撫でられるのが仕事です。~裏切られ死んだ俺、猫に回帰して仲間を最強にプロデュースする~
三十歳の俺、クラウス・バウマンは、血の海に沈むダンジョンの冷たい床で、ゆっくりと死んでいった。
「……すまない、ノワール」
腕の中で、俺が世話をしていた偵察猫が、先に息絶えていく。
この世界で動物たちは、スキルを持つがゆえに「道具」として扱われる。その境遇に自分を重ね、世話係として生きてきた俺の、これが結末。
「親友」と信じていたガーラントに、クランの仲間たちごと、罠に嵌められたのだ。
小さな体が震えながらも、俺の顔にすり寄ってきた。
耳を伏せ、喉の奥でかすかに「ゴロゴロ」と鳴らす――まるで、「大丈夫」と言うように。
(……馬鹿な奴だ。お前の方が先に傷を負ってるのに)
血まみれの毛を撫でると、ノワールは嬉しそうに喉を鳴らした。
その直後――かすれた声が、微かに耳に届いた。
――クラウス……生きて
……幻聴だろうか。
いや、違う。これはノワールの想いだ。
(ああ、分かった。俺が生きて――お前の分まで、復讐を果たせばいいんだな)
ごぼっと吐き出た血の味が、口に広がる。
(俺は死なない! お前の復讐を果たすまで、絶対にっ!!)
その誓いを最後に、俺の意識は闇に沈んでいった。
◇◇◇
次に目覚めた時、俺は柔らかな日差しの中にいた。視界が低い。そして、懐かしい声が聞こえる。
(……痛くない……? 俺は、ズタボロになって死んだはずじゃ……)
ゆっくりと目を開ける。
視界が、おかしい。何もかもが巨大に見える。世界がぼやけている。
「まあ、ヴィルヘルム様! ご覧になって! あの子猫、やっと目を覚ましましたわ!」
その声に、俺は凍り付いた。
優しく微笑む、若き日の母――イザベラ・バウマン。
そんなはずはない。母さんは、俺が二十歳の時に、病で……。
「うむ! よかろう! クラウスが森で拾ってきた時はどうなることかと思ったが……。さすがは我がバウマン家の猫だ、どーんとしているな!」
母の隣で、熊のように大柄な男が、屈託なく笑っている。
父さん――ヴィルヘルム・バウマン。
彼も、ガーラントの陰謀に嵌められ、失意のうちに亡くなったはずだ。
混乱する俺の視界に、ふと、自分の「手」が映った。
それは、三十歳の俺がいつも目にしていた、剣ダコと傷だらけのごわごわした手ではない。
信じられないほど小さく、艶やかな黒い毛で覆われた『前足』だった。
おそるおそる開いてみる。指(?)の先には小さな爪がカギのように収納されており、裏側には柔らかな、生まれたての赤子のような肉球がぷにりとついていた。
(これは、猫? 何で俺の手が猫の手になってんだ?)
状況が、飲み込めない。その時、俺の小さな体は、ふわりと抱き上げられた。
「やったー! 元気になった! 父様、母様、ありがとう!」
俺を抱き上げているのは、まだ線の細さが残る、真っ直ぐな灰色の瞳をした少年。
十四歳の、俺。クラウス・バウマンだ。
(……なんだ? これは。俺は死んだはずだ。なぜ、ガキの頃の俺が目の前にいる? そして、なぜ俺は、こんな……猫の視点で……?)
「どうしたんだ、目を真ん丸にして。驚いている顔も可愛いなあ、ノワールは!」
十四歳の俺がそう言って、猫となった俺の顔をわしわしと撫でまわした。
(まさか。俺は、死んだのか。そして―――回帰した? だが、なぜ俺が猫で、俺が俺を抱き上げている!? 状況が複雑すぎる!)
俺は少年クラウスの腕から、もつれるように飛び降りた。三十歳の感覚で動こうとすると、四本足がうまく連動しない。
「おっと、大丈夫か?」
少年クラウスが心配そうに手を差し伸べてくるのを無視し、俺はよろよろと壁際の姿見まで歩き、そこに映った自分の姿を見て、絶句した。
(……本当に、ノワールだ……)
絶望が胸をよぎる。こんな無力な体で、どうやって復讐を……。
だが、ステータスを確認してみたところ、俺には強力な武器があった。
【固有スキル:魅了】
その力は、『他者を支配する』もの。
俺が誰かの心を揺さぶれば、その者の中に【魅了ゲージ】が生まれ、やがて俺の力となる――そう理解した。しかし、なぜこんな強力なスキルが……
(そうか、ノワールが俺に与えてくれた能力か)
復讐を果たすには、支配が必要だ。そのための力を、ノワールが授けてくれたんだろう。
俺はこのノワールが授けてくれた能力で、仲間を従え、未来を変える。
それが、ノワールの無念を晴らすため最善手となる。
「今日からお前は、俺の相棒だ!」
14歳の、若き日の俺が、そう言って俺を抱き上げた。
(うるさいぞ、ガキの俺。お前は俺の指示通り動けばいい。お前は実行役、俺は司令塔だ)
俺は、若きクラウスにだけ聞こえる念話で、未来の秘密を打ち明けた。
計画は、完璧に進んでいるはずだった。
俺は若きクラウスを導き、父をガーラントの陰謀から守り、【魅了】スキルで仲間たちの心を掌握していく。
そう、全てはガーラントへの復讐のため。
◇◇◇
――そして、あれから数年後。
「ノワ様! 見てください、剣の稽古、上手くいきました!」
庭に響く少女の声に、俺はまどろみから目を覚ました。
そこにいたのは、幼馴染のエレナ――かつてダンジョンで命を落とすはずだった少女だ。
彼女は、俺が未来の知識を使って救い出した、最初の仲間。
小麦色の肌に汗が光り、無邪気に笑うその姿は、どこか眩しくて目を細めたくなる。
(よせ、エレナ。俺は復讐者だ。そんな無邪気に撫でるな……)
だが、彼女の掌が俺の喉を撫でた瞬間、胸の奥に温かい波が広がった。
俺の体から淡い光がこぼれ、エレナの腕を包む。
【魅了ゲージ+12%】
彼女の瞳が一瞬、きらりと光を帯びた。
その姿を見た瞬間、俺ははっと息を呑んだ。
(――違う。これは支配じゃない)
彼女の中に灯った光は従属の証ではなく、癒しの返礼だった。
俺が誰かを癒せば、その魂が輝き力を得る。
与えたぶんだけ、相手が強くなる――。
(……そうか。これが【魅了】の本質か)
この力は、奪うためではない。
癒し、与え、共に歩むための――絆のスキル。
その瞬間、俺の中で何かがほどけた気がした。
復讐だけを燃料にしていた心が、ほんの少し温かさを思い出したのだ。
その温かい感触が、俺の心の奥底に染み込んでいく。
(……まずい。これは、まずい)
復讐者の心は冷たく、乾いていなければならないのだ。なのに、この腕の中はあまりにも温かすぎる。
俺が保護したスキル持ちの動物たちは、俺を王のように慕い、いつも毛づくろいをしてくれる。
若きクラウスは俺の指示を完璧にこなし、俺が休んでいると、そっとブランケットをかけてくれる。
そしてエレナは、毎日俺を「ノワ様」と呼んで、その膝の上で抱きしめてくれる。
俺はいつからか、ガーラントのことを考える時間が減っていることに気づいた。
憎しみよりも、明日のエレナの訓練メニューや、父のクランの経営状況、若きクラウスの次の任務、そして晩飯の魚のことばかり考えている。
(俺は、何をしているんだ……?)
復讐を誓ったはずの魂は、仲間たちからの無償の愛によって骨抜きにされ、癒されていた。
◇◇◇
――そして回帰してから14年目、運命の日が来た。
本来なら、俺が冷たいダンジョンの床で憎しみに満ちて死ぬはずだった日。
未来の知識で陰謀を暴かれ、追い詰められたガーラントが、バウマン家の屋敷に姿を現した。
「お前たちのせいで! バウマン家のせいで、俺の計画が!」
逆上したガーラントが、隠し持っていた短剣――呪毒が湧き出る魔道具を、若き日の俺へと突き出した。
あまりにも速く、不意を突いた一撃。クラウスは、ガーラントの側近を相手にしており、反応できていない。
(――させない!)
考えるより早く、俺の体は宙を舞っていた。
無力な子猫として転生し、仲間たちに守られてきたこの体が、初めて自分の意志で「守る」ために動いた。
ズブリ、と鈍い音がした。
ガーラントの短剣が、俺の小さな体を貫いていた。
「な……猫、だと……!?」
驚愕するガーラントの喉元を、凄まじい速さで閃光が薙いだ。エレナの神速剣だった。
ガーラントは声もなく崩れ落ち、その命を終えた。
だが、俺にはもう、それを見届ける余裕はなかった。
「ノワール!?」
「ノワ様っ!!」
クラウスとエレナが、血まみれで落ちていく俺の体を抱きとめる。
(……ああ、これでいいんだ)
体が、冷たくなっていく。
一度目の人生で味わった、あの懐かしい感覚。
(結局、俺は死ぬ運命だったらしい)
三十歳のクラウス・バウマンが死ぬはずだった日。
同じように、俺は血を流して死んでいく。運命は変えられなかった。
だが、と俺は思う。
「ノワール、死ぬな! 回復薬を!」
「だめ……毒が……! ノワ様、いや、いやぁっ!」
俺の腕の中で息絶えたノワール。
そして今、クラウスとエレナの腕の中で、俺が息絶えていく。
同じだ。何もかもが、あの時と同じ。
――違う。
あの時、俺は一人だった。憎しみにまみれ、すべてを失って死んだ。
だが今はどうだ。
若きクラウスが、俺のために涙を流している。
エレナが、俺の名を呼び、その温かい涙で俺の毛皮を濡らしている。
父も、クランの仲間たちも、俺が守った動物たちも、みんなそこにいる。
俺は、こんなにもたくさんの「宝物」に囲まれている。
(……ああ、幸せだ)
復讐のために始まった二度目の人生。
だが、俺が本当に欲しかったのは、これだったんだ。
この温かいぬくもりの中で、誰かを守って死ねる、この瞬間だったんだ。
――クラウス……生きて
あの日のノワールの声が、今度ははっきりと聞こえた。
(……ああ、分かったよ、ノワール)
お前が言いたかったのは、「幸せに生きて」だったんだな。
そして、俺は幸せを掴んだ。
お前の分まで、いや、お前と一緒に。
(若き俺……エレナ……あとは、頼んだぞ)
もう、念話を送る力も残っていない。
俺は最後の力を振り絞り、若きクラウスの頬に、そっと自分の顔をすり寄せた。
そして、エレナの指先を、小さく舐めた。
――ありがとう。
喉の奥で、かすかに音が鳴る。
「ゴロゴロ……」
その音を最後に、クラウス・バウマンは、仲間たちの腕の中で、誇らしく、そして幸せな二度目の人生を終えるのだった。
復讐では決して得られない幸せ。クラウスはきっと、幸せな人生だったのではないでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございます。
こちら、長編版も連載しておりますので、お時間がありましたらどうぞ!
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