プレイグ
スウォームは、マルの研究室の地下で、実験を繰り返していた。
手駒にするつもりだった勇者が、帝国の大魔法使いの眷属であると分かった今、第二のプランに着手しているのだ。
本来ならば、魔神と勇者の力を統合させ、帝国の軍事力を上回るはずだった。
だが、勇者は手に入らないどころか、戦争になれば間違いなく帝国陣営に着く。
その戦力差を埋めねばなるまい。
だがスウォームは、次の一手はすぐに思い浮かんだ。
いや、むしろずっと昔から構想だけはあったと言える。
フォレストピアという国に来たことが、行幸だった。
フォレストピアは、森の国であり、雨の国であり、病の国である。
それは、魔の大森林に生息する、吸血性の昆虫に潜む病原体や、獣が媒介する寄生虫など、大自然の中で生活する上では、決して避けては通れないものだ。
そして、スウォームは、ある生物に注目していた。
原虫。
それは、顕微鏡でないと見えないほど小さな、寄生虫。
蚊によって媒介され、人々を苦しめる病の原因となる。
マルの地下室には、フォレストピアの数々の疫病の原因と対策の書物が、大きな本棚にぎっしりと敷き詰められていた。
そのうち半分ほどは、マルの著書らしい。
スウォームはここ数週間、マルの著書をひたすら読み漁り、研究に没頭していた。
S級冒険者とは、ただ強いだけではなく、その国に多大な貢献をした人物に与えらえる、栄誉だ。
マルは、魔の大森林に入り、無事に帰還できる、唯一の人物。
大森林の中の古代遺跡からは、貴重な遺物を持ち帰り。
数々の疫病の原因を発見し、薬を開発した。
間違いなく、フォレストピアの英雄だ。
ストライダー姉弟も同じく、フライングパンでは名を知らぬ者はいない、有名人。
フライングパンは、交易で成り立っている国だ。
貴重な交易品を積み込んだ、千人の大規模キャラバンが砂漠を渡る時、ストライダー姉弟が護衛に当たるのだ。
砂漠には、巨大で危険な生物が多く住む。
砂の中に潜む、芋虫。
人を攫って食らう、蜻蛉。
百人単位を引き込む蟻地獄。
ストライダー姉弟は、高速で砂漠を駆け巡り、キャラバン隊を巨大な生物から守る。
フライングパンの生命線を防御する、守護神なのだ。
スウォームは、ストライダー姉弟を手元に置いておくため、フライングパンの王族を説得するのには、ずいぶんと骨が折れたのを思い出す。
スウォームは、顕微鏡をのぞき、生きた原虫に死霊術を付与させていた。
勇者が敵側に回ったのは痛手だったが、今おこなっている研究は、帝国潰しを目的とするならば、勇者を手に入れるよりも有効かもしれない。
勇者が難なくスウォーム側についていたら、この研究に着手などしなかっただろう。
災い転じて福となす、とはこの事だ。
雷蜘蛛を抑え込むのが、一番大変だった。
勇者が帝国の大魔法使いの元の居ると知った途端、帝国に乗り込もうとしたのだ。
厄介なのは、雷蜘蛛は自らの命を顧みない。
脅しが効かないのだ。
だから、脅しではなく、交渉をした。
帝国潰しの準備が整うまで待ってくれと。
時期が来れば、勇者とは直接対決させてやれると。
今帝国に攻めても、帝国の騎士団が勇者との戦いを邪魔するぞ、と。
雷蜘蛛は、ようやく渋々納得してくれた。
雷蜘蛛は、誇り高い。
死ぬことよりも、邪魔をされることを嫌う。
雷蜘蛛は今頃、雨の降る大森林の、巨大な木々の間の宙を走り、獣を狩っている頃だろう。
彼は、普通の蜘蛛とは違い、全身から糸を出せる。
足の裏から、八方に糸を射出し、瞬時に足場を作るのだ。
その糸は、ほとんど目に見えないほど細い。
そのため、天空を走る稲妻の魔神、と呼ばれるようになった。
スウォームが顕微鏡越しに原虫の操作に集中していると、地下室のドアが勢いよく開いた。
「おはようございますぅ!スウォームさん!評議会がようやく交渉のテーブルに乗りましたよ」
マルだ。
長い黒髪を左側頭部で括ってサイドテールにした、小柄な少女。
このフォレストピアで唯一の、S級冒険者。
スウォームは顔を上げて、マルに返答する。
「やっとですか。ずいぶん待たされましたね」
「ほんとですよね!わたし評議会、きらいです!」
マルは、腰に手を当て、頬を膨らませ、全身で怒りを表している。
スウォームは、凝り固まった肩を揉みほぐし、マルの元へと向かう。
評議会とは、もともと帝国潰しで手を組むよう、秘密裏に話がついていた。
だが、死んだはずの勇者が、死霊術により蘇っていて、なおかつ帝国側についていると知った途端、もう一度考え直させて欲しいと、手のひらを返したのだ。
そこでスウォームは、再交渉を望んだ。
ちょうど今、帝国を滅ぼせる研究をしていると、評議会の手下に伝えて。
それは、使い方によっては、勇者よりも強力な兵器であると添えて。
今から、本当に改めて手を組むかどうか、スウォームの話を聞いてから検討するそうだ。
スウォームは、テーブルの上に置いてある、資料である紙の束を右腕に抱え、地下室の出入り口を潜る。
左腕には、マルが絡みついてきた。
ここ最近、いつものことだ。
地下室の階段を上り、一階にあるマルの錬金ショップへと入る。
すっかり顔なじみになった、店員に会釈をして通り過ぎ、店の玄関のドアを開けると、そこには窓の無い馬車と、黒いスーツを着用したエージェントが数人、待ち構えていた。
このフォレストピアでは、他国の偵察隊に国の全容が分からないよう、服の色は、保護色となる緑か黒か茶色のいずれかと義務付けられている。
エージェントが、馬車のドアを開け、乗車を促す。
馬車の中には、既にキールとミーシア、それにセブンとナインのストライダー姉弟が座っていた。
身長が二メートルを超えるストライダー姉弟は、いつものように窮屈そうに身をかがめている。
マルがスウォームの手を借りて馬車に飛び乗ると、ナインのこめかみに血管が浮いた。
ナインは、このよく喋るマルが嫌いなのだ。
いや、むしろ姉のセブンやミーシアすらも含めて、今の所、出会った女性は全て嫌っているように見える。
同性愛者かと思ったこともあったが、そうでもないらしい。
単純に、嫌いな女性のタイプが矢鱈に多いのだ。
スウォームはマルを馬車に乗せた後、自分も乗り込んだ。
エージェントがドアを閉める。
この場者には窓が無いため、ドアを閉めたら真っ暗になるのではないかと思ったが、天井に付けられた、光る水晶の明かりが灯った。
よくよく馬車の内装を見ると、ふかふかのクッションに、金で縁取られた背もたれ。
ずいぶんと贅沢な作りだ。
ミーシアの隣に、マルとスウォームが座る。
特にマルは、ナインの近くには寄せない方がいい。
馬車が、揺れ始めた。
出発した模様だ。
キールがスウォームに尋ねる。
「なあ、評議会とかいう連中、あの侍……勇者が帝国陣営にいるって知った途端、手のひら返したんだろ?
それが今更、また交渉の場にわざわざつくのか」
「ああ、あの人たちは、自分の欲望に忠実なんです。
帝国人の性奴隷が、どうしても欲しいようで。
もちろん、そう仕向けたのは私なんですけど」
スウォームが笑う。
すっかりお馴染みとなった、嘘の笑い。
キールは、スウォームに脅すように問いかける。
「おい、お前ここ最近、何の研究してんだ?」
「ははは。それは、後のお楽しみです」
しばし、スウォームを睨みつけるキール。
スウォームは、笑顔を貼り付けている。
キールは、そのままそっぽを向く。
スウォームが笑顔の時は、無理に問い正しても無駄だと知っているのだ。
スウォームは、抱え込んでいる紙の束を、ちらりと見る。
ここ数週間、ずっと没頭していた研究の成果を。
いや、もっと昔から、それこそ学生の頃から、本当にやりたかったのは、これだったのかもしれない。
マンイーターとなり、マルの著書を読み漁り、ようやく辿り着いた、スウォームの夢の結晶と言ってもいい。
スウォームは、笑う。
その嘘の笑顔の裏側で。
心の底からの笑いが込み上げてくるのを、ひたすらに我慢していた。
★
評議会の集う建物は、マルの研究室と同じく、大木に見せかけて作られていた。
だが、マルの研究室よりも、さらに太い。
木の幹に擬態した、大きな扉を開けて建物に入ると、警備を担当していた黒服のエージェントの一人が、案内係に付いた。
幾つかの部屋を通り過ぎ、廊下の一番先に向かう。
そこは、円形の大部屋で、円形の大きな机が置いてあった。
円卓、と呼ばれる机だ。
円卓には、中年の男性から、年老いた女性まで、様々な人間が席に着いていた。
彼らが、フォレストピアの評議会。
評議会の連中は、スウォームをじろじろと無遠慮に眺めまわす。
その目線は、男女問わず、性欲が混じった目線。
彼らにとっては、美しい人間は、男でも獣欲の対象のようだ。
浅黒い肌の、美しいスウォーム。
彼らの脳内では、スウォームは既に凌辱されているのだろうか。
だが、スウォームは気にしない。
華美なスウォームにとっては、性欲の対象になることなど、日常だったからだ。
頭の中で思う分には、好きにすればいい。
実際に手を出してきたやつらは、毒虫の餌になってもらった。
スウォームの後からは、キールたちが続いてやってきた。
スウォームは、円卓の間を見渡す。
円卓には、既に大勢の評議会のメンバーたち。
円卓を挟んで向かい側の壁には、両開きの扉が付いている
評議会のメンバーは、その扉から入って来たのだろう。
スウォームたちは、円卓の空席に座る。
これで、円卓はほぼ満員となった。
円卓の一番奥の、ひとつの席だけが、未だ空いている。
きっと、そこは彼女の席。
彼女が来るかどうかは、これからのプレゼンテーション次第。
スウォームは、近くに立っていたエージェントに、抱えていた紙の束を渡す。
そして笑顔で、皆に配るように頼んだ。
エージェントが、評議会の皆と、キールたちに、紙の資料を配る。
評議会のメンバーは、資料を受け取り、順番に内容に目を通していくうちに、表情が固まってゆく。
キールたちも、その資料を見て、愕然とする。
キールがスウォームに問いただす。
「お前、これ……。マジか。
帝国だけじゃなくて、フライングパンやフォレストピアも滅ぶんじゃねえのか?」
評議会の面々も、スウォームが作成した資料を見て、動揺を隠せない様子だ。
スウォームからは、勇者に取って代わる戦力の研究に、完成の目途がついたとだけ知らされていたのだ。
だが、これは……。
ざわつく円卓。
スウォームの仲間たちも、その資料を読み、困惑している。
スウォームが、まさかこんな危険な研究をしていたとは、思っていなかったらしい。
下手をしたら、この大陸から、人類が滅びる。
マルは、全身から冷や汗を流し、雨に降られたかのように、ぽたぽたと雫を垂らしている。
セブンは、誰にどんな顔をしていいのかが分からず、俯いてしまった。
ミーシアは意外にも、ふてぶてしい態度であった。
だが、資料を持つ手が震えていることから、虚勢であろうことがわかる。
唯一、ナインだけが平然としている。
きっとナインは、世界にたったひとり残されたとしても、生き延びる自身があるのだろう。
だが、評議会メンバーは、円卓に座ったまま、顔を赤くしたり、青くしたり、忙しそうだ。
ざわつく円卓の間。
スウォームは、込み上げてくる衝動に耐えられず、口元を抑えつつも、つい笑ってしまった。
嘘ではない、本物の、笑顔を。
悪魔の、笑顔を。
スウォームは声を上げる。
「それでは皆さん、改めてご紹介致しましょう。
私の、研究の成果を」
そう、これがずっとやりたかった。
スウォームの死霊術の、到達点。
いや、全ての始まり、と言ってもいいかもしれない。
「勇者に代わる、対帝国用の戦力。
まあ、ゾンビですね。
一見しただけでは、死霊術師が使役している、よくいるタイプのゾンビとしか思えません。
しかしこれは、普通のゾンビと違って、たとえ私が死んでも滅びたりはせず、動き続ける。
そういうように作ったのです。
これは、身体が朽ち果てるまで、目につく人間を襲う。
噛まれたら終わり。引っ掻かれても終わり。
治療法は、ない。
これが野に解き放たれれば、そう遠くないうちに、帝国の大地を埋め尽くすことでしょう」
疫病。
「感染性ゾンビ『プレイグ』です」