マナ・アブソープション
タタリヒメは、王城の塔の天辺で、大きく手を広げる。
大気中に漂う、魔法の力を取り込むためだ。
マナ・アブソープション。
魔法使いの究極の技の一つ。
両手を広げたタタリヒメの周囲の空気が歪む。
膨大な量のマナが、タタリヒメへと流れ込んでいるのだ。
今、タタリヒメは、帝都中のマナを吸い上げている。
タタリヒメの奥の手、七人ミサキは、永遠の渇きの呪いを、タタリヒメからかけられているのだ。
七人ミサキを現世に留まらせるには、莫大な量のマナを、あの七人に、常に供給し続けなければならない。
だが、七人ミサキは、そのコストに見合った、異常な強さを持つ。
十四本の渇きの手の前では、大魔法使いですら滅ぼされるのだ。
「うふふ。誰が一番強いのか、勝負ですわね」
タタリヒメは嗤う。
マナ・アブソープションの黒い光をその身に漲らせて。
ナインは、自分を叱咤する。
(くそ、油断した!何だあいつら!弱そうな見た目の癖に、めちゃくちゃヤベえぞ!)
七人ミサキの朽ちた手によりマナが吸い取られ、ナインのジュピター・システムは稼働を停止していた。
幸いなことに、ナインの身体そのものには触れられていなかったため、ジュピターに注いでいた一部のマナだけしか吸われずに済んだ。
飛行も、ブラックホールも、まだ使える。
だが、改めて魔法を組み立てる隙が無い。
今、ナインは、落下速度をゆるやかにする程度の重力術を、かろうじて扱えていた。
飛行やブラックホールを使うには、全身に魔法の力を巡らせないといけない。
それには、一瞬だけでも地上に降り立ち、魔法をかけることに集中しなくてはならない。
ナインは、自分の真下を見る。
そこには、両手を広げて待ち構えている、血の色のローブを着た七人。
あの腕は、大陸最速のナインの飛行よりも、速く伸びる。
おそらくは、ナインが地上に降りるよりも先に、七人が腕を伸ばし、ナインの命とマナを吸い取るだろう。
(……俺は、ここで終わりか。ムラサメ。君に会えて本当によかった)
ナインは、目を閉じ、ムラサメを想う。
帝都の夜空をゆっくりと舞い落ちながら。
七人ミサキが、命をよこせと言わんばかりに、両手を広げていた。
そこに現れるは、炎の明かりを反射し、オレンジ色に光る、刀。
編み笠を被った女の侍が、腕を振るう。
その刀は、血の色のローブの一人を、真横に切り裂いた。
声も出さず、泥の塊へと変化する、七人ミサキの一人。
その他の六人が、侍へと顔を向ける。
幾つもの札が貼られた、不気味な顔を。
ナインは、思わず叫ぶ。
「……ムラサメっ!」
それは、助けに来てくれた喜びと、早く逃げて欲しいと警告する焦りが、混ざった声で。
ムラサメは、一人目を切り裂いた勢いのまま、くるりと回転し、二撃目を振る。
しかし、ミサキの手が、刀にかざされる。
刀に施された魔法道具化のマナが吸い取られ、刀は砕け散る。
ムラサメに襲い掛かる、ミサキの伸びる手。
だが、ムラサメは素早く後方へと跳び、その手を回避する。
七人ミサキの手の伸びる速度は、明らかに落ちていた。
先ほどまでは、目視すらできないほどの、尋常ではない速度であった。
今は、それと比べると、見てから回避できるほどまで、遅くなっていたのだ。
七人ミサキは、互いに呪いと強化を与え合っていた。
七人ミサキは、七人揃ってこその、無敵の死神。
一人欠けたことにより、強化の循環が崩れたのだ。
だが、命とマナを吸う手のひらの脅威は変わりない。
ムラサメは、後ろに駆けつけたロロへと声をかける。
「ロロさん。マナが吸われました。頂けませんか?」
「わかりました」
ロロは、自分の心臓へと意識を集中する。
鳴り響く鼓動。
そこに、取り込まれてゆく、大気中のマナ。
マナ・アブソープションの発動だ。
ロロの周囲の空気が歪む。
真っ黒なオーラが、ロロの身体を包む。
それは、あまりにも膨大な量のマナが、ロロの身体から漏れ出し、肉眼でも確認できるほどの濃度になったものだった。
ロロは、ムラサメへと、骨の杖を振る。
ムラサメへと繋がる、マナのネットワーク。
ムラサメは、砕けた刀の柄を前方に構える。
すると、散っていた刀身の破片が集結し、再び元の刀の姿へと戻る。
「いざ、参る」
ミサキへと走るムラサメ。
六人のミサキは、刀を受け止めようと、腕を伸ばす。
ロロが叫ぶ。
「ムラサメさん!火が!」
その時、レッドドラゴンの極大の火炎が、その場の全員を包み込む。
炎に巻かれる、ムラサメと六人のミサキ。
ムラサメは、足元の石畳を蹴り、ミサキに向かっていた身体を軌道修正し、レッドドラゴンの前へと躍り出て、炎を縦一文字に斬り裂く。
真っ二つに割れ、ロロたちの両サイドを走り抜ける、獄炎。
ティナ・シールが周囲に氷の壁を作り、熱からロロたちを保護する。
あまりの熱で、焼けつく空気。
炎には触れずとも、肌が焦げそうだ。
六人のミサキがレッドドラゴンの炎へと手をかざす。
マナを奪われ、少しずつ霧散してゆく炎。
ミサキは、炎だけではなく、熱までも貪欲に奪う。
それでも、永遠の飢えと渇きはおさまらない。
六人のミサキは、レッドドラゴンの炎を打ち消すので精一杯だった。
空から舞い落ちるナインからは、目を離していた。
六人のミサキの背後に、ナインが降り立つ。
六人のミサキは、ようやくナインに意識を向ける。
だが、レッドドラゴンの炎からは手を離せない。
ナインは、地上に降りた一瞬の間に、ブラックホールを構築する。
掌に現れた、極小の黒点。
「吸い合いで負けたんじゃあ、面目が立たねえわな!」
ナインは、横向きの重力を発生させ、高速でミサキの一人の横へと駆ける。
すれ違いざま、ブラックホールをミサキの胴体へと叩きつけた。
肉が軋み、骨が折れる音。
胴体にめり込んだブラックホールを中心に、無理矢理に折りたたまれてゆくミサキの身体。
そのミサキは、超重力により、ナインの掌へと圧縮される。
腕を振り抜くナイン。
血肉を撒き散らし、五人のミサキの背後をすり抜ける。
目の前には、レッドドラゴンの炎の壁。
しかし、ナインは、スピードを落とさない。
その代わりに、ブラックホールを前に突き出し、炎と接触させる。
ブラックホールに吸い込まれてゆく、火炎と灼熱。
そして、炎に穴が空いた。
目の前には、溶けて薄くなった氷の壁の向こうで、片手で刀を振り抜いた姿のムラサメがいた。
ナインは、氷を突き破り、ムラサメへと抱き着こうとする。
ナインの目から涙が零れる。
「ムラサメぇ!」
ムラサメは、刀を持っていない方の手で、ナインの胴体を受け止める。
ムラサメの腕が腹部に高速で当たったものだから、ナインは「ぐえっ」と呻き声を上げる。
ムラサメが、編み笠の下でニヤリと笑う。
「さ、荷物も回収できたことですし、一旦逃げましょうか」
ようやく消えゆく、レッドドラゴンの炎。
薄れゆく、火炎。
だが、その熱は冷めず、帝都中央広場の石畳を沸騰させる。
ティナ・シールの氷の壁も、ほとんど溶け落ちてしまっていた。
ナインを担いで、身を翻すムラサメ。
逃げ出そうと、走り出すロロたち一同。
だがこの瞬間、誰もが五人のミサキに背を向けていた。
それは、ナインを無事に救えた事による、ほんの一瞬の油断。
決して気を緩めないと誓っていたはずなのに、無意識に出てしまった、一秒の間にも満たない、一瞬だけの油断。
ムラサメの目に、映ったのは、ロロたちへと伸びて行く十本の枯れた腕。
振り向く、ロロと眷属。
その目に映る、渇いた手。
朽ちた手のひらが迫る。
ロロに。
デイズに。
リリアナに。
ティナ・シールに。
その時、ミサキの手と、ロロたちの間に、突如として、馬に乗った騎士団が現れた。
葉巻を咥えた男を先頭に。
馬に乗った騎士団は、ロロたちを荒っぽく蹴飛ばす。
炎で焼けて熱を持った地面に、放り出されるロロたち。
石畳へと転がる寸前、咄嗟にティナ・シールが冷気で地面を冷やす。
それは、第九騎士団『ならず者』だった。
団長のウォーチーフが、すぐ横に迫った渇いた手のひらに、火のついた葉巻を押し付けながら、ロロに言った。
「第九は、食った分だけ、きっちり働くんだよ。グレイ男爵」
第九騎士団の面々が、ロロたちに笑いかける。
すぐ真横に、死の手があるというのに。
ロロは、叫ぶ。
声にならない声で。
ティナ・シールの冷気でも、完全には冷やしきれなかった、焼けた石畳に手を付いて。
掌が火傷するのにも、構わず。
五人のミサキの手が、第九騎士団へ次々と触れる。
命を吸い取られ、朽ち果てて行く第九騎士団。
ウォーチーフは、腕を組んで高笑いをしていた。
散りゆく最後まで。
第九騎士団へと、手を伸ばすロロ。
第九騎士団の遺骸を打ち砕き、ロロへと伸びてくる長大なミサキの腕。
そこに発生する、横向きの重力。
ナインが、ロロと眷属たち全員を連れて、全速力で退避する。
ロロの手は、ウォーチーフの残骸を掴もうとしたまま、空を切る。
「ダメだ、お館様。お館様が死んだら、何もかもが終わりなんですよ」
ロロの涙が、横向きに流れる。
そして、すぐそばの大理石の床に着地する一同。
目の前には、土地神の白い大蛇の像。
そこは、屋根も壁も吹き飛んだ、神殿だった。
五人のミサキは、死んだ第九騎士団のうち、二人に呪いをかける。
その二人が、新たなミサキとなる。
再び、七人へと戻る七人ミサキ。
ロロたちのすぐ目の前には、セバスチャンとレッドドラゴン迫る。
上空には、ワイバーンの群れ。
セバスチャンが命令を下す。
「レッド!最後の勝負だ!あの怪物どもを焼き尽くせ!」
セバスチャンは、自らの心臓へ意識を集中する。
帝都の大気中のマナが、セバスチャンの心臓へと、流れ込んでゆく。
タタリヒメが言う。
「うふふ。また七人に戻ったのですわね。では、そろそろ終わりにしましょう」
タタリヒメは、夜空に向かって両手を上げる。
帝都の大気中のマナが、タタリヒメの心臓へと、流れ込んでゆく。
ロロが言う。
「僕たちは、負ける訳にはいかない」
ロロたちの背後には、土地神の大きな白蛇の像。
像には、淡く光る蛙が這っていた。
ロロは、両手をだらりと下げ、心臓へと意識を集中する。
帝都の大気中のマナが、ロロの心臓へと、流れ込んでゆく。
三者三様の、マナ・アブソープション。
今、決戦が始まるのだ。
死者と。
竜と。
妖怪の。
セバスチャンからの膨大なマナを受け、赤いオーラを放つレッドドラゴン。
レッドドラゴンの口からは、かつてないほどの灼熱が発生していた。
ティナ・シールの極寒の氷の壁ですら、防ぐことはできない、究極の炎。
それが今、帝都中央広場へと放たれる。
七人ミサキは、再び七人へと戻り、無敵の死神へと成った。
触れるだけで死ぬ、目にも止まらぬ速さの腕が、四方八方へと伸びる。
ロロの眷属は、駆け出す。
ムラサメは、居合の構え。
ティナ・シールは、氷点下の吹雪。
リリアナは、瞳を金色に光らせ、黄金の弓を引く。
デイズの顔の横には、数匹の半透明の魚。
デイズは目と髪を、明るい紫に染め、足の裏から紫の炎を噴き出し、走る。
そして。
その場の全員が。
一斉に、力を消失し、大地へと倒れ込んだ。
リリアナが、黄金の弓を取り落とす。
重たい金属音を鳴らし、神殿の床へと転がる、秘宝の弓。
「ち、力が、入らないっす……」
ムラサメも、倒れた拍子に刀が手元から離れた。
「い、一体何が……」
ロロは、くらくらと眩暈がする視界で、なんとか眷属たちに声をかける。
「み、みんな!マナが……!」
ロロは辺りを見回す。
レッドドラゴンが、凄まじい衝撃と共に、巨体を倒し。
七人ミサキは、泥の塊へと変化していた。
ロロは叫ぶ。
「マナが無い!」
ロロの叫びと同時に、通りの向こうから、重たい足音が鳴り響く。
それは、ブーツの底に仕込まれた、真鍮の板が立てる音。
着用した革の鎧には、真鍮の鎖が編み込んであり、動く度に金属の擦れる音が鳴る。
その男は、右手を振るう。
きらりと光るのは、鎖の先に付いた、小さな真鍮の丸鋸。
しかし、その小さな丸鋸は、一瞬の間に巨大な丸鋸へと変化する。
それは、城ですら両断できそうなほど。
丸鋸は、レッドドラゴンの首へと放たれる。
セバスチャンが、起き上がる力も無いまま、レッドドラゴンへと何かを叫ぶ。
レッドドラゴンの、狂戦士の眼差しは、竜よりも遥かに大きな丸鋸を映していた。
「すまん。セバス」
刎ねられる、レッドドラゴンの首。
赤い鱗の竜の首は、宙を舞い、広場の真ん中へと転がり落ちる。
竜の胴体は、傷口から大量の血を流し、帝都中央広場を血の海へと変えた。
空からは、ワイバーンの群れが、帝都のカラフルな屋根の街並みへと、落ちて行く。
「レッ……ド」
セバスチャンは、レッドドラゴンの死体の背に乗ったまま、無力な自身を嘆く。
レッドドラゴンの首を刎ねた男は、言った。
「当然だよなぁ。
大魔法使いが、寄って集って、一箇所でマナを吸いまくるんだ。
無限じゃねえんだよ。
枯渇するに決まってんだよ。
大気中のマナとやらは」
その男は、革の鎧の袖から、無数の真鍮の鎖を解き放つ。
鎖の先には、ドリル、剣、丸鋸、トラバサミなどの真鍮の凶器が付いていた。
「今、この場で誰よりも強いのは!
ロロでも!
セバスチャンでも!
タタリヒメでもねえ!
この俺だ!」
この男こそ、ミーシアを食らい、大魔法使いを超える力を手に入れた、最後のマンイーター。
キール。