商談とバニシュ
インシュラス代官屋敷
「悪魔の魚を買い付けたいとは……」
「食べてみておいしかったから、町に持って帰りたいの」
目の下に深いくまをつくったひどく不健康そうなセイレムの代官は困惑していた。商談の場で凛と佇む金髪の淑女は我が主ベアトリクス・ハイランド。
「それはまぁご自由にしていただいて結構なのですが、村民……というより我々はアレを食べないし、販売もしていないのですよ」
「ええ、そのようね。でもハイランドでは定期的に買い付けたいの。とりいそぎ今日の分だけでいいから水揚げしてもらえないかしら?」
「わかりました。ですが定期的にと言うのは現状難しいですね。聖都でも食糧難でして、冬に向けて干物や肥料用途などで多くの加工品が求められております。ありていに言えば人手が不足しているのですよ」
「じゃあ私たちで捕りに来て持ち帰るなら構わないかしら? 漁場の使用料という形で」
「それは問題ありません。必要なら漁具もお貸ししましょう。ただし船は出せません。いかがですか?」
「カケル、どう思う?」
「いいんじゃないか? 岩礁地帯で捕れる分だけで十分だろう。漁具は今日だけ借りて領地で作ろう」
「では漁場の策定や料金など細かい話はおいおい詰めるとして、今日はお試しということでササッと捕りにいきましょうか。私も同行します」
「よろしくお願いします」
代官が村民に話を通し、約十名の海の男が募った。岩礁地帯の一帯に群生していたタコを銛で突き放題捕り放題してベアトリクスが用意した氷箱に詰めてもらう。フレイムウルフも手伝いブレイズもいい汗をかいていた。オレは代官とともに比較的安全に使えそうな岩礁地帯を策定して今後の使用範囲を決めた。
「ほぼ崖ですが……こんな場所でいいのですか? とても素人では降りれませんよ?」
「降りないので大丈夫です。ハイランドの領民は海に慣れてないので岩礁地帯には入らないほうがいいでしょう。それに、生きたまま捕りたいんです」
「ふむ……釣りですか。まぁここなら普段の漁場とも被りませんし、使用料も最低限で構いません」
「いいんですか?」
「えぇ、むしろそれで悪魔の魚が減るなら願ったりです」
「ありがとうございます」
「しかしよくアレを食べる気になりますね……」
「おいしいですよ?」
「いえ、実際一口食べてみましたが確かに味はいい。ただ恐ろしいのです」
「……恐ろしい?」
「なぜ悪魔と呼ばれているかご存知でしょう?」
「いえ、オレはここの人間ではないので」
「……海の怪物の話ですよ。神が大地を割り海から現れた巨大な頭と触手を持った怪物。海に近いものほどその存在を信じ、奉り始めるものもいるぐらいです。あまり大きな声では言えませんけどね」
「それにそっくりだから、怖いと」
「そういうことです。増えすぎてどうしょうもないとか、今日のように依頼でなければ誰も近づこうとはしません」
「そういう理由だったんですね」
「えぇ、本音で言えばあなた方自身で取るなら好きにしてもらって構いません。代官なのでそこまでは言えませんけどね」
「では遠慮なく捕らせてもらいます」
「そうそう、ハイランドにバニシュが出ればぜひこちらに」
「バニシュとは?」
「追放者ですよ。言ったでしょう? 人手が足りないと」
――
「ってな感じでバニシュがいたら送ってくれってさ」
宿に戻ったオレは代官との話をベアトリクスに伝えた。
「バニシュ……そうね。今はいないわ。私はバニシュするのが好きじゃないから」
バニシュって動詞でもあるのか。
「追放と何が違うんだ?」
「バニシュには段階があるわ。家族でなくなる、領民でなくなる、王国民でなくなる」
「じゃあ犯罪者や難民はバニシュか?」
「そうよ、バニシュとは庇護を失うことなの。家族の庇護、領主の庇護、王国…教会の庇護ね」
「なるほどね、漁村はバニシュを欲しがってたが……」
「庇護を失って路頭に迷い、死ぬか犯罪者になるぐらいなら漁村にどうぞってこと。そういう暮らしをしてるということね」
「オレのイメージだとそう言う奴の行き着く先は奴隷だけど、奴隷はいないのか?」
「王国制度としては労苦までよ。だから奴隷を持つのもバニシュだけ……たとえば犯罪組織、野盗、異端教会……それと」
「それと?」
「……フロストランドよ」
氷の魔女の瞳にゆらりと暗い影が落ちた。