……?)
(そうね、皆様がどう思っていらっしゃるか。うんと甘えてみたら?)
(うんと甘える…………どうやって……?)
(目がさめたら、わかりますよ)
「甘……、え?」
「せっちゃん! 起きたっ!」
「おおっ!!」
騒がしい、驚いた声が耳に飛び込んできた。
ほんの少し前まで、母の声だけがしていたのに。とても静かな景色の中で……何を話していたかは忘れたけど。
あれは……故郷じゃない。おそらく、三養堂。
母が三養堂を知るわけがない。夢、だ。
布団に寝かされている。ずいぶんとだるい。
「気分はどう?」
「…………梅……」
抱きつきたいのを、泣き出したいのを堪えているような、梅之助の笑顔だ。ずいぶん昔にも、そんな顔を見た気がする。
「まる一日、眠ってた。怪我はなかったけど、やっぱりあれのせいだね」
「あれ、って……」
「操られそこなった後遺症」
「……ああ……」
だるさは、そんなに寝ていたからか。
だんだん思い出してくる。自分が何をしたか。
護ると言ってくれていた梅之助と弥九郎の手を、自ら離したことだ。梅之助の、じとりとした視線を感じる。
「あやまりなさい」
「……ごめんなさい」
それでも間違ったとは思っていない。もしあれを梅之助と弥九郎が受けていたなら、今ここに寝ている自分は生きてはいない。
梅之助もそれは解っている。けれど約束を破ったことは確かなので、一度あやまらせて終わりである。
「あとで助六にもあやまっておいてね」
「助六?」
「あいつ、せっちゃんに刺されたから。悦んでたけど」
火を見て解ける術と違い、刹那にかけられた術は『そばにいる者を殺す』術であった。
ふたりに刹那の介抱を頼まれた助六が、犠牲となった。
が、そのとき刹那は、両袖に苦無が刺さり、橋板に縫い止められていた。刹那の中に入り込んだ何かが動こうにも、動けなかったのだ。
虚ろな目で、あられもない格好で動けない刹那。
助六は妙な気を起こした。起こさざるをえなかった。立派な据え膳であった。
覆い被さって、袖の苦無を抜いてやると、刹那は自ら腕を助六に絡めてきた。
あとで怒られても鎌輪ぬ。
唇が触れようとした瞬間、助六の背に苦無が刺さった。痛みに声が上がる。
「ありがとうございまあぁす!!」
「あやまる必要あるかそれ」
「いやまぁ、一応それで術解けたんだし」
弥九郎が「葛ってこれでいいんだっけか」と首を傾げながら、ぐつぐつ言う鍋を持ってきた。刹那の枕元に置く。何人分だろうか。
「作りすぎだろ」
「なかなかとろみつかなくてよ、葛足し足ししてたらこうなった」
「あれ茶碗でいいんだよ」
刹那がひと匙すくって食べてみる。味がしない。
「砂糖、入れるか」
「使い道あった!」
三人で思い思いに砂糖を入れる。かき混ぜる。
鍋の中で、三人の匙がぶつかることはない。
白く濁った葛を三人で口に運ぶ。
「あっっっま」
第一章終わりでーす!
でも変わらない感じで二章書きます(笑)
そして今さら重大なことに気付きました。
これ推理じゃない……!(驚愕)
つ、次から、推理をちゃんと意識して書きます……推理ジャンルに居させて貰ってるのに何ということだ。推理を期待して見に来て下さった皆様すみません。
まずはここまでお読み頂き、ありがとうございました!