16.
数日後。
帝国の執務室に、豪奢な法衣を纏った男が現れた。
先日、通信機越しに話をしていた聖王国の通商担当司祭だ。
彼は入室するなり、勝ち誇ったような笑みを浮かべて大袈裟に両手を広げた。
「いやはや、陛下。ならびに補佐官殿。……さぞやお困りのことでしょう」
司祭の視線は、執務机に座るギデオンと、その傍らに控えるミシェルを交互に舐め回すように見ている。
「我が国からの聖水輸出が止まり、帝国の医療は崩壊寸前だと聞き及んでおります。怪我人が溢れ、民草の悲鳴が聞こえるようだ。……慈悲深い我が聖王国としても、心が痛みますな」
「……」
ギデオンは書類から目を離さず、無言でページをめくった。
相手にする価値もない、という態度だ。
代わりに、ミシェルが一歩前に出て対応した。
「お気遣い、痛み入ります。司祭様。……本日はどのようなご用件で?」
「ふん。決まっておろう。特別に取引を再開してやろうと提案しに来たのだ」
司祭は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、尊大な態度でミシェルに押し付けた。
「ただし、価格は以前の五倍。加えて、帝国の鉱山採掘権の一部を譲渡することが条件だ。……民の命には代えられんだろう?」
典型的な足元を見た商談だ。
だが、ミシェルは提示された条件書を一瞥もしなかった。
「素晴らしいご提案ですね。ですが、お引き取りください」
「……は?」
「聖水は不要です。当国の在庫は潤沢ですので」
ミシェルの言葉に、司祭は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をした。
「な、何を強がりを……! 聖水なしでポーションが作れるわけがない! 我が国の巫女の祈りが込められた水だけが、薬草の効能を引き出せるのだ!」
「作れましたよ。……こちらをご覧ください」
ミシェルは手元の盆から、一本の小瓶を取り出し、コトリと机に置いた。
中には、透き通った青い液体が満たされている。
従来品よりも濁りがなく、澄んだ輝きを放っていた。
「当国で精製した新型ポーションです。貴国のものより不純物が少ないため、即効性と保存性に優れています」
「ば、馬鹿な……」
司祭は震える手で小瓶を手に取り、光にかざした。
その輝きは、確かに最高級の聖水を使ったポーションそのもの――いや、それ以上だった。
「この神聖な輝き……選ばれし巫女が三日三晩祈祷せねば宿らぬ光だぞ!? まさか帝国は、我が国から巫女を拉致したのか!?」
「いいえ。それは『光の魔石』の微細粉末です」
ミシェルは淡々と、種明かしをした。
「貴国では祈りが必要かもしれませんが、当国では……そうですね。鉱山で宝石をカットする際に、毎日トン単位で出る『研磨クズ』です」
「は……?」
「成分分析の結果、貴国の聖水と、当国の産業廃棄物は完全に一致しました。……今まで、随分と高く『ゴミ』を売りつけてくださいましたね?」
司祭の動きが凍りついた。
口をパクパクと開閉させ、言葉にならない音を漏らす。
「ご、ゴミ……? 我が国の秘儀が……神の奇跡が……はいき、ぶつ……?」
「ええ。当国では処分に困っていたただの粉塵です」
ミシェルは畳み掛けるように、もう一枚の書類を取り出した。
それは、聖王国への「輸出見積書」だった。
「ところで司祭様。もしよろしければ、貴国にこの『原料』をお譲りしましょうか?」
「へ……?」
「当国としても、廃棄コストが浮くので助かるのです。もちろん、貴国の聖水販売価格の十分の一……いや、百分の一で提供可能です」
それは、聖王国の経済と宗教的権威に対する、死刑宣告に等しかった。
もし帝国から安価な「原料」を輸入すれば、聖王国の「巫女の祈り」という付加価値は崩壊する。かといって輸入を拒めば、安価な帝国製ポーションに市場を奪われるだけだ。
詰みである。
「ひ、ひぃぃぃっ……!!」
事の重大さを理解したのか、司祭は泡を吹いてその場に崩れ落ちた。
衛兵に引きずられていく司祭を見送り、執務室に静寂が戻る。
「……くく」
書類を置いていたギデオンが、喉を鳴らして笑った。
「ゴミを金に変える錬金術か。お前、本当に商魂がたくましいな」
「資源の有効活用です。これで鉱山の廃棄物処理コストも浮きましたし、外貨も獲得できます」
ミシェルは表情一つ変えず、司祭が置いていった理不尽な契約書をシュレッダーにかけた。
「すべては、帝国の利益のために」
その徹底した合理主義に、ギデオンは頼もしさと、少しの愛おしさを感じずにはいられなかった。