30 選択
「ドロテーア様。ドロテーア様、いらっしゃいますか?」
「あら、シーデーン令嬢。何の用かしら」
小声で呼びながら扉を叩き、部屋にいるドロテーアを呼べば、ドロテーアは機嫌の良さそうな声を出しながら扉を開けた。
一抹の不安を抱えていたが、笑顔で迎えてくれたことに安堵する。
(大丈夫よ。私はやり遂げたのだから。心配することなんてないわ)
ここ最近仲間から外されて、茶会にも呼ばれず、肩身の狭い思いをしていたが、これで払拭できたはずだ。
だから堂々としていればいい。
「あの、ドロテーア様がおっしゃった通り、先ほど、あの山へ捨ててまいりました」
「まあ、何のことかしら?」
「え?」
「もう時間も遅いのだし、出て行ってくださるかしら? 明日は町に行くのだから、早めに休みたいわ」
「ど、ドロテーア様。私は、ドロテーア様が命じられた通りに行って、」
「いい加減にしてくださる? このような時間に失礼ですわよ。このところ、様子がおかしいようですから、一度医師に診ていただいた方が良いのではないかしら?」
「ドロテーア様!?」
ドロテーアは言いながら扉を閉じて、部屋に入らないように追いやった。
「な、なんで……」
扉が閉じられて呆然としていると、隣の部屋にいた別の令嬢が扉の隙間からのぞいて笑っていた。その笑いも扉が閉められて見えなくなる。
恥ずかしくて、顔が熱くなったが、体は震えて、転びそうになりながら逃げるようにその場から離れた。
(なんて無様なの)
しかも、何ということをしたのか。ドロテーアの命令で行ったのに、あのように知らぬふりをされるとは。
「ユリアナお嬢様? どうされたのですか? 今までどちらに」
自分の部屋の側で、メイドがユリアナを探していたと、声をかけてくる。涙を流していると気づいて、何事があったのかと声を上げた。
「どうされたのですか!? 一体、何が」
「どうすればいいの、私は、どうすれば。ねえ、どうすればよかったと言うの!?」
「だ、旦那様を呼んでまいります。お部屋でお休みになっていてください」
メイドが廊下を走って遠ざかっていく靴音を聞きながら、ユリアナはソファーに崩れるように座り込んだ。
シーデーン家にとって、ドロテーアの家門ベンディクス家は、王宮への足掛かりとなる重要な役割を持っており、父親は懇意にしていた。両家の繋がりに上下関係はあるが、それでも大きな恩恵が受けられる。
ベンディクス家の長女であるドロテーアにユリアナが下手に出なければならないのも、そのせいだ。
(私のせいにされるの? 全て私が悪いと言われるの??)
体が震えて、歯が噛み合わずカチカチ音が鳴る。寒いわけではないのに、背筋が凍りそうなほど冷えていくのがわかる。
王妃の茶会で呼ばれたデラフォア家の長女アンリエット。ドロテーアは当初からアンリエットを気にしていて、王妃が茶会に呼んだことを、ひどく恨んでいた。
ドロテーアは普段笑顔でいかにも清廉な淑女を装っているが、仲間内の小さな集まりでは違う。笑顔なのは変わらないが、常に誰かを追いやろうとして、それを言葉にせずにユリアナたちに行わせる。悪口を言うわけではない。もし、何かがあれば、困ったことになるだろう。そんな仮定を立てて、もしもそうなったら、可哀想ね。と同情するようなことを口にする。
王妃の茶会の時もそうだった。茶会に呼ばれて集まりの様子を見回していたアンリエットを見て、あの衣装は素敵だと言いながら、もしもスカートに花粉がついてしまったら、とても可哀想ね。と呟く。ドロテーアの取り巻きであるユリアナや他の令嬢たちは、そうですねと頷きながら、どうすればスカートに花粉がつくのか考えるのだ。
ドロテーアにとって、ユリアナたちはただの捨て駒だ。もしも行いが誰かに知られても、ドロテーアは命令しておらず、勝手に行ったユリアナたちのせいになる。それでも行わなければならない。ユリアナたちに拒否権はない。拒否したが最後、父親もベンディクス家から弾かれるだろう。そうして今度は、ユリアナも可哀想ね、と言われる立場になるのだ。
まだ大丈夫。そう思っていたのに、あっという間にユリアナは弾かれた。今回領地に行きたいと言われて、やっと信頼を取り戻せたと思ったのに、ドロテーアは言うのだ。国境を越えたら魔物がいるようよ。訪れたら行方不明になってしまうかもしれないわね。そうすれば、ヴィクトル様はお心を痛めることでしょう。
国境を越える。魔物がいる。それをどうしてドロテーアが知っているのか。ユリアナも最近知ったばかりの道だった。あの道で何かをしているのか、何となく知ってはいても、詳しくはない。あの道は作られたもので昔からあるが、隠されている。知っていても無闇矢鱈に使ってはいけない。
知っているのならば、ドロテーアの父親から聞いたのだろうか。そうであれば、ユリアナの父親が教えたのだろう。
ユリアナの父親もまた、ドロテーアの父親の駒の一つだ。もしもここでユリアナが失敗すれば、父親も同じく弾かれてしまうかもしれない。
(大丈夫よ。だって、これを持って行ったのだから、魔物が集まったはずだわ)
ユリアナは指にはめてあった指輪をなでる。なでている手が震えて、ユリアナは拳を握った。アンリエットは森の中、魔物が集まる場所で、置き去りになったのだ。
ぞくりと背筋に寒気が走る。
ユリアナが、置いてきた。
「だって、仕方ないでしょう。ドロテーア様に嫌われるような真似をしたのだから、仕方ないのよ」
ぶつぶつ呟きながら、アンリエットが馬車の中で言っていた言葉を思い出す。
『先にお話しいただければ、影響は少なくなるでしょう』
アンリエットは気付いていた。ドロテーアに言われてユリアナが動いたことを。
だからと言って、アンリエットが誰かを呼ぶ暇もなかった。ユリアナは部屋に呼びに行って、書き置きをする時間も持たせず、外に促した。誰にも気付かれていないはずだ。
そうでなければ、ユリアナも、ユリアナの父親も、それどころか、シーデーン家も終わりだ。アンリエットはヴィクトルだけでなく、王妃にも一目置かれている。ドロテーアが嫉妬するのは当然の立場で、そんな令嬢に何かしたと知られたら、すべてが終わりだった。
『令嬢と、ご家族への影響です』
アンリエットの言葉が忘れられない。
「そんなこと言われたって、何をしても影響があるのよ」
アンリエットに全てを話しても、シーデーン家への影響は多大だ。ユリアナはもう社交界に立つこともできなくなってしまう。ドロテーアがあることないこと、周囲に話し、心配だと言いながらユリアナを追い詰めるのだから。
だから、アンリエットが犠牲になってくれた方がいいのだ。
「そうよ。大丈夫よ。あの場所から逃げることなんてできないから」
爪を噛んで落ち着きを取り戻していると、ノックの音が届いた。
メイドが父親を連れてきたのだろう。心配をかけないようにユリアナは立ち上がり、息をついて扉を開ける。
「ひいっ!」
「あら、驚かせてしまいましたか?」
「な、なんで」
扉の前にいた女性に驚いて、ユリアナは腰を抜かすと、床に尻をついた。さらに後ろからヴィクトル、アンリエットの兄シメオン、見知らぬ身分の高そうな男がやってくる。
「な、何なのですか!?」
「言い訳を聞きに来たのですよ」
アンリエットはいつも通り微笑んだ。アンリエットはどこで会ってもこの顔だ。ドロテーアの嫌がらせも気にせず、ドロテーアの嫌味もかわし、時に真面目な顔をしてドロテーアに指摘する。
ずっと、おかしな令嬢だと思っていた。天然なのかわざとなのか、アンリエットは常にドロテーアを相手にしていなかった。どれだけ度胸のある人なのか、その性格が少しだけ羨ましかった。
(だからって、魔物が集まる森にいたのに、何でこんなに平然として)
それより、どうやって助けられたのか。馬車で戻ってきた際に、追いかける者はいなかった。アンリエットは馬車の中で大人しかったし、悲鳴の一つも上げなかった。
それなのに、
「シーデーン令嬢、本日のことはきっちりお返ししていただきますわね」
「な、なに」
「選択肢を差し上げます。命令をした者をこの場で教えてくださるか、もしくは、その指輪を、私にくださるか」
アンリエットはユリアナのはめていた指輪を見遣る。
どうして指輪を。それを問うと、アンリエットはとても素敵ですから。と答えた。
(何? わかっていて言っているの? そんなわけはないわ。指輪をしていたからって、何かに気付くなんてできないわよ)
どちらにしても、この指輪は渡せない。父親の書斎から秘密裏に取ってきたものだ。普段は鍵がかけられて、厳重に保管されている。それを拝借しているのだ。アンリエットに渡せるわけがない。だからと言って、命令した者を伝えるわけにもいかない。後ろにはヴィクトルがいるのだから。
「これは、何事ですか!?」
「お父様!」
メイドが父親を連れてきた。ユリアナは飛びつくように父親にすがり付く。
「デラフォア令嬢が、勝手に部屋に入ってきて、いわれのないことを私に」
咄嗟に指輪を外して手の中に隠し、ユリアナは父親の背後に隠れた。ヴィクトルや他の男たちが部屋に入って、娘は座り込んでいたのだ。父親は何事かと眉を吊り上げる。
「シーデーン。令嬢はアンリエット嬢を国境の道へ連れて行き、置き去りにしたのだ。理由があるのあらば教えて欲しいものだな」
「置き去り?」
「お、お父様、私はそんな真似はしておりません。国境など、ここからずいぶん遠い場所ですよ。どうして私が、そんな真似をしなければならないのですか。それに、国境沿いであれば、魔物がいるかもしれません。そんな場所にいれば、魔物に殺されてしまいます。ですが、デラフォア令嬢は何の怪我もないではありませんか」
本当に、何の怪我もない。守る者などおらず、たった一人きりにして置いてきたのに、怪我の一つもしていない。その姿が、逆に恐ろしかった。
「シーデーン令嬢、私は魔物討伐によく参加していたとお伝えしませんでしたか? 魔物とは戦い慣れています。剣がなくても、対処できるんですよ」
「そ、そんな」
討伐に行っていたとはいえ、戦いに身を置いていたなんて信じていなかった。王太子代理として安全な場所で指示をしていただけではないのか。
だからドロテーアは、魔物のいる場所に一人にされたら、恐ろしい。とユリアナに囁いたのだ。
「さあ、選びましょうか。命令した者を教えてくれるか、それとも、その手の中にある指輪を私にくださるか」
アンリエットは譲る気はないと、先ほどと同じ笑顔で選択を迫った。