20.置野家へ
呆気にとられていると竜牙はため息を溢し先に門をくぐり、日和もそれについていく。
師隼とは違い門の中は立派な前庭があって、目の前に聳える一棟だけのように見えた。
旅館かと思ってしまう程に広そうではあるとは思ったが、この家も屋敷と呼べそうな程には大きく感じられる。
玄関も立派で空間がとても広い。
左には階段、その隣には立派な扉があるが廊下が奥の方に向けて先に続いている。
右にも廊下が伸びていて迷ってしまいそうだ。
「…竜牙、あの奥は何ですか?」
左側の奥に伸びる廊下の先に庭が見えた。そしてその奥には更に建物があるらしい。
「あっちは使用人達の居住区だ。皆住み込みで働いてもらっている」
竜牙が言うには奥の棟は使用人達の生活区域らしく、二つある家を渡り廊下でくっつけたような状態らしい。
やはり一棟だけじゃなかった。
そして「これでも小さくなった」とぼそりと聞こえたのは聞かなかったことにしておこう。
「こっちへ」と竜牙はすぐ横に見える立派な扉へ案内してくれた。
どうやら応接間らしく、座るように促されて家主が来るのを待っている。
「やあやあ竜牙、お疲れ様!元気だった?」
扉が開き、その家主が現れたかと思うと陽気な声で少し痩せこけたような中年男性が入って来た。
銀縁眼鏡をかけて少し骨ばっている顔立ちだが、どことなく竜牙に似ている。
「…まあ。しばらくこの姿で出入りをする事にした」
男性は話を聞きながら竜牙と日和の正面にある椅子に腰掛け、にかっと笑う。
「ははぁ、忙しそうだねぇ。良いよ!ただし、しっかり身体を休めるんだよ。それで、こちらのお嬢さんは?」
日和に視線を向け、感慨深そうに笑う男性。
「あ、えと…金詰日和…です」
「へぇー、ウチの息子と同じ高校1年生でしょ?綺麗だね、可愛いね。うちに住まない??」
「えっ」
頭を下げると、男性は更に興味を持ったようでとてもニコニコとしている。
竜牙は片手で頭を抱え大きなため息をついた。
「日和、構うな。……それと、こっち主題を言うな。疲れる」
「そりゃ15年の付き合いが…って、え、住んでくれるの??娘が一人増えて嬉しいねぇ。大事にしないと。おぉーい、ハルー、ハルー!!」
さも嬉しそうに新しい名前を叫ぶ男性に、竜牙は再びため息をつく。
賑やかな人間ではあるが、この人となりが苦手らしい。
確かに煩いと紙一重な気配がする。
「そんなに大声立てなくても聞こえていますよ、旦那様。全く、折角のお客様が引いてしまわれます。自己紹介、ちゃんとなさいました?」
落ち着いた声の女性が部屋に入ってきた。
肩にかかるほどの髪は雲のようにふわりとしていて、身動きも話し方も優雅だ。
「ほらほら、こっちこっち!君を抜いて自己紹介なんてできないよ!…では待たせたね。私は置野家の当主、置野佐艮。こちらは妻のハルだ。ハル、こちらは金詰日和さんだよ」
ハルが座るのと同時に優しい表情が日和に向き、にこやかに自己紹介をする佐艮。
紹介されたハルは優しく微笑んで、軽く会釈する。
「よろしくお願いいたします」
「それで?竜牙、どうして日和ちゃんがウチに?」
佐艮の笑みが薄らと引いて、真面目な表情に変わる。
優しい目をしてはいるが、声は少し低く変わった。
地味にさん付けから既にちゃん付けに変わっているが、雰囲気の変わり様で突っ込み損ねた。
竜牙は横目に日和の状態を確認しながら口を開く。
「先日、彼女の祖父が襲われ亡くなった。ここ一週間は見張りながらの生活している状態だったが、今後の危険を考え保護することにした。本人からの了承も得ている」
「そうかそうか。一人は心細いから、懸命な判断だよ。それに…どうやら『金詰』に執着する奴がいるらしい。気をつけて」
佐艮の言葉に竜牙の眉がぴくりとした。
「女王か」
「その辺りなら君の方が詳しそうだけどねぇ」
「それなら一度失敗している。…他にもいるのか?」
「ほらほら、その話はあとで二人でなさいな。こちらに来たばかりのお嬢様の前で仕事の話はよしなさい。まずは案内からでしょう?」
ハルは会話の腰を折り、立ち上がる。
その目がぎらりと光り、佐艮と竜牙は静かになった。
「あ、私は…」
「そうか、そうだね。じゃあここで今後についての相談をする事として、その間に日和ちゃん用の部屋を準備させるよ。いいかい?」
「いえ、そんな…お構いなく…」
日和は佐艮に首を振るがその姿にくすくすと笑いだす。
「なんだか親友が戻ってきた気がしちゃうねぇ。あいつもそうやって、何か誘うと首振って拒否するんだよ」
懐かしむような佐艮の表情に日和は竜牙に視線を向ける。
「…親友?」
「ああ、この男は日和の父の親友でもあった人なんだ」
「お父さん、の…」
「その話もあとでしようね」
にこりと佐艮は笑って、ハルと共に部屋を出ていく。
竜牙と日和で残った部屋で、日和は竜牙に視線を向ける。
そこには疲れきったように座り込む竜牙がいて、日和は心配になりその顔を覗く。
「竜牙、大丈夫ですか?」
「ああ…。大丈夫だ…」
珍しくぐったりとしている姿がいつもの竜牙ではない気がして、日和は首を傾げる。
そして竜牙の前に立ち上がり、両手を前に差し出した。
「…?」
竜牙も日和の行動が理解できず、首を傾げる。
「…大丈夫ではないように見えます…。あの、私の力を取ったら…良くなりますか?」
「いや、必要ない。……余計に疲れるぞ」
「それで竜牙の体が良くなるなら、大丈夫です」
「…大丈夫じゃない…。自分の体は大切にしろ」
「その言葉、そ…そのままお返しします!先程からいつもと違って…調子が良くないように見えます…」
どこか不機嫌そうな竜牙に、日和は唇を突出し不満げな表情をする。
竜牙は少しだけ眉を持ち上げるとため息をひとつついて立ち上がり、日和の手を握った。
風が日和と竜牙を囲むように吹いて、ぞわりと日和の体が震えた。
「うぐっ…」
「危ないぞ」
一度だけ日和の視界が瞬いて体がふらつく。
片手を離し、背中に腕を回した竜牙が日和の体を支え、そのまま背後のソファーへ降ろした。
「全く、言わんこっちゃない。ちゃんと忠告はしたぞ」
「でも…竜牙、顔色がよくなった気がします」
眉を寄せ、心配そうに見つめる竜牙に日和は微笑む。
「……必要になったら私から頼むから、溜めて待っててくれ…。ありがとう」
まだ握っている手を額に当て、感謝する竜牙の表情は日和からは見えない。
竜牙の酷く困惑した、複雑な気持ちは包み隠した。
呪いのせいとはいえ、打ち明ける心苦しさを日和の手で濁す自分に少しの自己嫌悪を織り交ぜながら。
しばらく沈黙を作り、竜牙は日和の様子を見る。
意外にまだ体は丈夫そうで、体調はそこまで酷くはなっていないように見えた。
「日和、部屋は佐艮達に任せているが…荷物はどうする?」
「あ…そう、ですね……今日が金曜日でよかったです。明日、纏めに行ってもいいですか…?」
「ああ。同行しよう」
日和の瞼が重そうに下がり、思い出させてしまったようだった。
固く繋がれた手に、一層力が入った気がした。
「…前から、言っていたな」
「え?」
「母はいない、と」
竜牙の言葉に小さく「ああ…」と日和は言葉を溢し、続ける。
「はい…。私に、母はいません…。確かにあの人は私を産んだ母と呼ぶべき人ですが……母は父が死んでしばらくして、家を出ました。あの人は、ああいう人です…」
「…今まで会っても、ああいう態度か?」
「あの頃はもう、祖父が居たので。私は、極力障らないように近づきませんでした」
思った以上に、日和と母親の壁が高いように感じる。
「何故?」
「昔からああなんです。私と母の仲は良くありません。その原因は…私が父の傍に居ながら、父を殺してしまったからでしょうか?」
「…?日和が父を殺した、とは?」
日和の言葉をよく理解できず、聞き返す。
「私の目の前で父は死にました。あの時は死ぬ直前の父の表情しか覚えていませんが、父は私を庇って死んだのだと思います。
死んだのが父ではなく私だったら…母は消えたりなどしなかったと思います」
淡々と答える日和の表情は無だ。
そのまま日和は言葉を続ける。
「母は、父が好きなので。…父が死ぬ前、母の元に出かけていたんです。
その日母は個展を開いていて…人気らしいですよ、母の撮る写真は」
日和の口元が弧線を描く。
しかし笑っているのは口元だけで、目元は変わらず重く苦しそうに瞼を持ち上げている。
「…そう、か。すまない、言いづらい事を聞いたな」
「いえ。もう、関係なくなった事です」
今度こそ笑った日和の表情は目元も笑っていた。
その影はどことなく寂しげで、儚い。
もう関係ない、日和の血の繋がった家族は一人も居なくなってしまったのだと、実感した。
置野ハル
3月31日・女・41歳
身長:165cm
髪:焦げ茶
目:茶色
一般人なので特筆するような見た目では無いけれど、強いて言うなら肩までのふんわりパーマの奥様ヘアでいつものほほんと嫋やかに笑っている。
お金関係の管理に強く地味に一番権力が高い。
元置野家女中。今は当主の妻なので身だしなみと美しさには一切の手を抜かないし余念も無い。