氷点下の魔女
帝都東門。
突如として吹き荒れる、極寒の吹雪。
空気中の水分が凍り付いて、きらきらと輝いている。
雷蜘蛛のくしゃくしゃの赤毛も凍り、ひび割れる音が鳴る。
地面から生えてきた巨大な氷柱に、雷蜘蛛が振り下ろした岩の塊は受け止められていた。
何者かが、雷蜘蛛を邪魔している。
左右に素早く動く、八つの瞳孔。
なんだ。
誰の仕業だ。
どこにいる。
すると、雷蜘蛛の目が、東門の上に止まる。
そこには、黒い三角帽子の、白髪の少女。
彼女を中心に、低温の冷気が吹き荒れていた。
あれか。
雷蜘蛛は、またもや雨雲を作ろうとした。
しかし、いつの間にか身体が凍えて、手や指先が動かない。
神経が鈍り、雷の魔法が上手く使えない。
どんなにマナを消費しても、黄色い火花が、体表に僅かに散るばかり。
雷蜘蛛の陣営にも、氷を使う、マンイーターのミーシアが居る。
もともとは、地を這う冷気で敵の足を凍らせる程度の魔法使い。
マンイーターとなり、強大なマナを得た今、巨大な氷塊を地面に走らせることができるようになった。
だが、同じ氷結術師でも、ミーシアと、あの白髪の少女では、強さの種類が違う。
氷そのものをメインの武器として扱うミーシア。
あの少女も、同じく氷を使うが、その強さの本質は、寒さだ。
繰り出す氷に取り巻く極低温の冷気が、全てを凍りつかせるのだ。
雷蜘蛛は、岩の塊に繋がった糸の束を投げ捨てる。
門の破壊は、後回しだ。
あの少女の力は無視できない。
これ以上冷気を浴びていたら、自分でも気づかないうちに凍死する可能性もある。
雷蜘蛛は、かろうじて指先から出せた一本の糸を、マルが操る空飛ぶ絨毯へと向けて放つ。
絨毯へくっつく、一本の糸。
それを思い切り引っ張り、絨毯へと自身の体を引き寄せ、跳ぶ。
反動で、大きく揺れる絨毯。
スウォームとマルの悲鳴が聞こえる。
雷蜘蛛は、絨毯へと着地する。
たわむ絨毯。
スウォームとマルが、寒さで震えていた。
雷蜘蛛を含めて三名全員が、髪も服も凍り付いている。
「こ、この寒さは、まずいですね……。
か、か、身体が、動きません……」
「さささ寒いです!死んじゃいます!」
「僕も、そう思う。このままだと、一分もしないうちに凍死するね。
身体が凍えすぎて、雷も碌に使えない」
吐く息すら凍る。
ここまで強力な魔法使いがいるとは、雷蜘蛛も想定していなかった。
能力から察するに、あれが帝国の英雄、氷点下の魔女とやらだろうか。
大魔法使いでもないのに、これほどの域に達していたとは。
雷蜘蛛は、帝都のカラフルな屋根の街並みを指差す。
「もう、帝都に突っ込もう。
人間の群れの中に降りちゃえば、あの子も手出しができなくなると思う。
門を破壊してゾンビどもを入れるには、まず、あの子をどうにかしなきゃ」
「ささささ賛成ですぅ!早く暖かいとこに行きたい!」
マルは、凍えて動かなくなった身体で、絨毯を飛ばす。
ほとんどマナの操作ができないため、絨毯はふらふらと左右に蛇行しながら、帝都上空を目指す。
だが、雷蜘蛛は見ていた。
三角帽子の少女が、両手を大きく掲げるのを。
次の瞬間には、帝都の大空に、幾千もの尖った氷塊が出現していた。
雷蜘蛛の、黒い瞳の八つの瞳孔に、星空のように映る、数えきれないほどの輝き。
あの煌めく氷の星々は、きっと、自分の命を奪いうる。
そして、その幾千の氷塊は、雷蜘蛛たちに降り注ぐ。
冷気でこわばった身体。
力が入らない。
だが、雷蜘蛛は自身を奮い立たせる。
「……まだ、勇者を倒せずに、終われない!」
それは、雷蜘蛛の意地だった。
雨雲は作れない。
雷も碌に出せない。
かろうじて出せるのは、せいぜい少しの電流と糸のみ。
今は、それだけが頼りだ。
雷蜘蛛は、迫りくる氷塊に向けて、右手を差し出す。
その右手から、数本の糸が放たれ、雷蜘蛛たちを、繭のように包み込む。
そして、その繭に、電気を流す。
発熱する、蜘蛛の糸。
雷蜘蛛が叫ぶ。
「マル!全速力で帝都まで飛ばすんだ!この氷は、全ては防ぎきれない!」
「は、はぃ……」
寒さで、意識を失いかけているマル。
だが、ここで気を失えば、死は確定だ。
命がけで目を開き、絨毯へと手をつき、魔法力を流す。
蛇行しながらも、速度を上げる絨毯。
その間にも、雷蜘蛛たちを包む繭へと、氷塊が当たり続け、その都度、衝撃が走る。
繭へ流した電気による発熱で、何とか氷を溶かしながら、進む。
あまりにも多すぎる氷の雨を溶かすのに、電気を大量に流し続ける雷蜘蛛。
どんどん体内のマナが無くなっていく。
本来であれば、膨大な量のマナを身の内に蓄え、なおかつ、そのマナを効率的に雷に変える技を使えるはずだった。
だが今は、凍てつく冷気に、身体の機能のほとんどを奪われ、大量のマナを無駄使いしながら、繭に電気を流していた。
繭を構成する糸が、次々と切れ始める。
氷塊がぶつかる衝撃に耐えきれないのだ。
いつもならば、この程度の衝撃には、びくともしないはずの、雷蜘蛛の糸。
だが今は、冷気により身体の機能が働かず、弱い糸を出すのが精一杯であった。
溶かしきれなかった氷塊の欠片が、繭の切れ目から飛び交い、雷蜘蛛の頬を切り裂く。
蜘蛛の透明な血が流れ出た。
この極低温の中では、もうこれ以上の糸が出せない。
(あと、すこし……!)
降り注ぐ氷塊の嵐の向こうに、帝都のカラフルな屋根が見える。
だが、糸に電気を流せるほどのマナが、もう無い。
今、ひとつの氷塊が落ちてくる。
このひとつさえ、やり過ごせれば、帝都に突入できたのに。
雷蜘蛛の手から、黄色い火花が消える。
完全に、マナが尽きたようだ。
雷蜘蛛は、勇者に対峙すらできない自分を恨みながら、妻たちを想う。
敵を討てなくて、ごめんね、と。
その時。
スウォームが、力を振り絞り。
マルの左手を取り。
マルの左手の、親指以外の四本の指を、食いちぎった。
「……っつぅ」
マルが、呻く。
マルも、冷気により神経が麻痺しているためか、痛みはほとんど感じなかったようだ。
スウォームは、マルの指を飲み下す。
マンイーターであるスウォーム。
マルの指四本から、微かなマナを補充したのだ。
そして、スウォームは雷蜘蛛の背中に手をつく。
たった今、補給したマナを、雷蜘蛛へと流す。
ほんの、微量なマナ。
電気を、あと一瞬だけ流せる程度のマナ。
だが、今迫る氷ひとつだけ、突破できれば、帝都に入る。
雷蜘蛛は、氷が糸に当たる瞬間、スウォームから託された力を込め、糸に電気を流す。
熱で溶けて行く氷塊。
そして、溶け行く氷の隙間を縫って。
マルの絨毯は、三名を乗せて、帝都上空へと突入する。
ティナ・シールは、氷の嵐を突破して、帝都の上空へと入り込んだ、空飛ぶ絨毯を見つめ、歯噛みする。
帝都の道は、近隣の村や町から退避してきた、沢山の人で大混雑していた。
もう、氷塊や冷気は使えない。
人々を巻き込んでしまうからだ。
広範囲殲滅を得意とするティナ・シールは、繊細な戦いは苦手であった。
だが、あの絨毯の上にいた何名かは、ほとんど力尽きている状態だろう。
幸い、ここには騎士団がいる。
後は騎士団に任せよう。
そう思い、ティナ・シールは辺りを見回す。
居なくなっている。
先ほどまで、東門の外壁の近くにたむろしていた、第九騎士団『ならず者』の全員が。
(まさか、逃げた!?)
あいつらなら、有りえる。
帰って来たら、とりあえず凍らせてやる、と誓って。
そして、たった今、帝都へと突入してきた、空飛ぶ絨毯に乗った、恐るべき雷使い。
あれを放っておくわけにはいかない。
今回は、先手を取れたため、十全の力を出せないように封じれたが、あのレベルの敵には、同じ手はもう通じまい。
ロロに連絡し、リリアナに始末してもらおう。
そう思い、ティナ・シールは頭の中でアイに連絡を取ろうとする。
その時、突如として、ティナ・シールは、胸騒ぎに襲われた。
何か、嫌な予感がする。
消えた第九騎士団。
本当に、ただ逃げただけなのか。
訳も分からず、不安が圧し掛かる。
だが、きっと気のせいだろう。
あいつらは、我が身大切さに、敵前逃亡しただけだ。
無理に、そう思い込んで。
★
帝都上空を蛇行する、マルの絨毯。
ようやく冷気の嵐から抜け出し、陽光を浴びる。
マルは、食いちぎられた指の手当てを、スウォームにしてもらいながら、太陽に感謝する。
日の光が、これほど温かく素晴らしいものだとは。
マルの指に包帯を巻いていたスウォームが、マルに謝罪する。
「すみません、マルさん。あれ以外の方法が思いつかなくて」
「いいんですよ!わたしも同じ立場だったら、同じことしますし。
フォレストピアに帰ってから、治癒術師に治して貰えばいいんです」
先ほどまでは、凍えていたせいか痛みを感じなかったが、身体が温まってきた今、無くなった指がズキズキと痛み出す。
だが、マルはこれでもS級冒険者。
指どころか、古代遺跡のトラップで両足を切断された事もある。
この程度で泣き事は言ってられない。
スウォームが、雷蜘蛛に告げる。
「一旦、このまま南門へ向かって、タタリヒメさんたちと合流しましょう。
もたもたしてると、リリアナ・グレイの矢が飛んできます。
今の私たちに、それを回避する手段が無い」
雷蜘蛛は、無言で頷く。
マナも体力も、ほとんどを失った。
ここで、”ザ・シューティングスター”とやらの矢を受ける訳には行かない。
それにしても、氷点下の魔女。
このツケは、勇者と共に払わせてやる。
だが、雷蜘蛛は思い出す。
南門には、大多数の騎士団と、帝国最強の近衛騎士団長・セバスチャンが陣取っていたはず。
このまま向かっても、為す術も無く殺されるだけではないかと。
雷蜘蛛は、スウォームに問いただした。
すると、スウォームはにんまりと笑う。
「ああ、そうですねぇ。
そういえば、もうすぐ南門も、戦況が変化する頃合いでしょうか」
この浅黒い肌の優男は、まだ何か企んでいるようだ。
だが、利用できるものは利用する。
勇者への復讐のために。
ちょうどその時、東門から南側へと向けて、外壁の上を馬で走る集団があった。
第九騎士団『ならず者』である。
その先頭では、第九騎士団長ウォーチーフが、葉巻を咥え、馬で疾走していた。
杖を構えながら。