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World of Fantasia(ワールド・オブ・ファンタジア) - 第八話「狩人の流儀」
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World of Fantasia(ワールド・オブ・ファンタジア)  作者: 緋色牡丹
第一章「永遠の森」

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第八話「狩人の流儀」

 刺激的な夜の出会いから一週間、里の暮らしにも慣れた頃。

 夜になると決まったように、俺は里の西外れにある古家に訪れていた。

 きぃ、と木戸を開けると、研究机と椅子が乱雑に並んでいた。

 その椅子の一つに、踊り子服を着た露出の高い女が腰かけている。

 褐色の肌に長い耳──“ダークエルフ”。

 彼女はエルフの中でも特異種らしかった。

「こんばんは。ヴァネッサ」

「ああ、山田か」

 女は長い黒髪を手で流すと、こちらに振り返った。

 彼女の名は、ヴァネッサ・レヴァン。俺に魔法を教える先生である。

 授業料は“人間について教えること”。妙な契約だが、彼女はそれを気に入っていた。


「──主要な五大元素は火水木風土(かすいもくふうど)……他にもあるが、滅多にいないから省く」

 カッカッ、黒板にイメージ絵を描きながら、ヴァネッサはすらすらと語る。

「魔法の属性は多岐にわたる。人によっては、まれに固有能力──『ギフト』が発現することもある」

 彼女の白い手が上向きに開かれると、

 ゆらり──

 空気が震え、手のひらにボッと火が灯った。

「エルフの得意属性は風だが、理解を深めれば他属性も扱える。そして“先天的なマナの質と量”──それらを総合したものを『魔力』と呼ぶ」

 彼女の手の上の火は、さらに強く燃え盛った。

「へぇ……呪文を唱えたりしないんだな」

「よく知ってるな! もちろん詠唱もあるぞ。強大な魔法であればあるほど、自身のマナだけでは足りなくなる」

 燃え上がっていた火は、ガスが切れたようにふっと消えた。

「そこで、詠唱の出番というわけだ。精霊や神といった人外の力を借り、規格外の魔法を行使する。しかし……これは難度でいうと最高クラス。覚える必要はない」

「ええ!! 俺もカッコいいやつ、なんか出したいんだけど!」 

「山田にはまだ早い。それに、マナの使い方も知らないだろ」

「うっ……たしかに」

「ふふ、そう落ち込むな。何事も手順がある。今日は実際に、お前のマナを──」

 バンッ!

 豪快に扉が開く音がした。

 そこには浅黒い肌をした男──グレースがいた。

「おっ、いたいた。よっ! 山田!」

「隊長、なんでここに」

「ここに入り浸ってるって聞いてな。様子を見に来たんだ」

「……ノックぐらいしろ」

 ヴァネッサは不快そうに口を開いた。

「あー忘れてた! 悪い悪い。ガッハッハ!」

「何をしに来た。グレース」

「言ったろ? 可愛い妹と、部下の様子を見に来たんだって。ほれ!」

 彼は何かを放り投げると、ヴァネッサはそれを掴んだ。

 彼女の手には、葉っぱに包まれた餅──草餅が握られていた。

「チッ。私に構うな」

「まーだ思春期なのかぁ? 母ちゃんもお前の顔見たがってるぜ。たまには帰って来いよ」

「私は……母の顔など、見たくない」

 そう、ヴァネッサはグレースの妹だった。肌の色、顔、よく見ると似ている。

 グレースは一瞬だけ目を伏せるが、すぐにいつもの笑みを取り戻していた。

「……気が向いたらでいいさ。じゃ、俺はもう行くぜ。山田、またなー!」

 空気を察したように、グレースは扉を閉め出て行った。

 ヴァネッサは兄が去った後、差し入れられた草餅を見て、

「あぁッ! イライラする!!」勢いよくそれを机に叩きつけた。

 家族仲は、あまり良くないらしい。

 深く聞くのは、やめておいた方がいいだろう……

「──取り乱して悪かったな。許せ」

「いや、いいんだ。色々あるだろうし」

「……助かる。気を取り直して、授業の続きを始めよう」

「自身の扱う魔法を極めた者を、『魔導師』や『魔女』と呼ぶ。という話は以前したな」

「ああ。体内の『マナ』を鍛錬し続けて、人知を越える道に至った者、だよな」

「正解。よく覚えているな、えらいぞ」 

 よしよし、とヴァネッサは頭を撫でて来た。

 この人は恐らく、俺のことを子供だと思っている。少し気恥ずかしいが、嫌な気はしないので黙っていた。 


 外に出ると、空一面に星が瞬いていた。里の夜空はいつも美しい。

 ヴァネッサは芝生の上に座ると、足を組んだ。

 これは──座禅の姿勢だ。

「鍛錬にも色々なやり方があるのだが……今から師匠直伝のマナ鍛錬法を教えてやる」

 彼女の師に会ったことはない。だが、これだけ博識な彼女の師匠だ。とてつもない人物に違いない。

「真似してみろ。まずは目を閉じて、体内を流れるマナを見つけるんだ。ふぅぅ──」

 彼女は深く、ゆっくりと息を吐く。

 俺も姿勢を整え、同じように呼吸を深めた。

「体を鎮め、周りの音を、命を、すべてを感じるように、心を無にしていく。そして胸の奥に湧き上がるマナの流れを──そっと探るんだ……」

 丁寧に、言葉を選ぶように、ヴァネッサは説いた。

 沈んでいくような感覚だ。心が落ち着いていく気がする……。

「鍛錬していけば、空気中に漂うマナ──『魔素』や生命に宿る魔力も感じられるようになるぞ」


 小一時間ほど、同じ姿勢で目を閉じていた──うん……尻がいてぇなコレ。

 そう思い始めた頃、体の奥に温もりを感じた。

 それは、ぽうっと広がる小さな熱だ。その余熱は胸から指先へ、全身にゆっくり流れていた。

 そして気づく。空気中にも、同じ“気配”が漂っている──それはかすかに、でも確かに。

 そうか──これが魔素なのか。

 木陰を走る小動物、ふわりと浮かんだ精霊、命の気配が分かる。

 この世界は、マナで満ちている……

 ──違和感。

 ……おかしい。

 ヴァネッサは横に座っている。

 もっとも存在感のある命、であるはずなのに……彼女からは()()()()()()()()

「ああ、私か? もうそこまで気づいたか」

「ヴァネッサ……もしかして、幽霊、なのか……?」

「ちがうちがう、マナを隠しているんだ。マナというのは力でもあるが、弱点にもなりえるからな」

 彼女はその場に立ち、んーっ、と背筋を伸ばした。

「周りに自分の位置がバレるってこと?」

「その通り! 察しがいいな」

 えらい、えらいと俺の頭を撫でながら、彼女は話をつづけた。

「マナを隠さない者は、手札を晒してカードゲームをしているようなものだ」

「なるほど。とんでもない馬鹿だな」

「ちなみにお前は、いま全てをさらけ出している」

「いやんッ! 見ないでぇっ!!」

「しかし、お前は不思議だ。なんというか……そう、まるで誰かが、無理やりマナ回路を後付けしたような……」

 彼女が首を傾げたとき、

「もっと、やわらか~く、リラ~ックス。ホッホッホ」

 いつの間にか、ホッホと笑う老エルフが彼女の横にいた。

 老エルフはヴァネッサの大きなお尻を、撫でるように触っている。

 この人はっ──! 訓練中に体を治してくれる謎の爺さん!

「……おい……尻に触るなジジイ!」

「ホッホッホ」

 ヴァネッサは爺さんの手をペシンッと叩き落とした。

「全く……紹介しよう。このエロジジイは、私の師匠だ」

「えぇッ!?」

「非常に遺憾だが……こう見えて、齢七百を越える里一番の魔導師だ。皆、師匠のことを──」

「大したもんじゃない。ジイサンでえーよ」

 ヴァネッサの言葉を遮るように、爺さんは言った。

「お爺さん、そんな凄い人だったんですね」

「ホッホッホ」

「いつもありがとうございます。あれってどうやって──」

「あれはのう~」

 爺さんに質問していると、ヴァネッサは消えていた。

 なんだか機嫌が悪そうだったな。

 そして爺さんの話は、ほとんど理解できなかった。


 灯りの落ちた室内に、ヴァネッサは立っていた。

「……大したもんじゃない、か。」

 ぽつりと漏らす、誰に言うでもなく。

 机に置かれた草餅──兄の手土産。

 視線をそこへ落とすと、まぶたの奥で微かに感情は揺れた。

「天才という奴は、いつも忌々しい」

 低く言葉を吐きすてると、草餅に触れた。

 冷たい闇の中で、それは唯一の“温もり”のようだった。

 

 *


 ダッダッダッ、森を走る、走る、走るッ──!

「ハァッ、ハッ、ハァッ……!」

 背後から、強烈な魔力の気配。

 “それ”は迫っている。凄まじい勢いで、俺に……!

 ドン、ドン、ドンッ──森を揺らす重音が地面を伝う。

 瞬間、咆哮が森を裂いた。

「ガァアアアア!!!!!!!!」

 姿を現したのは、狼の頭骨に一角を生やした巨大な獣、ホーンウルフ。

 眼窩の奥で赤い光が揺れ、黒鉄色の体毛は逆立っている。四肢は太く、爪は小刀のように長い。

 並の個体ではない。小さな民家ほどの大きさだ。

 大気中の魔素が乱れると、稀に生まれる『変異体』。

 エルフたちは畏れと警戒を込めて、それをこう呼んだ──

 魔素に狂い、形を歪めた狂獣──『魔獣』と。

挿絵(By みてみん)

「っ……何でこんな奴が──!」

 地を削る勢いで、それは距離を詰めてきた。

 速ッ──!

 魔獣は四肢が沈むほど力を籠めると、頭の一角を振りかぶった。

 横薙ぎ──!

 俺は銀の長剣を瞬時に抜き、反射で合わせた。ほとんど勘に頼ったガードだ。

「ぐぅっ……!!」

 直後、俺の体は弾かれ、木の幹へと衝突した。

 肺から空気が絞り出る。痛みより先に、恐怖が走る。

 俺は(おご)っていた──

 風牙隊の訓練で、少しは強くなったと思っていた。

 目の前の獣は、肉の味を想像したのかヨダレをたらしている。

 勘違いしていた──

 魔獣は反撃を恐れているのか、少しずつ距離を詰めてくる。

 筋力や体力があろうと、身体を強化しようと、この圧倒的な野生の前では、無力に等しかった。

 後悔していた──

 俺は、一体何をしているのか。

 なぜ、こんなところに来てしまったのか。

 そもそも、俺の人生は、どこから間違っていたのか。

 もう眼前に、魔獣の濡れた牙が迫っていた。

 ああ、

「……ちくしょう──」

 

 ──時は遡り、早朝。

 このエバーウッドのエルフ里にきて、もはやひと月が経とうとしていた。

「森の空気は、傷ついた心を癒してくれる。そう、俺は地上を彷徨う旅人っ! その名も──」

 低音ボイスで自分に酔っていると、ふと視線を感じた。

 緑髪の少女、リーリーが俺を黙って見ている。

 口を開こうとした瞬間、

「えと、邪魔して、ごめん……? ──先、行くねっ!」

「ちょっとまって!! 置いてかないでっ! リーリーさーーん!!」

 少女は俺の言葉よりも速く、ぴょんぴょんと走り去り、すぐに見えなくなってしまった。

 

 里の壮麗な景色を眺めながら、今日も訓練場へ歩く。

 ここ数日、書庫でこの世界──ファンタジア──について調べた結果、いくつか興味深いことが分かった。

 まず──今はファンタジア歴二〇二五年、七月二日。

 俺がいた世界とまったく同じ年号だ。

 季節の巡り方、太陽の動きさえも地球と似ている。

 偶然として片づけるには、気になる点が多すぎる。

 しかし──転生したのがここで、

「本ッ当に良かった……!!」

 ファンタジアには、人間を露骨に嫌う国もあるらしい。

 もしそんな場所に転生していたら──考えるだけで恐ろしい。

 転生者は他にもいるのか。なぜ俺だったのか。

 疑問は尽きないが、里の書庫だけでは謎を解けそうになかった。

 気楽にいこう……そう思ってないと、やってられない。


 広大な訓練場についた。今日も朝陽は眩しい。

 だが、空気はいつもと違っていた。

 銀の長剣を静かに磨く者。

 青緑の弓を持ち、弦の張りを確かめる者。

 皮の軽装備を締め直し、呼吸を整える者。

 いつも回復してくれる爺さんも、今日はいない。

 そして褐色肌の男──グレースはいつものぼさぼさな茶髪ではなく、きっちり髪を整えていた。

 ライルも栗色の短髪を念入りに整え、体をゆっくり伸ばしている。

 その横に立ち、俺は声をかけた。

「……腕立て、しないのか?」

「ああ、今日は野外訓練だ」

「野外?」

「風牙隊、集まれ!」

 グレースが大きく声をあげた。

 エルフたちは迷いなく隊長のもとへ歩み寄る。その数、およそ三十。

 この里には五百を越える守り手がいるが、グレース率いる風牙隊は、その中でも選りすぐり──里の精鋭を集めた特殊部隊だった。

 ……なんで俺、ここにいるの?

「整列!」

 考える間もなく、全員が横十人・縦三列の隊列を瞬時に組む。

 そして“休め”の姿勢をとり、長剣の先を地へと落とすと、柄に片手を添えた。

「傾注! 今日は野外訓練だ。魔獣狩りに行くぞ!」

 訓練場の空気がピンと張りつめた。

 皆は無言で次の言葉を待っている。

「……狩りって……俺、まだ自信ないんだけど」

 ぼそっと横にいたライルにいった。

「基礎はもうすでに叩き込んである。あとは、実戦あるのみ」

「だいじょーぶ! リーリーもいくし!!」

 ライルの前列にいたリーリーが、元気よく振り返った。

「……そうか、そうだよな!」

 めちゃくちゃ不安である。

「そこ、静かに! いつもどおり三班に分けていくぞ! 風牙一隊は俺、二隊はリーリー、三隊はライルが班長だ」

「隊長! 自分はどうすれば?」

 挙手すると、グレースに問うた。

 俺は正式なメンバーではないので、ぶっちゃけ居残りしたい。

 こっちは銃すら持たない平和主義国家、日本から来たんだ。

 魔獣とか普通に怖い。熊より強そうだ。

「山田は……ライルについていけ!」

「えー!! リーリー、緋色と一緒がいい!」

「だめだ、お前は二隊の班長だろう」

「やだやだー! ライルのいじわるー!!」

「黙れ。二班は森の奥に行くんだぞ……山田にはまだ早い」

 ていうか、行かないとダメなんだ。

 訓練に混ぜてもらってる以上、当然か。

 脳裏に、もはや死語となった感嘆詞が浮かんだ。

 トホホ……

 行きたくないでござる……

 

 里を出てすぐ──深い森へと続く“集結地”に、俺たちは集まっていた。

 遠くには里の尖塔がまだ見え、しかし一歩進めば完全に戦場へ踏み込む、そんな境界の場所だ。

「集合は太陽が西に落ちきる前、夕刻! くれぐれも無理はするな! 以上! 別れ!!」

 グレースの号令が鋭く響くと、風牙隊は一斉に姿勢を正し、それぞれの班長を先頭に散っていった。

 訓練時の和やかさはなく、任務前の張りつめた気配がある。

「──傾注! いつもどおり三隊は後方支援だ。すでに隊長とリーリーは先陣を切った。僕たちは漏れた小物の処理をする! 一匹も逃すなよ。わかったか!」

 ライルの呼びかけに、エルフたちは一斉に応と声をあげた。

「お前は、僕の横を離れるな」

 きゅんっ。

 ライルさん、イケメンッ……。

 俺が女だったら、間違いなくこいつに惚れている。

「行くぞ! 遅れるなよ。身体強化(ブースト)!」

 俺は魔法の授業で教わった、ヴァネッサ直伝の身体強化……≪ブースト≫を発動させる。

 体内のマナを集中させ、魔力を両足に流し込んでいく。

 イメージする──鋼のような筋肉を、強靭な肉体を。

 地を蹴る。

 軽い。気持ちがいい──体が普段より動く全能感。

 ライルの背に続き、森の中を駆けていく。

 木々の間を抜ける細道は、いつの間にか崖沿いの道へと変わった。

 その崖道は大きく蛇行し、遥か下、谷底へと続いている。

 先陣は、すでに下ったのだろう。

 風が抜け、頬が冷たくなった。そして森の奥──何かが“押し流れてくる”。

 一つ、二つ、三つ……数が多い──!

「……来るぞ!」

 ライルが叫んだ。地面が激しく震えている。

 前方百メートルほど先の林間から、額に角を生やした狼の群れが飛び出してきた。

 群れの瞳は揺れ、こちらへと雪崩れ込んで来る。先陣の討ち漏らしだ。

「ホーンウルフの群れだ! 構え!!」

 掛け声と同時に、守り手たちは銀長剣を構えた。

 二人一組で死角を潰しながら、押し寄せる群れを長剣でいなしていく。

 エルフの勇ましい声と獣の咆哮が交錯し、崖道は戦場へと変わった。

「ハァァアアアッ──!!」

 ライルは俺の負担を減らそうとしているのか、一人で複数を相手にしている。

 刃が走るたび、狼は裂かれ飛ぶ。凄まじい戦闘力だ。

 足手まといになるまいと、俺も長剣を握りしめた。少しでも数を減らすんだ。

「チッ……おかしい。数が異常だ!」

「くっ……はぁっ、はっ……!」

 汗が吹き出し、息が焼けるように荒い。

 いまだに狼たちは怒涛の勢いで崖道に押し寄せてくる。

「デヤャァアッ!!!!」

 ライルが無数の狼を斬り払う中、三匹が縫うように抜けて来る。

 大丈夫──やれる。やるしかない。

「来いよ。オラァ!!」

 気勢を込め叫んだ。

 牙、角、体当たり──三つの殺意は同時に迫る。

 足元で弾けた小石が、背後の谷底に吸い込まれていく。

「山田!! 僕から離れるなッ!」

 声にはっとした瞬間、狼の突進が迫った。

 とっさに剣の腹で受け止めるも、俺は突き飛ばされた。

「あっ──」

 浮遊感──

 手を伸ばすも、何も掴めない。

 これ、死──

 スローモーション。

 人は死を感じた時、

 世界がゆっくり見えるらしい。

 ああ──今日の空、こんなに青かったんだ。

 重力は、遅れてやってきた。

「山田!! 山田ー!!!!」

「うぉおおおああああああーーーー!!」

 谷底の闇へ落ちていく。

 枝葉が頬を裂くように流れ、落下の風が耳を切り裂いた。

 

 ──深い森の底へ、俺は飲み込まれた。


「……くぅ~……痛ってぇ~! 生きてる、よな。俺……」

 湿った土の匂いが鼻を刺した。

 見上げれば、崖の上から差し込む光が、木々の隙間でゆらゆらと揺れている。

 落下の衝撃をやわらげたのは──落ち葉が積もってできた厚い葉床(はどこ)だった。

 どうにか命は拾ったらしい。

 どこだ、ここ……森の奥だろうか。

「ん……?」

 この葉床、よく見ると変だ。自然とできたにしては大きい。

 まるで()()()()()()()が、寝るために用意したような──

 そう思った瞬間、ズシ、ズシ──と地を揺らす音がした。

 低く唸るような獣声。

 とてつもなく嫌な予感が、背筋をなぞった。

「……」

 喉が鳴る。

 俺は声をあげず、ただ走った。

 その場を逃げ出すように、全力で。

「グァガァアアア!!!!!!!!」

 咆哮が、背を突き刺した──

 

 ──そして、現在。

 

 眼前に迫る爪に、走馬灯のように今までの日々がよぎった。

「……ちくしょう──」

 死を覚悟した、その時だった。

 シュバッ──!

 一閃の矢が魔獣の顔面へ突き刺さる──かに見えたが、魔獣は牙で噛み砕いた。

 異常を察したのか、後ろに跳躍した。

 シュババッ──!

 魔獣を追随するように、無数の矢が降り注いでいく。

 風を纏った矢じりは、空中で軌道を曲げ、魔獣の目へ、腹へと突き刺さっていく。

「ガァアアアア!!!!!!」

「これはっ──」

 負傷した魔獣は咆哮をあげ、後ずさった。

「風牙二隊! 前へ!! 獲物は瀕死だ! 囲め!!」

 木々の間からエルフの部隊、風牙二隊が姿を現す。

 先頭を駆けるのは緑髪の少女──リーリー。その表情に、普段の陽気さは微塵もない。

挿絵(By みてみん)

 リーリーは五本の矢をつまみ上げ、弓へと添えた。

「風よ──風の大精霊エルゼよ──古き盟約を風に示せ。理を曲げ討つは汝の怨敵、──裂き断てまつれ──≪軌風翠閃(きふうすいせん)・五連≫──!」

 詠唱に応じるように、緑翠色の覇気が矢を包む。

 そして──

 弦を引き、放つ。

 爆──ッ!

 穿つように疾駆する五本の翠閃。

 それは弓射というより、弓を踏み台にしたカタパルト発射だ。

 魔獣は跳ね、走り、飛んだ。

 回避、回避、回避──しかし矢は軌道を変え、逃走を許さない。

 魔獣の動きが鈍る。息が荒い。

 次の瞬間──

 ダンッダンッ! 弾ッ弾ッ弾ッ!!

 赤黒い体毛に爆音が鳴った。“命中”ではなく、それは“炸裂”だった。

 魔獣の皮膚は、五本の風矢に突き破られた。

 魔力で矢じりを強化したのかッ──それも複数本の矢を一度に!

『複数の魔法を行使するには、繊細なコントロールと集中を要する』

 ヴァネッサがそう言っていた。これは並の技術ではない。

 俺は身体強化(ブースト)を一つ発動させるのがやっとだった。

 リーリーがやっているのは、ゲームのコントローラーを同時にいくつも操作しているようなものだ。

 彼女は天才だと自分で言っていた。

 どうやらそれは、自称ではないらしい──

「あれっ? ひーろ、何してるの? だいじょーぶ?」

 木の幹で瀕死になっている俺をみて、リーリーはいつもの調子で声をかけてきた。

「……大丈夫、じゃない……まっじで死ぬかと思った……」

「なんで居るのー? ここ、リーリー担当なのに!」

「いや、足滑らしちゃってさ──」

 

 ──この一帯の魔獣は一掃され、戦闘はひと段落ついた。

 エルフたちは手際よく魔獣の肉をはいでいる。

「すまなかった。俺の失態だ」

 ライルは深く頭を下げた。

「いいって。そばを離れた俺が悪いんだ」

「しかし……」

 彼がここまで沈むのは珍しい。

 責任を感じているんだろう。何ていい奴なんだ。

「いいからいいから。さぁ、俺らも肉はごうぜ!」

「ああ……」

 魔獣の解体が順調に終わると、里に持ち帰る分を荷に詰めた。

 そして焚き火の準備が始まった。

「持ち帰れない分はここで食うぞ! お前ら残すなよ!」

 グレースが声を張った。

「ここまで綺麗に食うんだな」

「けして命を無駄にはしない。それが守り手──いや、命を狩る狩人の流儀だ」

 肉を剝いでいるあいだに、ライルは元の調子に戻っていた。

 俺は焚き火の上に魔獣肉をかざした。

 じゅう──

「おなかすいたー!!」

 リーリーが魔獣肉を眺めながら、よだれを垂らしている。

 脂が弾け、香ばしい匂いが風に乗って広がる。

 肉の表面がじりじりと焼け、赤身がわずかに汗を浮かべた。

 そろそろか。

「山田、これを使え」

「これは……まさか、塩!?」

「洞窟からとった岩塩だ。かけてみろ……飛ぶぞ」

 くくっ、とライルは口角を上げた。

 ひとつまみ振りかけて、かぶりついた。

「うっ──まッ!」

 噛んだ瞬間、肉汁が舌に流れ込み、疲れ切った体に染みた。

 戦いの恐怖も、痛みも、一口で消えていく。

 ほとばしる野性の旨味。これは確かに──“飛ぶ”。

「よし……」

 俺は持参していた山水の竹筒に、森の樹からとった赤い樹液を垂らした。

 この樹液は甘いのだ。とてつもなく──

 山田特性激甘ブレンドジュースの完成である。

「クックック……! リーリー。キミも一杯やるかね?」

「んっ……何これ。んーっ。ん? あっまぁあああああああ!!!! うぇぇー!!」

 リーリーは舌をべっと出した。樹液で真っ赤だ。

 ふ……お子ちゃまにはまだ早いか。

「虫歯になるぞ。訳の分からんものを作るな」

「そんな、美味しいのに……」

 ライルに咎められたその時、背後から明るい声が飛んだ。

「おう、山田! ちょっといいか?」

 グレースだ。彼は俺の返事を待たずに、ゆっくり歩き出した。

 その背中は、ついて来いと語っていた。

「こっちだ」

 少し離れた木陰に、ひっそりと小さな焚き火が灯っている。

 静まり返った空気の中、ぱち、ぱち……と薪の音が細くひびく。

 グレースは倒れた大木に腰を下ろした。

「まぁ、座ってくれ」

 促されるまま隣に腰を下ろす。

 焚き火の揺らぎが、彼の横顔に淡い影を落としていた。

「隊長、どうしたんですか?」

「その、だな……ヴァネッサとは、最近どうだ?」

「ヴァネッサ──さん、ですか。妹さんには、本当に良くしてもらってますよ。おかげで魔法も少し使えるようになりましたし」

 彼女に教えてもらった身体強化(ブースト)が無かったら、普通に死んでいた。

 狼の凶悪な顔を思い出し、体がブルッと震える。

「そうか……あいつとは、今後も仲良くしてやってくれ」

 珍しいな。いつも明るいグレースが、寂しそうな顔をしている。

「あいつはさ、俺とずっと比較されてたんだ。本当は才能があるのに、周りがプレッシャーを与えたせいで、殻に閉じこもっちまった」

 そういえば……ダークエルフは高い能力を生まれながらに持っている──と、書館の本には書いてあった。

 数少ない褐色肌は、才能の証なのだ。

「剣聖なんていう大層な通り名で呼ばれちゃいるが……俺は、妹に何もしてやれない、ただの情けない兄貴なのさ」

 自嘲気味に彼は笑った。

 そうか。ヴァネッサは『天才』──剣聖と呼ばれる兄と、常に比較され生きてきた。

 彼女が兄を遠ざける理由は、きっとそこにあるのだろう。

「山田。俺じゃあ、ヴァネッサを笑わせてやれないんだ」

「──あいつを、頼む」

 グレースは太ももに両手を置くと、深く頭を下げた。

 “剣聖”という立場ではなく、ただの“一人の兄”として。

 どうにかしてやりたい。俺は元の世界に残してきた、妹と弟(きょうだい)を思い出していた。

 家族と仲良く出来ないというのは……とても、とても辛いことだ。

「はい、もちろん。彼女のことは、俺に任せて下さい」

「……そーかそーか!! ガッハッハ! 俺のことはお兄ちゃんって呼んでもいいんだぜ! 式はいつにする!?」

「いや、結婚はしないと思います。あと普通に隊長って呼びます」

 いつか何の垣根もなく、二人で仲良く話して欲しい──

 焚き火の明かりを見つめながら、そう願った。

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― 新着の感想 ―
 ヴァネッサさん、第三者には気さくになれてもグレースさんを始めとする家族とは虐待とまではいかずとも、ギクシャクした仲のようですね。  身体補強や、ヴァネッサさんのマナ消しを交えながらの教授、リーリーの…
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